精霊の港 外伝「兵長の憂うつ」

兵長の憂鬱

Prayer for loves

　ドアがノックされ水門を破壊する準備は整ととのったと報告があった。倉庫の賊ぞくたちが引きあげようとした矢先やさき、入り口でうめき声があがる。庫内はいっきに騒然そうぜんとなり賊どもは次々と倒されていく、扉からなだれ込む甲冑かっちゅうの軍団は見なれた部下たちだった。

「ツァルニッッ！！　」

　俺を人質にしようとした賊の手が切り落とされた。手首をおさえて転げまわる男を後目しりめに拘束こうそくを解とかれる。俺のすがたを確認したシヴィルが殺気さっきを放はなち、庫内の暗くらがりへ陰かげった目は血走ちばしった。

　見てはいけないものを見てしまい、ゾッと鳥肌がたつ。

　シヴィルが床へ放った剣の柄つかをにぎり、俺はその手を反射的はんしゃてきにおさえた。

「殺すなっ、シヴィル！　」
「なぜ！？　」

　兵士としては非合理ひごうりな話だが、シヴィルが感情のまま刃を下くだすのを看過かんかできない。くすぶった憎悪ぞうおの瞳がこちらへ向けられる。脈打つたび酷ひどく痛んでいた頭は冴さえて、怒りにふるえる彼の手をにぎりしめた。

「……こいつは首謀者しゅぼうしゃの１人、殺せば裏にいる奴らは引きずり出せない。イリアス、奥の男が指示者だ。生かして捕とらえろ」

　掠かすれた声をしぼりだし、隊を指揮していたイリアスへ命令オーダーを下した。情けないことに限界がきてシヴィルの腕のなかで意識を失った。

　俺を呼ぶ声がうるさいほど耳へのこる。





　すっかり眠ってしまい、静まりかえった部屋で目を覚ました。頭痛はマシになったけど殴られた痛みと熱っぽさはある。身じろいだ俺に気づき、もたれ寝ていたシヴィルも目をひらく。

　起きあがろうとしたら引き戻され、しぼった布を額ひたいへのせられた。

「無理しちゃダメだって、熱でてるから休みなよ」

　あれから何時間も経過して真夜中まよなかだった。水門事件はイリアスが指揮をとり、殺気さっき立っていたシヴィルは調査をおろされた。落馬らくばした新兵の状態を聞きひとまず安心する。

　真上からシヴィルがのぞき込む、下むきに陰かげった表情は見えなかった。俺の頬ほおをなでた指は口元をたどり唇がかさなる。やさしいキスだった。１度きりで離れて灰色の瞳がこちらを見る。

「ごめんね。こんな僕でも許してくれるから調子にのった。無茶むちゃさせたせいで危険な目に……ツァルニのこと”守る”なんておこがましく思ってたけど全然ぜんぜん守れてないや……」

　後悔をふくんだ独白どくはく、俺はこの嘆なげきをきいたことある気がする。いつだったか寒くてとても冷たい、意識は今みたいに取りとめなくふわふわした感覚。誰かが会いたいと遠くで叫んでる夢、だけどそれはただの夢。

　シヴィルがはなれて手のぬくもりは消える。いなくなってしまいそうで不安になり名を呼んだ。立ち止まった彼は背中を向けたまま静かにたたずむ。

　水門のできごとは精神的せいしんてきに追いうちをかけた。才能はないと気づいていた。それゆえ強くあろうとした足元も薄氷はくひょうのようにもろく儚はかなくて落胆らくたんする。俺は万能ばんのうでも強くもない、失ってから気づくのはいやだ。

　伸ばした腕の力がぬけて堕ちていく、そばへ戻ってきたシヴィルはひざまづき俺の手を受けとめた。

　それは祈いのりをささげる姿のようでもあった。

　しばらく俺の手を両手で包み、キスをしてから顔を上げた。深淵しんえんへ灰の積つもる瞳は俺の知っている青年よりはるかに大人びていた。目が離せなくなり見つめていると彼はいつもの笑顔にもどった。



「へへへ、あったかい」
「……あまりくっ付くと追い出すからな」
「ここ絨毯じゅうたんないから床はヤダよぉ」

　自分の部屋へかえる選択肢せんたくしはなかったのだろうか、ちゃっかりブランケットを持ってきたシヴィルに懇願こんがんされてしかたなく毛布をめくる。ここは兵舎の医務室、衝立ついたての向こうには新兵も寝てる。

とはいえ人肌は温かい。戦火に燃える町を後にした追憶ついおく、敵将との戦いのさなか崖は崩落ほうらくして川へおちた。負傷して冷えた体をあたためた体温はおぼろげだった意識でも覚えている。

「好きだよ、ラルフじゃなくて僕を見て」

　しのび寄ったシヴィルに唇を奪うばわれた。成熟せいじゅくした表情なのに少年みたいにまっすぐ思いをぶつけてくる。俺が答えるまえに唇はふたたび重なり、すきまから侵入した舌は歯列をなぞる。否いなむことも出来ず、からみつく舌に冒涜ぼうとくされる。

　静寂せいじゃくの闇夜で灰の瞳は月あかりのように輝いた。





　朝っぱらから俺は危機ききに瀕ひんしていた。

　早朝シヴィルをベッドから追いだす予定だったのに、寝すごして医務室へ来たヒギエアに目撃された。おまけにイリアスまで病室をおとずれる。不自然ふしぜんな形状の毛布をめくられ、丸まったシヴィルがうなる。

「うぅ～さむい～」

「医務室に出入りして色んな場面に遭遇そうぐうするけど、こんなに堂々どうどうとしてる人は初めて見た」

「兵長、とうとうシヴィルに手を……」

　医務室は混沌こんとんとしている。やましいことは何もしていない、寒い床で寝ようとする部下を温かいベッドで寝かせただけ、強しいて言うならキッスくらいはした。

キスなど親愛しんあい表現ひょうげんのひとつにすぎない、うろたえる理由にはならないはず。俺が思案に明けくれてるうち、シヴィルが「ツァルニのためなら尻を差しだせる」と寝言をつぶやくものだから空気はますます凍こおりつく。

　終しまいには少々暴力的ぼうりょくてきにシヴィルを起こし食堂へ追い出した。



「ヒギエア、先に兵長と話していいか？　」

「イリアスちゃんの頼たのみなら仕方ないわ。でもなるべく早めにすませてね」

　シヴィルの背中を見送ったイリアスが口をひらき、薬師のヒギエアは衝立の向こう側へ移動した。木のイスを引きずってベッド脇へ座ったイリアスは声をおとして報告する。

　水門事件の容疑者を尋問じんもんした。襲撃しゅうげきした賊ぞくは元帝国兵、素行そこうの悪さで首になったものの金で汚い仕事を請うけ負おっていた。

　そして指示役の男。

「キケロだな？　」

　倉庫でみた瞳は見覚えがあった。３人組の後ろでいつもばつが悪そうに目を逸そらしていた人物。

　目を丸くしたイリアスは肩をすくめた。前任者が送還そうかんされ甘い汁を吸えなくなった貴族たちは戦後の混乱に乗じてラルフを陥おとしいれ、返り咲くつもりだったのだろう。

　前任者の横領を摘発てきはつしたのは俺の父、一部の貴族から目のかたきにされる理由だ。キケロの裏にはおなじ派閥はばつのプラフスとメティス家がいる。３家の力関係からよごれ役を押しつけられたようだが同情の余地よちもない。
キケロは港町へ連れ帰って揺ゆさぶりをかける。貴族の立件はむずかしいが彼を餌えさにすれば、なにかしらのアクションを起こすかもしれない。

「あとは生き残った賊だが……」

「俺のほうで適当にやっときますよ。そういうのは慣れてましてね」

「……そうか、ではイリアスに任せる」

　貴族の力を利用してうぬぼれても真っ先に切り落とされる。悪事をくりかえす賊の末路まつろなど知りたくもない。