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最終章 あなたに愛は誓えない
18.5話 sideアメリア
しおりを挟む『はっ、エリーゼ、なぜだっ、もう何年も経ったと言うのに、まだあの男を……』
『やめてっ! もう、あの人が結婚する前に終わったことな、のっ、あぁっ、ジェラルド、ナタリーが見て……んっ……』
部屋の片隅で母親が無理やり犯される様子をぐったりとしながら霞んだ瞳で見つめる少女。助けようとしたところを男に殴られたせいで、少女は動けない。片瞼は鬱血したように腫れ上がり、左足首は本来曲がらない方向にへし折られている。
『だめ……見ちゃだめ……逃げて、ナタリー……』
はらはらと涙を流しながら、屈辱に耐えるように顔を逸らす母親。
服を剥がされ、あられもない姿で陵辱されていく母親を、ナタリーはただ見つめることしかできなかった。
❈ ❈ ❈ ❈ ❈ ❈ ❈❈❈❈❈❈❈
『なちゃ、なちゃりー』
数ヵ月前に母が自ら命を絶ち、孤児院に引き取られた少女ナタリーは、後ろからとてとてと覚束ない足取りでついてくる幼子に苛立ちを募らせていた。
あの男と同じ色の瞳をした子供。たった一人の肉親に強姦紛いのことをして、精神的苦痛を植え付けた男の子供。母の無実の訴えを容易く揉み消して、罪を免れた最低最悪な人間の子供。
忘れられるものか。望まぬ妊娠をしてしまったが故に、人々の目から逃げるように行方を眩まして、妹を産んですぐに亡くなった母の哀れな最期の姿を。
腹違いとは言え、悪魔の血が通っている人間を自分の妹だなんて思いたくない。
ナタリーはわざと大股で歩き、歩くのも儘ならない彼女を置いてきぼりにしようとした。
『あぁっ、うぁぁぁ!』
突然、鼓膜が破裂するかのような悲鳴が響き渡った。後ろを振り向くな否や視界に飛び込んだのは、地面に俯せで倒れている幼き妹の姿。ナタリーは深々と溜め息を吐き出した。
『いいいぃぃっ、なりゃりぃぃぃ!』
妹は太陽よりも眩しい瞳を歪ませて泣き叫ぶ。顔を泥だらけにして鼻水もずるずると垂らして、母親を知らないその子供は、ひたすらナタリーの名前を呼んだ。
『……うっさいな。泣けばどうにかなるとでも思ってんのかよ』
ナタリーは言葉も分からない妹に毒を吐き、足早にその場を去っていく。遠くから必死にナタリーの名を呼ぶ妹は完全に赤の他人扱い。胸の奥を疼く痛みには気が付かない振りをしようとした。
『あぁ、あぁぁぁ、なたりぃ、やぁ、やぁぁ!』
ますます大きくなる妹の叫び声。どうして、自分の名前しか呼ばないんだ。孤児院には他の子供達だっているのに。世話をしてくれている優しい修道女だっているはずなのに。
ナタリーはとうとう来た道を引き返し、わぁわぁと泣き続ける妹を両腕で抱き上げてしまった。
『うるさい。泣いたってなにも解決しないのよ』
『いうっ』
額を軽く小突かれ、妹は瞳を丸くする。また泣かれるかと思ったが、彼女はすぐに目元を崩して笑って。変な子供だ、とナタリーは心の中でまた毒づいた。
『なたりぃ』
その日もナタリーは妹に纏わり付かれていた。孤児院で他の子供達と馴染めていなかったナタリーが、母の形見である首飾りを握って泣いていたところを妹が追ってきたのだ。
『なたりぃ、だっこ』
『しないよ。あっち行け』
ナタリーは真っ赤に腫れた目元を擦って顔を背ける。
小さすぎる妹はそれでもナタリーに両腕を広げる。たった一人の家族を求める。頑として無視を決め込んでいたが、しまいにはよじよじと膝の上をのぼり始めた。
『ちょ……!』
『なたりぃ、だいちき』
ひしっと抱きつく妹。えへへ、と穢れない笑みを浮かべる彼女を前に、ナタリーはそれ以上拒むことができない。母親と同じ黄金の髪に顔を埋め、ナタリーは声を押し殺して泣いた。
時が経つに連れて、ナタリーが妹と二人で過ごす時間は目に見えて増えてきた。ご飯を食べるときも一緒。外を歩くときも二人で。寝るときも幼い妹を見守るように一緒に眠りにつく。そんな長閑な日々が続いていた。
これからもきっと、妹と一緒に生きていくのだろうと、ナタリーは心の中でささやかな願いを抱いていた。
抱いていたはずだったのに。
『──ナタリー、ごめんなさい。あなたの妹は他の家に引き取られたわ。奥様がお腹の子を亡くしたみたいで、どうしても彼女だけを引き取りたいって大きな家のご主人が……』
突然告げられた言葉に、ナタリーは妹に読み聞かせようと持っていた本を落としそうになった。暗い面持ちをしたシスターは俯き、視線を一切合わそうとしない。
まさかそんな、とナタリーは修道院を飛び出した。はっはっと息を切らしながら道ならない道を走り、懸命に周囲を見渡す。
そして、見つけてしまった。
街中に停められた一際目立つ黒光りの車に、見覚えのあるプラチナブロンドの髪の男が妹を抱えて乗り込んでいく姿を。
『行かないでっ……!』
ナタリーは咄嗟に手を伸ばすも、妹には届かず。慣れない排気ガスの匂いが鼻腔に広がり、視界を薄灰色の雲が覆う。目の前が開けたときには、妹を乗せた車は見えなくなっていた。
ナタリーは、また一人になった。
妹はあの男に奪われた。
母のみならず、あの男は妹までも拐っていった。
子供である自分がなにもできなかった不甲斐なさを嘆きながら、部屋の片隅の寝台で枕を濡らして眠る。そんな日々が続いていた。
しかし、泣いてばかりではなにも解決しない。
ナタリーは盗んだ鍵でシスターの部屋に忍び込み、書類からあの男の住み処を突き止めた。お金も食べ物も持たずに、孤児院を真夜中に脱け出した。
たった一人の家族を取り戻すために。
あの男が住む屋敷に辿り着くまで、数日が掛かった。お下がりの靴は擦り切れ、底は剥がれてしまっている。ナタリーは鳩尾の痛みに耐えながら、ふらつく足で屋敷の中を窓から覗き込んだ。
『ねぇ、これなぁに?』
『ん? これはね、知り合いさんから貰ったお花よ。とっても綺麗でしょう』
『じゃあ、これ!』
『ふふっ、それはね……』
ナタリーの鳶色の瞳に映ったのは、美しい女性に抱えられて部屋のあらゆるものを指差す妹の姿。瞳を輝かせて興味を示す彼女に、女性は嬉しそうに笑って妹の頭を撫でている。お腹の子供を亡くしたあの男の妻とは、彼女のことだったのだろうか。
『……ごめんね、ごめんなさい。せめてあなただけは守らせて。絶対に幸せにするわ』
『おかーた。どして、ないてるの?』
『なんでもないわ。さぁ、温かいベッドで一緒に眠りましょう』
女性は妹の頬に口づけ、窓から見えない場所へと向かう。隙間から聞こえたささやかな会話も途絶え、ナタリーは背伸びをやめて視線を地面へ落とした。
そしてそのまま、妹に会うことすらせずに屋敷を去った。
❈ ❈ ❈ ❈ ❈ ❈ ❈❈❈❈❈❈❈
「あの、アメリアさん」
ふと耳に流れた声に、遥か遠い記憶が霞がかったようにかき消されていく。ゆっくりと瞼を開くと、憂いに満ちた表情を浮かべるクリスタの母親の姿があった。
「……せっかくなので挨拶だけでも。クリスタの本当の晴れ舞台なので」
「結構です。別に家族でもありませんから」
アメリアは素っ気なく言い放ち、教会の扉の前で再び夫となったテオと祝福を受けるクリスタの姿をじっと見つめた。
これまでに見たことのない笑顔で涙を流す彼女に、アメリアの赤く色づいた唇から吐息がこぼれ落ちる。
今までもずっとクリスタを見守ってきた。
アメリアとなってから、クリスタの家に相応しい人間と見做されるまで、必死に努力を重ねた。いざとなればあの男からクリスタを救える力を持つまで。
けれども、それは無駄だった。
クリスタは誰よりも幸せそうだった。
血の繋がらない母親や兄姉にも深く愛されて、彼女自身も大切な人ができて。クリスタの記憶にも残っていない自分が出る幕なんて、一度もなかった。
せめてあの屑な父親から引き離してやろうと、クリスタの新しい結婚相手を探してきたが、それも余計な世話焼きだった。あんなに幸せそうなクリスタの顔は、名前を変える前も変えた後も見たことがない。
どんなに止めても戦争に行くと聞いて聞かなかったテオも、さすがに愛する人を泣かせることに懲りただろう。きっと、クリスタから離れることはないはず。
もう、アメリアがここにいる理由はない。
「ごめんなさい。これだけクリスタに渡してもらえるかしら」
「え? この首飾り……」
「昨日偶々買ってきたものです。それじゃあ」
ずっと手に握り締めていた首飾りを戸惑うクリスタの母親に手渡す。軽い会釈を向け、アメリアはその場を後にした。
もう後ろを振り返ることはしない。
誰も知らないアメリアがナタリーだった頃の記憶。彼女にとって数少ない家族としての思い出。
誰にも話すつもりはない。
この先もずっと、死ぬまで真実は心の中に隠したまま。
「……幸せになれるといいわね」
呟いた言葉は誰も気がつくことはない。花の香りを含んだ柔らかな風に黒髪が揺れ、アメリアはふと笑みをこぼした。
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