【R18】あなたの心を蝕ませて

みちょこ

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第3章

26話

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 軽々とグレンに抱えられ、サクラは強制的に地下から外の世界へと連れ出される。獲物サクラを捕らえたグレンは、鼻歌でも口ずさみそうなほどに上機嫌。どんなにサクラが胸を押し叩こうと、顔色一つ変えない。

「離して! 離して……っ!」

 サクラはどうにもできない情けなさに唇を噛み締めながら、力の限り叫び続ける。しかし、周囲を見渡しても必死に助けを求めても、通り過ぎる人々は皆、見て見ぬ振り。王妃だった異世界の少女を悪魔から助けようとする者は誰一人としていなかった。

「サクラぁ。いい加減に諦めろよ。抵抗しても無駄だって分かんねえのか?」

「っ……!」

 サクラが力一杯歯向かおうとも、グレンにとってそれは虫に噛まれる程度のものなのかもしれない。
 しかし、されるがままの状態ではあの頃と何一つ変わらない。ただ守られるだけでは、自分はなにも守れない。

 (私も、ちゃんと自分の手で──)

「ん?」

 急に大人しくなったサクラを不審に思ったのか、グレンは眉をひそめる。俯いたまま顔を上げようとしない彼女の顔を、グレンが覗き込もうとしたのとほぼ同時。サクラはグレンの両頬を掴み、尖りのある鼻に額を勢い良く打ち付けた。

「ぐっ……!?」

 グギッ、と骨が捻じ曲がるような歪な音と共に、グレンの口から呻き声が漏れる。自分の身体に巻き付いていた腕の力が緩んだのを見逃さず、サクラはグレンの胸を押し退けて魔の手から遁げ出そうとした。

「……くくっ、ははは……ははははは! ふざけんなよおるぁ!」

「っ、きゃっ!」

 地についたばかりの足を掴まれ、サクラの身体は宙に浮く。どうにかその場に留まろうと芝生を咄嗟に掴んだものの、草が引き抜かれていくだけで、時間稼ぎにすらならなかった。

「やっ、やだ……!」

 ずりっ、と手を引き摺られ、人気ひとけのない礼拝堂へと連れ込まれる。
 扉が乱暴に閉まったかと思うや否や、端の擦り切れた絨毯の上に押し倒されて。サクラの細い首は大樹の根のように大きなグレンの両手に締め付けられた。

「んっ、んん……!」

 気道を塞がれ、息苦しさに見舞われる。何度、グレンの手首を掌で叩いても、力は一切緩まない。痛い、苦しい、助けて。サクラの叫びは声にすらならず、頭の中で反響する。

「……わねえ」

 喚くことすらできず藻掻き苦しむサクラを前に、グレンは小さな声で呟く。グレンの鼻孔から迸り出た血がサクラの頬を汚し、生臭い匂いがかすかに広がった。

「気に食わねえ。たかが一人の人間のために国を捨てようとした愚かな王も、国を統治する能力なんて無いに等しい馬鹿な男も、人に指図されるがまま王の弟と寝て孕んだ子供を跡継ぎにしようとする阿呆な王女も、そんな奴等に振り回される糞みてえな人間共も、全部くだらねえ!」

 ぐぐぐっ、と手の力が一層強まる。サクラの霞んでいく視界に映るのは、獰猛な瞳を向けるグレンの顔。


 恐ろしく歪んでいるその表情が、一瞬だけ物哀しげに見えた。



「……お前なら分かるだろ? 自分に関わる人間全員が消えればいいと思う気持ちが。すべてがぶっ潰したくなる感情が」

「っ、は……っ」

「サクラ。馬鹿な人間には縋るな。余計な感情を抱くな。裏切られれば虚しくなるだけだ」

 だから、とグレンは言葉を続け、ゆっくりと手の力を緩める。骨張った指が首から鎖骨へと伝って胸元まで滑り、ぐっと握り拳が固められて。
 仄暗い虚無感を漂わすグレンの唇が、鈍重な動きで開いた。



「──お前も此方に来い。サクラ」



 低く重々しい声が、森閑とした祈りの間に響き渡る。
 サクラが息を呑み込んだのも一瞬、グレンの胸から既視感を覚えるが溢れ出した。

 (これ、は……)

 五年前、自分の身体を蝕んだ禍々しい存在。グレンはサクラを盾にして、靄から免れたはずなのに。どうして。

「どうした。なぜそんな驚いたような顔をする? お前も十分に分かっているだろう。身を以て知ったはずだ。この闇の存在を」

 靄を纏った手がサクラの腕を掴み上げる。黒い息を吐き出しながら鋭い眼光を放つその姿は、人の形をした化け物のようだった。

 これが、靄に取り憑かれた人間の末路なのだろうか。

「さぁ、俺のとコろに来イ! サクラ!」

「……やっ!」

 恐怖に怯える暇もなく、サクラはグレンに腕を引かれる。
 己の意思に反してグレンに腰を抱かれ、本物の悪魔と化した顔が近付く。思わず顔を逸らそうとした刹那、牙が剥き出しになったグレンの口がサクラの首筋に迫った。

「いや……っ!」

 怖い。誰か。誰か助けて。ヴィクトール──心の中でそう叫んだそのとき、礼拝堂の入り口から大きな物音が鳴り響いた。


「グレン! 一体、なにをしている!」


 男にしては声色が高く、女にしては威勢のある鋭い声。今にもサクラを喰らおうとしていたグレンの動きが止まり、徐に視線が後方へと向く。


 ──そこには、艶やかな黄金の髪を外から吹き付ける風に揺らし、翡翠の瞳を細めて凛と立つ少年の姿があった。



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