闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

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第七章 臨万城の嵐

四十五話 血の円舞 2

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◇◇◇

 戦が始まると、玉蓮の隣で牙門がもんが雄叫びを上げた。

「うおおおおおっ! 押し返すぞ、てめえら!」

 彼は、城壁に取り付く敵兵を、巨大なほこで文字通り叩き潰していた。人間の肉が奇妙な音を立てて弾けていく。圧倒的な武の力が、周囲の兵士たちの士気を奮い立たせ、異様な熱に包まれる。

 そして、その牙門の頭上を、一本の矢が風を切る音と共に通り過ぎていく。矢は、遥か眼下で攻城兵器の指揮をっていた、敵の将の眉間を正確に射抜いた。

「……ちっ、次のが来る!」

 望楼ぼうろうの下段に陣取るせつが、忌々いまいましげに吐き捨て、再び長弓を構える。別の区画では、子睿しえいが、じんに悪態をつかれながらも、煮えたぎる湯や油を城壁から注ぎ落とす準備を進めている。

「ったく、子睿! 俺は奇襲・必殺部隊だぞ!」

「文句を言わない、迅さん。あなたの騎馬隊は最強ですが、城壁では役立たずです」

「だからって、油にまみれる役かよ! ……ってか、なんだこの臭えのは! 鼻が曲がりそうだ!」

「……迅さんがお持ちのものは、油ではなく金汁きんじゅうですのでご注意を。煮え立った糞尿が傷口に入れば、苦しみ抜いて腐り落ちますぞ」

 迅の顔が一気に青ざめる。

「——うわあっ、汚ねえ! それを先に言え! 一滴でも跳ねてみろ、子睿、てめえを釜に突き落としてやる!」

(あそこは、いつも通りだな……)

 玉蓮は、敵の刃をかわしながら小さく頷く。


 最も激しい攻防が繰り広げられる城壁のきわ。そこでは、玉蓮が朱飛しゅひと背中を合わせるようにして、なだれ込んでくる敵兵の波を押し返していた。

 朱飛には、焦りも力みもない。彼はまるで荒野を吹き抜ける乾いた風だ。音もなく敵の懐にするりと入り込み、通り過ぎた瞬間には、敵の首が宙を舞っている。その背中は、常に玉蓮を庇う位置を保っている。玉蓮の剣もまた、舞うように、確実に敵を貫いていく。

 返り血でぬるつく剣のつかを、何度も握りしめる。敵の甲冑かっちゅうを断ち切るたびに、腕に響く鈍い衝撃が、自分がまだ生きていることを教えてくれる。

「——朱飛!」

 その声に応じるように朱飛の体が反転し、三人の敵兵の喉を一瞬で切り裂く。その間、わずか数瞬。背中合わせの彼の体温が伝わるたび、荒れ狂う剣筋けんすじから、不思議と力みが抜けていく。

 仕掛け、援護し、指揮を執り、側面を突く。一人じゃない、彼らがいる。だから、玉蓮は、目の前の敵の首を、無心にねていった。鮮血が宙を舞い、玉蓮に熱い飛沫しぶきとなってかかる。

 血が頬を伝うその刹那、口元に浮かんだものに彼女は気づき——そして次の瞬間、わずかに目を見開いた。


(笑っている……? 自分が?)


 鼓膜を打つのは、敵の断末魔と、止むことのない戦の轟音ごうおん。それらの音が、彼女の鼓動と重なり、一つの旋律せんりつとなって全身を駆け巡っていく。

 その激しさに呼応するように、軍勢がまるで巨大な生き物のようにうねり、次々と敵を飲み込んでいく。

 五感が、あり得ぬほどに研ぎ澄まされる。敵の剣閃けんせんが、血煙ちけむりの一粒一粒が、時の流れが引き伸ばされたかのように、ゆっくりと、そしてきらめいている。

 剣の重みが腕に馴染むたび、足元に転がる命の気配が、心の臓の動きを速めていく。けれど、息は乱れず、心は凪いでいる。血に塗れるたび、魂が本来あるべき場所に戻っていくような、恐ろしいほどの万能感。

 視界が、どこまでも澄み渡っていく。今、誰よりも鮮明に、この地獄を見渡せている。
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