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8.墓参
しおりを挟む「稔さん、おはよう」
まずはお墓の前で手を合わせる。
さっそく千勢はお墓の掃除に取り掛かった。持ってきた雑巾で墓石を丁寧に拭き、柄杓で手桶の水を汲んで打ち水をする。
水鉢の水も入れ替える。昨日持ってきた白いトルコキキョウの献花はまだ生き生きとしている。
最後にそっと、今朝作ったおにぎりをお供えする。
「はい、完了!」
置いていた線香の束から1本取り、火をつける。白い煙が風に流されていく。
線香の本数は、厳密には宗派や地域によって異なるという。束で火をつけることもあるだろう。
しかし千勢はいつも1本ずつ火をつけ、消えそうになるとまた1本火をつける。
仏教では人間は死後に匂いを食べるという。つまり線香は故人の食事になる。また、香りによって場所を浄化し、人の心を清める作用もある。
さらに千勢は線香をあげることで、故人に思いを伝えることができると信じている。
そうして千勢は稔に話しかける。
「無事に引っ越し済んだよ。天気が良かったからすぐに片付いた。まぁ、あんまり荷物なかったからね」
(お疲れさま。近くなってよかったね)
「うん。昨日は少ししかいられなかったけど、今日からは朝から夕方まで居られるからね」
(一緒にいられて嬉しいよ)
「仏壇に、家の前に咲いていたツツジ飾ったけど、見えた? キレイでしょ」
(キレイキレイ。明るくなっていいな)
すべて千勢の独り言。それに対して稔がいたら何というか想像する。
「そういえば昨日は結婚記念日だったけど、結局何もしなかったんだよね。一人で祝ってもね……。引っ越しそばもカップ麺で手抜きしちゃった」
(ごめんね、ちーちゃん。誕生日もお祝いしてあげられなかったな)
「ううん。しょうがないよ。あ、そうだ。結婚して1年目の記念日の時、サプライズがかぶったことあったよね。私がイチゴのケーキを作って待ってたら」
(俺もイチゴのケーキを買って帰ってきてね)
「2人で甘すぎるーって言いながら食べたね」
(もうしばらくはケーキ見たくないって言ってな)
「ふふっ。楽しかったな」
1本目の線香が残り少なくなり、2本目に火をつける。
「それでね、昨日、仔猫を拾ったんだよ。富士見の丘って所でね。初めは飼う気なかったんだけど、付いてきちゃって」
(なんだか人懐っこい猫だな)
「そうなの。まだちっちゃくって足取りもおぼつかなくて。それでも頑張って歩いてきたから、家で牛乳をあげてね」
(牛乳飲んだんだ。よかったな)
「だけど、飼えないからさ。元の場所に戻しに行ったら、男の子がいてね。なんかなりゆきで飼うことになっちゃって……」
(えー? ちーちゃん、猫飼うの?)
「ううん。まだ迷ってて。たぶん最後まで面倒見られないからね。稔さん、どうしたらいい?」
(でも、かわいいって思ってるんでしょ?)
「ふふふ。そうなの。本当にかわいい。片手で持てるくらい小さくて、毛もふわふわで。目がね、クリクリしてて見つめられちゃうと、もうね!」
(ちーちゃんがそういうなら、かわいいんだろうなぁ)
「ミャーじゃなくて、ミィーって鳴くの。まだ上手く鳴けないのかな。その男の子がね、みーちゃんって呼んでて。牛乳をいっぱい飲んだからミルクのみーちゃんって名付けたんだよ」
(みーちゃん、いい名前だね)
「どうもありがとう。そのまんまだけどね。でもみーちゃんって呼ぶとちゃんと返事するんだよ。すごいでしょ?」
(おぉー、かしこい子だね)
「うん。でも、本当どうしようかな」
(飼いたいんでしょ?)
「なんか、お見通しね。うーん、試しに少しの間飼ってみて、ダメなら里親を探すとか、しようかな。ちょっと無責任かな?」
(できるだけ、がんばってみなよ)
「うん、そうしようかな」
そう言って、何本目かの線香に火をつける。
千勢はその時、墓前で話すのが「稔との過去」ではなく、初めて「稔のいない未来」について話していることに気づいていなかった。
お昼どきになり、千勢は手を合わせてお供えのおにぎりを頂いた。
初めの頃はおまんじゅうやりんごなど稔の好きな物を持ってきていた。ある時、和尚に「シカやタヌキが狙っているのでくれぐれも注意してください」と言われ、それならと昼食を兼ねるようになった。
「やっぱり具がないと物足りないね」
ボトルのお茶を飲みながら話しかける。
「稔さんは鮭が好きだったよね」
(ちーちゃんはツナだよね)
幾度となく頭の中で会話を繰り返しながら、最後の線香が燃え尽きる。
煙がふわっと空気に紛れて、消えた。その行く先に目をやる。
「お墓の前で泣かないでください」とどこからかメロディーが聞こえる。
「稔さんは、どこにいるの?」
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