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9話
しおりを挟む宿屋の師匠の前で会った時と同じように、人を見下すような目でジロジロと見てきて。本当に嫌な感じがする男だ。
えーっと、名前何だったっけ。確か……
「クリス……!」
「ルイスだけど」
隣に立っていたビレンが飲んでいた水を吹き出し、盛大に噎せた。クリス……じゃなくて、ルイスは態とらしく溜め息を吐くと、視線を横に逸らした。
「……あそこにいるのがリーク騎士団長?」
ルイスの視線の先には、真剣な顔でパウル副団長と何やら話し合う師匠の姿があった。黒い髪から覗かせる横顔が相も変わらず格好いい。全くと言っていいほど、此方を見てくれないけど。まだ怒ってるのかな……?
唇を結んで師匠をじっと見つめていたその時、ルイスの口から嘲笑うかのような声が聞こえた。
「……なーんか、そこまで体格が良い訳でもないし、何だったら俺の方が身長高そうだし。本当に強いのか? 筋肉だって全然付いてなさそうじゃないし?」
は、と息を漏らして小馬鹿にしたように話すルイスに、思わず「はい?」と言葉を返す。
いきなり何を言うの、この男は?
師匠のこと何も知らない癖に!
確かに身長はそこまで大きくないかもしれないけど、誰よりも強いし、かっこいいし、それに──
「し、師匠は脱ぐと凄いんです!!」
──思ったよりも声が響いてしまった。
一斉に周囲が静まり、皆が此方を振り向いた。
遠くに立っていた師匠は、思い切り咳き込んでいる。
……なんか、余計なことを言ってしまったかも……?
「あー、えっと、そうだよな。訓練の時、たまに脱ぐもんな! いや、マジでリーク騎士団長の筋肉は凄い! マッチョ、マッチョ!」
ビレンはローストチキンを口に咥えたまま、身ぶり手振りを交えて必死にフォローを入れる。有り難いけど、挙動不審な動きが逆に怪しく感じる。師匠、訓練中脱がないし……。
ルイスはふぅん、と呟くと、腕を組んだまま壁に背中を預けた。静まり返った酒場内も賑わいを取り戻し、何とか誤魔化せたかな──と安堵の溜め息が溢れる。師匠が此方を睨んでいる気がするけど、気のせいということにしておこう。
「おい、此方に来い。ヘンテコ耳女」
「にっ!?」
腕を突然ルイスに引き寄せられ、無理矢理肩を抱かれるような状態に。
ま、また顔が近い……! 部屋の前の時と言い、この男の距離感もおかしい!
「おら。俺は歓迎される側だぞ。水注げ」
「な、何で私が!」
「あ? 何だその口調は」
頬を片手でぐっと鷲掴みにされる。
やめて! 師匠と同じことを師匠が触った後にやらないで!
「ひゃひぇひぇ! ひぇひぁふぇふぅ!」
「何言ってるか分かんねーよ」
それはあんたが私の頬っぺた掴んでるからでしょうが! 本当にいちいち腹立つヤツ!
顔を横に振ってルイスの手を無理矢理ほどき、舌を出して睨み付けたその時だった。
「ナーシャ! 会いたかったぁ~!」
「ひゃうっ!」
背後から突然手が伸びたと思いきや、そのまま胸を躊躇い無く鷲掴みに。口から溢れてしまった妙な叫び声に羞恥を覚えつつ後ろを振り返ると、酒場の従業員と同じ格好をした友人の姿があった。
「の、ノア!?」
そこにいたのは、栗色の髪を二つに縛った可愛らしい少女──私の親友、ノアだった。そして言わずもがな、彼女はビレンの想い人である。
不意打ちのノアの出現に、ビレンの顔が見る間に赤く染まっていく。
「の……ののの、ノアちゃん! 何でこくぉにっ」
噛んでる。ビレン噛んでるよ。普段なら、誰とでも難なくコミュニケーションを取れる彼だけど、好きな人を目の前にしてしまうとこうも変わってしまう。前に言ったら「ナーシャには言われたくねぇ」って言われたけど、彼は本当に分かりやすい人間だなと思う。
「今日はね、出稼ぎの日なの。それにここに来ればナーシャに会えると思ってぇ」
ノアは愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべると、私の腕にぎゅっと抱き付いた。彼女のはだけた胸元から覗かせる谷間──ビレンの口からゴクリと唾を呑む音が聞こえた。そんな彼に気付く様子一つ見せず、ノアは私にグッと顔を近付ける。
「……んん? ナーシャ、何かいつもと雰囲気が違う……?」
「え? そ、そうかな?」
「うん。なーんか大人っぽくなったような……あっ」
ノアは私の首筋に視線を落とすと、次第に表情を険しいものへと変えていった。
「……アザ、ついてる。首に」
「っ!」
一オクターブ低い声でノアに指摘され、咄嗟に首筋を隠す。
そう言えば師匠に抱かれている時に首を吸われたような……!
「ねぇねぇねぇ、それ何? 誰につけられたの? 誰が私の可愛いナーシャの純潔を」
「の、ヌォアちゃん。ちょっと落ち着いて……」
「っせぇ! 野郎は黙ってろ!」
普段の愛らしい表情から一変、ノアは中指を突き立ててビレンを睨み上げる。ノアの変貌ぶりに狼狽えるビレンと、それに構わず怒り狂うノア。
マズい。何だか収拾がつかなくなってきた。
「……何なの、コイツら」
背後に立っていたルイスが呆れたような視線を向けながら、大きな溜め息を吐く。
先程の件と言い、恐らくルイスの中でこの騎士団のイメージは確実に良くない方向へと傾いている。私自身はどう思われてもいいけど、このままだと師匠に迷惑が掛かっちゃう。何かフォローを入れなきゃ……!
「る、ルイス、あの……きゃっ!」
「っうお!?」
ルイスの肩に触れようとした瞬間、足が盛大に滑った。ビレンが噴き出した時の水が床を濡らしていたせいか──と思った時には後ろ向きに倒れ掛かり、無意識に腕を掴んでしまったルイスも道連れに──
「──っあ」
ルイスの顔が、目の前にある。
寧ろ近すぎて、顔全体が確認できないくらい。
鼻翼が掠り、互いの吐息が混じり、見開かれた彼の瞳が視線の直ぐ先に。
そして次の瞬間、唇をぐにゃりと柔らかな感触が潰した。
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