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28 冷静なる怒り

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 ラインハルト視点です。

――*――

 私がクーデターの情報を手に入れたのは、学園の最終登校日であった。
 その日は大雪で交通に影響が出ており、ドノバン侯爵は早めに帰宅し、私より三つ下のフリードリヒも、貴族学園の中等部からまだ戻っていなかった。
 フリードリヒは例年一部の科目で補習になっているから、今年も居残りさせられているのだろう。

 私は帰城するなり、アレクと共に父上――国王陛下の私室に呼び出された。
 そこには母上もいて、既に人払いされている。
 そして深刻な顔をした父上が切り出したのが、クーデターの情報だったのである。


 父上は、既に多くの情報を掴んでいた。
 裏で糸を引いているのがどうやらドノバン侯爵である事、フリードリヒがウィンターホリデーに入ってから動きが活発化するであろう事、人が多く集まる新年の夜会で何か大きな動きがありそうだという事。
 こちらが早めに行動を起こせば恐らく今回のクーデターは阻止出来るが、狡猾なドノバン侯爵の事だ、トカゲの尻尾切りをして、今度はより慎重にクーデターを画策するだろう。
 それならギリギリまでドノバン侯爵とフリードリヒを泳がせ、新年の夜会で一網打尽にしてしまおうというのが父上の計画だった。

「以前からドノバン侯爵は自分の境遇に不満を持っていたようだな。ドノバン侯爵に娘が生まれた時、奴はお前と婚約させたいと言ってきたのだ。王家との繋がりを得て、自分の地位を確固たる物にする為だろう。……だが、ドノバン侯爵家より高位のブラウン公爵家が突然婚約に名乗りを上げた。お前はエミリア嬢を気に入り、エミリア嬢もお前を気に入った。……それでもドノバン家は王家との繋がりを諦められず、マルガリータ嬢はフリードリヒと婚約を結んだのだ。ドノバン侯爵はブラウン公爵やエミリア嬢を逆恨みしている可能性もある」

「……エミリアや、ブラウン公爵も危険という事ですね」

「そうだ。細心の注意を払っておけ。……ただし、ドノバン侯爵に気取られる訳にはいかない。密かに護衛を増やすなど、公爵家の方で対応してもらった方が良いだろうな。また、ブラウン公爵は城内に大きな派閥を持っている。クーデターの証拠集めをする上でも大きな助けになってくれるだろう。こちらも仲間を増やしている所だが、手は多い方が良い」

「承知致しました。ブラウン公爵家にお邪魔した際に、私から伝えましょう」



 それからというもの、私は多忙を極めた。
 普段の公務に加え、情報収集と協力者集め、城の使用人の素性調べ。
 特にエミリアが登城する際は細心の注意を払った。
 事前に約束していた観劇の日も、しっかり選別した騎士を何人も護衛につけ、安心して入れるレストランやカフェを厳選して、無事に過ごす事ができた。

 城が年末休暇に入ってからは益々忙しくなり、エミリアに会う時間も取れなかった。
 愛しいひとの頼みも聞いてあげられそうになく、私はデビュタント・ボールと新年の夜会が開かれる日に何とか時間を作るつもりでいた。
 しかし、やはりフリードリヒから目を離す訳にもいかず、エミリアと話せるのは、全てが終わっているであろう夜会後になるだろうと諦めた。

 しかし、それから数ヶ月もの間、エミリアと話す事が出来なくなってしまうなんて、この時の私には知る由もなかったのだった――。


 ********


 それは、デビュタント・ボールの式典の最中だった。
 純白のボールガウンに身を包んだデビュタント達が、順番に名を呼ばれ、父親にエスコートされて入場する。
 途中でデビュタント達は父親の手を離し、陛下の前に跪いて祝福を受けていく。

 マルガリータ・ドノバンも、デビュタントの一人だ。
 飛び抜けて豪奢なドレスを纏い、堂々と歩く姿は流石の貫禄である。
 陛下への挨拶が済むと、気の強そうな瞳で真っ直ぐにフリードリヒと視線を交わした。

「プリシラ・スワロー男爵令嬢」

 プリシラ嬢の名が呼ばれ、エスコートも無く一人でゆっくりと入場してくる彼女を見て、私は息を呑んだ。

 美しい意匠のドレス。
 誰よりも豪奢で上品で気品あるそのドレスを、私は昨年も一昨年も目にしている。
 一昨年に見た時なんて、天使が舞い降りたかと思って、息が出来ないほどだった。
 ――あれはブラウン公爵家の、……エミリアの着ていたドレスだ。


 何故プリシラ嬢がこのドレスを着ているのか?
 エミリアは私に何を相談したかったのか?
 手紙には早めに王城に来ると書いてあったが、エミリアが参加するのはこの後の夜会のはず……だがあのドレスをプリシラ嬢が着ているという事はエミリアはもう城にいるのか?
 フリードリヒが目を丸くして、プリシラ嬢を穴が開くほど見つめているのはどういう訳だ?
 そしてマルガリータ嬢が怒りに顔を歪め、腰巾着の令嬢達が青い顔で何か囁きあっているのは一体?
 娘をエスコートしてきた筈のドノバン侯爵の姿が見えないが、侯爵は何故会場から姿を消した?
 先程から不安を煽るように馬のいななきが時折聞こえて来る……何の報告もないが、何か起きているのか?


 一瞬の間に、私の頭を色々な考えがよぎる。
 その時プリシラ嬢と目が合って、私は我に返った。
 私は怒りを抑え冷静になるために、あえて意識して口角を上げた。
 ――行かなくてはならない。今すぐに。

 私は母上に、緊急事態のようだから少し席を外すと伝え、母上が頷くのを確認して、ボールルームを後にした。



 私はエントランスホールに出る前に、後ろに控えているアレクともう一人の騎士に一つずつ指示を飛ばす。
 案の定、エントランスホールではドノバン侯爵が待ち構えていた。

「おや、ラインハルト殿下、どうされました? 式典の最中では御座いませんか?」

 ドノバン侯爵は、にやにやと笑っている。
 でっぷりと太って腹が出ていて、小さい目をギラギラと輝かせている様は、まさに狸である。
 私は口角を更に上げ、目の前の狸親父を威嚇するように笑みを形作った。

「侯爵こそ、御令嬢の晴れ姿を見なくて良いのか?」

「ほっほっほ、これからデビュタント・ボールなどいくらでも見る機会は出来ましょう」

「それは……どういう意味かな?」

「さてねえ。それより殿下……婚約者殿はお元気ですかな? 最近会っておられないのではないですか?」

「……侯爵には関係ないだろう。余計なお世話だ」

「ふむ、どうでしょうなあ」

 侯爵は声を低くして、私にだけ聞こえるように一言呟いた。

「早くしないと、二度と会えなくなるかも知れませんぞ」

 そう言って侯爵は笑いながら去って行った。
 先程指示を出した騎士が侯爵を追って城の奥へと消えて行く。
 怒りと不安が私の感情を支配し、突っ走ってしまいそうになるが、こういう時こそ冷静にならなくてはいけない。
 侯爵がいなくなってすぐ、アレクが駆け寄ってきた。

「殿下!」

「……アレク、状況は」

「……エミリア様が眠り薬を飲まされ、何処かに連れ去られた模様です。ナイジェル様が数名の使用人を引き連れ、エミリア様を連れ去ったと思われる者達を追跡しております。相手は馬車で移動している様ですから、見失う事はないでしょう。また、それとは別口で、エミリア様のドレスを着用したプリシラ嬢が城内に閉じ込められる事件が起きていました。そちらはマルガリータ・ドノバンが関わっているようです」

「馬車……?」

 人質を連れ去るなら、馬車は不適切だ。
 広い道しか通れないし、移動速度も馬に比べたら遅い。
 となると、それは……

「……アレク、馬車はダミーだ。その馬車以外に不審な出入りは?」

「いえ、資材の搬出入も今朝までに完了していますし、入ってきた者は多くおりますが、ここ三時間以内に出て行った人間や馬はその馬車と、それを追うナイジェル様達だけです。その後はナイジェル様の指示で城門を封鎖したとの事です」

「……ならエミリアは城内に監禁されている可能性が高い。使用人が無闇に立ち入れず、ナイジェル殿も入れない場所など限られている。……恐らくエミリアは、王族の居住区域だ。脱出用の隠し通路を通った先という可能性もあるから、今から言う場所に騎士……いや使用人を三人一組で待機させろ。理由は言わず、通りがかった者のうち大きい荷物を持っていたり、顔を隠した者を連れている人間全てに声をかけ、荷と顔を検めるよう伝えろ」

「承知しました」

「私は城内を捜索する。手の空いている騎士を一人だけ付けろ。アレクも指示が完了次第私を追ってくれ。それと、陛下の警備を増強しておけ」


 アレクの返事も待たず、私は急ぎ足で、城の奥へと向かう。
 恐らく馬車はダミーで、わざと不審者を目撃させて城内の捜索の手を緩める事と人員を外部に割く事が目的だ。
 わざと私を怒らせるような事を言ったのもそうだ。
 私が冷静さを欠いて騎士を使い、陛下の警備を手薄にすることが目的だろう。

 プリシラ嬢の件は、関連は不明だが、本人は無事だったようだから一先ず無視で構わないだろう。
 恐らくドノバン侯爵は関係なく、マルガリータ嬢の独断だ。
 エミリアの捜索に皆が動いている時にプリシラ嬢を閉じ込めてもどうせすぐ見つかってしまうし、わざわざそんな事をするメリットがない。
 ……だが、ドノバン侯爵を糾弾する材料としては利用出来る。

 ここまでの時間で、既に侯爵が用意した毒の出所や所持者も判明しているし、暗殺者の拠点も判明しており、確保の目処が立っている。
 証拠は充分出揃った……間もなくチェックメイトだ。
 後は、エミリアが無事に見つかってくれさえすれば……。

「エミリア……どうか無事でいてくれ……!」

 いつの間にか駆け足になっていた私は、すぐに追いついてきた騎士一名と共に、王族の居住区域に到着したのだった。
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