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09-二人は悩む
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緑の二月の十二日、ボタリクと合流してから四十四日目になる。
フィロの衣裳は大きさに余裕があったが、それも少しになってしまい、これ以上太ってしまう事を懸念し始めて食事制限を始める事にしていた。その為、朝食を前に肉をボタリクの皿へ移す。
「おいおい、食べられるようになったのにどうして食べないんだ? 調子が悪いのか?」
心配そうにフィロの顔を見る。顔色は悪くない。ふと上げた瞳はまだ茶色だった。それに見慣れて来たボタリクは眉を寄せて怖い表情を作る。
「食べないと駄目だろ?」
そう言われても微笑む。
「兄さんが足りないだろうと思って。沢山食べてね?」
「俺はもう一皿あるから、リタが食べないと駄目だろ? 本当に調子が悪いのか?」
今度は心配そうにしている。視線を下げて暫く沈黙すると、また上目遣いになる。
「あのね、衣裳の余裕がなくなって来たの……」
「……どういう意味だ?」
フィロは小さく溜息を吐いた。
「衣裳が大きかったでしょ? それがそんなに大きくなくなって来たの……」
「ああ、肉付きが良くなったのか。めでたい事じゃないか。もっと食べないと」
満面の笑みを湛えると、フィロが移した肉を戻し始めた。それを見てボタリクの手を止めようと左手で押した。
「駄目っ、これ以上は駄目よ」
「駄目じゃない。もっと食べないといけないだろ?」
皿を自分の方に引き寄せて首を横に振る。そして顔を突き出した。
「同じだけ食べ続けたら、どんどん太るのよ? 駄目よ。衣裳がきつくなってしまうわ」
小声で言うと、ボタリクも顔を突き出した。
「休憩中に荷馬車の周りを走り回るとか、村に着いたら散歩するとか、動くようにすればいいんだよ」
同様に小声で言った。目の前にある茶色の瞳を見詰め、フィロは眉を寄せる。
「きっとそれでも足りないわよ」
そう言うと姿勢を戻した。
「女の子は少しくらい丸い方がいいぞ」
ボタリクはまた小声で言ってから姿勢を戻した。
「ん? 何て言ったの?」
「リタはリタだから、どんなリタでも可愛いと言ったんだよ。それじゃあ、この魚を半分食べるか?」
「それを食べるくらいなら、兄さんの果物を食べる事にする」
「それだけじゃあ駄目だな」
ボタリクは自分の皿をフィロの皿に近付け、果物を移したついでに肉も少し移した。
「俺を安心させる為だと思って五切れは食べてくれよ、な?」
「……分かったわ」
不満そうに口をへの字にしていたが、ボタリクには可愛く思えて仕方がなかった。フィロは何だかんだと間食してくれ一安心していた。
荷馬車の移動にも慣れたが、日差しが段々と強くなって来て、二人は帽子を被っていた。
そして、フィロの肉付きが良くなったとは言え、それは以前と比べての話で未だに細い部類に入るフィロを、更に肉付きの良い体型にしたいボタリクは悩んでいた。
(季節の変わり目ならまた衣服を新調して、一回り大きい物にしてしまえばいいんだよな。でも今は出来ない……。困った……)
フィロは風を正面から受け、目を細めていた。
(残すと勿体無いのに、兄さんが食べてくれないとなると……、困ったわ……。太っちゃう)
二人はそれぞれ悩んでいたが内容が正反対だった。お互いに一瞥をしているが、視線が合う事はなかった。
(うーん、それにしても、女の子を太らせるってどうやればいいんだ? あれ以上太りたくないと言ってるしなぁ……。本当に困った……)
ボタリクが険しい表情をしていると、フィロが一瞥をして見てしまう。
(私が我儘を言っているから困っているのかしら? ……けれど、これ以上は太りたくないもの。仕方がないわよね。これ以上太ったら、本当に衣裳が着られなくなってしまうわ)
いつもはフィロが一人で話し、ボタリクが楽しそうに相槌を打つのだが、今日はそれがなかった。
二人は無言のまま、宿泊予定のウィックシ村に到着する。
「今日も収穫はなかったなぁ……」
車借から宿屋へ移動する道中、疲労気味のボタリクに、フィロが申し訳なさそうな表情になった。
「私の為に、ごめんなさい」
「あ、いや、弱音を吐いてこっちこそごめん。ダヴァガ王国との隣接しているのはニウネンジュだけじゃないし、ニウネンジュにはいない気がして来たよ。それでも念の為に全ての町村を回っておこう」
「そうね、ありがとう。でも兄さんが次の国へ行きたいなら、私はそれに賛成するわ。兄さんのしたいようにしてね?」
「そうか。それじゃあ俺はもっとリタに食べて欲しいと思うから、食べてくれるか?」
足を止めてフィロを見ると、フィロも足を止めてボタリクの方へ顔を向けた。
「だって、衣裳が入らなくなるのよ? 私が困るのよ」
ボタリクはゆっくり歩きながらフィロに並んで立ち止まると、小さく溜息を吐いた。そしてフィロを一瞥して表情が険しくなる。
「言いたくなかったけど、その衣服は子供用だぞ? 正確には大きな子供の衣服だから、フィロはもう一回り大きい物を着られるようにならないと」
「えっ、……子供用だったの? 本当に?」
目を丸くしてボタリクを見た。
「嘘でしょう?」
「本当だよ。フィロが着替えている時に、妹さんは小柄だから子供用ですけどこれでいいと思います、って店員が言って勧めて来たな」
衝撃を受けたフィロは、顔を強張らせて正面を向いた。
「一箇月くらい前まで食べていなかったけど、食べるようになって体が成長して来ると俺は思うんだよ。だから裳の丈も短くなって来るし、もしかしたら足だって大きくなって来るかも知れない。だから衣服や靴の買い替えは気にしないで受け入れて欲しいんだよ」
フィロはまたボタリクに顔を向ける。
「金はリタの金を使うけどな」
そう言ってフィロを見て悪戯っぽく笑うと、フィロは可笑しくなって「ふふ」と笑った。
「だからきちんと食べてくれないか?」
そう言うと歩き出した。フィロは遅れないように隣を歩く。
「リタは今年で十五だよな?」
「そうね。十五になるわ」
「まだまだ成長出来る可能性はあるから、その目を自分で摘まないでくれ。頼む」
その声色で切実に頼んでいる事が分かる。フィロは小さく溜息を吐いた。
「分かったわ。その代わり、次の大きな村か町で、今度こそ大人用の衣裳を買ってくれる?」
ボタリクはフィロに顔を向けた。フィロは笑顔で正面を見ていた。
「おう、買うぞ! リタの金だけどな」
そう言って、安心したのか嬉しそうに笑っている様子を見てフィロは「ふふ」と笑う。先程まで悩んでいた事が晴れて、ボタリクは心底から安堵した。
三日後、通り掛かったマシワレスタ町が大きく、そこでフィロの衣裳を買う事にした。二人は車借に荷馬車と不要な荷物を預け、先に昼食を済ませてから衣服屋へ向かった。
ここで買うと言い出したフィロの足取りを見たボタリクは、楽しみにしている事が分かった。
「雑貨屋があるから、先に寄ってもいいか?」
「そうね。入りましょう」
そう言ってフィロが先に店へ入って行ったが、ボタリクが先に店内を見て回り始めた。フィロは思わず口角が上がり、声が出そうになったが我慢して、後ろに付いて行く。ボタリクが手に取って色々と見ている様子を、フィロが見ている。時折ボタリクがそんなフィロに視線を移す。
「これはどうだ?」
そう言って意見を求めるが、フィロは笑顔になって「兄さんの好きなように」と答えるだけだったが、ふと思い出した。
「そうだわ、そろそろ歯磨き粉を買わないといけなかったわね。忘れていたわ」
「じゃあそれを買おうか。そう言えば軟膏もなくなるんだった。買っておこう」
「そういった類の物はどこにあるのかしら?」
「店内を見て回って、見付けたら籠に入れればいいよ」
「分かったわ。あったらそうするわね」
笑顔で頷くと、ボタリクはまた商品に視線を戻した。最初の頃は魔導具が物珍しくて、見るだけでも楽しかったフィロは髪と瞳の色を変える魔導具を買い漁っていて、それだけで満足してしまった。今ではボタリクがフィロとは反対に楽しそうに見るようになっていて、最初の頃と立場が逆転していた。目新しい物はなく、髪と瞳の色を変える魔導具を買い足して雑貨屋を後にした。
衣服屋は少し離れた場所にあり、やはりフィロが先に入る。扉を支えていたボタリクは後から入り、大人しく後ろを付いて行く。すると、すかさず店員が寄って来て笑顔を見せた。
「何をお求めでしょうか?」
中年の女性でやや膨よかだった。
「今年十五になるのですが、私にあった衣裳を見繕っていただけませんか?」
店員はフィロを上から下まで舐め回すように見ると頷いた。
「子供用から大人用にしたいという事ですね?」
「そうです!」
フィロの表情が明るくなると、店員もまた笑顔になる。
「お嬢さんなら大きく感じるでしょうが、腰帯を結んで腰の部分を締めれば大丈夫でしょう。首周りは少し詰まった物にしましょうね」
「はい」
「こちらになりますので、お好きな色を何着かお選びください。その後で試着しましょう」
「はい」
手で示された方へ行くと、そのに列に掛かっている衣裳を一着ずつ見始めた。後ろに控えているボタリクは退屈で、店内を見回していた。店員がそれを見て声を掛ける。
「お兄さんはお選びにならないんですか?」
顔を向けると苦笑する。
「今日は妹の付き添いです」
フィロはそう言ったボタリクを一瞥する。
「兄さんも買えば? そろそろ暑くなって来るから、薄手の物も必要になるでしょう?」
白と山吹色の衣裳を手にして、自分の体に当てていた。
「俺はまだいいよ。その色、似合うぞ」
「それではそれを試着しましょう。まだ他にも見てくださいね。候補は沢山あっても、着替えるのが大変なだけですから沢山選びましょうね」
笑顔で手を差し出している店員にそれを渡した。またボタリクを一瞥すると、ボタリクは満面の笑みを湛えていた。フィロも笑顔で次の衣裳を探した。
腰帯を三本と、最初に選んだ山吹色の他に四着を選び、既に山吹色の衣裳を着ていた。フィロが持っていた服は着ていた服も合わせてその場で売り、差額を払って店を出た。
衣裳が膝丈から脛を半分より長めで、くるぶしの少し上の長さになっていて違和感があったようだが、それでも満足そうにしていて笑顔が絶えなかった。そんなフィロを見て、ボタリクも笑顔になっていたが、それもすぐに曇る。
「あのウワサになってたシワカの奥さん、亡くなったんだってな。癒し手はどうするつもりなんだろ?」
「は? 何だよ、その言い方。癒し手が原因で死ぬなんて事があるのかよ?」
「そうだよな。死んだにしたって、治し切れなかっただけの話だよな」
「そうに決まってるだろ。癒し手が治し切れなかったからって、癒し手に責任を取らせようとウワサを流しているヤツがいるんだろ? ハッキリ言ってアホとしか言いようがないよな。お前もそんなウワサを聞いたからって、いちいち人に言うなよ」
「そ、そうだよな。すまん……」
男性三人の会話が聞こえて来て、フィロから笑顔が消えていた。ボタリクは元々無表情だったが、それでも足早にその場を去った。
荷馬車に揺られて次の村へ向かっている道中、フィロは眉をひそめていたが、ボタリクはそれを時折横目で見るだけで何も言わなかった。
「兄さん……」
「駄目だ」
話を聞く前に即答した。フィロはボタリクに顔を向ける。
「話を聞く前にそれは酷いんじゃないの?」
「シワカの奥さんの事だろ? 聞かなくても分かる」
「それじゃあ様子を見に……」
「駄目だ。あんなの、リタをおびき寄せる罠なだけだぞ」
「でも……」
ボタリクは食い下がるフィロを横目で一瞥する。
「近くまで行けば俺が色を変えて見に行くよ。その間、リタは宿屋で大人しく待つんだぞ?」
フィロに顔を向けると視線が合った。
「それでいいな?」
「一緒に行きたい。噂はずっとあったから、私自身が確認をしたいの」
「それじゃあ駄目だ。行かない」
そう言うと正面を向いた。フィロは頬を膨らませ、ボタリクを睨んだ。
「それより今の内に色を変えておこう。今度は何色にする?」
手綱を引いて馬を止めた。
「知らないっ」
顔を背けると、ボタリクが困惑する。
「そうむくれないでくれよ。相手の罠に嵌りに行くようなもんなんだぞ? 俺はフィロを守って死んでもいいけど、そうなるとその後は守れなくなるからな?」
「その言い方、ずるいわ」
フィロは眉をひそめ、ボタリクは小さく溜息を吐いて暫く思案した。
「それじゃあ、フィロを守り切れなくて俺が死んだらごめんな、とでも言えばいいか?」
「同じ事を言ってるじゃないの。それに、その時は私が治すもの」
「俺がやられた後はフィロが捕まった上に連れ去られて、俺を治す暇なんてないと思うけどな」
フィロは膝に突っ伏すと、帽子がずれた。
「それは嫌……。でも様子は見に行きたい……」
声を震わせているフィロの肩に手を置いた。
「ナインダッモ村付近に行くまで時間があるから、その時に行きたい気持ちが残っていれば、その時に話し合おう」
そして優しく肩を叩くと御者台から直接荷台へ行った。
「さて、何色にする?」
上体を起こして膝に肘を突き、顔を横に向けた。ボタリクは荷物を漁って魔導具の入った袋を探していた。
「……髪は緑、瞳は黄色にする」
「分かった。それじゃあ髪だけ変えるんだな。俺は髪を赤にして目を黄色にしよう」
「私の瞳は全く黄色くないから魔導具を使うわ」
「そうだったか? 黄色っぽかった気がするけど」
巾着二袋を片手にフィロの側へ来ると、一袋に手を突っ込んで握れるだけ握って手を出して広げる。フィロは体を横に向け、更にねじってその中から色を選んだ。
「光の加減でそう見えただけよ。これは瞳の方よね?」
「そうだ」
「それじゃあ兄さんの分も取っておくわね」
「ありがとう」
二個手にして、左手に嵌めていた指輪を取って巾着の中に入れた。ボタリクも指輪を先に戻してから同様に外して入れ、もう片方の巾着を開けて、先程と同様にした。
「私は緑で、兄さんは赤ね……」
そう呟きながら選び、もう一個の指輪も外して巾着に入れた。そして選んだ指輪を嵌めると、元に戻っていた色がまた変わる。
「はい、兄さん」
「ありがとう」
差し出されたボタリクの手に置くと、ボタリクも指輪を嵌めて髪の色が赤く、瞳が黄色くなった。それを見てフィロが「ふふふ」と笑った。
「赤髪は初めてだから違和感があるわね。兄さんはやはり黒が、あ、……やっぱり黒がいいわね」
「そうか? その内に慣れて来るだろう。リタは緑の髪がとても似合うよ。若葉のような緑かと思っていたら、結構濃いな」
横髪を手にして、視界に入るように持ち上げた。
「そうね。今日買った衣裳と色が合うかしら?」
「俺に訊くなよ? 分からないからな」
そう言って巾着を荷物に入れに行った。すぐに御者台へ戻って馬を歩かせる。ボタリクも特に話す事はなく、今は説得する気もなくて無言だったが、フィロもずっと無言で静かな道中となったが、夕食時も食後も静かだった。
(どうするか考えているんだろうなぁ。行きたい気持ちが負けるような気するけど、これは俺の願望が入っているからな。意地の悪い言い方をしたけど、あれで諦めて……くれないか)
そうは思いつつもあれ以上の雑音は入れずに見守った。
四日後、最近は山や小高い丘があり、村が離れていて移動に時間が掛かっていた。
「尻は痛くないか?」
「うん、お尻に調度品を敷いているから大丈夫。でもそろそろ休憩を取ってもらえると嬉しいわ。少し歩いて体を動かしたいの」
「分かった」
頷くとすぐに馬を止めた。
「はぁーっ、疲れたぁ」
声を漏らしながら背伸びをして御者台を降りて行く。
「遠くへ行き過ぎるなよ?」
「心配なら付いて来ればいいじゃない!」
振り返りもせずに声を張り上げて言いながら遠ざかって行く。ボタリクは苦笑した。フィロが一人になる時間が必要だと思い、この四日間は一人で行かせていた。
ボタリクも御者台から降りて柔軟体操を始める。すると、フィロが走って戻って来た。その向こうには荷馬車が見え、それが通り過ぎるまでフィロはボタリクの側にいたが、また一人で歩きに行く。ボタリクは柔軟体操を続けていたが、フィロが行った後は笑顔になっていた。
更に二日後、相変わらずフィロの両親の情報が皆無で手掛かりすらも掴めずにいたが、フィロは何事もなかったかのように饒舌に戻った。この様子を見て、ボタリクはまた悩み始めた。
この日はナシャリオ村という小さな村で宿泊する。宿屋は一軒しかないが、そこは三十室もあるにも拘らずほぼ満室だった。その所為で部屋が選べず、寝台が四台もある部屋になってしまった。
「小さな村なのにこんなに埋まってるなんて……。気になるから調べて来る。きちんと鍵を掛けろよ? 扉を叩く時はいつもと同じを二度やるから」
「分かったわ」
ボタリクが出た直後にいつも通りに施錠をして、四人掛けの机があり、その椅子に腰を掛け、頬杖を突いてボタリクを待った。
割と早い時間に戻って来て、扉を開けると懐かしい顔があった。
「お久し振りです。コン……」
「コロコンさんだよ」
助けを出したボタリクを一瞥する。
「ああ、そう! コロコンさん」
フィロが笑顔でいるが、コロコンは目を見開いている。
「フィロ・ゾーグモックです。その節はお世話になりました」
深くお辞儀をする。姿勢を戻すと、コロコンも笑顔になっていた。
「あんなに痩せ細っていたのにお変わりになられましたね。トヴィデもすぐに分からなかったけどな」
フィロからボタリクに視線を移す。
「この赤毛のお陰ですね」
「まさか髪が赤になっているとは思わないからな」
「そうでしょう」
フィロは二人の会話を聞いて、ふと疑問に思った。
「コロコンさんは兄さんの先輩なんですか?」
「兄さん?」
怪訝そうにボタリクに視線を向けた。
「兄妹の振りをして旅をしているんです。今はリタ・トヴィデなんですよ」
「成程」
笑顔で頷くと、フィロに視線を戻す。
「俺の方が十歳上だからね」
フィロはその言葉に目を見開いて口を手で覆った。
「しっ、信じられない……」
「あはは、見た目は若いのです。それで良く舐められるし、喧嘩を売られますよ」
笑いながら言ったが、フィロは唖然としていた。コロコンは視線をボタリクに移す。
「聖騎士隊を辞めたんだよ。それで、二人を追って来たんだけど…」
「追って?」
フィロが眉をひそめる。コロコンは真顔になると左手を胸に当てて足を揃え、小さく辞儀をする。
「フィロ様にどうしても治してもらいたい患者がいまして、どうか私共の部屋へお越し下さいませんか」
その態度に少々面食らったが、直ぐに真顔になる。
「行きます。……その言葉遣いと態度を兄さん相手と同じようにしていただけるのなら」
思わずフィロを見ると、悪戯っぽく笑っていた。
「ありがとう」
「酷いの?」
「左のふくらはぎを焼かれていて動かなくて、杖を突いてるから一応は歩けるんだけどね」
「それでは早速行きましょう。見てみない事には治せるかどうかが分からないもの」
フィロはコロコンとボタリクに挟まれて部屋を移動した。
コロコンの部屋に入ると寝台が一台しかなく、そこには茜色の髪の人物が横になっている。掛け布団が掛かっていて、フィロには性別が分からなかった。コロコンが寝台脇へ行き、顔を覗き込むと眠っているようだった。
「ルティマ、起きて。ルティマ、ルティマ」
肩を揺すりながら声を掛けて起こす。ルティマがゆっくりと瞳を開けた。
「……眠っていたわ。ごめんなさい」
コロコンの顔以外に誰かの衣服が映り、眉をひそめる。コロコンが姿勢を戻した。
「ボタリク・トヴィデと、フィロ・ゾーグモック。探し人を見付けたよ」
フィロは挨拶をしようと寝台脇に移動した。ルティマは慌てて上体を起こそうとした。
「あら、こんな格好でごめんなさい」
しかし、体に力が入らずに起き上がれなかったが、一瞬、ほんの一瞬だけルティマの紺碧の瞳がフィロの瞳を見た時、フィロは得も言われぬ感情に襲われて総毛立ち、思わず手を組んで力強く握った。
「ごめんなさい。体に力が入らなくて……」
「そのままで構いません。少し待ちましょう」
そう笑顔で言ったが、手の力は抜けなかった。
フィロの衣裳は大きさに余裕があったが、それも少しになってしまい、これ以上太ってしまう事を懸念し始めて食事制限を始める事にしていた。その為、朝食を前に肉をボタリクの皿へ移す。
「おいおい、食べられるようになったのにどうして食べないんだ? 調子が悪いのか?」
心配そうにフィロの顔を見る。顔色は悪くない。ふと上げた瞳はまだ茶色だった。それに見慣れて来たボタリクは眉を寄せて怖い表情を作る。
「食べないと駄目だろ?」
そう言われても微笑む。
「兄さんが足りないだろうと思って。沢山食べてね?」
「俺はもう一皿あるから、リタが食べないと駄目だろ? 本当に調子が悪いのか?」
今度は心配そうにしている。視線を下げて暫く沈黙すると、また上目遣いになる。
「あのね、衣裳の余裕がなくなって来たの……」
「……どういう意味だ?」
フィロは小さく溜息を吐いた。
「衣裳が大きかったでしょ? それがそんなに大きくなくなって来たの……」
「ああ、肉付きが良くなったのか。めでたい事じゃないか。もっと食べないと」
満面の笑みを湛えると、フィロが移した肉を戻し始めた。それを見てボタリクの手を止めようと左手で押した。
「駄目っ、これ以上は駄目よ」
「駄目じゃない。もっと食べないといけないだろ?」
皿を自分の方に引き寄せて首を横に振る。そして顔を突き出した。
「同じだけ食べ続けたら、どんどん太るのよ? 駄目よ。衣裳がきつくなってしまうわ」
小声で言うと、ボタリクも顔を突き出した。
「休憩中に荷馬車の周りを走り回るとか、村に着いたら散歩するとか、動くようにすればいいんだよ」
同様に小声で言った。目の前にある茶色の瞳を見詰め、フィロは眉を寄せる。
「きっとそれでも足りないわよ」
そう言うと姿勢を戻した。
「女の子は少しくらい丸い方がいいぞ」
ボタリクはまた小声で言ってから姿勢を戻した。
「ん? 何て言ったの?」
「リタはリタだから、どんなリタでも可愛いと言ったんだよ。それじゃあ、この魚を半分食べるか?」
「それを食べるくらいなら、兄さんの果物を食べる事にする」
「それだけじゃあ駄目だな」
ボタリクは自分の皿をフィロの皿に近付け、果物を移したついでに肉も少し移した。
「俺を安心させる為だと思って五切れは食べてくれよ、な?」
「……分かったわ」
不満そうに口をへの字にしていたが、ボタリクには可愛く思えて仕方がなかった。フィロは何だかんだと間食してくれ一安心していた。
荷馬車の移動にも慣れたが、日差しが段々と強くなって来て、二人は帽子を被っていた。
そして、フィロの肉付きが良くなったとは言え、それは以前と比べての話で未だに細い部類に入るフィロを、更に肉付きの良い体型にしたいボタリクは悩んでいた。
(季節の変わり目ならまた衣服を新調して、一回り大きい物にしてしまえばいいんだよな。でも今は出来ない……。困った……)
フィロは風を正面から受け、目を細めていた。
(残すと勿体無いのに、兄さんが食べてくれないとなると……、困ったわ……。太っちゃう)
二人はそれぞれ悩んでいたが内容が正反対だった。お互いに一瞥をしているが、視線が合う事はなかった。
(うーん、それにしても、女の子を太らせるってどうやればいいんだ? あれ以上太りたくないと言ってるしなぁ……。本当に困った……)
ボタリクが険しい表情をしていると、フィロが一瞥をして見てしまう。
(私が我儘を言っているから困っているのかしら? ……けれど、これ以上は太りたくないもの。仕方がないわよね。これ以上太ったら、本当に衣裳が着られなくなってしまうわ)
いつもはフィロが一人で話し、ボタリクが楽しそうに相槌を打つのだが、今日はそれがなかった。
二人は無言のまま、宿泊予定のウィックシ村に到着する。
「今日も収穫はなかったなぁ……」
車借から宿屋へ移動する道中、疲労気味のボタリクに、フィロが申し訳なさそうな表情になった。
「私の為に、ごめんなさい」
「あ、いや、弱音を吐いてこっちこそごめん。ダヴァガ王国との隣接しているのはニウネンジュだけじゃないし、ニウネンジュにはいない気がして来たよ。それでも念の為に全ての町村を回っておこう」
「そうね、ありがとう。でも兄さんが次の国へ行きたいなら、私はそれに賛成するわ。兄さんのしたいようにしてね?」
「そうか。それじゃあ俺はもっとリタに食べて欲しいと思うから、食べてくれるか?」
足を止めてフィロを見ると、フィロも足を止めてボタリクの方へ顔を向けた。
「だって、衣裳が入らなくなるのよ? 私が困るのよ」
ボタリクはゆっくり歩きながらフィロに並んで立ち止まると、小さく溜息を吐いた。そしてフィロを一瞥して表情が険しくなる。
「言いたくなかったけど、その衣服は子供用だぞ? 正確には大きな子供の衣服だから、フィロはもう一回り大きい物を着られるようにならないと」
「えっ、……子供用だったの? 本当に?」
目を丸くしてボタリクを見た。
「嘘でしょう?」
「本当だよ。フィロが着替えている時に、妹さんは小柄だから子供用ですけどこれでいいと思います、って店員が言って勧めて来たな」
衝撃を受けたフィロは、顔を強張らせて正面を向いた。
「一箇月くらい前まで食べていなかったけど、食べるようになって体が成長して来ると俺は思うんだよ。だから裳の丈も短くなって来るし、もしかしたら足だって大きくなって来るかも知れない。だから衣服や靴の買い替えは気にしないで受け入れて欲しいんだよ」
フィロはまたボタリクに顔を向ける。
「金はリタの金を使うけどな」
そう言ってフィロを見て悪戯っぽく笑うと、フィロは可笑しくなって「ふふ」と笑った。
「だからきちんと食べてくれないか?」
そう言うと歩き出した。フィロは遅れないように隣を歩く。
「リタは今年で十五だよな?」
「そうね。十五になるわ」
「まだまだ成長出来る可能性はあるから、その目を自分で摘まないでくれ。頼む」
その声色で切実に頼んでいる事が分かる。フィロは小さく溜息を吐いた。
「分かったわ。その代わり、次の大きな村か町で、今度こそ大人用の衣裳を買ってくれる?」
ボタリクはフィロに顔を向けた。フィロは笑顔で正面を見ていた。
「おう、買うぞ! リタの金だけどな」
そう言って、安心したのか嬉しそうに笑っている様子を見てフィロは「ふふ」と笑う。先程まで悩んでいた事が晴れて、ボタリクは心底から安堵した。
三日後、通り掛かったマシワレスタ町が大きく、そこでフィロの衣裳を買う事にした。二人は車借に荷馬車と不要な荷物を預け、先に昼食を済ませてから衣服屋へ向かった。
ここで買うと言い出したフィロの足取りを見たボタリクは、楽しみにしている事が分かった。
「雑貨屋があるから、先に寄ってもいいか?」
「そうね。入りましょう」
そう言ってフィロが先に店へ入って行ったが、ボタリクが先に店内を見て回り始めた。フィロは思わず口角が上がり、声が出そうになったが我慢して、後ろに付いて行く。ボタリクが手に取って色々と見ている様子を、フィロが見ている。時折ボタリクがそんなフィロに視線を移す。
「これはどうだ?」
そう言って意見を求めるが、フィロは笑顔になって「兄さんの好きなように」と答えるだけだったが、ふと思い出した。
「そうだわ、そろそろ歯磨き粉を買わないといけなかったわね。忘れていたわ」
「じゃあそれを買おうか。そう言えば軟膏もなくなるんだった。買っておこう」
「そういった類の物はどこにあるのかしら?」
「店内を見て回って、見付けたら籠に入れればいいよ」
「分かったわ。あったらそうするわね」
笑顔で頷くと、ボタリクはまた商品に視線を戻した。最初の頃は魔導具が物珍しくて、見るだけでも楽しかったフィロは髪と瞳の色を変える魔導具を買い漁っていて、それだけで満足してしまった。今ではボタリクがフィロとは反対に楽しそうに見るようになっていて、最初の頃と立場が逆転していた。目新しい物はなく、髪と瞳の色を変える魔導具を買い足して雑貨屋を後にした。
衣服屋は少し離れた場所にあり、やはりフィロが先に入る。扉を支えていたボタリクは後から入り、大人しく後ろを付いて行く。すると、すかさず店員が寄って来て笑顔を見せた。
「何をお求めでしょうか?」
中年の女性でやや膨よかだった。
「今年十五になるのですが、私にあった衣裳を見繕っていただけませんか?」
店員はフィロを上から下まで舐め回すように見ると頷いた。
「子供用から大人用にしたいという事ですね?」
「そうです!」
フィロの表情が明るくなると、店員もまた笑顔になる。
「お嬢さんなら大きく感じるでしょうが、腰帯を結んで腰の部分を締めれば大丈夫でしょう。首周りは少し詰まった物にしましょうね」
「はい」
「こちらになりますので、お好きな色を何着かお選びください。その後で試着しましょう」
「はい」
手で示された方へ行くと、そのに列に掛かっている衣裳を一着ずつ見始めた。後ろに控えているボタリクは退屈で、店内を見回していた。店員がそれを見て声を掛ける。
「お兄さんはお選びにならないんですか?」
顔を向けると苦笑する。
「今日は妹の付き添いです」
フィロはそう言ったボタリクを一瞥する。
「兄さんも買えば? そろそろ暑くなって来るから、薄手の物も必要になるでしょう?」
白と山吹色の衣裳を手にして、自分の体に当てていた。
「俺はまだいいよ。その色、似合うぞ」
「それではそれを試着しましょう。まだ他にも見てくださいね。候補は沢山あっても、着替えるのが大変なだけですから沢山選びましょうね」
笑顔で手を差し出している店員にそれを渡した。またボタリクを一瞥すると、ボタリクは満面の笑みを湛えていた。フィロも笑顔で次の衣裳を探した。
腰帯を三本と、最初に選んだ山吹色の他に四着を選び、既に山吹色の衣裳を着ていた。フィロが持っていた服は着ていた服も合わせてその場で売り、差額を払って店を出た。
衣裳が膝丈から脛を半分より長めで、くるぶしの少し上の長さになっていて違和感があったようだが、それでも満足そうにしていて笑顔が絶えなかった。そんなフィロを見て、ボタリクも笑顔になっていたが、それもすぐに曇る。
「あのウワサになってたシワカの奥さん、亡くなったんだってな。癒し手はどうするつもりなんだろ?」
「は? 何だよ、その言い方。癒し手が原因で死ぬなんて事があるのかよ?」
「そうだよな。死んだにしたって、治し切れなかっただけの話だよな」
「そうに決まってるだろ。癒し手が治し切れなかったからって、癒し手に責任を取らせようとウワサを流しているヤツがいるんだろ? ハッキリ言ってアホとしか言いようがないよな。お前もそんなウワサを聞いたからって、いちいち人に言うなよ」
「そ、そうだよな。すまん……」
男性三人の会話が聞こえて来て、フィロから笑顔が消えていた。ボタリクは元々無表情だったが、それでも足早にその場を去った。
荷馬車に揺られて次の村へ向かっている道中、フィロは眉をひそめていたが、ボタリクはそれを時折横目で見るだけで何も言わなかった。
「兄さん……」
「駄目だ」
話を聞く前に即答した。フィロはボタリクに顔を向ける。
「話を聞く前にそれは酷いんじゃないの?」
「シワカの奥さんの事だろ? 聞かなくても分かる」
「それじゃあ様子を見に……」
「駄目だ。あんなの、リタをおびき寄せる罠なだけだぞ」
「でも……」
ボタリクは食い下がるフィロを横目で一瞥する。
「近くまで行けば俺が色を変えて見に行くよ。その間、リタは宿屋で大人しく待つんだぞ?」
フィロに顔を向けると視線が合った。
「それでいいな?」
「一緒に行きたい。噂はずっとあったから、私自身が確認をしたいの」
「それじゃあ駄目だ。行かない」
そう言うと正面を向いた。フィロは頬を膨らませ、ボタリクを睨んだ。
「それより今の内に色を変えておこう。今度は何色にする?」
手綱を引いて馬を止めた。
「知らないっ」
顔を背けると、ボタリクが困惑する。
「そうむくれないでくれよ。相手の罠に嵌りに行くようなもんなんだぞ? 俺はフィロを守って死んでもいいけど、そうなるとその後は守れなくなるからな?」
「その言い方、ずるいわ」
フィロは眉をひそめ、ボタリクは小さく溜息を吐いて暫く思案した。
「それじゃあ、フィロを守り切れなくて俺が死んだらごめんな、とでも言えばいいか?」
「同じ事を言ってるじゃないの。それに、その時は私が治すもの」
「俺がやられた後はフィロが捕まった上に連れ去られて、俺を治す暇なんてないと思うけどな」
フィロは膝に突っ伏すと、帽子がずれた。
「それは嫌……。でも様子は見に行きたい……」
声を震わせているフィロの肩に手を置いた。
「ナインダッモ村付近に行くまで時間があるから、その時に行きたい気持ちが残っていれば、その時に話し合おう」
そして優しく肩を叩くと御者台から直接荷台へ行った。
「さて、何色にする?」
上体を起こして膝に肘を突き、顔を横に向けた。ボタリクは荷物を漁って魔導具の入った袋を探していた。
「……髪は緑、瞳は黄色にする」
「分かった。それじゃあ髪だけ変えるんだな。俺は髪を赤にして目を黄色にしよう」
「私の瞳は全く黄色くないから魔導具を使うわ」
「そうだったか? 黄色っぽかった気がするけど」
巾着二袋を片手にフィロの側へ来ると、一袋に手を突っ込んで握れるだけ握って手を出して広げる。フィロは体を横に向け、更にねじってその中から色を選んだ。
「光の加減でそう見えただけよ。これは瞳の方よね?」
「そうだ」
「それじゃあ兄さんの分も取っておくわね」
「ありがとう」
二個手にして、左手に嵌めていた指輪を取って巾着の中に入れた。ボタリクも指輪を先に戻してから同様に外して入れ、もう片方の巾着を開けて、先程と同様にした。
「私は緑で、兄さんは赤ね……」
そう呟きながら選び、もう一個の指輪も外して巾着に入れた。そして選んだ指輪を嵌めると、元に戻っていた色がまた変わる。
「はい、兄さん」
「ありがとう」
差し出されたボタリクの手に置くと、ボタリクも指輪を嵌めて髪の色が赤く、瞳が黄色くなった。それを見てフィロが「ふふふ」と笑った。
「赤髪は初めてだから違和感があるわね。兄さんはやはり黒が、あ、……やっぱり黒がいいわね」
「そうか? その内に慣れて来るだろう。リタは緑の髪がとても似合うよ。若葉のような緑かと思っていたら、結構濃いな」
横髪を手にして、視界に入るように持ち上げた。
「そうね。今日買った衣裳と色が合うかしら?」
「俺に訊くなよ? 分からないからな」
そう言って巾着を荷物に入れに行った。すぐに御者台へ戻って馬を歩かせる。ボタリクも特に話す事はなく、今は説得する気もなくて無言だったが、フィロもずっと無言で静かな道中となったが、夕食時も食後も静かだった。
(どうするか考えているんだろうなぁ。行きたい気持ちが負けるような気するけど、これは俺の願望が入っているからな。意地の悪い言い方をしたけど、あれで諦めて……くれないか)
そうは思いつつもあれ以上の雑音は入れずに見守った。
四日後、最近は山や小高い丘があり、村が離れていて移動に時間が掛かっていた。
「尻は痛くないか?」
「うん、お尻に調度品を敷いているから大丈夫。でもそろそろ休憩を取ってもらえると嬉しいわ。少し歩いて体を動かしたいの」
「分かった」
頷くとすぐに馬を止めた。
「はぁーっ、疲れたぁ」
声を漏らしながら背伸びをして御者台を降りて行く。
「遠くへ行き過ぎるなよ?」
「心配なら付いて来ればいいじゃない!」
振り返りもせずに声を張り上げて言いながら遠ざかって行く。ボタリクは苦笑した。フィロが一人になる時間が必要だと思い、この四日間は一人で行かせていた。
ボタリクも御者台から降りて柔軟体操を始める。すると、フィロが走って戻って来た。その向こうには荷馬車が見え、それが通り過ぎるまでフィロはボタリクの側にいたが、また一人で歩きに行く。ボタリクは柔軟体操を続けていたが、フィロが行った後は笑顔になっていた。
更に二日後、相変わらずフィロの両親の情報が皆無で手掛かりすらも掴めずにいたが、フィロは何事もなかったかのように饒舌に戻った。この様子を見て、ボタリクはまた悩み始めた。
この日はナシャリオ村という小さな村で宿泊する。宿屋は一軒しかないが、そこは三十室もあるにも拘らずほぼ満室だった。その所為で部屋が選べず、寝台が四台もある部屋になってしまった。
「小さな村なのにこんなに埋まってるなんて……。気になるから調べて来る。きちんと鍵を掛けろよ? 扉を叩く時はいつもと同じを二度やるから」
「分かったわ」
ボタリクが出た直後にいつも通りに施錠をして、四人掛けの机があり、その椅子に腰を掛け、頬杖を突いてボタリクを待った。
割と早い時間に戻って来て、扉を開けると懐かしい顔があった。
「お久し振りです。コン……」
「コロコンさんだよ」
助けを出したボタリクを一瞥する。
「ああ、そう! コロコンさん」
フィロが笑顔でいるが、コロコンは目を見開いている。
「フィロ・ゾーグモックです。その節はお世話になりました」
深くお辞儀をする。姿勢を戻すと、コロコンも笑顔になっていた。
「あんなに痩せ細っていたのにお変わりになられましたね。トヴィデもすぐに分からなかったけどな」
フィロからボタリクに視線を移す。
「この赤毛のお陰ですね」
「まさか髪が赤になっているとは思わないからな」
「そうでしょう」
フィロは二人の会話を聞いて、ふと疑問に思った。
「コロコンさんは兄さんの先輩なんですか?」
「兄さん?」
怪訝そうにボタリクに視線を向けた。
「兄妹の振りをして旅をしているんです。今はリタ・トヴィデなんですよ」
「成程」
笑顔で頷くと、フィロに視線を戻す。
「俺の方が十歳上だからね」
フィロはその言葉に目を見開いて口を手で覆った。
「しっ、信じられない……」
「あはは、見た目は若いのです。それで良く舐められるし、喧嘩を売られますよ」
笑いながら言ったが、フィロは唖然としていた。コロコンは視線をボタリクに移す。
「聖騎士隊を辞めたんだよ。それで、二人を追って来たんだけど…」
「追って?」
フィロが眉をひそめる。コロコンは真顔になると左手を胸に当てて足を揃え、小さく辞儀をする。
「フィロ様にどうしても治してもらいたい患者がいまして、どうか私共の部屋へお越し下さいませんか」
その態度に少々面食らったが、直ぐに真顔になる。
「行きます。……その言葉遣いと態度を兄さん相手と同じようにしていただけるのなら」
思わずフィロを見ると、悪戯っぽく笑っていた。
「ありがとう」
「酷いの?」
「左のふくらはぎを焼かれていて動かなくて、杖を突いてるから一応は歩けるんだけどね」
「それでは早速行きましょう。見てみない事には治せるかどうかが分からないもの」
フィロはコロコンとボタリクに挟まれて部屋を移動した。
コロコンの部屋に入ると寝台が一台しかなく、そこには茜色の髪の人物が横になっている。掛け布団が掛かっていて、フィロには性別が分からなかった。コロコンが寝台脇へ行き、顔を覗き込むと眠っているようだった。
「ルティマ、起きて。ルティマ、ルティマ」
肩を揺すりながら声を掛けて起こす。ルティマがゆっくりと瞳を開けた。
「……眠っていたわ。ごめんなさい」
コロコンの顔以外に誰かの衣服が映り、眉をひそめる。コロコンが姿勢を戻した。
「ボタリク・トヴィデと、フィロ・ゾーグモック。探し人を見付けたよ」
フィロは挨拶をしようと寝台脇に移動した。ルティマは慌てて上体を起こそうとした。
「あら、こんな格好でごめんなさい」
しかし、体に力が入らずに起き上がれなかったが、一瞬、ほんの一瞬だけルティマの紺碧の瞳がフィロの瞳を見た時、フィロは得も言われぬ感情に襲われて総毛立ち、思わず手を組んで力強く握った。
「ごめんなさい。体に力が入らなくて……」
「そのままで構いません。少し待ちましょう」
そう笑顔で言ったが、手の力は抜けなかった。
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