夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第三章

第十六話 また、ここから

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 校門前、玄関先はいつも通りの賑やかさ。
違うクラスの人や違う学年の人もいるからだろう、ボクらのことを気にするような人はほとんどいなかった。
 玄関先から同じクラスの人達に出くわして気まずい思いをするのも嫌だったし……と、少し安堵している。

「……あ、ごめんなさい影人さん」

 途中、無意識に掴んでいた手を、そっと離す。
気がつけば、影人さんの家からここに着くまでずっと握っていた。

……手を握っている間、少しばかり落ち着いた気持ちになれていた気がする。
全く緊張しないわけではないけれど、独りじゃないと思えて安心できていたのだろうか。

「……いいよ、別に」

 さらっと返事をする影人さん。
……本当なら、彼が一番不安に思ってておかしくないはずなのに。

(……そうだ。ボクが弱気になってどうするんだ)

 学校に行ってみようと誘ったボクが不安に飲み込まれては、本末転倒だ。
そう言い聞かせながら、どうにか気持ちを落ち着かせようと少しだけ深呼吸。

 廊下を歩いて、階段を上って。教室に近づくたび、心臓の鼓動が少しずつ早くなる。
まだ緊張はほぐれない──けれど、ここまで来たからには進むしかない。

(……大丈夫、何かあったらまた帰ろう。影人さんと、そう話したんだから)

 そんなことを考えながら、影人さんの方を振り向くと──彼も緊張しているのだろうか、少しばかり目を伏せている。

「……ボクが先に入りますよ、影人さん」
「……うん」

 影人さんを後ろに立たせ、教室のドアの前に立つ。
再度深呼吸を一回、両頬をべちんと叩いて「よし!」と覚悟を決め──猫箱の蓋を開いた。



「……あ、不破……」
「よぉ……と、後ろに黒崎もいるのか?」

 ボクがドアを開くなり、少しざわつき始める教室内。
頬杖をついてじっと窓の外に目を向けている黒葛原つづらはらさん以外のクラスメイトが、みんなボクに視線を向けていた。

 女子も、男子も、眉をハの字にして……どこか困惑したような、迷っているような、そんな表情だ。

「……あ、あのさ。二人とも」
「はい?」
「その……昨日はゴメン」

 ドアの前で戸惑うボクらにそう言いながら駆け寄ってきたのは、窓雪さんとよく一緒にいる二人の友人──モモさん?とリカさん? だった。
急に述べられた謝罪の言葉にボクは「えっ」と、声を漏らしてしまう。

「不破が黒葛原つづらはらとやりあった後さ……ケイ、色々言ってたんだよ」
「マジ凄かったわ。いつも大人しいあいつがあんなにキレんの初めて見たっつーか……」
「え、あの……ちょっと待ってください、一体何が?」

 分からないまま進む話に、一旦ストップをかける。
今の言葉を鵜呑みにするなら、ボクが今見ているクラスメイトの表情(黒葛原つづらはらさん以外)は……申し訳なさそうにしている、ということでいいのだろうか。

 それにしたって、何故いきなり謝られるのか……ちょっと、理解が追いつかないのだけれど。
そうしている間に、わらわらとクラスメイトがボクらの元へ集まってくる。女子も、男子も、関係なく。

「……不破が出てった後のことなんだけど」

 後ろの方にいた男子が、そう言いながら語り始める。



 ボクが影人さんのもとへ向かおうと教室を出た後、一人残った窓雪さん。
彼女の友人二人が言うには、「あんなケイは見たことがない」と言うくらいの気迫で周りのクラスメイトや黒葛原つづらはらさんに語りかけたそうだ。


『──美影ちゃんたちにとってはすごく苦しかったと思うし、やった人のことは絶対許せないと思う。でも、ここは二人の中学時代の教室じゃない。それより先の未来にある「今」――黒崎君や美影ちゃんにとっても、新しい場所』

『「今」の黒崎くんやあなたしか知らない私たちは、証拠もないまま黒崎くんを犯人と決めつける美影ちゃんの言葉しか知る術がない。そんなみんなを味方につけて、黒崎君を追い詰めて、不破君のことも利用しようとした──そんな美影ちゃんだって十分酷いし、ずるいよ』

 友達といる時もボクらと話している時も、強い態度を見せることなど一度もなかった窓雪さんが、そこまで言ったなんて。
クラスメイトから聞かされた窓雪さんの言葉に、ボクはただ驚くばかりだった。


「あたしらにも言ったんだよ、ケイ。『ろくに知りもしないことなのに、美影ちゃんの言葉を鵜呑みにして黒崎君を悪者扱いするの?』って」
「まぁ、なんつーか……言われてみればそうだなって。俺らさ、二人の間にあったこと見てもいないのに勝手に決めつけるのは悪かったなって。……不破にしてみりゃ、友達が悪く言われるってことじゃん」

 だから、ごめんな。黒崎も、不破も ―― 一人の男子がボクらに謝罪を述べると、次から次へと「ごめん」の言葉が投げかけられる。
悪い雰囲気、ではなさそうだけれど。まさかこんな風にクラスメイトから謝罪の言葉が雪崩のように来るとは想像すらしなかった。

 影人さんは、どう見ているんだろう。そう思って振り返ってみれば、

「……別に、気遣わなくてもいいのに」

 そんなことを言いながら、少し目を伏せている。


「気遣いじゃねえって! ……本当に悪かったと思ってるんだよ。俺なんて、お前のこと噂しか知らないのに不破に「付き合うのやめた方がいい」なんて言っちまったんだ。自分が恥ずかしいよ……」

 クラスメイトの男子が、影人さんに歩み寄って頭を下げる。

 『なぁ不破、お前もうあいつと付き合うのでやめた方がいいんじゃね? なんか、噂じゃ女関係もだらしねぇって前から聞いてたしさ……そのうち変なことに巻き込まれるぞお前』

 あの時、ボクにそう言ってきた張本人だった。
少し戸惑っているのか、影人さんはちらっと目線だけをボクに向けてくる。
……まぁ、分かる。ボクもこればかりは一ミリも予想できなかったのだ。

 クラスのみんなともそこそこ仲良くしている窓雪さんの言葉だからこそ、ここまで響いたのだろうか。
もしも語りかけたのがボクだったら、こんな風になるまでの力は無かったかもしれない。

「……みんなね、本当に申し訳ないと思ってるの。黒崎君にも、不破君にも」

 比較的聞き慣れた、高い声。その声は、クラスメイトの群れの後ろからボクの耳へと入る。
ちょっといい? という言葉と共に姿を現したのは、窓雪さん――と、昨日の刺々しい空気を作り上げた主の黒葛原つづらはらさんだった。

「窓雪さん……あの、この度はありがとうございました……?」
「やだなぁ、そんな畏まらないで。あのまま二人の居場所をなくしたくなかったから、ちょっと頑張らせてもらっただけだよ」

 ふわ……っと、花が咲いたように笑みを浮かべる窓雪さん。こんなふわふわした子が、よくあれだけ言えたものだなぁ……と、ちょっとしたギャップ(のようなもの)に感心してしまう。
 対して彼女の隣にいる黒葛原つづらはらさんはというと、まだ納得いかないのか気まずいのか――真意はわからないが、ツンとしたきつい表情を浮かべつつ目を背けている。

「……きっとね、私も想像できないくらい苦しい思いをしたとは思うの。それは、とても分かる。……でもね」

 窓雪さんが柔らかな声で話し始めると、教室が一気にしん……と静かになる。

「……二人の中学時代にあった事件って、「給食センターの人の不手際」で解決したんでしょ? それで丸く収まったのに、警察でもなんでもない「ただの学生」の私たちが憶測で誰かを責めたり議論したりして、蒸し返すのはさ──被害に遭った人達にも失礼だし、不毛だよ」
「…………」
「……だから、もうこの話は終わりにしようってみんなで話した。今さら犯人捜しは無理だし――何より、美影ちゃんたちから重傷者とか死人とかは出なかったみたいだもの。それだけでも、良かったと思うよ」

 ね? と、窓雪さんが言う。
被害を受けた黒葛原つづらはらさんからしたら簡単には許せない話だろうが、今さらここで議論をしたところで確実な答えが出るわけないのも事実だ。

(……影人さんだって、今さら「自分がやりました」とも言えないだろうし――きっと言う気もないだろうから)

 そうなれば、後は乗り越えて前を向くしかないのだろう。
黒葛原つづらはらさんも、被害に遭った人たちも――こっそりと真犯人である影人さんも。


「……黒崎」

 窓雪さんが話し終えると、黒葛原つづらはらさんが影人さんに歩み寄った。
こんな雰囲気になって今さら攻撃的な言動をするとは思いたくないが、何を話すつもりなのだろう。
昨日の今日なのだ、どうしても警戒心は解けないし――歩み寄られた本人である影人さんも、眉間に皺を寄せて黒葛原つづらはらさんを見ている。

「あたしは……今はまだ、許そうと思えない。「やった奴」のこと。……けど、ゆっくり時間をかけて、前向いていこうと思うよ。これ以上引きずるのも、バカバカしく思えてきたしね」
「……。あぁ、そう……」
「あぁ、あと――不破君そいつのこと、返すよ。もうぶん取るつもりないし、今後付き合うつもりないから安心してよ、影人クン」

 あたしには手に負えません――そう、なんだか意味深に思えるような一言を残しながら席に戻っていく黒葛原つづらはらさん。
手に負えないってどういうことなんだろう……そう思いながら、ボクは再度影人さんに目を向ける。

「別に、俺のもんでもないし。…………まぁ、そんなことだろうとは思ってたけど」
「え?」
「俺のことどうにかしたくてお前にちょっかい出してたんでしょ、あいつ」

 面倒臭い女、と言いながら影人さんがため息をつく。……なんだ、分かってたのか……この人。
影人さんの気持ちが落ち着いたら、ボクと黒葛原つづらはらさんのことも説明しようかと思っていたけれど――改めてする必要はなさそうだ。


「……えーと。あのさ、黒崎」
「……?」
「あんまり話したことし、今さらだけど……クラスメイトとして、これからもよろしくな」

 そう言って手を差し伸べてきたのは、先ほど影人さんに頭を下げた男子だった。
ボク以外の誰かが、こうして自分から影人さんに歩み寄ろうとしている。一年付き合っている中で、初めて見た光景だ。
それも、影人さんに好意を抱く女子ではなく、クラスメイトの男子が……なんて。

 影人さん自身も驚いているのかなんなのか、その手をじっと見たままで微動だにしない。
もしかしたらこの人は、どうしたらいいのかわからなかったりするのだろうか……。

「影人さん、握手ですよ握手」

 ほら、と言いながらその手を取って導く。影人さんはどこかぎこちない様子で「うん……」と言いながら、相手の手を握る。
その瞬間、クラスの雰囲気がふわっ……と、どこか温かいものに包まれた気がした。

 きっかけはちょっと散々なものではあったけれど――影人さんとクラスメイトの距離が、前よりもずっと近くなったように見える。
影人さん自身の周りも、きっとここからまた変わっていくだろう。今度はボクだけじゃない、クラス中が彼のことも見てくれるようになるかもしれないのだ。


「……ね、大丈夫だったでしょ?」

 そう言いながら微笑む窓雪さんに、ボクは「そうですね」と同じく笑顔で返した。
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