闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

文字の大きさ
32 / 159
第四章 二つの闇

十七話 鬼神のごとき武

しおりを挟む


 戦が始まると、赫燕かくえん軍が、計算通りに崩壊を演じる。味方の兵が次々と討たれているのだろう。怒号と悲鳴が遠くから木霊する中、玉蓮は、与えられた道の入り口で、息を殺して潜んでいた。

 土と草の匂いに混じり、遠くから漂う血の臭いが鼻をつく。心の臓が早鐘のように鳴り、握りしめた剣のつかに汗が滲む。


 やがて、玄済げんさい国の斥候せっこうが数騎、近づいてきた時、朱飛しゅひの合図と共に、玉蓮は草むらから飛び出した。姉の復讐を誓ったあの日から、毎日のように振り続けた剣が舞う。

 剣が肉を断ち、骨を砕く、鈍い手応え。返り血の、生温かい鉄の匂い。斬り伏せられた男の瞳から光が消える、最後の一瞬。震えるかと思った手は、一度も震えることなく、正確に敵兵の体を切り裂いた。

 その全てが、異様なほど鮮明に頭に焼き付いていく。


 斥候せっこうを斬り伏せて、しばらくすると、後方から退却してきた赫燕の本隊が、玉蓮たちの眼下の道を通って谷奥へと消えていく。やがて、玉蓮の瞳が、赫燕と牙門の少し後ろに食らいつく敵将の姿を鮮明に捉えた。

 その隣で、じんが低くうなる。

「行くぞ、狩りの時間だ」

 じんの言葉を号砲にして、伏せていた騎馬隊が一つの巨大な生き物のように、一分の隙もなく駆け出した。玉蓮もその中で、馬を走らせる。

 ひづめの音が地鳴りとなって大地を揺らし、その振動は甲冑かっちゅうを通して心の臓に直接響く。巻き上がる土煙と鉄の匂いが混じり合い、肺を満たす。

 風を切り裂く速さで進む騎馬隊の先頭で、じんの栗色の髪が激しく揺れた。

「き、奇襲だ! 側面を食い破られたぞ!」

 横腹を食い破る形で、嵐のように切り込んだ必殺の部隊。目の前で、敵兵の甲冑かっちゅうがガタガタと音を立てながら、こちらを向く。だが、次の瞬間には赫燕軍の剣や槍がその甲冑かっちゅうを紙のように貫いていた。

殲滅せんめつしろ!」

 じんの声が響き、それに呼応するように騎馬がさらに雪崩なだれれこむ。彼らの顔には、獲物を追い詰める冷酷な笑みが浮かび、鋭利な剣は容赦なく、そして確実に敵をぎ倒していく。

 すると、面白いように道が開けていき、派手な馬具をつけた、敵将の馬が見えた。

「くっ、抜けるぞ! 退くんだ!」

 敵将は、崩れていく自陣を焦りの色で見渡すと、突如、馬首を返し、包囲網から抜け出そうと味方の兵士の間を縫って駆け出した。

「玉蓮! 退路をおさえろ!」

 じんの言葉が早いか否か、玉蓮は馬を駆り、戸惑う敵将の前に寸分の狂いもなく馬を滑り込ませた。砂塵さじんを巻き上げ現れた玉蓮の姿に、その目が見開かれる。敵兵たちがざわめき、その視線が、漆黒の甲冑かっちゅうを身に纏う玉蓮を貫いた。

「……女、だと? 赫燕は狂ったか」

 敵将は、驚愕に見開いた目をすっと細め、血走った眼光で玉蓮を睨みつける。しかし玉蓮は微動だにせず、唇だけを動かした。

「首を、もらう」

「舐めるな! 貴様の首を道連れにしてくれる!」

 侮りではない。生き残るための必死の殺意。言葉と同時に、敵将の馬が、玉蓮目掛けて突進してきた。

「——仕留めろ! 玉蓮!」

 じんが叫ぶ。直後、耳をつんざくように響く、剣と剣がぶつかる甲高い音。はがねが擦れ合うたびに散る火花が、血の匂いを帯びた空気を刹那せつなに照らし出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる

春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。 夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。 形のない愛は信じない。 でも、出来立ての肉は信じてしまう。 肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。 これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さくなった夫が可愛すぎて困ります

piyo
恋愛
夫が、ある日突然、幼児の姿になってしまった。 部下の開発中の魔法薬を浴びてしまい、そのとばっちりで若返ってしまったらしい。 いつも仏頂面な夫が、なんだかとっても可愛い――。 契約結婚で、一生愛とは無縁の生活を送ると思っていたノエルだったが、姿が変わってしまった夫を、つい猫可愛がりしてしまう。 「おい、撫でまわすな!」 「良いじゃありませんか。減るもんじゃないし」 これまで放置されていた妻と、不器用に愛を示す夫。 そんな二人が、じれじれ、じわじわとお互いの距離を詰めていく、甘くて切ない夫婦再生の物語 ※完結まで毎日更新 ※全26話+おまけ1話 ※一章ほのぼの、二章シリアスの二部構成です。 ※他サイトにも投稿

七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす

蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。 追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。 しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。 港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。 イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。 犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。 被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。 追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。 この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。 ・世界観・設定の管理補助 ・プロット段階の壁打ち ・作者による執筆後の校正

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした〜

ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。 イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。 8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。 ※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

処理中です...