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第1章 クリスタ
4話
しおりを挟む「アメリア……」
テオが掠れた声でその名を呼んだ。クリスタの肩を抱き寄せていた大きな手はするりと離れていく。藍色の瞳を細めてどこか苦しそうにテオは彼女を見つめ、アメリアは悲しそうに微笑む。
クリスタは視線を交わす二人をただ見ていることしかできなかった。
「どうして、お前がここにいるんだ」
「ただ仕事のお付き合いで来ただけよ。テオは?」
「単なる顔見せだ。この夜会も最後になるからな」
なんの変哲もない会話を交わしているだけなのに。二人の声を聞くだけで、クリスタの心臓が罪悪感と苦しさで押し潰されそうになる。あの晩餐会のときも、こうして二人は見つめ合っていた。今と違うのは、邪魔者がいるか否かだ。
「……あの、わたし、帰ります」
沈黙に見舞われた空間に漏れるクリスタの消え入りそうな声。
同時にテオの視線がクリスタへと向けられる。俯いていたクリスタには、そのときのテオの表情に気づくことなんてできなかった。
「足が痛むのか」
「い、いえ。でも、こんな状態では、皆に挨拶をすることも」
「……ならば、俺も一緒に帰ろう。迎えの馬車を」
「っ、だ、大丈夫です! 一人で帰れます!」
先ほどからは一変、クリスタは甲高い声を張り上げる。
感情を押し込めようとした反動か、大粒の涙がクリスタの白い肌を伝った。テオとアメリアの二人は、息を呑んで彼女を見つめる。
「ごめんなさい……」
この大馬鹿者。泣いてどうする。
クリスタは心の中で自らを叱責する。こんな面倒で厄介な女、扱い辛くて当然だ。二人とも困ったような顔をしている。
このままここにいても埒が明かない。テオにこれ以上迷惑を掛けないように、ここから去らなければ。
クリスタは蹌踉けながらもなんとか立ち上がり、付き人の待つ城外へ向かおうとした。
「……クリスタ。あなた、テオに恥をかかせる気? あなたのしていること、一人の妻として最低な行為よ」
氷柱のように鋭く尖った言葉が、クリスタの心臓を射抜く。
逸る動悸を堪えながらクリスタが後ろを振り向くと、いつの間にかアメリアがテオの片腕を絡め取っていた。
「偉いお父様に甘やかされて育ったのか知らないけど。泣けばどうにかなると思っているあなたみたいな子供、見ているだけで吐き気がするわ」
「おい、アメリア……」
「そうだ、テオ。あなたにちょうど話すことがあったの。一曲だけでいいから、私と踊ってくれない? あなたと私の仲でしょう?」
アメリアは吊り上げていた目元を緩め、真っ赤な紅が塗られた唇を綻ばせる。二人の距離はまるで恋人同士のそれで。後頭部を鈍器で殴られたような衝撃に襲われ、視界が酷く歪んで見えた。
「行きましょう、テオ」
テオは一瞬だけ迷ったような表情を見せる。
けれども。すぐに「一曲が終わるまで待ってくれ」とクリスタに告げ、アメリアと共に去ってしまった。
優雅な演奏が奏でられる煌びやかな舞台へ向かう二人。誰よりも好きだったテオは別の愛する人と共に、クリスタが永遠に手の届かない場所へ。
「……っ」
クリスタはそんな二人を濁った瞳に映しながら、壁を支えにして歩く。
やっとのことで辿り着いた扉の先は、爛々と輝くシャンデリアに照らされた世界。音楽隊が奏でる音楽に合わせて、着飾った男女が手と手を合わせて楽しそうに舞っている。
そこで踊るはずだったクリスタは、今やただの傍観者。中央で一際目立つテオとアメリアが二人で優美に踊る姿をただ見つめることしかできない。
「ねぇ、見て。あの二人、とてもお似合いよ」
「本当だわ。最高の美男美女ね」
すぐ近くから聞こえる貴婦人達の囁き声。さりげなく周囲を見渡すと、クリスタだけでなく皆がテオとアメリアを恍惚とした眼差しで眺めていた。
(……わたし、どうしてここにいるんだろう)
視界が霞んでいるせいではっきりと捉えられない二人の姿。クリスタは痛みが広がっていく足首からそっと手を離し、苦痛から逃れようと背を向けて歩き出す。
最初から、テオをすんなりと諦めていればこうはならなかった。
もっと、結婚を強い意思で拒んでいれば、彼を苦しませることもなかった。
すべては自分の甘さと脆弱な意思が招いたこと。
今更かもしれない。
いや、本当に今更すぎる。
でも、テオに執着するのはもうやめよう。潔く身を引かなければ駄目だ。
(……さようなら。テオ)
痛ましげに足を引き摺って、広間から去り行くクリスタ。その姿をテオに見られていたことに、彼女は気づく由もなかった。
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