社内恋愛ファースト・シーズン

アリスの鏡

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7章 それぞれの選択

43話 嘘つきの告白 4

 その声が耳に届くと、激しく波打つ心臓が一気に平静を取り戻したみたいにふっと軽くなった。そしてそれと同時に、私の手首を掴む広斗の力が弱まる。私は、声のする方向に視線を向けた。

「ゆりちゃん」

 困ったように笑う彼は、その優しい声で私を呼ぶ。真っ直ぐ私に向かってきて、そのまま私の片方の腕を取って立ち上がらせた。私の涙をその指で優しく拭う。

 香取さんの顔を見ると安心する。彼の手に触れられて、やっと息ができたような気がした。

「大丈夫?」

「……はい」

「本当に……すぐ泣くんだから。心配するでしょ?」

 まるでからかうように言われて、思わず笑ってしまった。

「お、笑ったね。ゆりちゃんは笑ってる方がいいよ」

 広斗は、私を掴んでいた手をいつの間にか離していた。香取さんのおかげで少し落ち着きを取り戻した私に、広斗の声が届く。

「ゆり……俺は……お前のことは好きじゃない。約束を破ったのは悪かった。でも、俺にとってはそんなに大事な用事じゃなかったんだ」

 私の目の前には香取さんがいて、広斗の方を振り向くこともできずに、広斗から発せられるその言葉にただ耳を傾けるだけ。

「お前が……俺のことを好きだって言うから、今まで傍にいた」

「矢野くん!」

「同期だし、気まずくなりたくなかったから。お前が俺のことを好きなのがわかって、俺もお前のことを好きになれるかもと思って一緒にいた」

 広斗の声が、微かに震えている気がするのは、私の体が震えているから?

「でも、南野のことで嫉妬されたりこうやって泣いたり……俺には無理だ。お前を好きになれない。俺も好きだって言ったことがあったけど、あれは本心じゃない。期待させて悪かった」

 力を入れようとしても、体の震えが止まってはくれない。

「香取さんのところに行けよ。その方が幸せになれるだろ。俺は……お前を好きじゃないんだ。お前のことは……どうでもいい」

 「好きじゃない」そう言った。

(広斗はずっと……好きじゃなかったの? 俺もって言ってくれたのも、違ったの?)

 やっぱり、広斗は私の心をかき乱す。抱き締めようとしていた香取さんの手を振り払って、私は歩き出す。今は触れてほしくない。触れられたら壊れてしまいそう。

 フラフラとオフィスに向かって階段を昇る。振り返っても、もうそこに広斗の姿はなかった。

 オフィスに着き、そのまま自分の席に戻る。こんな状態では仕事にならないとパソコンの電源を切り、帰り支度を始める。

「ゆり」

 陽子に呼び掛けられて、動きを止めた。

「大丈夫だったの?」

 顔を上げると、心配そうに私の顔をのぞきこむ陽子がいた。

「うん……」

「矢野も、香取さんも行ったから……」

「……みんなにも伝えておこうかな。今まで迷惑かけちゃったし、これからのこともあるし。オフィスを出た後、広斗と話したの。話したっていうか、ただ言われただけなんだけど」

 一度息を吐いて前を見る。

「広斗は……私のこと、好きじゃないって」

 広斗が口にしたことを、もう一度自分で口にするだけ。それだけなのに、喉がつかえて息がうまくできない。

「私が広斗のことを好きだったから、一緒にいただけだって。はっきり言われちゃった」

「……ゆり」

「香取さんのところに行けって……その方が幸せになれるから。俺は……お前のこと……好きじゃないって。どうでもっ……っ……」

 最後まで続けられない私を陽子が抱き締めてくれる。その瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。

「……広斗っ……っ……」

 好きだった。広斗のことが、好きだった。
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