闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

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第六章 首輪の在り処

三十八話 深謀の影 1

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◇◇◇ 崔瑾さいきん ◇◇◇

 崔瑾さいきんは、ゆったりと一礼した。

玄済げんさい国・大都督だいととくを務めております、崔瑾と申します」

 まず、赫燕かくえんに視線を投げた。白楊はくよう国王までもが心酔していると言われる風采ふうさいを持つ男。その姿は、確かに獣のように猛々たけだけしく、それでいて人の目を惹きつけるような妖艶ようえんな美しさを兼ね備えている。

 揺らめく双眸そうぼうの奥に潜む底知れぬ深淵が、人の心を捉えて離さないのだろう。不遜ふそんにも、王族の色である紫紺しこんの衣を纏う男は、まるで周囲の緊張感を愉しんでいるとでも言いたげに、不敵に口元に笑みを浮かべていた。

 だが、その艶やかなかんばせに、脳のどこかが、ちりりとしびれるような、奇妙な既視感を覚えた。

(……なんだ、この感覚は)

 漆黒の瞳。人の心を凍らせる威圧感。そして、泥と血にまみれた将軍には似つかわしくない、洗練された極上の伽羅きゃらの香。必死に記憶の糸をたぐり寄せれば、なぜか王都・呂北ろほくの影が一瞬だけ、陽炎かげろうのように揺らめいた。

 手を合わせ、その袖に隠れた中で、ほんの少し眉をひそめる。しかし、すぐに脳裏をよぎるその違和感を、意識の外に押し込めるように努めた。今は、この場での己の役割を全うすることに集中すべきだ、と。

 そして、子睿しえい劉永りゅうえいに順に一礼すると、その視線を、ごく自然に赫燕の隣に立つ玉蓮ぎょくれんへと移す。あたかも赫燕と対をなすかのように、紫紺しこんの衣を身に纏っている。

 崔瑾は両手を合わせて、うやうやしく玉蓮に向かって頭を下げる。

「公主におかれましては、遠路はるばる、足をお運びいただき、恐縮至極きょうえつしごくに存じます。まさか、白楊はくようの華とうたわれる貴女あなた様に、このような最前線の地でお目にかかろうとは、夢にも思っておりませんでした」

 玉蓮は絵画から抜け出したような微笑びしょうを湛えた。暗闇に佇む大輪の白菊のように、儚くも圧倒的な美しさだった。

「崔瑾殿、ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。白楊はくようの華など、過分なお言葉です。加えて……世に知れ渡っているのは、月貌華げつぼうか詩歌うたの方でしょう」

 視線を少し下げたまま、玉蓮は囁くように告げる。その声は、まるで銀の鈴を鳴らすかのように凛としていながら、どこか湿り気を帯びた響きを持っている。

崔瑾は、穏やかな笑みを崩さず、静かに首を横に振った。

「あれは市井の民が口ずさむ俗謡ぞくように過ぎません」

 礼儀正しく、やんわりと否定した。だが、脳裏には、その詩の続きが鮮烈に蘇っていた。

◇◇◇◇

北天ほくてん白菊はくきく 月貌げつぼう

※北の空に咲く白菊は、月のように美しい顔を持つ華である。

◇◇◇◇

 噂に違わぬ、凄絶せいぜつな美しさだ。周りの兵たちの、息を呑む気配が伝わってくる。だが、この詩歌うたには続きがある。

◇◇◇◇

 霜輝そうき凜冽りんれつ しょう人心じんしん
 焚尽ふんじん英雄えいゆう こんはく
 猶如ゆうじょ飛蛾ひが 競撲きょうぼく


 北の空に咲く白菊は、月のように美しい顔を持つ華である。その霜のような冷たい輝きは、あまりに気高く、人々の心をもひれ伏せる。英雄の魂さえも焼き尽くしてしまう、その、あまりにも危険な美しさ。それでも人々は、まるで火に飛び込む夏の虫のように、競ってその身を滅ぼしにいくのだ。

◇◇◇◇
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