社内恋愛ファースト・シーズン

アリスの鏡

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4章 二人の男、大人の男

29話 非常階段と唇 2

「もっと広斗を信じてれば。もっとちゃんと……」

「他の子にも同じように優しくしてる男を信じるの?」

「っ……」

「ゆりちゃんがいるのに、他の女の子に付き合ってないって言う男を信じるの?」

(いや……)

「たとえ、付き合ってなかったとしても、ゆりちゃんの存在は伝えるべきだろ?」

(もう……)

「ゆりちゃんを好きなら、ゆりちゃんのことが大切なら伝えるべきだ」

「もう……やめてっ!」

 広斗のことを信じたいのに、広斗のことが好きなのに、現実を突き付けられると揺らいでしまう。

「なんで……っ」

 もう広斗は私のことなんて想っていないのかもしれない。もう以前のようには戻れないのかもしれない。あの二人は惹かれ合っているかもしれない。

 押し込もうとしても、消えてくれない不安が一気に溢れ出す。広斗の気持ちが見えない。

「……俺、ゆりちゃんを泣かして最低だよね。こんなこと言って、ゆりちゃんを不安にさせて卑怯なことしてるのはわかってる」

 香取さんを見上げると、淡々とした彼の口調からは想像しなかった、彼の苦しそうな顔を見つけた。

「かと、り……さ」

「——それでも、君が欲しい」

 香取さんと見つめ合っていたはずなのに、気付けば彼の腕の中にいた。昨日、私を慰めてくれた温かい腕。

 香取さんの腕に力がこもる。昨日、私を優しく慰めてくれた腕がまた、私を抱き締める。昨日はこの腕にすがりついてしまった。私を欲しいと言うこの腕に甘えてしまっていいんだろうか。

 目を閉じれば、広斗の顔が見えるのに。

 でも、広斗は私を見ていないじゃない。私がどんなに広斗のことを好きでも、広斗にとってはそういう存在じゃなかったのかもしれない。ううん、そういう存在だったのは、もう過去の話なのかもしれない。だって、広斗は追ってきてもくれなかった。


 頭ではダメだとわかるのに、私はいつのまにか彼の背中に手を回して、自分から更に近づいた。昨日と同じように彼の香水が私を包む。彼は私に応えるように、抱き締める腕にまた少し力を込めてくれる。

 見上げると、とても近くで目が合った。彼が優しく頭を撫でてくれるから、その気持ち良さに思わず目を閉じると、彼が笑みをこぼす音が聞こえた。大きな熱い手が頬に触れる。親指が私の唇をなぞる。

 そして、私は、そのまま引き寄せられるように、彼の唇に触れた。

 何度も、何度も、唇が触れる。唇の隙間、微かにお互いの舌が触れ合って、音を立てる。また目が合うと、彼は少し微笑んで、私を階段の壁にゆっくり押し付けた。彼のシャツを掴んでいた手も、捉えられて同じように壁に押し付けられて、優しく指が絡まる。

 少し開いた唇の隙間から、ゆっくりと舌が入り込む。

「んっ……っ……」

 舌を強く吸われて、何度も何度もゆっくりと動いて。ようやく唇が離れると、銀色の糸が引いた。肩で息をする私を見て、彼は妖艶に微笑む。

「そんな目で見られると抑えられなくなるよ」

「え?」

 彼はもう一度軽くキスをして、私と目を合わせると、そのまま首筋に唇を這わせた。

「……っあ」

 ピリピリと走る甘い痺れ。その感覚に声が溢れてしまう。彼は首筋に唇を当てたまま話し出す。

「ゆりちゃんの今の気持ちはわかってるよ。これに何の意味もないことくらい」

 そう言って彼は首筋に何度もキスをして、唇を這わせていく。

「あ、ダメ……っかとりさ……」

「真っ白だね。すぐ跡が付きそう……」

 香取さんを止めようと肩を押し返すけど、力が入らない。背中を駆け抜けるような快感に、膝が震える。彼に支えられていないと、崩れ落ちてしまいそうだ。

 香取さんが顔をあげて私を見下ろした。

「矢野くんのこと好きなのもわかってるから。最後にもう一度だけ」

 再び重なる唇、絡み合っていく舌。密着する身体も、私の頭を包み込むその手も全てをそのままに、抗うこともせずに、私はただ応えていた。
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