【R18】あなたの心を蝕ませて

みちょこ

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第1章

13話

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 ──サクラさまが、いなくなってしまったんです!


 その言葉を聞いたのと同時に、ヴィクトールは走り出していた。

 待ち合わせの約束をしていた四阿にも、中庭から小居殿に繋がる架橋にも、彼女がよく入り浸っていた書斎にも、毎晩のように二人で眠った寝室にも。サクラと過ごしてきた思い出の場所を余すことなく探せど、彼女はどこにもいない。

「サクラ、サクラ……!」

 なぜだ。どうしてサクラは姿を消したんだ。昨晩は深くまで愛し合って、今朝方は一時の別れを惜しむように口づけをして。またあとで会おうと約束を交わしたと言うのに。

「たのむ……頼む、出てきてくれ、サクラ」

 ヴィクトールは涙を堪えながら、震える声で何度もサクラの名を呼ぶ。

 それでもサクラは姿を現さない。穏やかに微笑んでくれる愛する妻はどこにもいない。

 (まさか、一人で外に──)

 焦燥感に駆られるように寝室を飛び出し、ヴィクトールは裏門へと続く道へ向かう。

 考えたくはない。そうだなんて思いたくない。しかし、脳裏を過ぎってしまうのは、サクラが『元の世界に帰りたい』と告げたあの日の記憶。

 駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ。
 行くな。行ってはいけない。元の世界になんて帰ってはいけない。になんて、戻ってはいけない。

「サクラ、行くな……!」

 息を切らしながら死に物狂いで走り、外への近道である使用人の通路へ向かおうとしたそのとき。ぬっと現れた人影がヴィクトールの行く先を阻んだ。

「どこへ行くんですか? 兄上」

 ──ヴィクトールの目の前に現れたのは、白銀の髪を一つに結った青年。彼の弟であるウィレムだった。
 ウィレムは翡翠の瞳を細め、睨むようにヴィクトールを見据える。

「……ウィレム。どいてくれ」

王妃殿下ですか」

 卑屈に笑いながら態とらしく溜め息を吐き出す弟を前に、ヴィクトールの眉間がかすかに痙攣を起こす。
 ここ最近、というよりはサクラのそばに付きっきりでいるようになってから。ウィレムはなにかとヴィクトールに食って掛かるようになった。理由は言わずとも分かっている。クリスチアーヌを蔑ろにすることで同盟に罅が入ることを恐れているのだろう。

「……話があるなら後にしてくれ。それどころではないんだ」

 ヴィクトールの頭の中は行方知らずのサクラのことで占められていた。面倒な話を持ちかけるウィレムの相手などする余裕はない。
 もしサクラの身になにかあれば。元の世界へ帰ってしまったら。そう考えるだけで胸の奥が凶器で切り裂かれるような痛みが走る。

「……悪いな。また後で時間はとる」

 立ち塞がるウィレムの脇を通り抜け、ヴィクトールは刻み足で忙しなく前を進む。一方その場に置き去りにされかけたウィレムは、舌を鳴らしてヴィクトールの腕を後ろから掴んだ。

「いい加減にしてください! 兄上はいつまで経っても王妃殿下のことばかりだ! 表向きは国のことを考えているように見えても、裏ではいつもサクラサクラと! ここ最近は誓約すら守っているかも危ういし、結局は子供のことだって……」

「今はその話はやめろ!」

 ヴィクトールはウィレムの声に被さるように怒鳴り叫ぶ。
 あまりの剣幕の烈しさに、偶々そばを通りかかった侍女の一人は小さな悲鳴をあげて。もう一人の侍女は運んでいた食器を手から滑らせた。

 狭い通路に響き渡る皿が砕け散る音。それすらものともせずに、ヴィクトールとウィレム、睨み合ったまま重苦しい時間が過ぎていく。

「……。セドリックのことは分かっている。他に話したいことがあるのなら、後にしろ」

 ヴィクトールはコートの裾を翻すと、弟の言葉を待つことなく背を向けた。遠ざかっていく兄の姿に、ウィレムはぎりりと下唇を噛み締める。

「……どうして、そこまで」

 ウィレムの淀んだ瞳は瞬きすら惜しむように、視界から消えるまでヴィクトールの後ろ姿を捉えていた。







✿ ❀ ✿ ❀  ✿  ❀  ✿ ❀ ✿✿✿✿








 厩舎に辿り着くなり、ヴィクトールはすぐに馬を引き出そうとした──が、鼓膜を突き抜けるような叫び声がすぐ近くから聞こえ、手綱を引きかけた手の動きが止まった。

「あぁー! ダメッスよ! 馬を出すのはおれっ、新入りの仕事です!」

 視線を流した先にいたのは、別の馬のたてがみを整えていた栗毛の少年。忙しない動作でヴィクトールの前に躍り出て、半ば無理やり手綱を奪い取った。
 無礼とも受け取れる振る舞いに、ヴィクトールは顔をしかめそうになったが、この国の者ではない藍色の瞳を前にはっと息を呑んだ。

 確か、この少年は──

「……エルオーガから来た兵士か?」

 問い掛けに対し、少年は瞳を爛々と輝かせて満面の笑みを浮かべる。そして胸を大きく張り、ヴィクトールが幾たびか隣国の式典で目にしたことがある敬礼を大袈裟に行った。

「そうですっ! 今はこの王国の第一騎士団に配属……あっ、あれ?」

 屈託のない笑みから一変、少年は眉根を寄せてヴィクトールを見つめ──次の刹那、潰された蟇のような声を上げた。

「あっ、ぶぇっ、へっ、へへへ陛下!? す、すみまちぇ、すみません! 俺は、とんだご無礼を!」

 盛大に噛みまくりながら必死に何度も頭を下げる少年。
 今更気づいたのかと文句を言ってやりたいのは山々だったが、時間は刻一刻と迫っている。ヴィクトールは少年を無視して、愛馬に跨がろうとした。

「やっ……普段近くで見ることなんてないから分からなかった。さっき見廻りのときに通りすがった人も本物の王妃殿下だったのかな? 一人でフラフラと歩いていたし、まさかと思って無視しちゃったよ。挨拶しとけばよかったぁ」

 ぶつぶつと腕を組みながら独り言を呟く少年。ヴィクトールがその言葉を聞き逃すはずもなく、振り返ると同時に勢いよく少年の胸ぐらを掴み上げた。

「サクラを見たのか!?」

「えっ?」

「見たのか見ていないのか! どこへ向かったんだ! 早く言え!」

 狂気を漂わせた剣幕で尋ねるヴィクトールに、少年は「ひっ」と小さな悲鳴を漏らす。蛇に睨まれた蛙のように身を竦めること数秒間、少年はゴクンと喉仏を上下に動かすと視線を厩舎の出口へとずらした。

「お、俺の見間違いでなければ王都から外に向かって歩いていたような」

「王都……」

 (やはり、一人で外に向かったのか……!)

 ヴィクトールは乱暴に少年から手を離し、馬へ飛び乗る。そのまま脇目も振らず、馬で厩舎を駆け抜けていく王の姿。自分の発言には責任を持たなければと、妙な使命感に駆られた少年は慌ててその後を追った。

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