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10話
しおりを挟む唇を覆う、柔らかく湿った感触。
繋がった口内から微かに混じる互いの吐息。
視界に映るルイスの琥珀色の瞳。
今、まさに唇が潰れそうな勢いでルイスの唇と押し付け合っているような状態。近過ぎる距離でルイスと見つめ合ったまま数秒の時が流れ、自分達がキスをしていることをやっと脳が理解した。
ルイスは私が床に転げ落ちないように咄嗟に手を差し伸べてくれたのか、私の腰をしっかりと抱きかかえて。
私は頭をぶつけないようにと、無意識にルイスの背中に腕を回していて。
傍から見れば、抱き合ってキスしているようにしか──
「おーい! そこ何ちゅーしてんだァ!」
「イチャイチャする場所じゃねーぞ、ここは!」
「ヤるなら外でヤれ! ぐわははは!」
耳に飛び込んだ仲間の野次に、一気に全身の血の気が引く。直ぐ様ルイスから唇を離し、逃げるように後退りした。
「っ、ご、ごめんなさ」
「あ、いや……」
……どうしてこうなった。掠ったとかそういうレベルではない。唇をしっかりとくっ付けてしまった。ガッツリちゅーしてしまった。
ど、どうしよう。師匠以外とキスしちゃった。師匠としか、好きな人としかキスしたこと無かったのに。これからも師匠としかしないんだろうなって思っていたのに。
……あれ? 目の前が何だかボヤけて──
「っ、うっ」
頬を伝ったのが涙だと分かった瞬間、感情が滝のように溢れ始めた。
「な、ナーシャ! 大丈夫!?」
私が泣き始めたことに気が付いたノアが咄嗟に私の肩を抱き、目の前のルイスを睨み上げた。
「ちょっとォ! あんた、私の可愛いナーシャに何してんのよ! 少しイケメンだからって調子に乗らないで!」
「は、はぁ? そいつが転けたのが悪いんだろ! 責めるなら俺じゃなくてその女……」
二人の会話が右から左へと流れていく。
どうしよう。キスしちゃった。師匠以外とキスしちゃった。師匠に見られた? どうしよう。どうしよう。師匠に見られていたら、嫌われちゃう。また避けられちゃう。一生口を聞いて貰えなくなっちゃう。
「ナーシャ」
うっ、気のせいかな。師匠の幻聴まで聞こえてくる。
「ナーシャ、顔を上げろ」
「っ!」
はっきりと耳に落とされた声に、身体が大きく揺れる。どうしよう、これは紛れもなく師匠の声だ。顔を上げることが出来ない。目なんて合わせられない。見られてたんだ、さっきの出来事を全部……!
「ナーシャ……」
「っ、ご、ごめんなさい!」
腕を掴まれそうになったところを振り払い、逃げるように酒場を飛び出した。後ろから師匠の声が聞こえた気がしたけれど、気に止める余裕なんて無い。
走って走って走り続けて。
気が付けば、町の外れにある川辺に辿り着いていた。
「っ、んぅっ」
川の水を片手で掬い、自分の唇に擦り付けるように濯ぐ。唇の皮が剥けてしまう程に、掌で強く拭って。
瞳から溢れ落ちる涙と川の水に混じった泥の匂いが鼻腔に広がり、同時に吐き気が込み上げた。
駄目だ。どんなにどんなに拭っても消えない。唇の感触が消し去れない。あのキスは無かったことにはならないんだ。
「っ……」
頬を伝った涙が川へと落ち、水面を揺らす。
師匠にもあんな態度を取ってしまった。どうしよう、怒ってるかもしれない。もっと嫌われたかもしれない。どうしよう、どうしよう。
「ししょう……嫌いにならないで……」
「そんなことでは嫌いにならない」
「っ!?」
真後ろから聞こえた声。足を踏み外しそうになりながら後ろを振り返ると、いつの間にかそこには師匠が──
師匠は瞳を細めると、私の頭に優しく手を置いた。
「ししょ……」
「さっきのは事故だろう。気にしていないから帰るぞ」
……やっぱり、見てたんだ。あのキス、見られてたんだ。
「じ、事故でも、キスした事実には変わりないです……っ」
喉から絞り出すように溢れた小さな声。私の腕を掴もうとした師匠の手がピタリと止まる。
「ナーシャ……」
「わ、わたし、師匠が初めてだったのに、師匠としかキスしたことなかったのに、他の人としちゃったんです」
段々と声が震えていく。目の前の師匠の顔がボヤけていく。こんなこと言っても仕方がないのに、苦しさと悲しさがごちゃごちゃになったような感情が脳を犯して。涙が次々と溢れ出してしまう。
「泣くな、ナーシャ」
師匠が、指先で涙をそっと拭い上げる。嗚咽を必死に抑えながら顔を上げると、師匠の顔が近付き──軽く触れ合わせるだけの口付けが落とされた。
不意打ちのキスに淡い吐息が溢れたのも束の間、再び唇が重ねられ、身体が跳ねるように痙攣する。
「ん、はっ……んんっ」
「……ナーシャ」
段々と口付けは深さを増していき、吐息が乱れていく。師匠の肩に手を添えながら必死に応えていると、唾液の糸を繋いで唇がゆっくりと離された。
月の光が落とされた藍色の瞳で見つめられ、身体の奥が震え上がる。
「……これで帳消しにはならないか?」
「っ、む、無理です……っ」
「強情だな。犬に舐められたとでも思っておけばいいだろう」
「い、犬でもダメです。キスしていいのは師匠だけなんです」
師匠は困ったように溜め息を吐くと、私の頬を指先で軽く擦った。そして再び近付く師匠の顔。息を呑み込み、師匠の動きに合わせるように睫毛を伏せたその時だった。
「……へえ。やっぱりそういう関係だったんですね」
「っ!」
砂利を踏む音と共に聞こえた声。視線を師匠の後ろへと向けると、片手を腰に当てて佇むルイスの姿が見えた。
「ルイス、なんでここに……!」
「別に。何となく」
ルイスは鼻で嗤うように息を漏らすと、にじり寄るように此方に近付いた。
「そんなヒトでも獣人でもない下賎の女と関係を持つなんて、騎士団長の立場としても家柄的にも問題があるんじゃないんですか? ねぇ、リーク騎士団長」
口の端を大きく上げて、ルイスは不気味に笑う。途端に不安が込み上げ、師匠の服裾をぎゅっと握り締めた。
「ししょう……」
か細い声を出す私を宥めるように、師匠は私の頭を優しく撫でる。大きくて、温かくて、いつも私を安心させてくれる師匠の手。心に渦巻いた不安が少しずつ拭われていく。
「ナーシャ。少し待っていろ」
「え……?」
師匠は私の額に唇を落とすと、身体をルイスに向けた。険しい面持ちでルイスを睨み、血管が浮き出る程に拳を強く握り締める師匠。
まさか──と思ったその時には、師匠はルイスの胸ぐらを掴み上げていた。
「ルイス。歯を食い縛れ、息を止めろ」
「なっ」
師匠の鬼のような剣幕にルイスは顔を青白くさせ、目を見開く。
もしかして、ルイスのことを殴る気……!?
騎士団長がいきなり新人に暴力を振るったとなれば、問題が……!
「師匠、ダメ! 暴力は……っ」
止めようとした時には既に遅く。師匠は何かを律するように息を深く吐き出すと、髪を毟るようにルイスの後頭部を掴んだ。そして次の刹那──
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