悪役令嬢は今日から下町娘!?

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第二章

八話 悪役令嬢、最後の日

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 ついに、この日がやってきた。
 そう、今日は大学の百周年記念パーティーが執り行われる日だ。
 そして私の、大学生活最後の日でもある。
 だから今日はいつもより少しおめかしをして、カイルが迎えに来るのをドレッサーの鏡の前で静かに待っている。
 遡ること三日前、
『一緒に記念パーティーに行ってくれないか』
 私はカイルに記念パーティーに誘われた。
 私がマーサさんに嫌がらせをしていることを知っているはずのカイルが私を誘ったことにクラスメイトはどよめいていたけど、カイルが私を誘ったのは世間体を気にしたからだってことを私は知っている。
 ずっと前から彼の婚約者として知れ渡っている私を誘わないでマーサさんなんかを誘ったら、サーモス家は何を言われるか分かったもんじゃない。
 例え婚約者が最低最悪なやつでも婚約破棄するまでは一応婚約者なので、無碍むげに扱うことは出来ないのだ。
 カイルの考えを理解している私は満面の笑みで、
 『勿論ですわ』
 と言った。
 まぁ、いつもは私が誘いにいってたからカイルから誘ってくれて少しだけ、ほんの少しだけ嬉しかったけど…。

 そして現在に至る。
 私はいつもより三時間は早く目を覚まし、この日のためにお父様なけなしのお金で新調してくれたドレスを約五時間は眺め続け、そして用意や化粧が終わってからもソワソワしながら、カイルが来るのを待っていた。
 ここで言っとくけど、楽しみだからじゃないから。
 今日、ちゃんと出来るかなって不安だったからだし。
「ナナ様?」
「だから別に、久しぶりのダンスパティーでワクワクしてるとか、新しいドレス嬉しいなぁとか、カイルと一緒に行けるのがすっごく楽しみとかじゃないから」
「ナナ様?」
「えっ?」
 そこで私は気づいた。
 ルイが髪をとかしてくれていたことを。 
「ナナ様、そんなに楽しみだったんですねぇ」
 そう言ってニヤニヤと笑うルイ。
 今、絶対語尾に‪”‪w”つけたでしょ。
「違うからっ」
「いいんですよー。久しぶりのダンスパティーですもんね~。新しいドレスですもんね~」
「ホントに違うからっ」
「大丈夫ですよ~。ジョン様には絶対言いませんからぁ」
「絶対言うでしょっ!」
 ペラペラと喋るルイの口を塞ごうと伸ばした手は、簡単に避けられてしまった。
「それにナナ様、俺が来る前ずっとドレスみつ…」
「ちょっ、なんでそれ知ってんのよっ!」
 誰もいないと思ってたのに、よりによってルイに見られてたなんて。
「いいんですよ、別に~。そんなナナ様もとても可愛いですから~」
「ホントにやめてよ」
 私はそれでも黙らないルイに向かって、側にあった柔らかいけど少し汚れてるクッションを手当たり次第に投げつけた。
 ーポスッ
「ちょっ、やめてくださいよー。そのクッション、ボロボロだから壊れやすいんです」
「うるさいっ」
ーポスッ
「もう投げないでくださいって~」
ーポスッ
「やめてくださいよ~」
「ヘラヘラしながら簡単にクッションをキャッチするのやめてくれる?」
「えー、だって…」
「何?私が投げるの下手くそだって言いたいの?」
「いやいや、下手くそだなんて思ってませんよ。ただ、ちょっと優しいなぁって思っただけで……プッ」
 えっ、聞き間違いかな?
 あいつ、今笑った?
 主人である私のことを笑ったの?
 フフっ、私のこと笑ったのね…。
「グスッ…、ルイひどいよ」
 なら、笑ったことを後悔させてあげる。
「えっ?ナナ様?」
「今日、ずっと楽しみにしてたのに。ルイのせいで、ルイのせいで…」
 そう言って近くにあったクッションに顔をうずめると、ルイは慌てたように私の元へと近づいて来た。
「ナナ様、泣かないでください。ナナ様に泣かれたら、俺…」
ーバシッ
「フッ、フフフッ、アハハハハッ」 
 そんなルイの隙を狙い、私はルイの顔に思い切りクッションをめり込ませた。
「へっ…?」
 いつもすっごく偉そうにしているルイが呆然としているところを見ると、笑いが止まらない。
「フフフッ、『へっ…?』って……プッ」
 ダメだ、笑いが抑えられない。
「私に泣かれたら何?困っちゃう?耐えられない?あぁ、可哀想に…クスクス、アハハッ、フフ…」
ーガシッ
「ナナ様、そんなに俺を怒らせたいんですね?」
 私の肩を掴みながら、悪魔のような笑みを浮かべるルイ。
「は?だって、そっちが先に言ってきたんでしょ?」
「へぇー、そんなこと言うんですね。じゃあ、その綺麗にとかした髪、グシャグシャにしてもいいんですね?」
 そう言ってルイは、私のセットされた髪に手を伸ばそうとした。
「ちょっ、それだけはやめてよ」
「いいや、俺もう怒っちゃいましたもん」
「誰かぁ、ルイが、ルイがぁぁ」
「フッフッフッ、俺を怒らせたらこうなるんですよ」
 あと数センチでルイの手が髪に届くという時、タイミングよく家のドアがノックされた。
「ナナ様~、カイル様がお見えですよ~」
「分かった!今すぐ行くからっ」
 私はメイドにそう答え、ルイの手を頭の上から退けてほくそ笑んでやった。
「じゃあルイ、お留守番よろしくね」
「チッ…」
 舌打ちをするルイを部屋に置き去りにし、私はそっと玄関のドアを開けた。
 そこにはいつもの何十倍もカッコイイ、タキシード姿のカイルがいた。
「待った?」
 そう言って首を傾げるカイルは多分誰から見てもイケメンで。
「ううん、大丈夫」
 ちょっとだけ、胸が苦しくなった。
 カイルが用意してくれたリムジンに乗り込み、私達は大学へと向かった。
「そう言えば、ルイは置いてきたの?」
「うん、ちょっとお父様と仕事があるらしいの」
「仕事?」
「ええ、”大切な仕事だから俺の分まで楽しんできてください”って言われたわ」
「そっか、残念だな」
「うん…」
「「……」」
 会話は弾まないし、外の景色は黒っぽい窓ガラスのせいでなんにも見えないしでテンションはダダ下がり。
 結局私達は大学に着くまでほとんど話さなかった。
ーガチャッ
 会場に着いて、カイルにエスコートされながらダンスフロアへ入ると多くの生徒が会話をやめて私達見つめた。
 その中には幼馴染と参加していたマーサさんの姿もあった。
 私は彼女に向かって美しく、そして少し高慢に微笑んでみせた。
 普通の令嬢ならばここで『何よ、あの女』と思いながらも行動出来ず、周りが助けてくれるのを待つのだが彼女は違った。
 私とカイルに気づくなり、食べ物を口いっぱいに頬張っている幼馴染は置き去りにして、堂々と私達の元にやってきたのだ。
「ごきげんよう、カイル様、ナナさん」
「ごきげんよう、マーサさん」
「今夜はとてもいいパーティになりそうですね」
「ええ、本当に」
「ナナさんのドレス、とても綺麗ですね。少し昔のデザインだと思いますけど、上手に着こなされているのね」
「ありがとうございます。そんなマーサさんも最先端のドレスを着てらっしゃいますね。少しドレスに着られている感がいなめないですけど、とてもお似合いですわ」
「ふふふっ…」
「うふふっ…」
 私達は令嬢特有の嫌味混ぜた褒め言葉を交わしながら、微笑みあっていた。
「ナナ」
 そんな私達が怖かったのか、カイルの声は少し戸惑いぎみだった。
「マーサと少し話したいんだけどいいかな?」
「…ええ、じゃあ私はあちらへ行っていますね」
 そう言って、飲み物や食事が置いてあるコーナーへ向かった私。
 マーサさんの幼馴染さんはまだモキュモキュとサンドイッチを頬張っていた。
 私は彼に軽く会釈して、遠目からカイル達を見つめていた。
 カイルはそんな私なんか気にせず、マーサさんと楽しそうに話していて。
 本当に馬鹿みたい。
 自分から望んだはずなのに、こんなに胸が苦しくなるなんて。
 これでいいはずなのに、涙が出そうになるなんて。
 涙をこらえるために唇を噛み締めていると、
ーズイッ
 突然、目の前にサンドイッチが差し出された。
「ん…」
 見るとさっきまで無心でサンドイッチを頬張っていた幼馴染さんが私にサンドイッチを差し出してくれていた。
「ありがとう…」
 差し出されたサンドイッチを手で受け取ろうとすると、幼馴染さんは私の口元にグッと近づけた。
「えっ…」
「ん…」
「食べさせてくれるの?」
「ん…」
「…いただきます」
ーパクッ
 彼の手から食べるまでサンドイッチを離してくれなさそうだったので、仕方なくアーンされることにした。
 サンドイッチはすごくフワフワで、とても美味しかった。
「美味しい…」
 私がそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。
「ん…」
 それからもうひとつサンドイッチを私の口元に差し出した。
 アーンとか食べさせてもらってるのとかはもうどうでも良くなっていて、ただ久しぶりに触れた人の優しさに嬉しい半分、泣きそうになった。
「ん…」
ーパクッ、モキュモキュ
「ん…」
ーパクッ、モキュモキュ
「ん…」
ーパクッ、モキュモキュ
「ん…」
ーパシッ
 差し出されたサンドイッチをまた食べようとしたら、いきなり誰かの手によりサンドイッチが奪われた。
 エンドレスに続く動物の餌付けのような私達の行動を止めたのは、まさかのカイルで。
「ナナっ…」
 少し怒ったように私の方を見るカイル。
 もしかして”俺の婚約者なのに何、品性のないことしてんだよ”とか思ってたり…。
「ごめんなさい…」
 叱られた時の犬みたいにしょんぼりしていると、カイルは少しだけ焦ったように弁解を始めた。
「違うっ、違うんだ。ただナナが誰かにアーンされてるの見て、何か、その…えっと…」
「カイル様はきっとナナさんが誰かにアーンされてるところ見て、少しモヤモヤしてしまったのですよね。それはそうですよ、婚約者が他の男性と仲良くしていたら、たとえ”気持ちがなくても”モヤモヤしますもの」
 マーサさんはそう言って、カイルの腕に自分の腕をからめた。
「そう、そう言いたかったんだ。さすがマーサ、よく分かってる」
 仲良さげな二人を見て、やっと気づいた。
 さっきカイルが私の元へ来てくれて、怒ってるのかもって不安と一緒に少しだけ期待したんだ。
 ”もしかしたら、ヤキモチ妬いてくれたのかも”って。
 でも違った。
 世間体を気にしただけだったんだね。
 だから今も、彼女の腕を振り払わずに楽しそうに話してるんだよね。
 なら、やっぱり悪役令嬢にならなきゃ。
 カイルとマーサさんに迷惑かけないように。
 最高に悪い悪役令嬢にならなくちゃね。
「ねぇ、マーサさん」
「はい?」
「今日のドレス、真っ白でとても綺麗ね」
「あっ、ありがとう」
「でも、少し色が足りないと思うの。だからね…」
 私は近くにあったぶどうジュースを手に取り、思い切り彼女にかけてあげた。
「色、足してあげる」
 そう言って、笑ってみせた。
「えっ…?ナナ、何してるんだよ…」
「だからカイル、色を足してあげたの。ただでさえ地味なお顔をされているんだから、ドレスくらい派手にしてあげようと思って」
 すると、放心状態だったマーサさんは悲惨なことになったドレスを見て泣き出した。
「お父様が買ってくださった最新のデザインなのに…ひどいわ」
 彼女は泣きながら、走り去っていった。
 カイルはそんなマーサさんを不安げに見つめながら、私の方を振り向いた。
 その瞳には怒りが浮かんでいた。
「君は昔はそんなじゃなかったのに…」
 ”君”、彼がそう言う時は本気で怒ってるときで。
「君の悪行は耳にしている。君は頭の回転の早い女性だと思っていたのに、こんなにも愚かな人だと知り、とても残念だよ」
 美しい顔を歪め、汚らわしいものを見るような目をしながら、カイルはそう言い放った。
 私はそんな彼の言葉を聞いて、膝から崩れ落ち、そんな私を見て、多くの見物人は嘲笑していた。
 今更気づいたけど、周りには沢山の生徒が居て、皆こぞって私達を見ていた。
 あぁ、これで終わりだ。
 私はこうべをたれ、肩を震わせ、そっと頬を緩ませて笑顔を浮かべた。
 これで、カイルが幸せになれる。
 そう思うと、嬉しくてたまらない。
 彼の重荷にならなくて済むから。
「さよなら、ナナ」
 そう言って、マーサさんを追いかけていったカイルの後ろ姿は何故か歪んで見えた。
 あれ、なんでだろう?
 涙が止まらないよ。
「自業自得ね」
「可哀想に~」
「これでやっとマーサとカイル様がくっつくのね」
 周りの生徒が私のことを嘲笑い噂する中、私はただ溢れ出る涙を止めようとしていた。
すると、
ーズイッ
「ん…」
 そんな私の前に手が差し伸べた。
 そう、その手の主は唯一私に優しく接してくれた彼だ。
「ん…」
「どうして…?」
 なんで私に優しくするの?
 なんで、そんなに優しい目をしているの?
「行くぞ…」
 そう言って彼は私の手を引いて、会場の外へと連れていってくれた。
「…」
「…」
 外はドレス姿では少し肌寒くて、でもその寒さが熱くなった頬の熱を冷ましてくれた。
 私の手を引く彼は周りの目など気にせず、ただ私の手をギュッと握ってくれていた。
「あの…、なんで助けてくれたの?私、貴方の幼馴染にあんな酷いことしたのに」
「…俺はマーサから聞いてたんだ、アンタとマーサが賭けをしてたこと。でもそれ聞いた時、不思議に思った。アンタはマーサを脅して、自分の婚約者に近づけさせなければいいのにって。で、もしかしたら、アンタはわざと自分の悪い噂を流して、婚約者と別れたいんじゃないのかって思って。それなら、さっきの行動も意味わかるし…。だから、助けた…」
「そう…、ありがとう」
 彼の言葉が嬉しかった。
 私のことをしっかり理解してくれている、そう思うと嬉しかった。
 いつの間にか彼は私を正面入口まで連れてきてくれていて。
「ナナ様っ、はぁはぁはぁっ」
 そこには息を乱したルイがいた。
「ナナ様っ、大丈夫ですか?何があったのですか?」
 ルイはそう言いながら、彼が私と手を繋いでるとこを見て眉をひそめた。
「…その人は?」
「彼は私を助けてくれたの」
「助け…?もしかして、誰かにいじめられたのですか?」
「ううん、違うの。私、頑張ったんだよ。すっごく頑張ったの…」
 私がそう言うと、ルイは何かを察したのか、私の頭をそっと撫でてくれた。
「…そうなんですね」
 なんで優しくするかな?
 いつもはすっごく意地悪なくせに。
 私が苦しい時や辛い時には、誰よりも早く私の気持ちに寄り添ってくれる。
「よく頑張りましたね」
「うぅ、グスッ…」 
「もう大丈夫ですよ。私がそばにいますから」
「グスッ、ルイ…」
「ナナ様、家に帰りましょう」
「うん…」
 ルイは私の手を彼の手から抜き取ると、彼に軽く会釈して歩き出した。
「ちょっと、待って…」
 ルイに声をかけ、私は涙でグズグズになった顔を彼に向け、
「ありがとう」
 と言って微笑んでみせた。
「お礼がしたいので、もしも下町に来るときはここに来て」
 そう言って私は彼にもうすぐ引っ越す下町の家の住所を伝えた。
「本当にありがとう」
 何度言っても足りないけれど、最後にお礼を言って私はルイと共に家に向かった。


 






 

 
 




 

 

 
 
 
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