【R18】あなたに愛は誓えない

みちょこ

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最終章 あなたに愛は誓えない

16話

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 クリスタが小さい頃、一度父親に尋ねたことがあった。


 どうして、大切な親友だったテオの父親との想い出のものが一つもないのかと。テオと瓜二つだという彼の父親の顔を見てみたい。写真だけでもあるのなら見せてほしいと。

 純粋な心を持った幼きクリスタの問い掛けに対し、父親はいつもの笑顔でこう言った。


 『そんなものはないよ』と、一言だけ。








「──クリスタ。おはよう」

 脳に取り憑いた昔の記憶を祓うように、穏やかで低い声がクリスタの意識を呼び戻す。瞬きを繰り返して黄金の瞳を覗かせると、にっこりと笑う父親の顔が見えてしまった。

「あっ、いや……っ!」

 クリスタは反射的に逃げようとするも、両手で肩を固定するように掴まれる。指が肌に食い込んで、痛みを感じるほどの力の強さ。どんなにクリスタが嫌がって首を振っても、父親は頑なに離そうとしない。

 ──そして、ふと気がついてしまった。
 自分がテオとの結婚式で数年前に纏ったウエディングドレスを着せられていることに。

「な、なにこれ……っ」

「クリスタ、よく似合っている。お前がまたこのドレスが着てくれることを夢にまで見ていた。さぁ、行こう」

「え……っ! い、行くって、なに……?」

 混乱に見舞われて過呼吸になりかけるクリスタに対し、あくまで父親は落ち着いている。それどころか嬉しそうに笑って、幼子を宥めるようにクリスタの頭を撫でた。

「お前のために相手を見繕っておいたんだよ。テオより少しだけ年は上だが、家柄だって遥かに良い。きっとお前も気に入るだろう」

「やっ、いや、テオ、助けてっ、テオ──」

 閉ざされた白い空間にいるはずもないテオを求めて、クリスタは必死に叫ぶ。動揺に陥る彼女を父親はしばらく見守るように穏やかな眼差しを送っていた──が、態度は突如として急変した。

「っ!」

 クリスタの雪のように白い頬に熱い衝撃が駆け抜ける。透明な硝子の靴によって支えられていた彼女の足は大きく蹌踉めき、石のように硬い床へと崩れ落ちた。

「お、とうさ……」

「あの男の息子の名を呼ぶな。聞くだけで吐き気が込み上げる」

 まるで下衆を見下ろすような目付きで、父親はクリスタを睨む。自分と似ているようでかけ離れた琥珀色の瞳の奥には、憎悪に塗れた感情がとぐろを巻いていた。

 初めて父親に殴られた驚きより、今は恐怖心が遥かに勝っている。
 父親であるはずのこの男の姿を、クリスタは知らない。一度だって目にしたことがない。

 全身を蝕む恐怖で、血液が凍ったような錯覚に溺れてしまう。

「……テオもテオだ。どんなに手を伸ばしても手に入れられないものを想いながら苦痛に苛まれて父親の元に逝けばよかったものを。まさか、一番戦況が厳しい場所へ送るように仕向けたにもかかわらず、無傷で帰ってくるとは」

「おとうさ、ま」

「あぁ、クリスタ。決してお前が憎いわけじゃないよ。寧ろお前のことを誰よりも愛している。。二度までも奪われて堪るものか」

 赤く腫れた頬を片手で覆いながら、クリスタは歯をカチカチと鳴らして醜く歪んだ父親の顔を見上げる。
 父親はそれまでの醜態がなかったように、満面の笑みへと一瞬にして表情を変え、戦慄するクリスタの身体をいとも容易く抱き上げた。

「やっ、やめてっ、どうして、おとうさま、おとうさまは、テオの父親と唯一無二の親友だって」

「……はっ、そうだな。お前にはそう伝えていたな。掛け替えのない友人だと、偽り続けた」

「えっ……?」

「私がどれだけあの男を憎んでいるかも知らないだろう。今までどれ程に苦しめられてきたか……!」

 父親の噛み締めた唇から血が滲み出し、クリスタの身体を覆う純白のレースに薄汚れた斑点をもたらしていく。
 クリスタは厭悪の情に震える父親をただ見つめることしかできない。

「お、とうさま。おとうさまが、私をテオに会わせた理由は」

「腑抜けた男の息子の面を見せるためだ」

「私と、テオを、結婚させたのは」

「後々苦痛を味あわせるためだ。奴の父親が死ぬときに感じた以上の絶望をな」

 躊躇うことなく淡々と返される言葉に、クリスタはわっと泣き出す。

 あの晩餐会で父親が決めたクリスタとテオの結婚は、決して娘のために行われたものではなかった。
 テオの気持ちに勘付いていた父親が、憎んだ男の息子である彼を苦しめるために決行したものだったなんて。

「ああ、私の可愛いクリスタ。どうか泣かないでおくれ。お前には別の男と幸せになってほしい」

「お、とうさ、ま」

「さぁ、行こう。私と一緒にバージンロードを歩いておくれ」

 クリスタの父親は泣き腫らした娘の目尻に口づけ、鉄の重く軋む扉を開く。刹那、扉の奥から暖かな風が流れ込み、太陽の眩しさに眩暈を覚えた。

 再び瞼を持ち上げたクリスタの瞳に映ったのは、柔らかな日射しの照らす森林に囲まれた大きな教会。クリスタと父親が歩く道を開けるようにして人々か立ち並び、拍手喝采で二人を出迎える。

 クリスタの表情は一気に悲観的なものへと変わった。

 まさか、自分が意識を失っている間にここまで事が進められていただなんて。

「クリスタ、おめでとう!」
「幸せになってね!」
「とても綺麗よ!」

 多くの祝福の声に包まれる中、クリスタと教会の入り口との距離が徐々に縮まっていく。父親に抱きかかえられたクリスタに逃げるすべはない。

「あっ……あ……っ」

 燕尾服を着た見知らぬ男によって両扉が開かれる。神秘的な雰囲気の漂う空気がクリスタの肌を震わせ、更なる絶望の境地へと突き落とす。
 中央に敷かれた血の滴るような真っ赤な絨毯の視線を辿った先──そこには黒の正装を纏った男が佇んでいた。前髪と影に覆い隠されているせいで、彼の顔はよく見えない。

「ほら、クリスタ。立つんだ」

「や……いや……」

「お前はいつだって私の言う通りにする素直な子のはずだ。どうか失望させないでくれ。テオには無事でいてほしいだろう?」

「っ……!」

 どうにか抵抗を見せようと父親の胸を押し退けようとしていたクリスタの手は、その一言で力を奪われる。囚われた被食者のように身を震わせ続けるクリスタを見て、父親は口元を歪ませている。
 知らない、知らない。クリスタはこんな父親なんて知らない。仕事でも多くの人々から慕われて、決して人を傷つけるような人間ではなかった。

 ──なかったはずなのに。

 父親によって床に立たされ、天から光が降りそそぐ前方の聖壇へと導かれる。頭の中も目の前も真っ白になってしまったクリスタは、操り人形のように揺らめく足で前へと進んだ。

「あっ……」

 名も顔も知らない男を前にして、クリスタの息が止まる。

 正面に立ってしまうと、男の顔がよく見えてしまう。黒い髪にすっと通った鼻筋。鷹のように獰猛に感じられるの切れ長の瞳。恐ろしく端正な顔立ちをしていた。どこかテオに似ているようにも感じられてしまう。

 この男と結婚しなければ、テオが無事ではいられない。

「あ、あっ、わ、わた、し……」

 クリスタが吃りながらも声を出そうとしたそのとき、わずかに綻んだ男の形が整った唇がゆっくりと開いた。



「──クリスタ。本当にこのままでいいのね?」




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