23 / 159
第三章 闇の洗礼
十三話 獣の道 1
しおりを挟む
二人の間に、新たな影が落ちた。ゆっくりと、闇の中から現れたかのように、赫燕がそこにいた。彼は倒れたまま呻いている男の頭を、つま先で無造作に転がす。
「……何だ、このザマは」
彼の視線は朱飛を通り越し、震える玉蓮に突き刺さった。まるで心の臓を直接見透かされているような感覚に、玉蓮の呼吸が止まる。彼が現れただけで、空気そのものが密度を増し、肌を圧迫してくる。
「威勢よく俺の軍に来たと思えば、男数人に囲まれて泣き喚くのが関の山か」
嘲るような響きに、焦げつくような熱が玉蓮の胸を走る。
「復讐だなんだと劉義のじじいのとこで息巻いてた威勢はどこへ行った、姫さん。お前の思いはその程度か」
それを聞いた瞬間、玉蓮の膝の震えが、ぴたりと止まった。恐怖で凍りついていた血が、一瞬にして沸騰する。玉蓮は、弾かれたように顔を上げる。潤んでいた瞳は乾き、目の前の男を射殺さんばかりの業火を宿して、強く睨み返した。
その刹那。
赫燕の動きが不意に止まった。愉悦に歪んでいたはずの唇はその形を失い、深淵のような瞳から、玉蓮を嬲る光が消え失せた。
その代わりに宿ったのは、まるで底なしの闇を覗き込むような、昏い光。目の前の男の瞳が、燃え盛る炎のような何かを映し、僅かに、そして鮮明に揺れている。
(瞳が……)
まるで、玉蓮を通して、ここではない遠い過去の幻影を見ているかのような——。しかし、その揺らぎは、瞬き一つをした後に、すぐに元の色に戻る。
「ほう……やっと、獰猛な山猫みたいな目になったな」
赫燕の口元に、再び笑みが浮かんだ。彼はゆったりと一歩、玉蓮に近づく。
その距離が縮まるごとに、玉蓮の心の臓は燃え盛るように激しく高鳴る。しかし、彼女は一歩も引かず、その場に両足を留めた。
「だが……」
赫燕は、玉蓮の耳元に顔を寄せると、誘惑するように甘く、底知れない冷たさを秘めた声で囁いた。
「その程度の悲鳴じゃ、玄済の王は喜ばねえぞ。あれはもっと、魂ごと引き裂くような叫びを好む。お前の姉があげた——」
——シャリン。
静寂を切り裂く、硬質な金属音。いつの間にか懐から抜き放った玉蓮の短剣が、男の顔の前で鈍い光を揺らめかせる。
「——黙れ」
喉の奥から絞り出したのは、人の声ではなかった。凍てついた湖面が、軋みを上げて割れるような声。
四肢を切り落とされ、皮膚を剥がされた姉を想像したくもないのに、脳裏に真っ赤に血塗られていく姉が浮かぶ。血が沸騰する。その熱で、血管が引き裂かれそうだ。
「……何だ、このザマは」
彼の視線は朱飛を通り越し、震える玉蓮に突き刺さった。まるで心の臓を直接見透かされているような感覚に、玉蓮の呼吸が止まる。彼が現れただけで、空気そのものが密度を増し、肌を圧迫してくる。
「威勢よく俺の軍に来たと思えば、男数人に囲まれて泣き喚くのが関の山か」
嘲るような響きに、焦げつくような熱が玉蓮の胸を走る。
「復讐だなんだと劉義のじじいのとこで息巻いてた威勢はどこへ行った、姫さん。お前の思いはその程度か」
それを聞いた瞬間、玉蓮の膝の震えが、ぴたりと止まった。恐怖で凍りついていた血が、一瞬にして沸騰する。玉蓮は、弾かれたように顔を上げる。潤んでいた瞳は乾き、目の前の男を射殺さんばかりの業火を宿して、強く睨み返した。
その刹那。
赫燕の動きが不意に止まった。愉悦に歪んでいたはずの唇はその形を失い、深淵のような瞳から、玉蓮を嬲る光が消え失せた。
その代わりに宿ったのは、まるで底なしの闇を覗き込むような、昏い光。目の前の男の瞳が、燃え盛る炎のような何かを映し、僅かに、そして鮮明に揺れている。
(瞳が……)
まるで、玉蓮を通して、ここではない遠い過去の幻影を見ているかのような——。しかし、その揺らぎは、瞬き一つをした後に、すぐに元の色に戻る。
「ほう……やっと、獰猛な山猫みたいな目になったな」
赫燕の口元に、再び笑みが浮かんだ。彼はゆったりと一歩、玉蓮に近づく。
その距離が縮まるごとに、玉蓮の心の臓は燃え盛るように激しく高鳴る。しかし、彼女は一歩も引かず、その場に両足を留めた。
「だが……」
赫燕は、玉蓮の耳元に顔を寄せると、誘惑するように甘く、底知れない冷たさを秘めた声で囁いた。
「その程度の悲鳴じゃ、玄済の王は喜ばねえぞ。あれはもっと、魂ごと引き裂くような叫びを好む。お前の姉があげた——」
——シャリン。
静寂を切り裂く、硬質な金属音。いつの間にか懐から抜き放った玉蓮の短剣が、男の顔の前で鈍い光を揺らめかせる。
「——黙れ」
喉の奥から絞り出したのは、人の声ではなかった。凍てついた湖面が、軋みを上げて割れるような声。
四肢を切り落とされ、皮膚を剥がされた姉を想像したくもないのに、脳裏に真っ赤に血塗られていく姉が浮かぶ。血が沸騰する。その熱で、血管が引き裂かれそうだ。
0
あなたにおすすめの小説
行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる
春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。
夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。
形のない愛は信じない。
でも、出来立ての肉は信じてしまう。
肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。
これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。
小さくなった夫が可愛すぎて困ります
piyo
恋愛
夫が、ある日突然、幼児の姿になってしまった。
部下の開発中の魔法薬を浴びてしまい、そのとばっちりで若返ってしまったらしい。
いつも仏頂面な夫が、なんだかとっても可愛い――。
契約結婚で、一生愛とは無縁の生活を送ると思っていたノエルだったが、姿が変わってしまった夫を、つい猫可愛がりしてしまう。
「おい、撫でまわすな!」
「良いじゃありませんか。減るもんじゃないし」
これまで放置されていた妻と、不器用に愛を示す夫。
そんな二人が、じれじれ、じわじわとお互いの距離を詰めていく、甘くて切ない夫婦再生の物語
※完結まで毎日更新
※全26話+おまけ1話
※一章ほのぼの、二章シリアスの二部構成です。
※他サイトにも投稿
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす
蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。
追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。
しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。
港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。
イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。
犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。
被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。
追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる