闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

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第七章 臨万城の嵐

四十九話 戦場の華

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 地面に落ちた劉永りゅうえいへ、敵の猛攻が止まらない。玄済げんさいの兵士たちは、獲物を狙う獣のように彼に群がり、その刃を容赦なく振り下ろそうとしていた。

「確実に殺せ! あの旗は、白楊はくよう国・大都督だいととくの子、劉永だぞ!」

 敵兵の叫び声が、戦場に響き渡る。

「永兄様!」

 玉蓮の馬が、疾風しっぷうのように劉永と玄済げんさい兵の間へと割り込んだ。そのたてがみを激しくなびかせ、ひづめで地面を蹴りながら一直線に駆け抜ける。

 玉蓮は剣を抜き放った。その切っ先がひらめくたび、金属的な音が虚空きょくうに響き、玄済げんさい兵の首が次々と宙を舞う。

「ひ、姫様!?」

 ふと視界の端に、温泰おんたいの姿が映る。

 返り血が、赤い花弁のように舞い散り、玉蓮の白い頬を濡らした。その生温かい感触が、むしろ心地よい。聞こえるのは自分の呼吸と鼓動だけ。全てが見える。剣の軌道も、血の軌跡も。まるで別の時間を生きているように。血を浴びた頬が、ふっと緩んだ。

 玉蓮の周りには、瞬く間に玄済げんさい兵のしかばねが積み上がっていく。しかし、敵側の数は圧倒的であり、次から次へと新たな兵が押し寄せてくる。

 玉蓮は、劉永にさらなる危険が及ばぬよう、彼を背後に庇いながら剣を振るい続けた。自らの紫紺しこんの衣が、返り血でじっとりと重くなっていく。視界の端に映るその赤黒い色は、まるで、自分が血の花と成り果てたかのようだった。

温泰おんたい! えい兄様に息はあるか!」

「は、はっ! か、微かですが、確かにございます!」

えい兄様を馬に乗せよ! 脱出する!」

「はっ!」

 玉蓮の声が乱戦の只中を切り裂く。温泰おんたいは素早く反応し、一人の兵士の馬に劉永を押し上げた。

「退路は、我らが確保している! 劉永隊、脱出隊形を取れ!」

 玉蓮は叫ぶ。

「姫様! 姫様もお先に!」

 温泰おんたいが、懇願するように声を上げた。しかし、玉蓮は首を横に振る。

「よい! 私が殿しんがりを務める! 行くぞ!」

 彼女は馬首を巡らせ、押し寄せる玄済げんさい兵の波に立ちはだかる。その姿に、後退しかけていた劉永隊の兵士たちの足が止まり、再び雄叫びを上げて敵に向かっていくのが見えた。

 その時、玄済げんさい兵の中から、将軍格の男が玉蓮を指差して叫んだ。

「あれは、白楊はくようの姫だぞ! 捕らえれば一攫千金だ!」

 その声に、玄済げんさい兵が獲物を見つけたように玉蓮に群がる。彼らの口から漏れるのは、もはや言葉ではない。よだれが絡んだような息遣いと、獣の唸り声。

 味方の死体を踏み越え、我先にと突き出してくる槍の穂先ほさきが、姫という名の金貨だけを追ってぎらついている。

 玉蓮は、一瞬にして玄済げんさい兵の波に飲み込まれそうになる。

「おい、玉蓮! いい加減にしろ!」

 その塊を、側面から数騎の黒い影が突き破った。朱飛しゅひ隊の兵が嵐のように敵陣の群れに突進し、一瞬にしてその包囲を切り裂く。

「俺たちも抜けるぞ! お前が死んだら、俺たちは朱飛さんに顔向けできねえんだよ!」

 玉蓮にそう叫ぶ。さらには白楊はくようの軍がそこに割り込んだ。

「くっ……抜けるぞ!」

 なんとか馬を走らせ、包囲を抜けていく。





 後退した先で、玉蓮は周囲を見渡した。出発の時に三十騎いたはずの朱飛隊の兵は、その数を十騎余りにまで減らしていた。その誰もが、深手を負っている。

「……はっ……はぁ」

 玉蓮の脳裏に蘇る、悪態をつきながら笑っていた、あの若い兵士の顔。風に揺れる、彼の空になったくらがギィと軋む音だけが、やけに大きく耳に届いた。

 あれほど澄み切っていた世界が、急速に元の混沌とした色と音を取り戻していく。全身を襲う疲労と、斬りつけた肉の感触。玉蓮は、くらから目を逸らすことができなかった。
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