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第十章 正義の敵
七十四話 要の石 2
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◆
扉を開き、書庫に入ると、墨の香りが鼻を抜ける。整然と並べられたそれは、まさに崔瑾という人そのものだった。奥の書棚には、軍の補給・調達記録や人事の異動記録、各地の情勢報告書が整然と並べられている。
玉蓮は、補給記録の中に目を通し始めた。帳簿には納入品の内容と単価、そして納品担当の名が記されている。その中に、異様に安価な兵装が連続して記されている箇所があった。
そこには、同じ名が何度も記されていた。玉蓮は指先でその名をなぞり、次に人事記録へと手を伸ばす。異動・左遷された兵部の官吏たちの中に、その名とつながる者の名前が何人も見つかる。
(この流れ……追われた者たちは、皆、何者かの意向で消されている。やはり周礼が——)
その時だった。書庫の静寂を破るかのように、外から微かな気配が玉蓮の意識を捉えた。玉蓮は素早く、音もなく、手にしていた記録を元の棚へと戻していく。
カタン、と背後でわずかに音がした時には、すでに誰かが立っていた。だが、その時、玉蓮の手に握られていたのは、恋愛を詠った詩集。まるで最初からその本を読んでいたかのように。
「何を、されているのですか」
書庫に響いたのは、凛とした阿扇の声。静かではあるが、その声には一切の揺れがなく、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。
玉蓮は、ゆるやかに振り返る。完璧な優雅さを湛えた笑みと共に。あくまでも淑やかに、衣擦れの音さえ立てずに彼の前へと歩み寄る。
「阿扇」
阿扇の瞳は、敵を見定めるときのような鋭さを伴っている。書庫の重苦しい空気が、二人の間に張り詰めていた。沈黙を破ったのは、阿扇。
「こちらで何を?」
玉蓮は視線をわずかにそらし、開かれた書物を指し示した。
「眠れず、読み物を。阿扇は、夜の警護ですか?」
「崔瑾様が、書庫への出入りをお許しになったと?」
「許されていないとでも? わたくしは崔家の夫人です」
確かに、崔瑾には書庫の出入りは許されている。泳がされていると言っても良いかもしれない、この状況下であっても、情報を得ることは玉蓮にとっては最優先事項。書庫に入ることに迷いなどない。
再び二人の視線が強く交錯する。阿扇のあまりにも強い視線は、玉蓮に容赦なく突き刺さる。
「阿扇も読みますか? わたくしのお薦めは——」
「不要です」
玉蓮の言葉を遮った声は冷ややかで、玉蓮が差し出そうとした詩集を見ることもなく、くるりと踵を返した。腰に帯びた漆黒の鞘。そこに収まった剣の柄に、阿扇の指が触れる。
「あまり妙な動きをなさいませぬよう。大都督の、崔瑾様の名を貶めるような真似だけは、許しません」
そして淡々と続ける。
「私は、あなたを信用しておりません」
そう言い残し、阿扇は音もなく立ち去った。
玉蓮は、差し出したままだった詩集をゆっくりと閉じ、その重みを両手に感じる。温かな紙の感触とは裏腹に、心の中は冷え切っていた。
(表向きの情報だけでは足りない——)
彼女は、ひっそりとその場を離れる。詩集を抱きしめるように胸元に寄せ、足早に回廊の奥へ進んだ。
扉を開き、書庫に入ると、墨の香りが鼻を抜ける。整然と並べられたそれは、まさに崔瑾という人そのものだった。奥の書棚には、軍の補給・調達記録や人事の異動記録、各地の情勢報告書が整然と並べられている。
玉蓮は、補給記録の中に目を通し始めた。帳簿には納入品の内容と単価、そして納品担当の名が記されている。その中に、異様に安価な兵装が連続して記されている箇所があった。
そこには、同じ名が何度も記されていた。玉蓮は指先でその名をなぞり、次に人事記録へと手を伸ばす。異動・左遷された兵部の官吏たちの中に、その名とつながる者の名前が何人も見つかる。
(この流れ……追われた者たちは、皆、何者かの意向で消されている。やはり周礼が——)
その時だった。書庫の静寂を破るかのように、外から微かな気配が玉蓮の意識を捉えた。玉蓮は素早く、音もなく、手にしていた記録を元の棚へと戻していく。
カタン、と背後でわずかに音がした時には、すでに誰かが立っていた。だが、その時、玉蓮の手に握られていたのは、恋愛を詠った詩集。まるで最初からその本を読んでいたかのように。
「何を、されているのですか」
書庫に響いたのは、凛とした阿扇の声。静かではあるが、その声には一切の揺れがなく、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。
玉蓮は、ゆるやかに振り返る。完璧な優雅さを湛えた笑みと共に。あくまでも淑やかに、衣擦れの音さえ立てずに彼の前へと歩み寄る。
「阿扇」
阿扇の瞳は、敵を見定めるときのような鋭さを伴っている。書庫の重苦しい空気が、二人の間に張り詰めていた。沈黙を破ったのは、阿扇。
「こちらで何を?」
玉蓮は視線をわずかにそらし、開かれた書物を指し示した。
「眠れず、読み物を。阿扇は、夜の警護ですか?」
「崔瑾様が、書庫への出入りをお許しになったと?」
「許されていないとでも? わたくしは崔家の夫人です」
確かに、崔瑾には書庫の出入りは許されている。泳がされていると言っても良いかもしれない、この状況下であっても、情報を得ることは玉蓮にとっては最優先事項。書庫に入ることに迷いなどない。
再び二人の視線が強く交錯する。阿扇のあまりにも強い視線は、玉蓮に容赦なく突き刺さる。
「阿扇も読みますか? わたくしのお薦めは——」
「不要です」
玉蓮の言葉を遮った声は冷ややかで、玉蓮が差し出そうとした詩集を見ることもなく、くるりと踵を返した。腰に帯びた漆黒の鞘。そこに収まった剣の柄に、阿扇の指が触れる。
「あまり妙な動きをなさいませぬよう。大都督の、崔瑾様の名を貶めるような真似だけは、許しません」
そして淡々と続ける。
「私は、あなたを信用しておりません」
そう言い残し、阿扇は音もなく立ち去った。
玉蓮は、差し出したままだった詩集をゆっくりと閉じ、その重みを両手に感じる。温かな紙の感触とは裏腹に、心の中は冷え切っていた。
(表向きの情報だけでは足りない——)
彼女は、ひっそりとその場を離れる。詩集を抱きしめるように胸元に寄せ、足早に回廊の奥へ進んだ。
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