闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

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第一章 鞘の内の刃

二話 学び舎の異物 2

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「……先生」

 いつの間にか、師である劉義りゅうぎが眉間に深い皺を寄せて立っていた。玉蓮はまっすぐに彼を見返すことができず、唇を尖らせながら、樫の棒を背後に隠した。劉義りゅうぎが、重いため息を吐き出す。

「……安い挑発に乗り、感情で盤面を乱す。玉蓮、それは軍師として、最も恥ずべき愚策だ」

 その言葉を合図に、周囲の弟子たちから卑屈な揶揄が漏れ出す。

「そうだ、女のくせに」

「浅知恵が!」

 玉蓮は即座に彼らを睨みつけたが、劉義の冷徹な視線がそれを許さなかった。

「玉蓮」

 追い打ちをかけるような師の声に、玉蓮の肩がこわばる。

 だが、その時。後ろの方で「ふふ」と朗らかに笑う音がして、殺伐とした空気に亀裂が入った。

「——見事な一手だったね、玉蓮」

 空気を塗り替えるように、柔らかく、透き通った声が降ってくる。鼓膜を撫でるその響きは、乾いた大地に染み込む水のようだった。玉蓮の指先から力が抜け、樫の棒が乾いた音を立てて足元に転がった。

 ゆったりとした足取りで歩み寄ってくる人影。ふわりと鼻先を掠めたのは、汗の臭いではなく、上質な香と、日向に干した布のような清潔な香り。劉永りゅうえい。師である劉義の息子であり、この塾で唯一、玉蓮が「敵わない」と認める兄弟子。この泥臭い男たちの巣窟で、彼だけが異質な光を纏っているようだった。

 劉永りゅうえいが穏やかな視線でちらりと兄弟子を一瞥いちべつすると、うずくまっていた彼は気圧されたように口を閉ざし、そのままズルズルと後ずさる。玉蓮の傍らに立った劉永りゅうえいは、その小さな頭を包み込むように撫でた。

えい兄様……」

「父……先生。玉蓮は努力を惜しまないからつい、強くなってしまったのです。知略も武勇も」

「それはそうだが……」

「玉蓮の才は、この塾の誰よりも苛烈で、美しい。それは他でもない、先生の教えの賜物です」

 劉永は、父親の追及をさらりとかわし、玉蓮の手をそっと取った。

「行こう、玉蓮。面白い書があるんだ」

 白く、骨ばった綺麗な手。玉蓮は、差し出されたそれに半ば無意識で手を伸ばす。彼は、玉蓮の手を引いて歩き出したかと思うと、「あ」と声を小さく上げて立ち止まり、にっこりと笑って振り返る。

「先生、私たちは勉学に励みます。それでは」

 劉永りゅうえいは、劉義りゅうぎに頭を下げると、玉蓮を伴って駆け出した。

 そして、廊下に出た途端、悪戯っぽく肩を揺らして笑う。

「あの顔、見たかい? 父上は、君の真っ直ぐなところが、本当は愛おしくて仕方ないんだよ」

 悪戯っぽく笑う劉永りゅうえいの横顔は、あまりにも眩しい。その温もりに触れている間だけは、こびりついた血の臭いも、復讐の誓いも、すべて悪い夢だったかのように思えてくる。

「……えい兄様」

 玉蓮は小さく微笑ほほえんだ。けれど、繋いだその手には、先ほど人を打った痺れが、まだ微かに残っている。玉蓮は胸の奥の痛みを隠すように、劉永りゅうえいの手をぎゅっと強く握り返した。
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