【R18】あなたの心を蝕ませて

みちょこ

文字の大きさ
31 / 50
第3章

31話

しおりを挟む

「お、王妃殿下!?」

 背後から聞こえた自分を呼び止めるニクスの声を振り切り、サクラは地面を踏み込む。切り揃えられた木々が立ち並ぶ石畳の道を駆け抜け、背中を震わせて一人苦しむ夫の元へ。

「……ヴィクトール」

 ベンチで項垂れたままのヴィクトールは、もちろんサクラには気が付かない。すまないすまない、とひたすら掠れた声で懺悔していて。サクラが城から逃げ出したあの日、礼拝堂の前で見かけた彼の姿が脳裏に駆け巡った。
 一つ違うのは、今はサクラの名を何度も呼んでいるということ。あのとき届かなかった彼の声は、、はっきりと聞こえる。

 元の世界にいた頃、ヴィクトールがこんなふうに苦しんでいる姿を一度も目にしたことがなかった。
 心身ともに弱りきっていたサクラに、不安を煽るような姿を見せたくなかったのかもしれない。サクラは、そんな彼の脆くなりかけた張りぼての強さを見て、たった一人の愛する夫が他の美しい妻と子供に恵まれて幸せになっているのだと思い込んでしまった。自分は見捨てられたのだとはき違えてしまった。

 (……私は自分のことばかりだった。自分ばかりが苦しいと主張して、ヴィクトールのことを知ろうとしなかった)

 俯くヴィクトールの前に踞り、そっと手を伸ばす。月の光に照らされる彼の髪を、子供にするように優しく梳かす。

 ここは魔法によって見せられている記憶の世界。どんなに話しかけたところで、触れたところで、気づかれないことは分かっている。それでも、ヴィクトールに謝りたい。触れてあげたい。ずっと彼のそばにいてあげたい。そばにいてあげたかった。

「……ごめんね。ヴィクトール」

 サクラは自分よりも大きな彼の身体を、細い腕でぎゅっと抱き締める。

 記憶の中の世界なのに、温かく感じられる。愛しい人の息遣いが耳朶に触れる。誰よりも愛しい人の、かけがえのない人の温もり。

 元の世界にもどってしまってからも。記憶がすべて消え去ってしまってからも。愛する家族の温かさを知ってからも。
 サクラの胸の奥底に眠っていた気持ちが、消えることはなかった。

 初めて出会ったときから変わらず、ヴィクトールを愛している。暗闇から救い出してくれた彼を、今度は自分が救いたい。

「……私があなたを助ける。絶対に」

 芯の通った声で、サクラは言葉を紡ぐ。心に宿した誓いが胸の奥に熱を齎し、自然と涙腺が熱くなっていく。じわりと溢れた涙が重力の赴くままに落ちていき──

 ヴィクトールの肩を濡らした。


「……サクラ?」


 ドクン、と心臓が弾む。

 透明な雫が飾られた睫毛を震わせて。サクラは息を潜めながら、ゆっくりと身体を離した。

「……サクラ。いるのか?」

 目の前のヴィクトールの瞳が泳いでいる。

 おそらくサクラの姿は見えていないはずだが、わずかな気配に勘づいているのか、視線がなにかを探すように動いている。

「……サクラ。どこだ、サクラ」

 ヴィクトールの手が宙を彷徨する。髪に触れそうで触れないその指先を、サクラは触れられない両手で包み込んだ。

 確かに感じる彼の温もりを。

「絶対に、あなたのそばへ行く」

 助けに行くから、待ってて。そう声にした瞬間、サクラの胸元で小さな輝きを見せていた桜色の宝石が目映い煌めきを放ち──


 ──サクラの一双の明眸は真っ白な光に覆われていった。







✿ ❀ ✿ ❀  ✿  ❀  ✿ ❀ ✿❀✿❀








「……んっ」

 眩しさに耐えるようにサクラは身を捩らせ、映り出す世界の色彩に馴れようと鈍い動きで視界を広げていく。
 露になった黒水晶の瞳に映ったのは、元いたアルテリア城の部屋の景色。サクラの目の前には、息を切らしながらぐったりとソファーに凭れるセドリックの姿があった。

「セ……セドリック殿下!?」

 サクラは狼狽しつつも立ち上がり、青褪めているセドリックに駆け寄る。同じく記憶の世界から目覚めたニクスも、慌てて後をついた。
 彼の父──ウィレム譲りの翡翠の瞳はサクラ達の姿を捉え、緩やかに狭まっていく。

「……すまない、サクラ。途中で魔力に限界が来たみたいだ。前はこんなことにはならなかったのに……」

「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます、セドリック殿下」

 こんな状態になってまで、真実を見せようと力の限りを尽くしてくれたセドリックには頭が上がらない。苦しさに蝕まれた記憶の糸によって雁字搦がんじがらめにされたサクラの心が、彼の手によって解放されたような気がした。

 あとは、ヴィクトールの元に行くだけ。
 サクラの中に、もう迷いはない。


「……殿下。わたし、あの……」

 ヴィクトールを今すぐにでも助けに行きたい。何よりも望んでいることを言葉にしようとした刹那、木板が蹴破られるような音が奥の間に鳴り響いた。


「──セドリック! 話がある!」


 静寂を打ち破った甲高い男の声。サクラ達は同時に顔を見合わせ、けたたましい音が聞こえた扉へと視線を向けた。

 ──そこにいたのは、第二騎士団の衛兵を引き連れたウィレムだった。

 鼻息を荒々しくさせながら土足で部屋に踏み込み、大股でセドリックに迫り来る。気が立って冷静さを欠いているのか、サクラがいることに気付いていないようだ。

「おまえ、また勝手に地下牢に出入りしたのか! 兄さ……罪人ヴィクトールには近寄るなと言っただろう! 拷問がやりにくくな……る……」

 ウィレムの瞳がふと、サクラへと向いた。彼の兄と同じ宝石のように光輝く翡翠の瞳。かつて、サクラに蔑んだ眼差しを放った瞳。実の兄が王位から引き摺り下ろされ、牢に閉じ込められているにも関わらず、平然と王座に居座る愚か者の瞳。

 愛する夫を傷付けた、卑劣な男の瞳だ。

「ひ……ひぃっ!」

 ウィレムはまるで死者の魂でも見たかのように、情けない悲鳴を上げて腰を抜かす。それも、仕方ないのかもしれない。五年前に姿を消したはずの聖女が、忌み嫌ってきた王妃が、若かりし頃の姿で目の前に立っているのだから。

「な、なん、なんで、なんでお前が、ここに」

 じわりじわりとにじり寄るサクラに、ウィレムは尻を床に滑らせながら後退る。

 分かりやすいほど動揺するこの男を前にしても、サクラは無表情を保ったまま、眉一つ動かさない。唇を閉じた彼女の背後から、目に見えない静かな憤りが漂う。

 漆黒に染まりきった瞳が、ウィレムの恐怖心を射抜いた。

「……あなたが、ヴィクトールを拷問にかけたのね」

「ひっ……ご、ごめんなさっ」

 サクラがその場に屈んだのと同時に、ウィレムは再び悲鳴を漏らす。王としての尊意は微塵も感じられないその姿は、怒りを通り越して辟易としたが、今のサクラにはそんなことはどうでもよかった。

 彼女がこの腑抜けな王に望むものは、ただ一つ。

「……ウィレム

「な、なんだっ」

 視線を一切合わせようとはせず、ウィレムは震えた声で聞き返す。

 サクラはしばらく沈黙に身を委ねたあと、ウィレムの頬を強引に鷲掴みにし、無理やり視線を交じらわせて。重く閉ざされた唇をゆっくりと開いた。


「──ヴィクトールに会わせて。今すぐに」



 

しおりを挟む
感想 204

あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...