【R18】あなたの心を蝕ませて

みちょこ

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第1章

18話

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 肉塊を貫いてしまうような衝動に、ヴィクトールの身体が大きく揺らめく。ずるりと馬から両脚が滑り、サクラ諸とも落ちそうになった──が、反射的に彼女を庇うように身を翻していた。

「っ、ぐぅ……っ」

 ずぶずぶっ、と背中に鋭い刃のようなものが埋め込まれる。全身から汗が噴き出すような激痛に蒼白い唇を震わせ、腕の中のサクラに視線を落とした。

 サクラの長い睫毛は伏せられたまま。まだ夢の中にいるのだろう。
 落ちた拍子にどこかぶつけたのではと心配したが、怪我は見当たらない。しかし──

「くっ、そ……」

 肌を引き裂かれるように、背中が痛む。心臓から全身へと送り出された血が、灼熱の炎で炙られたかのような熱さを持ってじわじわと溢れ出していく。
 
「おおっ、命中。昔は奴隷を的にして遊んだっけな? 急所に当てたら賭け金もーらいってな」

 乾いた風と共に運ばれる虫酸が走るような声。ヴィクトールは地べたに這った掌を握り締め、血走った翡翠の瞳を後方へ向けた。

 ──予想通り、そこにいたのはグレン。

 二つの短剣を手元で弄りながら、口笛を吹いている。まさか、こんなにも短時間で追い付かれるとは、ヴィクトールの想定外であった。

 しかし、逃げないわけにはいかない。
 こんな残虐な男には、サクラは死んでも渡したりはしない。

「おおっ? まだ逃げるのかぁ?」

 囃し立てるように笑うグレンには目もくれず、ヴィクトールは足を引き摺りながら神殿の中へ向かう。石造りの床に血糊がべったりと付き、形の良い唇から漏れる呼吸は動きを増すごとに荒くなる。終いには咳と共に血のあられが降りそそぎ、サクラの身体を纏う白地の布に赤い斑点を齎した。

「サク、ラ……」

 女神の彫刻が囲む祝福の間を抜け、なけなしの力で階段を上る。
 この先を潜れば、祈りの間だ。ヴィクトールがサクラをこの世界へと導いた場所へ向かえる。

「……っ!」

 ヴィクトールがこれから取ろうとしている行動を察したのか、それまで悠々とした態度を貫いていたグレンの顔が一気に青褪める。
 祈りの間へと足を踏み入れたヴィクトールに長剣で斬りかかろうとしたが、光の膜により身体が弾き出された。

「っ、ぐ、くそっ、ざけんなぁ! サクラを渡せぇ!」

「そこで指を咥えて見ていろ」

 ヴィクトールはかすかに口元に笑みを残し、狂ったように叫ぶグレンを置いたまま祈りの間へと姿を消す。





 最初からこうすれば良かった。

 サクラの言うことを素直に聞いて、彼女の傷が浅いうちに元の世界へ帰してやれば良かったのだ。




「……サクラ。今まで、済まなかった。苦しい想いをさせたこと、どうか許してくれ」

 ヴィクトールは掌をサクラの額に宛がい、呪文を唱える。王国では禁忌とされている記憶を消却する魔法。これで、この世界で過ごした記憶はすべて消え去る。苦しかった記憶も、辛かった記憶も──些さか残っているかもしれない幸せな想い出も。

 小さな煌めきと共に、サクラの純白の髪がふわりと浮かび、根元から色艶が生み出されていく。一瞬にして黒く美しい髪に戻り、ヴィクトールは安堵したように微笑みをこぼした。

「……さいご、に」

 本当なら、記念日に渡そうと思っていた贈り物。
 彼女が元の世界へ帰っても辛い思いをしないように。彼女を救ってくれる人が現れるように。今のヴィクトールに残されたすべての魔力を込めて、サクラの首にそれを嵌める。彼女が昔、いつかヴィクトールに見せたいと話していた花──桜の花片の形をした首飾りだ。想像でつくったものでしかないが、ヴィクトールはずっとこれを彼女に渡したいと希っていた。

「……一緒に桜を見る約束、破ってしまったな。ずっと側にいると言ったのに、守れなくて済まなかった」

 水が飛び散るように喉の奥から噴き出す血を拭い、ヴィクトールは震える腕でサクラを抱き締める。

 愛していた。心から誰よりも愛していた。
 自分の手で彼女を守り、彼女を幸せにし、命の灯火が消え去るその日まで、ずっと一緒にいたかった。




 心と身体を愛した、ヴィクトールにとってたった一人の女性。




「……たとえお前が私を忘れても、私が未来永劫愛するのはお前だけだ」

 

 ぎゅうっ、と最後に強く両腕に抱き、繊細なものを労るように魔法陣の中央にサクラを下ろす。そして。サクラの姿を映した瞳を瞼の裏に覆い隠し、再び呪文を詠唱した。



『──サクラを元の世界へ』



 彼女がこの世界に二度と召喚されることがないように。同じような犠牲者を出さないために。異世界への門ゲートを永遠に封印して。





 最後の言葉まで口ずさみ、ヴィクトールはゆっくりと瞼を開ける。




 先ほどまでそこにいたサクラの姿は跡形もなく消えていて。ヴィクトールは安堵のため息と共に、力尽きたように崩れ落ちた。



「……サク、ラ……」



 もう、そこにサクラの姿はないのに。
 ヴィクトールは無意味に魔法陣へと手を伸ばす。
 誰よりも愛おしく想っている温もりを求めて、掠れた声で彼女の名を呼ぶ。



「……サ、ク……ラ……」




 愛している。誰よりも、愛している。
 どうか、元の世界では幸せになれるように。そう、心から願っている。



「……っ、あ……い…………し……て……」



 霞んだ視界にぼんやりと浮かぶサクラの笑顔。ヴィクトールは瞳に映る愛しい彼女の幻に、一筋の涙を流し──



 そのまま意識を閉ざしてしまった。







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