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第六章
第十五話 血は争えない
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ボクの拳が千万さんの頬を捉える。彼の頬を殴った感触が、手に残る。
「うっ……」
殴られた衝撃で、千万さんがよろける。彼の胸ぐらを掴んでいた影人さんも驚いたのか、目を丸くしたままボクを見ていた。
もし、これが普段なら「やってしまった」と罪悪感が募るけれど……今回ばかりは、そんな感情は湧いてこない。むしろ、これくらいで済ませたことを感謝してほしいとさえ思う。
「……さっきから言ってることをよぉーーーく整理してみたんですけど……」
「……え?」
「影人さんが嫌がらせされる理由なんてどっっっっっこにもないじゃないですか!!!!」
腹の底から燃え上がるような怒りが込み上げてくる。影人さんの言う、ボクの「ちょっと感情的なところ」というのは今みたいなことなのかもしれない。
しかし、今回ばかりは怒っても許されると思いたい。
「アナタがとっっても辛い思いをしたのはよーーく分かりました! でも、だからって影人さんがアナタに何したって言うんですか!!」
「えっ……」
「影人さんだって今まで大変だったんですよ!! 一番近くにいるボクでさえ、それを知ったのは最近です!! 彼だって、自分の家族の都合でどれだけ理不尽な思いをしたことか……!!」
ぐっ、と拳を握りしめる。もう一発くらわせようとしてしまうこの怒りをギリギリのところで抑えるのも限界だ。もう一発どころか、百発ぶん殴りたい気分である。
だが、これ以上殴ればただではすまない。これ以上やって暴力沙汰になれば、今度はボクの方が停学処分になる可能性すらある。そうならないように、何とか落ち着こうとして深呼吸を繰り返す。
「……そもそも、悪いのはアナタたちのお父様じゃないですか。二人のお父様が好き勝手やってるシワ寄せがこっちに来てるだけであって、どちらも振り回されてたに過ぎません」
──もう一度息を吸い、腹の底から声を絞り出す。
「千万さん、アナタがやってることは”ただの八つ当たり”です!!」
「八つ、当たり……?」
「どう考えたってそうでしょう! 自分が満たされてないからって勝手に影人さんに嫉妬して、勝手に嫌がらせして! 昼ドラの胸糞悪い女と変わりゃしませんよ!!」
ぽかん、と口を開く千万さん。そんなことも構わず、一気にまくし立てる。
「そんなことする暇があるならもっと自分を磨いて影人さんより高飛びしろこの野郎!!!!」
……言い切った。もう、言い返す言葉は無いはずだ。肩で息をしながら、ボクは目の前にいる人物の顔を見る。彼は俯いたまま黙りこくっていた。
……流石に言い過ぎただろうか? いや、そんなことはないはずだ。
むしろ、これくらいしてやらないと気が済まない。もっと言うなら、この程度でもまだ足りないくらいなのだ。
「…………………………」
千万さんは、ずっと黙ったままだ。
黒い前髪に隠された向こうで、金色の瞳を包む瞼がゆっくりと閉じられていく。
そして、しばらく経った頃……。
「……ぷっ!」
ふと、小さく吹き出した音が聞こえてきた。その音は徐々に大きくなっていき、最後には我慢できないと言った様子で大笑いし始めたのだ。
「あはっ! ははははははっ!!」
堪えきれないといった風に笑う彼に唖然としていると、「ああ可笑しい!」と言いながら涙まで拭き始めた。一体何が面白いというのか。
「はぁ、面白かった。まさかこんなにハッキリ言われるとは思わなかったなぁ」
「な、何が面白いんですか……ふざけてるならもう一発くらわせますが」
「いや、ごめんごめん。悪い意味じゃないんだ。ただ……そう言ってくれる人って、全然いないから新鮮で」
ひとしきり笑って落ち着いたらしい彼が顔を上げる。そこには、いつものように余裕のある笑顔があった。
「こういう経緯を話すとさ、大体の奴は俺を可哀想な人を見る目で見るんだよ。そうして決まって言われるのは「辛かったね」とか「私が傍にいるからね」なんて、上っ面の綺麗事ばっかり。みんなして、同情するのだけはお上手だった」
今度はまっすぐ、しっかりと。ボクの方へ向かって歩き、その距離が縮まる。
「君だけだよ。そうやってまっすぐ俺の事を見て──ちゃんと、怒ってくれたのは」
「……どういう、ことですか」
「そのままの意味だよ。他の奴らなら、きっと今回の事だって「ああいう生い立ちじゃ仕方ないよね」なんて言って、本気で怒ってくれることはなかったと思う」
「君が殴ってくれたおかげで、だいぶ冷静になれたかもしれない。俺、本当に馬鹿みたいなことばっかりやってたんだね」
恥ずかしそうに苦笑しながら、千万さんが言った。
そして、唐突にボクの手を取り──
「もう二度とやらないから安心してよ、約束する。──ありがとう、蛍君」
── ちゅ、と音を立てて、手首に柔らかな感触を落とされた。
えっ、今何をされた? 思考停止に陥った脳みそで彼の顔を見れば、悪戯っぽい表情を浮かべているではないか。
「…………は?」
「ちょっ!? なな、何やってるんですかアナタ!!」
「何って、お礼だけど?」
「お、おお、お礼にしては随分と過激じゃないですかねぇ……!!」
慌てて手を引き、距離をとる。千万さんはそんなボクを見て、本当に楽しそうにケラケラと笑っていた。
「わー、意外と初心なんだねぇ。可愛い~」
「か、かわっ……」
からかっているような物言いに、恥ずかしさで頬が熱くなる。
……影人さんがかなり眉間に皺を寄せ、千万さんを睨んでいる。そりゃあそうだろう、目の前でボクがあんなことをされようものなら、怒らないわけがない……はずだ。
「……影人」
「何」
「腹違いとはいっても、やっぱり血は争えないみたいだね?」
そんな影人さんの刺々しい目つきも気にすることなく、千万さんはひょうひょうとした様子で屋上を去っていく。
……そうして嵐のようだった数日間は終わりを告げ、影人さんへの嫌がらせもパッタリと止まった。
不思議なことに、周囲の人たちも影人さんを見てヒソヒソ話すこともなくなり。ボクも数日抱えていたモヤモヤが嘘のように晴れて、影人さんと平穏な学校生活が送れている。
事の顛末を窓雪さんや黒葛原さんに話してみれば、安心したと同時に「やっぱりあいつか」とため息をついていた。
波乱から始まった高校三年生。どうなることかと思ったけれど、これで穏やかに日々を過ごすことができるだろう。
「……え、……えぇ……?」
「……あいつ、絶対目潰しの刑に処す……」
―― 心の片隅に、戸惑いを残したまま。
「うっ……」
殴られた衝撃で、千万さんがよろける。彼の胸ぐらを掴んでいた影人さんも驚いたのか、目を丸くしたままボクを見ていた。
もし、これが普段なら「やってしまった」と罪悪感が募るけれど……今回ばかりは、そんな感情は湧いてこない。むしろ、これくらいで済ませたことを感謝してほしいとさえ思う。
「……さっきから言ってることをよぉーーーく整理してみたんですけど……」
「……え?」
「影人さんが嫌がらせされる理由なんてどっっっっっこにもないじゃないですか!!!!」
腹の底から燃え上がるような怒りが込み上げてくる。影人さんの言う、ボクの「ちょっと感情的なところ」というのは今みたいなことなのかもしれない。
しかし、今回ばかりは怒っても許されると思いたい。
「アナタがとっっても辛い思いをしたのはよーーく分かりました! でも、だからって影人さんがアナタに何したって言うんですか!!」
「えっ……」
「影人さんだって今まで大変だったんですよ!! 一番近くにいるボクでさえ、それを知ったのは最近です!! 彼だって、自分の家族の都合でどれだけ理不尽な思いをしたことか……!!」
ぐっ、と拳を握りしめる。もう一発くらわせようとしてしまうこの怒りをギリギリのところで抑えるのも限界だ。もう一発どころか、百発ぶん殴りたい気分である。
だが、これ以上殴ればただではすまない。これ以上やって暴力沙汰になれば、今度はボクの方が停学処分になる可能性すらある。そうならないように、何とか落ち着こうとして深呼吸を繰り返す。
「……そもそも、悪いのはアナタたちのお父様じゃないですか。二人のお父様が好き勝手やってるシワ寄せがこっちに来てるだけであって、どちらも振り回されてたに過ぎません」
──もう一度息を吸い、腹の底から声を絞り出す。
「千万さん、アナタがやってることは”ただの八つ当たり”です!!」
「八つ、当たり……?」
「どう考えたってそうでしょう! 自分が満たされてないからって勝手に影人さんに嫉妬して、勝手に嫌がらせして! 昼ドラの胸糞悪い女と変わりゃしませんよ!!」
ぽかん、と口を開く千万さん。そんなことも構わず、一気にまくし立てる。
「そんなことする暇があるならもっと自分を磨いて影人さんより高飛びしろこの野郎!!!!」
……言い切った。もう、言い返す言葉は無いはずだ。肩で息をしながら、ボクは目の前にいる人物の顔を見る。彼は俯いたまま黙りこくっていた。
……流石に言い過ぎただろうか? いや、そんなことはないはずだ。
むしろ、これくらいしてやらないと気が済まない。もっと言うなら、この程度でもまだ足りないくらいなのだ。
「…………………………」
千万さんは、ずっと黙ったままだ。
黒い前髪に隠された向こうで、金色の瞳を包む瞼がゆっくりと閉じられていく。
そして、しばらく経った頃……。
「……ぷっ!」
ふと、小さく吹き出した音が聞こえてきた。その音は徐々に大きくなっていき、最後には我慢できないと言った様子で大笑いし始めたのだ。
「あはっ! ははははははっ!!」
堪えきれないといった風に笑う彼に唖然としていると、「ああ可笑しい!」と言いながら涙まで拭き始めた。一体何が面白いというのか。
「はぁ、面白かった。まさかこんなにハッキリ言われるとは思わなかったなぁ」
「な、何が面白いんですか……ふざけてるならもう一発くらわせますが」
「いや、ごめんごめん。悪い意味じゃないんだ。ただ……そう言ってくれる人って、全然いないから新鮮で」
ひとしきり笑って落ち着いたらしい彼が顔を上げる。そこには、いつものように余裕のある笑顔があった。
「こういう経緯を話すとさ、大体の奴は俺を可哀想な人を見る目で見るんだよ。そうして決まって言われるのは「辛かったね」とか「私が傍にいるからね」なんて、上っ面の綺麗事ばっかり。みんなして、同情するのだけはお上手だった」
今度はまっすぐ、しっかりと。ボクの方へ向かって歩き、その距離が縮まる。
「君だけだよ。そうやってまっすぐ俺の事を見て──ちゃんと、怒ってくれたのは」
「……どういう、ことですか」
「そのままの意味だよ。他の奴らなら、きっと今回の事だって「ああいう生い立ちじゃ仕方ないよね」なんて言って、本気で怒ってくれることはなかったと思う」
「君が殴ってくれたおかげで、だいぶ冷静になれたかもしれない。俺、本当に馬鹿みたいなことばっかりやってたんだね」
恥ずかしそうに苦笑しながら、千万さんが言った。
そして、唐突にボクの手を取り──
「もう二度とやらないから安心してよ、約束する。──ありがとう、蛍君」
── ちゅ、と音を立てて、手首に柔らかな感触を落とされた。
えっ、今何をされた? 思考停止に陥った脳みそで彼の顔を見れば、悪戯っぽい表情を浮かべているではないか。
「…………は?」
「ちょっ!? なな、何やってるんですかアナタ!!」
「何って、お礼だけど?」
「お、おお、お礼にしては随分と過激じゃないですかねぇ……!!」
慌てて手を引き、距離をとる。千万さんはそんなボクを見て、本当に楽しそうにケラケラと笑っていた。
「わー、意外と初心なんだねぇ。可愛い~」
「か、かわっ……」
からかっているような物言いに、恥ずかしさで頬が熱くなる。
……影人さんがかなり眉間に皺を寄せ、千万さんを睨んでいる。そりゃあそうだろう、目の前でボクがあんなことをされようものなら、怒らないわけがない……はずだ。
「……影人」
「何」
「腹違いとはいっても、やっぱり血は争えないみたいだね?」
そんな影人さんの刺々しい目つきも気にすることなく、千万さんはひょうひょうとした様子で屋上を去っていく。
……そうして嵐のようだった数日間は終わりを告げ、影人さんへの嫌がらせもパッタリと止まった。
不思議なことに、周囲の人たちも影人さんを見てヒソヒソ話すこともなくなり。ボクも数日抱えていたモヤモヤが嘘のように晴れて、影人さんと平穏な学校生活が送れている。
事の顛末を窓雪さんや黒葛原さんに話してみれば、安心したと同時に「やっぱりあいつか」とため息をついていた。
波乱から始まった高校三年生。どうなることかと思ったけれど、これで穏やかに日々を過ごすことができるだろう。
「……え、……えぇ……?」
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―― 心の片隅に、戸惑いを残したまま。
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