26 / 50
第3章
26話
しおりを挟む軽々とグレンに抱えられ、サクラは強制的に地下から外の世界へと連れ出される。獲物を捕らえたグレンは、鼻歌でも口ずさみそうなほどに上機嫌。どんなにサクラが胸を押し叩こうと、顔色一つ変えない。
「離して! 離して……っ!」
サクラはどうにもできない情けなさに唇を噛み締めながら、力の限り叫び続ける。しかし、周囲を見渡しても必死に助けを求めても、通り過ぎる人々は皆、見て見ぬ振り。王妃だった異世界の少女を悪魔から助けようとする者は誰一人としていなかった。
「サクラぁ。いい加減に諦めろよ。抵抗しても無駄だって分かんねえのか?」
「っ……!」
サクラが力一杯歯向かおうとも、グレンにとってそれは虫に噛まれる程度のものなのかもしれない。
しかし、されるがままの状態ではあの頃と何一つ変わらない。ただ守られるだけでは、自分はなにも守れない。
(私も、ちゃんと自分の手で──)
「ん?」
急に大人しくなったサクラを不審に思ったのか、グレンは眉を顰める。俯いたまま顔を上げようとしない彼女の顔を、グレンが覗き込もうとしたのとほぼ同時。サクラはグレンの両頬を掴み、尖りのある鼻に額を勢い良く打ち付けた。
「ぐっ……!?」
グギッ、と骨が捻じ曲がるような歪な音と共に、グレンの口から呻き声が漏れる。自分の身体に巻き付いていた腕の力が緩んだのを見逃さず、サクラはグレンの胸を押し退けて魔の手から遁げ出そうとした。
「……くくっ、ははは……ははははは! ふざけんなよおるぁ!」
「っ、きゃっ!」
地についたばかりの足を掴まれ、サクラの身体は宙に浮く。どうにかその場に留まろうと芝生を咄嗟に掴んだものの、草が引き抜かれていくだけで、時間稼ぎにすらならなかった。
「やっ、やだ……!」
ずりっ、と手を引き摺られ、人気のない礼拝堂へと連れ込まれる。
扉が乱暴に閉まったかと思うや否や、端の擦り切れた絨毯の上に押し倒されて。サクラの細い首は大樹の根のように大きなグレンの両手に締め付けられた。
「んっ、んん……!」
気道を塞がれ、息苦しさに見舞われる。何度、グレンの手首を掌で叩いても、力は一切緩まない。痛い、苦しい、助けて。サクラの叫びは声にすらならず、頭の中で反響する。
「……わねえ」
喚くことすらできず藻掻き苦しむサクラを前に、グレンは小さな声で呟く。グレンの鼻孔から迸り出た血がサクラの頬を汚し、生臭い匂いがかすかに広がった。
「気に食わねえ。たかが一人の人間のために国を捨てようとした愚かな王も、国を統治する能力なんて無いに等しい馬鹿な男も、人に指図されるがまま王の弟と寝て孕んだ子供を跡継ぎにしようとする阿呆な王女も、そんな奴等に振り回される糞みてえな人間共も、全部くだらねえ!」
ぐぐぐっ、と手の力が一層強まる。サクラの霞んでいく視界に映るのは、獰猛な瞳を向けるグレンの顔。
恐ろしく歪んでいるその表情が、一瞬だけ物哀しげに見えた。
「……お前なら分かるだろ? 自分に関わる人間全員が消えればいいと思う気持ちが。すべてがぶっ潰したくなる感情が」
「っ、は……っ」
「サクラ。馬鹿な人間には縋るな。余計な感情を抱くな。裏切られれば虚しくなるだけだ」
だから、とグレンは言葉を続け、ゆっくりと手の力を緩める。骨張った指が首から鎖骨へと伝って胸元まで滑り、ぐっと握り拳が固められて。
仄暗い虚無感を漂わすグレンの唇が、鈍重な動きで開いた。
「──お前も此方に来い。サクラ」
低く重々しい声が、森閑とした祈りの間に響き渡る。
サクラが息を呑み込んだのも一瞬、グレンの胸から既視感を覚える黒い靄が溢れ出した。
(これ、は……)
五年前、自分の身体を蝕んだ禍々しい存在。グレンはサクラを盾にして、靄から免れたはずなのに。どうして。
「どうした。なぜそんな驚いたような顔をする? お前も十分に分かっているだろう。身を以て知ったはずだ。この闇の存在を」
靄を纏った手がサクラの腕を掴み上げる。黒い息を吐き出しながら鋭い眼光を放つその姿は、人の形をした化け物のようだった。
これが、靄に取り憑かれた人間の末路なのだろうか。
「さぁ、俺のとコろに来イ! サクラ!」
「……やっ!」
恐怖に怯える暇もなく、サクラはグレンに腕を引かれる。
己の意思に反してグレンに腰を抱かれ、本物の悪魔と化した顔が近付く。思わず顔を逸らそうとした刹那、牙が剥き出しになったグレンの口がサクラの首筋に迫った。
「いや……っ!」
怖い。誰か。誰か助けて。ヴィクトール──心の中でそう叫んだそのとき、礼拝堂の入り口から大きな物音が鳴り響いた。
「グレン! 一体、なにをしている!」
男にしては声色が高く、女にしては威勢のある鋭い声。今にもサクラを喰らおうとしていたグレンの動きが止まり、徐に視線が後方へと向く。
──そこには、艶やかな黄金の髪を外から吹き付ける風に揺らし、翡翠の瞳を細めて凛と立つ少年の姿があった。
40
あなたにおすすめの小説
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる