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第五章 主従逆転、今日から召使
33話
しおりを挟む「どこで何をしていた」
「っ!」
目立たないように行動していたつもりだったが、どうやら露呈していたらしい。アランは前方の三面を覆う黒板を見据えたまま、抑揚に乏しい声でシエナに声を掛けた。
シエナに顔を向ける素振りは一切見られない。
「あ、えっと、外でご飯食べてました……」
「……」
頬杖をついていたアランの瞳が、シエナを捉える。
今朝も腹一杯食事を摂ったのに、また食ったのか。そうとでも言いたげな表情で、蔑むようにシエナを見ている。シエナは完全に萎縮し、両肩をぎゅっと縮めた。
「……勝手にしろと言ったのは俺だが、自分の立場と状況は忘れないでくれ」
「ご、ごめんなさ」
「謝れとは言っていない。あと、これ」
シエナの前に差し出される透明なケース。中にはシャルル・ベルニエという名前と学園の紋章が記されたカードが挿入されている。
「通行証。名前は揃えといた」
「え? あれ、どうして知って……」
「大広間であの黒髪女に自分で名乗っていただろう。お陰で合わせるのが大変だった」
はぁ、と気怠げに嘆息を漏らすアランに、シエナはムッと頬を膨らます。
「あ、アラン……さまが、最初から名前決めておけばよかったのに」
「忘れてたんだよ」
「へぇ……ふっ」
「おい。今、笑ったな」
「笑ってません」
シエナはすぐに口元を隠し、誤魔化すように目を逸らす。
完璧超人に見えるアランでも、失念してしまうことがあるとは。元護衛騎士の弱点でも見つけたような気になったシエナは、先ほどアランに叱られたことも忘れて心の中で愉悦感に浸った。
──その数秒後に絶望に追いやられるとも知らずに。
「二人とも。お喋りはもう済んだのかしら」
「あ、はい。大丈夫で……」
背後から聞こえた問い掛けにシエナは流れるように答えようとした──が、ふと思い止まった。
この声。どこか聞き覚えがある。というよりは聞き覚えしかない声。シエナが息を呑んで後ろを振り返った瞬間、夜気のような冷たい風が背筋を震わせた。
全身黒ずくめの毛織物のドレスを纏った女性が、カツン、カツンと踵を鳴らしてすぐ側を通り、教壇の前へと佇む。
「それでは魔法史の授業を始めます。皆さん、教科書を開いてください」
見慣れた姿で一礼し、当たり前のように講義を始める彼女。シエナは幻でも見ているのかと、何度も瞼を擦っては目を凝らしたが、何一つ光景は変わらない。
あの日、燃え盛る炎に包まれた想い出の邸宅で。どうすればいいかも分からなくなったあの混沌とした状況の中、シエナに外へ出ていくように命じたはずの──義母の姿があった。
「なっ、えっ、どうし……!」
「シエ……シャルル!」
思わずその場を立ち上がりそうになったシエナを、アランが腕を引いて止める。
あまりにも想定外過ぎる出来事に心臓が逸り、口内から奪われる水分。手足は酷く震え、全身から汗が噴き出していく。
どうして。
ここに義母がいるのだろうか。
混乱に見舞われたシエナが飛び出さないようにと、机の下で強く握り締められたアランの手の温もりすら分からなくなる。
「……シエナ、分かる。気持ちは、痛いほど分かる。が、頼む。今は、抑えてくれ」
他人に聞こえないように、アランは小声でシエナに説く。
その傍ら、シエナはただただ呆然と、講義を淡々と続ける義母の姿を見つめていた。
***
義母が学園の教師を務めていたなんて、シエナは知るはずもなかった。確かにシエナへの教育を除いては屋敷を留守にすることは多かったが、そんな話は父からも聞いたことがない。
百歩譲ってその件は置いておいたとしても、没落した家の領主の後妻がこんな場所で暢気に講義をして、教師として活動して問題は生じないのだろうか。父はどうなってしまったのだろうか。
真実を知っているのは義母しかいない。
「おい! シャルル!」
講義の終わりと同時に鳴り響く鐘の音。何事もなかったかのように澄ました表情で講義室を後にする義母を、シエナはすぐに追い掛けた。
「あ……まっ、待ってください!」
物静かな渡り廊下に響き渡るシエナの声。
動揺からか声が裏返ってしまったが、シエナは咳払いをしてもう一度義母に呼びかけようとした。
「あ、あの、お話」
「聞こえていますよ、シャルル」
低く装うとしたシエナの声は、単調な声に遮られる。シエナの乾いた喉を生唾が伝った瞬間、それまで見向きもしなかった義母がゆっくりと振り返った。
「──要件は何でしょう。手短にお願いします」
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