精霊の港 外伝「兵長の憂うつ」

風見鶏ーKazamidoriー

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兵長の憂鬱

俺はその感情の名を知らない

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 自宅へ帰った翌朝、呼び出されて執務室しつむしつを訪れた。

 父の命令であたらしい管轄官かんかつかんのもとへ向かう。広場へ整列した巡回兵たちの脇をぬけ、紋章のかかげげられた門へ入った。

 片づいたばかりの屋敷は贅沢ぜいたく調度品ちょうどひんが飾られ、ディオクレス邸で顔をあわせた貴族達もあいさつにおとずれてる。人々と会話していた彼は俺のところまで歩いてきて握手をかわした。笑みがこぼれて黄金色の瞳がゆらめいた。



 ここへ来た目的は護衛ごえい補佐ほさ、ラルフの指名だったときく。彼の後方で威圧感をにじませる壮年そうねん値踏ねぶみするようににらんだ。おそらく帝国からついてきた護衛だろう。

「ラルフ様、このような者にまかせるなど私は反対です! 」

「スピッキオ、彼はバルディリウスのお墨付すみつきだよ。君には遠征へむかう兄上の役に立ってほしいと思ってる。その強さは戦場で勇敢ゆうかん発揮はっきされるべきだ」

 不満そうな顔をしていた壮年の男はしぶしぶ納得した様子でうなずく、男が手で合図すると後方にいた数人の護衛も引きげた。鎧をまとう仰々ぎょうぎょうしい者たちがいなくなり部屋には俺と召使いが残った。

「ハァ……、兄上に監視かんしされてるみたいで肩がる」

 監視から解放されたラルフは腕を伸ばして首をもんだ。眉をあげて大きく息をつき、こちらへ視線を合わせる。

「さてヴァトレーネの件は聞いていると思うが、君の……ツァルニの意見はどうだ? 」

「正直わかりません。なぜ俺なのですか? 」

「きのう話した農業の改革、ヴァトレーネはその試験場になる。帝国にまってなくて私の考えを理解できる者がいい」

 帝国の農作物の主流は平野へいやで作られる小麦とブドウやオリーブだ。属州ぞくしゅうは帝国で消費する食料をひたすら作って輸出していた。ラルフは山岳にめんしたヴァトレーネの土壌どじょうかし、ブドウ品種の改良や輸入した果樹類かじゅるい栽培さいばいから加工までおこない、港町へおろすと同時にあたらしい販売方法なども模索もさくしている。

 ラルフが求めたのはただの護衛ではなかった。ともに働き考えを共有する相棒あいぼう、兵士や貴族という枠組わくぐみをこえたもの。そして戦争によって領土を拡大し続けてきた帝国の変化だった。

「聞こえはいいけど覚悟かくごはいる。時間はかかるだろうし、私と行動することはツァルニもおなじ防波堤ぼうはていに立たなければならない。引き受けるかどうかじっくり考え……とは言っても来週までには答えを出してくれ」

 俺くらいの年だと自分の身のまわりのことで精一杯せいいっぱいだ。2才ほどしか離れていないラルフが壮大な構想こうそうを持っていて感嘆かんたんした。

 行く手をふさいでいた壁へヒビが入り太陽の光がす。ただの兵士なら断っただろう申し出を引き受けた。



 その日から俺はラルフの補佐をするようになった。表向きは護衛という立場で彼の計画を進める手伝いをする。俺がヴァトレーネへ赴任するにあたり、栄進を喜ぶ者もいれば左遷させんだとおとしめる者もいた。

 俺をめぐって決闘がおこなわれたのはのちに知る。そのうちのひとつが現在おこなわれようとしていた。

「ヴァトレーネが小さい町とは言え、いくさの経験もない若者に兵長をまかせるなど納得できません! 」

 港町で訓練の視察中、異議をとなえたのはマルクス隊長だった。帝国では改革がおこなわれ軍のりかたも変化した。けれども武功をおもんじる帝国兵はいまでも数多く存在する。

 ラルフはかすかに笑みをうかべ、立てかけてあった大盾をマルクスへ放り投げた。

「ツァルニを選んだのは私だ。異議があるなら帝国兵らしい方法で決めようじゃないか? もちろんこっちでな」

 ラルフが手にしたのは銀色の真剣だった。一本気いっぽんぎな性格のマルクスが手加減てかげんするはずがない、ハラハラして止めようとしたけど対峙たいじした2人は歩みをすすめる。

 大盾と剣をかまえた2人が睨みあう。

 雄叫おたけびをあげたマルクスの鉄槌てっついのごとき一撃をラルフは剣で弾いた。つぎにすべてをつぶす大盾が迫ったが大盾をぶつけて防いだ。押しあう力は拮抗きっこうして、堅牢けんろうなマルクスの攻撃が少しずつ相手をけずる。刃は肩をかすり血がとび散った。
体勢をかえたラルフは盾をスライドさせて地面に接していたマルクスの大盾を蹴った。足元のバランスを崩され、前のめりになった巨漢へ剣がとどく。

 兵士たちが息をのむ。

 つらぬいたように見えた剣は止められ、首の皮1枚が切れただけだった。巨漢のこめかみを汗がつたい、突きつけられた剣をすりぬけて地面へ落ちる。ラルフが剣を引けばマルクスは両ひざをついた。

 闘技場で戦車クァドリガぎょし、帝国の太陽と称されるのは伊達だてではなかった。天賦てんぶの才とカリスマ性、誰もが中心に立つ太陽を見つめていた。――――俺もふくめて。

 あこがれと羨望せんぼうが混ざって心臓がねた。俺はその感情の名を知らない。


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