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第五章 橙
第72話 「ひさしぶりー」
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私たちがベルメール帝国の皇城に戻るとすぐに、騎士の一人からメーアからの言付けを受け取った。
何か、私たちに話したいことがあるらしい。
城の中のバタバタは、もう既に落ち着いていた。
どうやら王子は城下に出ていて、未だ戻らないようだ。
メーアの執務室に案内してくれる騎士から聞いた話では、アルバート王子が帝都を訪問する時は、いつもこの調子なのだとか。
曰く、アルバートはほとんどの時間を城下で過ごしていて、メーアともろくに顔を合わせない。
メーアが案内しようとしても、アルバートはいつもそれを固辞しているのだそうだ。
「アルバート殿下が皇女殿下を放っておいて城下で何をしていらっしゃるのか、正直謎なんですよね。影の者に後を尾けさせても、何故かいつも撒かれてしまうそうなんです。
どれだけ手練の者であっても、ですよ。不気味ですよねえ」
騎士は、声を落としもせずにそんなことを話している。
すれ違う使用人たちも騎士たちも、何も表情を変えないので、皇城内では衆知の事実なのだろう。
「セオドア殿下は、何かご存じないんですか? いつもアルバート殿下と一緒に皇城を訪れておられましたが」
「うーん、僕もよくわからないんだ。アル兄様とは殆ど話したことがないし、何をしてるのか興味もなかったし」
「まあ、そりゃそうじゃのう。セオと再会した頃は、別人かと思うほど無口な子じゃったからのう」
「あの頃は何も感じなかったし、何にも疑問に思えなかったからね」
セオの感情が元に戻ってきたのは、つい最近である。
そういえば、セオの感情が完全に封じられていた頃は、騙されたりしても気が付かなかったのだ。
その頃と比較すると、本当に頼れるようになったなぁと感慨深い。
セオと騎士の話によると、セオは聖王国にいた頃、アルバートの便利な移動手段として体良く使われていたらしい。
皇城に着いた後はアルバートに随伴することは許されず、帰るまで城内で待機させられていたという。
ただ、セオも王位継承権を持たないとはいえ、聖王国の王族の一人であり、その応対は帝国の皇族や貴族が行う必要があった。
皇帝の意向もあり、メーアがセオと過ごす時間は、すぐに城下に出てしまうアルバートと過ごす時間よりも多くなっていたそうだ。
セオはメーアを苦手に思っていたらしいが、メーアにとっては、セオは気心の知れた幼馴染のような存在だったのだろう。
ただし、一般的な幼馴染とはかなりズレた関係だったようだが――私とエドワードも似たようなものだったので、人のことは言えない。
「皇女殿下も、最初はアルバート殿下に歩み寄ろうとしておられたのですよ。幼いながらに、頑張っておられたのですが。
アルバート殿下の方は、皇女殿下と仲良くする気も婚約をやめる気もなさそうですし、今後どうなっていくやら……正直、我々も不安ですよ」
騎士はそう締めくくる。いつの間にか目的地に到着していたようだ。
専属の近衛騎士が立派な設えの扉を開くと、メーアは執務机に向かって書類に目を通している所だった。
私たちが室内に入ると、メーアは読みかけの書類を横に退けて、すぐさま人払いをする。
その顔には疲労が色濃く表れていたが、それでも生まれ持った気品は翳りを見せることはない。
深海のように青い髪は美しく腰まで伸び、同じ色の瞳には強い意志が宿る、凛とした美人である。
「フレデリック様、お呼び立てして申し訳ありません。セオとパステルも、悪いわね。さあ、どうぞお座り下さい」
私たちが応接セットに腰掛けると、メーアはすぐさま本題に入った。
「取り急ぎお知らせしたい情報があって。ししまる、おいで」
一体、いつからそこにいたのだろうか。
メーアが呼ぶと、テーブルの横からアシカのような姿をした妖精がぴょこん、と顔を出した。
アシカの妖精ししまるは、水でできた透明なボールに乗っかっている。
テーブルのふちに両方のヒレをぺたりと置くと、私たちの顔を一人ひとり見るように、左右に首を巡らせた。
「まぁ、ししまる! 久しぶりね!」
私は思いがけない再会に嬉しくなって、笑顔でししまると挨拶を交わした。
「パステルお姉さん、ひさしぶりー。セオお兄さんも、ひさしぶりー。えっとぉー、おじいちゃん、誰だっけぇ」
「はっはっは、ワシはフレッドじゃよ。よろしくの、ししまる」
「よろしくー」
ししまるはのんびりと話しながらヒレを片方差し出して、フレッドと器用に握手をしている。
彼は水の精霊に仕える妖精でありながら、表向きには帝都のサーカス団で働いていて、看板アシカとして人気を博しているのだ。
愛らしいししまるの姿を見て、セオもフレッドも、顔が綻んでいる。
「ししまる、さっきのお話をみんなにもしてくれる?」
「うん、いいよー」
ししまるは、足元の水球を跳ねさせながら、その場でくるりと一回転する。
「えっとねぇ、ぼく、こないだお友達が増えたんだぁ。みんな、ハルモニア様って知ってるぅ?」
「うーん、聞いたことがあるような……」
私は首を捻って、記憶を探る。どこかで聞いた名前だと思うのだが、なかなか思い出せなかった。
私以外の三人は、特に何の反応も示さない。その人物を知っているのだろう。
「あのね、ハルモニア様はねぇ、『旋律の巫女』さんなんだぁ。パステルお姉さんとおんなじ巫女さんだけど、持ってる力は違うんだねぇ。
ハルモニア様は、色んなところにいる妖精たちとお話が出来るんだよぉ。聖王国のお城に住んでるんだって」
「えっ? 聖王国のお城に?」
「うむ。現聖王の妃じゃ。マックスの妻でアルの母じゃが、こっちサイドのようじゃな。裏も取れているから、信用できるぞい。
パステル嬢ちゃんを探すようにと言ってセオを城から逃してくれたのも、ハルモニアじゃしな」
「――そっか、だからお名前だけ聞いたことがあったんだわ」
フレッドの話を聞いて私は、ハルモニアというのは聖夜の街に行く前にセオから聞いていた名であったことを、ようやく思い出した。
『虹の巫女』を探して王女へ力を引き継がせることをマクシミリアンに提案してセオを聖王城から逃し、情報屋を介してフレッドの居場所をセオに知らせたのがハルモニアという人だったはずだ。
「それでねぇ、メーアお姉ちゃんのお願いで、しばらく前からみんなに内緒でハルモニア様と連絡を取ろうとしてたんだぁ。
えっとねぇ、ハルモニア様と知り合えたのは、海鳥のカモメ号のおかげなんだよぉ。カモメ号のお友達にカラスのカァベエがいてね、カァベエはハルモニア様と話したことがあるっていうんだー。
それでぼくもハルモニア様とお話したいって伝言を頼んだんだけどぉ、カァベエは縄張りが変わっちゃって遠くまで行けなかったから、かわりにツルのタンチョーくんに伝えてくれて、その後タンチョーくんが森に住んでるハナ子ちゃんと……」
「ししまる、その話は大丈夫よ。それより、ハルモニア様が黒猫のノラに聞いたっていう話を教えてもらえる?」
長くなりそうなししまるの話を、メーアは苦笑して遮り、結論を促す。
ししまるは気を悪くした様子もなく、素直に頷いた。
「そっか、わかったぁー。
それでハルモニア様が言ってたんだけどねぇ、黒猫のノラちゃんと主人のカイって人が、何年か前から、ハルモニア様のお願いでファブロ王国にいるらしいんだぁ。
それでね、そのカイって人が調べたらしいんだけどぉ、こないだの湖の事故、火の精霊が関わってるみたいだったんだってー」
「湖の事故……帝都に瓦礫がたくさん流れてきた時のことじゃな? 採掘作業中の爆発事故と聞いておったが、火の精霊が関係しておったのかい?」
フレッドは目を丸くしてししまるに問いかける。
私もラスの力を借りて帝都に押し寄せた瓦礫を処理したが、水質の浄化が間に合わず、海に届いてしまったことを思い出した。
その時はフレッドのおかげで誰一人命を落とすことなく、帝都の危機を乗り切ることができたのだった。
「うん。それでね、ノラちゃんが言うには、ちょっと火の精霊、あやしいんだってー」
「怪しい、とは?」
「魔物化しかかってるんじゃないかって」
愛らしい妖精の口から、何でもないように放たれたその一言に、室内の空気は一瞬で凍りついたのだった。
何か、私たちに話したいことがあるらしい。
城の中のバタバタは、もう既に落ち着いていた。
どうやら王子は城下に出ていて、未だ戻らないようだ。
メーアの執務室に案内してくれる騎士から聞いた話では、アルバート王子が帝都を訪問する時は、いつもこの調子なのだとか。
曰く、アルバートはほとんどの時間を城下で過ごしていて、メーアともろくに顔を合わせない。
メーアが案内しようとしても、アルバートはいつもそれを固辞しているのだそうだ。
「アルバート殿下が皇女殿下を放っておいて城下で何をしていらっしゃるのか、正直謎なんですよね。影の者に後を尾けさせても、何故かいつも撒かれてしまうそうなんです。
どれだけ手練の者であっても、ですよ。不気味ですよねえ」
騎士は、声を落としもせずにそんなことを話している。
すれ違う使用人たちも騎士たちも、何も表情を変えないので、皇城内では衆知の事実なのだろう。
「セオドア殿下は、何かご存じないんですか? いつもアルバート殿下と一緒に皇城を訪れておられましたが」
「うーん、僕もよくわからないんだ。アル兄様とは殆ど話したことがないし、何をしてるのか興味もなかったし」
「まあ、そりゃそうじゃのう。セオと再会した頃は、別人かと思うほど無口な子じゃったからのう」
「あの頃は何も感じなかったし、何にも疑問に思えなかったからね」
セオの感情が元に戻ってきたのは、つい最近である。
そういえば、セオの感情が完全に封じられていた頃は、騙されたりしても気が付かなかったのだ。
その頃と比較すると、本当に頼れるようになったなぁと感慨深い。
セオと騎士の話によると、セオは聖王国にいた頃、アルバートの便利な移動手段として体良く使われていたらしい。
皇城に着いた後はアルバートに随伴することは許されず、帰るまで城内で待機させられていたという。
ただ、セオも王位継承権を持たないとはいえ、聖王国の王族の一人であり、その応対は帝国の皇族や貴族が行う必要があった。
皇帝の意向もあり、メーアがセオと過ごす時間は、すぐに城下に出てしまうアルバートと過ごす時間よりも多くなっていたそうだ。
セオはメーアを苦手に思っていたらしいが、メーアにとっては、セオは気心の知れた幼馴染のような存在だったのだろう。
ただし、一般的な幼馴染とはかなりズレた関係だったようだが――私とエドワードも似たようなものだったので、人のことは言えない。
「皇女殿下も、最初はアルバート殿下に歩み寄ろうとしておられたのですよ。幼いながらに、頑張っておられたのですが。
アルバート殿下の方は、皇女殿下と仲良くする気も婚約をやめる気もなさそうですし、今後どうなっていくやら……正直、我々も不安ですよ」
騎士はそう締めくくる。いつの間にか目的地に到着していたようだ。
専属の近衛騎士が立派な設えの扉を開くと、メーアは執務机に向かって書類に目を通している所だった。
私たちが室内に入ると、メーアは読みかけの書類を横に退けて、すぐさま人払いをする。
その顔には疲労が色濃く表れていたが、それでも生まれ持った気品は翳りを見せることはない。
深海のように青い髪は美しく腰まで伸び、同じ色の瞳には強い意志が宿る、凛とした美人である。
「フレデリック様、お呼び立てして申し訳ありません。セオとパステルも、悪いわね。さあ、どうぞお座り下さい」
私たちが応接セットに腰掛けると、メーアはすぐさま本題に入った。
「取り急ぎお知らせしたい情報があって。ししまる、おいで」
一体、いつからそこにいたのだろうか。
メーアが呼ぶと、テーブルの横からアシカのような姿をした妖精がぴょこん、と顔を出した。
アシカの妖精ししまるは、水でできた透明なボールに乗っかっている。
テーブルのふちに両方のヒレをぺたりと置くと、私たちの顔を一人ひとり見るように、左右に首を巡らせた。
「まぁ、ししまる! 久しぶりね!」
私は思いがけない再会に嬉しくなって、笑顔でししまると挨拶を交わした。
「パステルお姉さん、ひさしぶりー。セオお兄さんも、ひさしぶりー。えっとぉー、おじいちゃん、誰だっけぇ」
「はっはっは、ワシはフレッドじゃよ。よろしくの、ししまる」
「よろしくー」
ししまるはのんびりと話しながらヒレを片方差し出して、フレッドと器用に握手をしている。
彼は水の精霊に仕える妖精でありながら、表向きには帝都のサーカス団で働いていて、看板アシカとして人気を博しているのだ。
愛らしいししまるの姿を見て、セオもフレッドも、顔が綻んでいる。
「ししまる、さっきのお話をみんなにもしてくれる?」
「うん、いいよー」
ししまるは、足元の水球を跳ねさせながら、その場でくるりと一回転する。
「えっとねぇ、ぼく、こないだお友達が増えたんだぁ。みんな、ハルモニア様って知ってるぅ?」
「うーん、聞いたことがあるような……」
私は首を捻って、記憶を探る。どこかで聞いた名前だと思うのだが、なかなか思い出せなかった。
私以外の三人は、特に何の反応も示さない。その人物を知っているのだろう。
「あのね、ハルモニア様はねぇ、『旋律の巫女』さんなんだぁ。パステルお姉さんとおんなじ巫女さんだけど、持ってる力は違うんだねぇ。
ハルモニア様は、色んなところにいる妖精たちとお話が出来るんだよぉ。聖王国のお城に住んでるんだって」
「えっ? 聖王国のお城に?」
「うむ。現聖王の妃じゃ。マックスの妻でアルの母じゃが、こっちサイドのようじゃな。裏も取れているから、信用できるぞい。
パステル嬢ちゃんを探すようにと言ってセオを城から逃してくれたのも、ハルモニアじゃしな」
「――そっか、だからお名前だけ聞いたことがあったんだわ」
フレッドの話を聞いて私は、ハルモニアというのは聖夜の街に行く前にセオから聞いていた名であったことを、ようやく思い出した。
『虹の巫女』を探して王女へ力を引き継がせることをマクシミリアンに提案してセオを聖王城から逃し、情報屋を介してフレッドの居場所をセオに知らせたのがハルモニアという人だったはずだ。
「それでねぇ、メーアお姉ちゃんのお願いで、しばらく前からみんなに内緒でハルモニア様と連絡を取ろうとしてたんだぁ。
えっとねぇ、ハルモニア様と知り合えたのは、海鳥のカモメ号のおかげなんだよぉ。カモメ号のお友達にカラスのカァベエがいてね、カァベエはハルモニア様と話したことがあるっていうんだー。
それでぼくもハルモニア様とお話したいって伝言を頼んだんだけどぉ、カァベエは縄張りが変わっちゃって遠くまで行けなかったから、かわりにツルのタンチョーくんに伝えてくれて、その後タンチョーくんが森に住んでるハナ子ちゃんと……」
「ししまる、その話は大丈夫よ。それより、ハルモニア様が黒猫のノラに聞いたっていう話を教えてもらえる?」
長くなりそうなししまるの話を、メーアは苦笑して遮り、結論を促す。
ししまるは気を悪くした様子もなく、素直に頷いた。
「そっか、わかったぁー。
それでハルモニア様が言ってたんだけどねぇ、黒猫のノラちゃんと主人のカイって人が、何年か前から、ハルモニア様のお願いでファブロ王国にいるらしいんだぁ。
それでね、そのカイって人が調べたらしいんだけどぉ、こないだの湖の事故、火の精霊が関わってるみたいだったんだってー」
「湖の事故……帝都に瓦礫がたくさん流れてきた時のことじゃな? 採掘作業中の爆発事故と聞いておったが、火の精霊が関係しておったのかい?」
フレッドは目を丸くしてししまるに問いかける。
私もラスの力を借りて帝都に押し寄せた瓦礫を処理したが、水質の浄化が間に合わず、海に届いてしまったことを思い出した。
その時はフレッドのおかげで誰一人命を落とすことなく、帝都の危機を乗り切ることができたのだった。
「うん。それでね、ノラちゃんが言うには、ちょっと火の精霊、あやしいんだってー」
「怪しい、とは?」
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