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第三章 続 魔女と天使の腎臓
右手に一個と左手に一個。人が持てる愛情の数
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『お父さんとお母さんはね、結婚しただけだと家族になったとは言えないの。だって二人は血の繋がらない赤の他人でしょ? 二人の間に子供が産まれて、初めてこの三人に血の繋がりが出来るの。子供って言うのは、夫婦が家族になる為の大切な宝物なんだって、先生は思う』
児童養護施設での生活が最終日となるその日。院長先生の言葉に不安因子を見つけた私は、堪らず院長先生に訊ねてしまった。
『じゃあ私は? 私はトウコおばさんともゲンサクおじさんとも血が繋がってないよ? 本当に家族になれる?』
院長先生はしわくちゃな笑顔を私に向けながら、一寸の迷いも見せずに。
『なれる』
そう答えた。
『ひとえに血の繋がった子供と言っても、色んな子がいるわ。望まれて産まれた子、望まれずに産まれてしまった子、望まれた筈なのに家庭の事情で捨てられてしまった子に、そもそも産まれる事さえ叶わなかった子だって。……でもね。血の繋がらない子供は、皆んな両親に望まれて引き取られた子なの。きっとあの二人は、本当の子供以上にあなたの事を大切にしてくれるわ』
私の顔を、年相応にシワの刻まれた院長先生の手が優しく撫でた。
『イヴちゃん。あっちに行っても元気でね?』
私は、そう言ってくれた院長先生の顔を思い出す事が出来ない。
院長先生の顔を思い出せない理由はいくつもある。例えば時間の経過なんかがそうだ。私が赤海家に引き取られたのが今から八年前。八年と言う月日は、児童養護施設で過ごした日々を霞ませるくらいには膨大な時間である。でも、一番の理由はきっと両手だ。私は自分の両手を見ながら考える。
人間が生涯持てる愛情には限りがある。そして、ほとんどの人間は両手で掴み取れる程度の量、つまりたったの二個しか愛情を持つ事が出来ない。人一人が所持出来る愛情の総量というのは絶対的に少ないのだ。愛情というのはそれだけ貴重な資材だからこそ、人は愛情を注ぐ相手をしっかりと見極めなければならない。
片手で握り締めた愛情は血の繋がった我が子へ。そして、もう片方の手で握りしめた愛情は、生涯を誓い合ったたった一人の他人へ。それが人生における最も賢い愛情の使い方なのだと、私は思う。
私が院長先生の顔を思い出せない一番の理由。それは彼女が十八人の孤児に、平等に愛情を分け与えるような人物だったからだ。人が持てる愛情の総数はたったの二個。それを十八人の孤児で分けてしまえば、一人当たり貰える愛情の数はたったの0.11111111…個。それだけの愛情しか注いでくれなかった院長先生の顔なんて、思い出せるはずもなかった。
『こんにちは。今日からここがあなたのお家よ?』
『……』
借りて来た猫。赤海家の一員になった初日の私にピッタリな言葉である。赤海家のリビングに通された私は、ソファに腰を下ろしたきり、緊張のあまりうんともすんとも動けなくなってしまったのだ。
赤海家との交流は、それまでに何度も行って来たつもりだ。養子になるからと言って、それまで他人だった大人の家で、ある日いきなり暮らすようになるわけではない。赤海夫妻と知り合ったばかりの頃は、施設で赤海夫妻と頻繁にお話しをした。それに慣れれば、今度は赤海夫妻とお出かけに行くようになった。それにも慣れると赤海夫妻の家に遊びに行ってご飯をご馳走してもらうようにもなり、それさえも慣れた頃には、週に一回は赤海夫妻の家でお泊まりだってするようになったものだ。
でも、施設の一員として赤海家に遊びに行くのと、私自身が赤海家の一員になるのとでは、心構えと言うか何というか……。赤海家に引き取られたその日、私は急にこれまでのような態度で赤海夫妻と接する事が出来なくなってしまったのである。
『やっぱり緊張しちゃう?』
そんな私の心情を察するようにお母さんが問いかけて来て、私がその問いかけに頷くと。
『そう。……実はおばさんもなの』
自分も私と同じ気持ちなんだと、お母さんは年齢不相応に茶目っ気を利かした笑顔を向けて来た。
『でも安心して。今日はね、そんな私達の緊張を解す為に、とっておきの出し物を用意しておいたから』
『……出し物?』
藪から棒に何を言い出すんだろう、この人は。私は首を傾げながら、彼女が用意したという出し物を待った。するとお母さんは隣に座るお父さんの肩を叩き『ほら』と、小さく耳打ちするのだ。お父さんは俯きながらプルプルと震えていて、しかしお母さんの合図を皮切りに、覚悟を決めたように自分の頭に手を乗せた。
赤海家の大黒柱、赤海ゲンサクはお世辞にもお母さんと釣り合いの取れる容姿とは言い難い容姿の持ち主だった。体型は小太りと肥満の中間に位置するし、顔だってただでさえ老け顔なのに、僅かに生えたちょび髭が彼のジジ臭さをより一層強調している。そんな容姿でも、せめて髪くらいはきっちりしようと言う彼なりの意気込みはあるのだろう。お父さんは私に会いに来る度に、整髪剤でピッシリ整えた髪型を披露していて。
『……』
当然その日もおしゃれな髪型を決め込んで私を迎え入れたお父さんだった……、はずなんだけど。
『……』
お父さんが頭から手を離すと、髪の毛が取れた。そこには髪の毛の代わりに、ひまわりのように咲き誇る眩しい太陽があって、私とお母さんを暖かい光で照らし尽くしている。そして。
『…………く』
『……』
『く……、く…………』
『……』
『クロちゃんです……。は……は、は、……はわわわわー』
『……っ』
早稲田大学法学部卒。日本人なら誰もが知る銀行に勤める、順風満帆なエリートコースを突き進んで来た40代男性が見せたその輝きにあてがわれ、私とお母さんは爆笑という形で緊張を解されたのだった。
こうして赤海家の一員となった私の新たな人生が幕を開ける。
十八人いた孤児の中の一人ではなく、赤海夫妻のたった一人の子供として愛され続けた日々は、私の日常に新しい風を無数に吹き込んだ。
『イヴちゃん、そろそろ誕生日だねー? 何か欲しい物はある? 何でも言ってちょうだい』
『リンゴジュース!』
『……えっと。そういうのじゃなくてね? もっとこう……高い物というか、特別感のある物というか』
『じゃあ高いリンゴジュース!』
『だからそういうのじゃなくて』
『いひー』
『もう……。お母さんの事からかって。本当にリンゴジュースにしちゃうわよ?』
『え、待って! やだ! 嘘! ねぇお母さん!』
生まれた直後から両親を亡くした私だ。一人の大人が、私だけの為に貴重な愛情の内の一つを、惜しみもせずに注いでくれる。それは施設では決して味わう事の出来なかった幸せだった。
施設の職員さんから愛情を受け取る時は、目の前でパンを半分に千切られているような虚しさがある。そのパンは私だけの物じゃない。私以外の誰かにも分け与える為に、この人はパンを千切っている。そう理解してしまうと、千切られた半分のパンが、酷く寂しく感じる。それが私の生き続けた、施設での七年間だった。
『お父さん! ジャンケンしよう!』
『ジャンケン? どうして急にそんな』
『いいからいいから! いくよ? ジャーン、ケーン、エロ本何冊ー!』
『……』
『いひー。お父さんエロ本五冊持ってるー』
『今の小学生もやるんだな、それ……』
『お母さーん! お父さんエロ本五冊持ってるって!』
『持ってない持ってない持ってない!』
でも、二人は違う。この二人は私に一つのパンを丸ごと与えてくれる。なんなら自分が食べる分のパンまで押し付けようとして来るのだ。大人の愛情を独占出来る快楽に、あの日の私はズブズブと沈んで溺れて行った。
時には叱られるような事だってしたものだ。例えば部屋を散らかしたり。
『あっはっはっ、凄い部屋だな。お母さんが見たらびっくりするぞ? 帰ってくる前にお父さんと一緒に片付けよ!』
例えば宿題だってサボったり。
『イヴ……。最近宿題を忘れる事が多いって、先生から電話が来たわよ? お母さんと一緒に宿題やらない? 教科書見てたら、なんだかお母さんも懐かしくなって勉強したくなっちゃった』
それらは児童養護施設でやったが最後、職員の人達に大目玉を食らうような事ばかりだったけれど、赤海夫妻はそんな私を叱る事も怒鳴る事もなく、それどころか私に寄り添いながら、共に私の欠点を克服しようと尽力してくれたのをよく覚えている。あの頃の私が赤海夫妻に叱られた事なんて……。
……。
あー、あれだ。動物園に遊びに連れて行って貰った時。
『あ』
あの日、私はモルモットの抱っこ体験をしていて、でもちょっとした不注意でモルモットを落としてしまった。その時、地面に叩きつけられたモルモットの悲鳴を聞いたお母さんがやって来て。
『イヴ! ダメじゃない、ちゃんと抱っこしてあげなきゃ……。この子達は小っちゃいんだから』
そんな風に私の事を叱った。その程度でしか私の事を叱れなかった。私に好かれる為にどこまでも優しく、私に嫌われない為にどこまでも甘い。それがあの頃の赤海夫妻の姿だったのだ。養子を取ってまで子供を欲した彼らにとって、子供に嫌われる事は、この世の何よりも避けたい出来事だったに違いない。私にはその事がよくわかる。当時の私がお母さん達にとってどう言う存在だったのかは、お母さんとお風呂に入ったあの日にしっかりと教えて貰っている。
『お母さん』
『んー? なーに?』
『どうして二人は私のお父さんとお母さんになったの?』
『……』
お母さんは私の髪を覆い尽くすシャンプーをお湯で洗い流すと、私の指を掴んで自分の下腹部に触れさせた。その皮膚には奇妙な凹凸が刻まれていた。今の私ならそれが手術痕であるのはすぐにわかるのだけれど、かつての私はその凹凸の答えがお母さんの口から出てくるのを、じっと待つしかなかった。
『お母さんね。赤ちゃんが産めないの』
『……』
『小さい頃、バイ菌が体の中に入って死にそうになった事がある。長い間治療を続けて、なんとかバイ菌を退治する事は出来た。……でも、バイ菌が傷つけてボロボロになった体までは、治す事が出来なかった』
『その時の傷?』
『ううん、違う。これはお父さんの腎臓を入れる為に開けた穴よ。体がボロボロになった私は、三十歳まで生きるのも難しいってお医者様に言われていたの。……でも、お父さんが自分の腎臓を分けてくれた。そのおかげでお母さんは、もう少しだけ長生きする事が出来るようになった。お父さんは本当に優しい人よ? 優しい人と結婚出来て、優しい娘にも巡り会えて』
『……』
『お母さん、本当に幸せ。うちの子になってくれてありがとう……、イヴ』
『……』
まぁ、お母さんが私を抱きしめながら囁いたその言葉は、たったの二年で見るも無惨に朽ち果てる事になるのだけれど。
児童養護施設での生活が最終日となるその日。院長先生の言葉に不安因子を見つけた私は、堪らず院長先生に訊ねてしまった。
『じゃあ私は? 私はトウコおばさんともゲンサクおじさんとも血が繋がってないよ? 本当に家族になれる?』
院長先生はしわくちゃな笑顔を私に向けながら、一寸の迷いも見せずに。
『なれる』
そう答えた。
『ひとえに血の繋がった子供と言っても、色んな子がいるわ。望まれて産まれた子、望まれずに産まれてしまった子、望まれた筈なのに家庭の事情で捨てられてしまった子に、そもそも産まれる事さえ叶わなかった子だって。……でもね。血の繋がらない子供は、皆んな両親に望まれて引き取られた子なの。きっとあの二人は、本当の子供以上にあなたの事を大切にしてくれるわ』
私の顔を、年相応にシワの刻まれた院長先生の手が優しく撫でた。
『イヴちゃん。あっちに行っても元気でね?』
私は、そう言ってくれた院長先生の顔を思い出す事が出来ない。
院長先生の顔を思い出せない理由はいくつもある。例えば時間の経過なんかがそうだ。私が赤海家に引き取られたのが今から八年前。八年と言う月日は、児童養護施設で過ごした日々を霞ませるくらいには膨大な時間である。でも、一番の理由はきっと両手だ。私は自分の両手を見ながら考える。
人間が生涯持てる愛情には限りがある。そして、ほとんどの人間は両手で掴み取れる程度の量、つまりたったの二個しか愛情を持つ事が出来ない。人一人が所持出来る愛情の総量というのは絶対的に少ないのだ。愛情というのはそれだけ貴重な資材だからこそ、人は愛情を注ぐ相手をしっかりと見極めなければならない。
片手で握り締めた愛情は血の繋がった我が子へ。そして、もう片方の手で握りしめた愛情は、生涯を誓い合ったたった一人の他人へ。それが人生における最も賢い愛情の使い方なのだと、私は思う。
私が院長先生の顔を思い出せない一番の理由。それは彼女が十八人の孤児に、平等に愛情を分け与えるような人物だったからだ。人が持てる愛情の総数はたったの二個。それを十八人の孤児で分けてしまえば、一人当たり貰える愛情の数はたったの0.11111111…個。それだけの愛情しか注いでくれなかった院長先生の顔なんて、思い出せるはずもなかった。
『こんにちは。今日からここがあなたのお家よ?』
『……』
借りて来た猫。赤海家の一員になった初日の私にピッタリな言葉である。赤海家のリビングに通された私は、ソファに腰を下ろしたきり、緊張のあまりうんともすんとも動けなくなってしまったのだ。
赤海家との交流は、それまでに何度も行って来たつもりだ。養子になるからと言って、それまで他人だった大人の家で、ある日いきなり暮らすようになるわけではない。赤海夫妻と知り合ったばかりの頃は、施設で赤海夫妻と頻繁にお話しをした。それに慣れれば、今度は赤海夫妻とお出かけに行くようになった。それにも慣れると赤海夫妻の家に遊びに行ってご飯をご馳走してもらうようにもなり、それさえも慣れた頃には、週に一回は赤海夫妻の家でお泊まりだってするようになったものだ。
でも、施設の一員として赤海家に遊びに行くのと、私自身が赤海家の一員になるのとでは、心構えと言うか何というか……。赤海家に引き取られたその日、私は急にこれまでのような態度で赤海夫妻と接する事が出来なくなってしまったのである。
『やっぱり緊張しちゃう?』
そんな私の心情を察するようにお母さんが問いかけて来て、私がその問いかけに頷くと。
『そう。……実はおばさんもなの』
自分も私と同じ気持ちなんだと、お母さんは年齢不相応に茶目っ気を利かした笑顔を向けて来た。
『でも安心して。今日はね、そんな私達の緊張を解す為に、とっておきの出し物を用意しておいたから』
『……出し物?』
藪から棒に何を言い出すんだろう、この人は。私は首を傾げながら、彼女が用意したという出し物を待った。するとお母さんは隣に座るお父さんの肩を叩き『ほら』と、小さく耳打ちするのだ。お父さんは俯きながらプルプルと震えていて、しかしお母さんの合図を皮切りに、覚悟を決めたように自分の頭に手を乗せた。
赤海家の大黒柱、赤海ゲンサクはお世辞にもお母さんと釣り合いの取れる容姿とは言い難い容姿の持ち主だった。体型は小太りと肥満の中間に位置するし、顔だってただでさえ老け顔なのに、僅かに生えたちょび髭が彼のジジ臭さをより一層強調している。そんな容姿でも、せめて髪くらいはきっちりしようと言う彼なりの意気込みはあるのだろう。お父さんは私に会いに来る度に、整髪剤でピッシリ整えた髪型を披露していて。
『……』
当然その日もおしゃれな髪型を決め込んで私を迎え入れたお父さんだった……、はずなんだけど。
『……』
お父さんが頭から手を離すと、髪の毛が取れた。そこには髪の毛の代わりに、ひまわりのように咲き誇る眩しい太陽があって、私とお母さんを暖かい光で照らし尽くしている。そして。
『…………く』
『……』
『く……、く…………』
『……』
『クロちゃんです……。は……は、は、……はわわわわー』
『……っ』
早稲田大学法学部卒。日本人なら誰もが知る銀行に勤める、順風満帆なエリートコースを突き進んで来た40代男性が見せたその輝きにあてがわれ、私とお母さんは爆笑という形で緊張を解されたのだった。
こうして赤海家の一員となった私の新たな人生が幕を開ける。
十八人いた孤児の中の一人ではなく、赤海夫妻のたった一人の子供として愛され続けた日々は、私の日常に新しい風を無数に吹き込んだ。
『イヴちゃん、そろそろ誕生日だねー? 何か欲しい物はある? 何でも言ってちょうだい』
『リンゴジュース!』
『……えっと。そういうのじゃなくてね? もっとこう……高い物というか、特別感のある物というか』
『じゃあ高いリンゴジュース!』
『だからそういうのじゃなくて』
『いひー』
『もう……。お母さんの事からかって。本当にリンゴジュースにしちゃうわよ?』
『え、待って! やだ! 嘘! ねぇお母さん!』
生まれた直後から両親を亡くした私だ。一人の大人が、私だけの為に貴重な愛情の内の一つを、惜しみもせずに注いでくれる。それは施設では決して味わう事の出来なかった幸せだった。
施設の職員さんから愛情を受け取る時は、目の前でパンを半分に千切られているような虚しさがある。そのパンは私だけの物じゃない。私以外の誰かにも分け与える為に、この人はパンを千切っている。そう理解してしまうと、千切られた半分のパンが、酷く寂しく感じる。それが私の生き続けた、施設での七年間だった。
『お父さん! ジャンケンしよう!』
『ジャンケン? どうして急にそんな』
『いいからいいから! いくよ? ジャーン、ケーン、エロ本何冊ー!』
『……』
『いひー。お父さんエロ本五冊持ってるー』
『今の小学生もやるんだな、それ……』
『お母さーん! お父さんエロ本五冊持ってるって!』
『持ってない持ってない持ってない!』
でも、二人は違う。この二人は私に一つのパンを丸ごと与えてくれる。なんなら自分が食べる分のパンまで押し付けようとして来るのだ。大人の愛情を独占出来る快楽に、あの日の私はズブズブと沈んで溺れて行った。
時には叱られるような事だってしたものだ。例えば部屋を散らかしたり。
『あっはっはっ、凄い部屋だな。お母さんが見たらびっくりするぞ? 帰ってくる前にお父さんと一緒に片付けよ!』
例えば宿題だってサボったり。
『イヴ……。最近宿題を忘れる事が多いって、先生から電話が来たわよ? お母さんと一緒に宿題やらない? 教科書見てたら、なんだかお母さんも懐かしくなって勉強したくなっちゃった』
それらは児童養護施設でやったが最後、職員の人達に大目玉を食らうような事ばかりだったけれど、赤海夫妻はそんな私を叱る事も怒鳴る事もなく、それどころか私に寄り添いながら、共に私の欠点を克服しようと尽力してくれたのをよく覚えている。あの頃の私が赤海夫妻に叱られた事なんて……。
……。
あー、あれだ。動物園に遊びに連れて行って貰った時。
『あ』
あの日、私はモルモットの抱っこ体験をしていて、でもちょっとした不注意でモルモットを落としてしまった。その時、地面に叩きつけられたモルモットの悲鳴を聞いたお母さんがやって来て。
『イヴ! ダメじゃない、ちゃんと抱っこしてあげなきゃ……。この子達は小っちゃいんだから』
そんな風に私の事を叱った。その程度でしか私の事を叱れなかった。私に好かれる為にどこまでも優しく、私に嫌われない為にどこまでも甘い。それがあの頃の赤海夫妻の姿だったのだ。養子を取ってまで子供を欲した彼らにとって、子供に嫌われる事は、この世の何よりも避けたい出来事だったに違いない。私にはその事がよくわかる。当時の私がお母さん達にとってどう言う存在だったのかは、お母さんとお風呂に入ったあの日にしっかりと教えて貰っている。
『お母さん』
『んー? なーに?』
『どうして二人は私のお父さんとお母さんになったの?』
『……』
お母さんは私の髪を覆い尽くすシャンプーをお湯で洗い流すと、私の指を掴んで自分の下腹部に触れさせた。その皮膚には奇妙な凹凸が刻まれていた。今の私ならそれが手術痕であるのはすぐにわかるのだけれど、かつての私はその凹凸の答えがお母さんの口から出てくるのを、じっと待つしかなかった。
『お母さんね。赤ちゃんが産めないの』
『……』
『小さい頃、バイ菌が体の中に入って死にそうになった事がある。長い間治療を続けて、なんとかバイ菌を退治する事は出来た。……でも、バイ菌が傷つけてボロボロになった体までは、治す事が出来なかった』
『その時の傷?』
『ううん、違う。これはお父さんの腎臓を入れる為に開けた穴よ。体がボロボロになった私は、三十歳まで生きるのも難しいってお医者様に言われていたの。……でも、お父さんが自分の腎臓を分けてくれた。そのおかげでお母さんは、もう少しだけ長生きする事が出来るようになった。お父さんは本当に優しい人よ? 優しい人と結婚出来て、優しい娘にも巡り会えて』
『……』
『お母さん、本当に幸せ。うちの子になってくれてありがとう……、イヴ』
『……』
まぁ、お母さんが私を抱きしめながら囁いたその言葉は、たったの二年で見るも無惨に朽ち果てる事になるのだけれど。
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もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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