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「第六章 全国・温泉巡り編 2018年5月13日~7月3日」

「情けは人の為ならず」

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「情けは人の為ならず」
 男は夏子とまりあの前で正座し、最初に土下座した。
「私は角田和男つのだ・かずおです。調理師でした。先ほどは妻の命を救ってくださりありがとうございました…。ただ、もう生きていくことはできない状況ですので…。」
 調理師だったと名乗る角田は夏子とまりあの前で泣きだした。しばらく、そのまま泣かせて落ち着くのを待った。男の様子が少し落ち着いたので夏子がゆっくりと尋ねた。男の口から思いもよらぬ過去が語られた。
 標準語を話す角田は東京の割烹の調理人だった。かつて勤めていた料亭の先輩調理師が店を出す際の連帯保証人になっていたのだが、先輩が傷病で長期にわたり店を閉め、債務支払い不能の状況になり、角田にその請求が回ってきたという事だった。債権額は大きく、妻と営んでいた東京の割烹料理屋の権利を抑えられ、とても一括払いができない債務が残った。
 取引のあった金融機関に融資を申し込んだ。最初は何とか融資で穴埋めできる流れだったのだが、担保となるべき自宅兼店舗が差し押さえられていることを金融機関が知るや否や、手のひらを返して「稟議が通りませんでした。」の一言で融資は白紙に戻された。
 ありとあらゆる手を考えたが、角田の知識では債務を消せる方法は何も見つからなかった。家族一家心中を考えたのだが、死ぬ前に約20年前の男鹿での命の恩人に一言礼を言うつもりでこの場を訪れたという事だった。

 角田の話に嘘や誇張は感じられなかった。そして思いもよらぬエピソードが語られた。
「私、20年ほど前に北浦港の釣り船で海に転落して命を助けられたんですよ。それで、その時のお礼をしに男鹿に来たんですけど、その人がやってた食堂も閉鎖されてて、漁協に聞くと14年前に60歳で亡くなられたと聞き、この場を死に場所に決めたんです。」
「えっ、その話ってもう少し詳しく聞かせてもらえますか?」
夏子が前のめりになった。
「私がお会いしたかったのは「菅野食堂」っていう定食屋と釣り船をやっておられた「菅野正」さんって方です。きれいな奥さんと可愛い女の子のいる方で、その方がおられなかったら私はここの海で死んでましたし、妻とも子供とも会うことはできなかったんです。最後は心中という締まらない人生でしたが、10年の幸せを与えていただいたので…。一言お礼を言いたかったんです…。」
 夏子の目から涙が溢れた。とめどもなくあふれる涙に角田はオロオロとして何も言えなくなった中、一言だけ呟いた「あなたは…?」

 「わ、私以外にも「とっちゃ」や「かっちゃ」を思い出してくれる人がいだんだべ…。」
夏子は「菅野正」の娘であることを角田に話した。角田は夏子の手を取り、再び頭を深々と下げた。
「奇跡だ。二度に渡りあなたたち家族に命を救われるなんて…。でも…。」
言葉に詰まる角田に「角田さん、債務っていくらなの?」と夏子が尋ねると「550万円あります。支払期日が月末ですのでもうどうしようもないんです。」と角田は答えた。「うーん、私の預金は250万ほど…、これはどうしようもないか…。」と呟いた瞬間ひらめいた。

 夏子がまりあを見ると同時にまりあも悟った。
「あんた、死ぬつもりだったのなら「マグロ漁船」に乗って見ない?私たちが乗ってた船が調理師を募集してるのよ。11か月程、奥さんと子供さんとは別れ別れになるけど、死ぬよりましでしょ。」
まりあが角田に言うと何を言ってるのか理解できないようで、目を白黒させている。夏子が、自分たち二人は2週間ほど前まで調理補助者と看護師として静岡の清水港にある奥村水産の遠洋はえ縄マグロ漁船に乗っていたことを説明し、今も調理師を募集していれば、550万の前借りが可能かどうか確認しようと思うけどどうかと尋ねると、「詳しく話を聞いてみたい」と角田は返答した。
 まりあが坂井に電話を入れると手短に状況を説明した。「ふーん、まりあちゃんとなっちゃんが戻ってきてくれるのかと思ったけど、まあ仕方ないね。調理師免許持ってる人なら550万の前払いは可能だよ。ちなみに今どこにいるの?」と話す坂井に男鹿に居ることを伝えると、「明日中に連れていくから!」と電話を切った。
 夏子は角田に豊栄丸での生活について説明した。角田は真剣に聞き、いくつか質問をした。船員25名の食事に加えて、マグロの解体もできることがわかった。話をしているとドアをノックする音が聞こえた。夏子が出ると角田の妻と二人の幼い子供だった。
 角田が奥村水産の話をすると、子供を残して死なずに済むならそれが良いという話になったので、「善は急げ」とばかりに明日の朝一番にチェックアウトして清水港にむかうことに決まった。スマホで調べると約800キロで所要予測時間は12時間と出ていた。

 5月24日朝7時、早めの朝食を済ませて夏子とまりあと角田親子はワゴン車に乗り込んだ。事前に坂井に角田はマグロの解体もできる旨と、妻と幼い子供が二人いる事もメールしていたので、道中で550万の先払いと、妻も魚がさばけるのであれば、清水港の奥村水産の加工場での仕事もあり、社員寮もあることが伝えられ角田親子も気持ちが落ち着きおしゃべりする余裕も出てきた。
 角田が正に助けられた時にいた3歳の女の子が夏子であることを知ると角田の妻は改めて礼を述べた。さらに、妻は夫の職の手配から家族の生活の段取りまでを数時間のうちに進めてくれているまりあに前向きに生きていける喜びを語り感謝の意を伝えた。
 途中2回の食事をとる以外はトイレ休憩だけで午後8時に奥村水産に着いた。わずか12日ではあるが、久しぶりに会う坂井の顔は懐かしかった。
 早速、角田家族は応接に連れていかれ、その間に夏子とまりあが来てることを知った日高が原付に乗ってやってきた。大げさにハグをして「今日は清水泊まり?」、「今から一緒にご飯行ける?」とはしゃいでいた。約1時間後、手続きを済ませた坂井が角田たちを連れて出てきた。
「明日の朝一番に、債権者に振り込みをして債務は消滅し、住民票を清水に移し船員保険に切り替えればあとは任せておいてくれたらいいよ。個人的には二人が一緒に行ってくれるのが一番だったけど、いい人達を紹介してくれたお礼にちょっと飲みにでも行こうか。日高がどうしても二人と飲みたいってことなんでね。」
 坂井が笑顔で話すと、断る理由も無いので角田一家をホテルに送り届けると坂井の車で出かけた。

 坂井の行きつけのスナックに着くと、真っ先に坂井が夏子とまりあに言った。
「せっかくの旅行中に男鹿から半日の運転お疲れさん。それにしても、なっちゃんもまりあちゃんもとことん人の生死にかかわる事件に巻き込まれるもんだね。なにか引き込む「運」でも持ってるのかな?」
 まりあは、「私は元ERの看護師だったから、「生死」の現場にいるのは当たり前だったんだけど、なっちゃんはそういう「運」なのかもしれないね。」と夏子に話をふった。夏子は、秋葉原で見てもらった手相の話をすると、興味を持ったママが「ちょっと私にもあなたの手相を見せてくれない?まあ、手相はその時その時で変わるから、前見てもらったのが19歳の時だったっていうなら、今は変わってるかもよ。」と夏子の右手を要求した。
「いい方に変わってたらいいんですけどね。前は「波乱万丈」な人生を送るって言われましたからね。」
 ママに右手を預けると、ママの眉間にしわが寄った。「どうした、良くない手相が出てるのか?」坂井が心配そうに問いかけた。
「うーん、「破天荒」とか「転生天」っていう指紋相と手相になってるわね。ここ数年の振り幅は凄かったんじゃない?いい時は最高にいいけど、悪い時は周りを巻き込んで大変なことがあったって「波乱相」をしてるわね。すごくいい人脈を集める「相」と、悪いものを呼び寄せる「相」が同居してるわ…。うーん、あと4年…、いや5年は何かあるかも…。そこで「信頼できる仲間」が集まるとか、大きな救いがあるはず。その後は安定した「幸運相」になってるからそこは安心しててね。ごめんね、私は上手に嘘がつけるタイプじゃないんで…。まあ、素人の占いだから当たるも八卦当たらぬも八卦だけどね。」

 ママは半分申し訳なさそうに話すと、少し落ち込んだ夏子にまりあが明るく話しかけた。
「なっちゃんは、人に優しいからきっとどこかで神様が見てくれてるよ。昨日だって、下手すりゃ虎の子貯金の250万「ポン」と出しかねなかったんだからね。「情けは人の為ならず」ってね。」
 日高が「それって、必要以上に情けをかけることはその人の為にならないって事だろ。「秋田ちゃん」が悪いことしてるみたいじゃんか?」と突っ込むと坂井が「日高、それは違うぞ。本来の意味は「人にかけた情けは、まわりまわって自分が困ったときに自分に戻ってくるっていう意味だよ。いつも、自分を顧みず人の為に動くなっちゃんは、きっとなっちゃんが困ったときには助けの「手」が差し伸べられるってことなのさ。」と日高を諭した。
 その後、話題をまりあが上手に切り替えてくれたおかげで話は盛り上がり、タクシーでホテルに帰った。シャワーを浴びてふと自分の手を見た夏子は「あぁ、これからも何かあるのか…。もう人を巻き込むのは嫌だから、この旅が終わったら「ひとり」で生きていこう…。」とため息をついた。

 5月25日の朝、奥村水産に顔を出すと角田夫婦が揃って待っていてくれた。無事に債務から解放されて住む場所も決まり、今日は東京に転出届と引っ越しの段取りをしに戻るという事だった。
 笑顔が戻った二人からの終わらない感謝の言葉をうまく坂井が切ってくれた。坂井に昨晩のスナックのお礼を伝えると、夏子とまりあの旅の続きが始まった。
 一度車を東に向け、富士山の5合目までスカイラインを上がり壮大な景色を楽しんだ後、諸説あるが「日本三大温泉」の一つにあげられることがある「熱海温泉」に泊まった。
「日本3大ほにゃららっていっぱいあるけど、温泉は何が基準なのかな?」
「面積、温泉宿数、湧き出し湯量そんなとこじゃない?」
「じゃあ、3大美人の湯と3大美肌の湯の違いは?」
「まあ、なっちゃんが入ればその日はそこが「美人の湯」で「美肌の湯」じゃないの。ケラケラケラ」
と車内は賑やかだった。

 翌日は一気に岐阜まで走り「下呂温泉」に行き、
「がおっ!この「下呂〇〇」って名前のスイーツってちょっと怖いよね!「酸いーつ」って臭いがしそうで…。」
「いや、さっき食べた「下呂ぷりん」は凄くおいしかったよ。それよりも私はそこに座ってたチャップリンの銅像の方が気になるわ。チャップリンがこの地を訪れたことはないみたいなんだけど…。」
「なんか、映画について語りながら歩ける街にしようって企画みたいよ。」
「それだったらトム・クルーズかジョニー・デップの方がいいけどな。カラカラカラ。」
と笑いながら街を散策した。
 その後「白骨温泉」、「城崎温泉」と日替わりで温泉宿をはしごして、まりあの勧めもあって大阪に一度戻り、さとみと暮らしていたマンションを訪れた。集合ポストには新しいネームプレートがはめられていた。念を入れてインターホンを押したが、全く知らない名前の女性が出て来て、入居して半年たつことを知った。

 「まあ、「縁」があったらそのうちまた会えるよ。」
まりあに励まされて、有馬温泉、三朝温泉、玉造温泉と「美人の湯」系温泉巡りで旅は進んだ。
「なっちゃんと一緒に毎日温泉入ってるから、私も少しは「美人」になった?「なっちゃん出汁」と「なっちゃんエキス」でお肌は「スベスベ」、「つるつる」ってか?最近、小じわとお尻の張りに自信がなくなってきたから、なっちゃんからしっかり吸収させてもらわないとね!」
「もー、人をラーメンスープの豚骨や野菜みたいに言わないでくださいよ。まりあさんはもともと美人じゃないですか!」
「あー、本物の「美人」が言うと何言っても「お世辞」にしか聞こえないよ。どうせ私は旬を過ぎた「アラサー」ですよ。22(歳)のなっちゃんにはわからない悩みがあるのよ。もー、今晩は直接なっちゃんのおっぱいからエキスすわせてもらっちゃおうかなー!」
「まりあさん、今日はシングル2室に変更しますね。カラカラカラ。」
バカな会話も毎日のように続いた。
 温泉ガイドを買い足し、十数件に渡る訪問した温泉について再度読み直すと、「あー、そんなのが近くにあったの!」、「きゃー、そのスイーツは食べておくべきっだったよねー!」女子会トークはおさまることなく、車はしまなみ海道で瀬戸内海をまたぎ日本書記、風土記で記される有馬温泉、白浜温泉と並ぶ日本三大古湯の道後温泉に渡った。
 
 夏目漱石が代表小説の「坊ちゃん」の中で絶賛していた道後温泉にゆっくりと浸かり、翌日にはメロディーラインを走り佐田岬まで行ってバカ話で盛り上がった。
「もうむこうに九州が見えてるのに、八幡浜まで戻ってフェリーに乗らなきゃ別府にいけないのね。」
「何だったら、なっちゃんは先に泳いで渡ってもいいよ。まあ、サメが出た話もあるから、鼻を殴るハンマーを背負っていかないと危ないけどね。」
「なにそれ!あんなに重いハンマー背負って泳げるわけがないじゃない!別府に着く前に「地獄」を見てしまうわよ。」
「そうだね、過去に「地獄」を見てきたなっちゃんはもう「地獄」はお腹いっぱいよね!カラカラカラ」

 別府に着くと真っ先に地獄巡りをした。たくさん回った中で赤い「血の池地獄」と青い「海地獄」と白い「白池地獄」が二人の間でのベスト3になった。その後、温泉卵を作って別府温泉へ。部屋でビールの飲みながらゆで卵をほおばった。九州の温泉ガイドをテーブルで開き、あとどこに行くかを話し合った。
 いろんな意見が出たがイエス・キリストも入ったとされる雲仙小浜温泉と指宿温泉の砂風呂に行くことにした。長崎に渡り雲仙で炭酸せんべいを食べ有馬の炭酸せんべいとの味の違いを語り合った。雲仙小浜温泉では公共の足湯を楽しみながらのんびりとおしゃべりしていた。
諫早湾いさはやわんの「諫早」ってイエス・キリストの「イエス」のヘブライ読みの「イサヤ」から来てるんだって。」
「へー、イエスって本当にここに来たんだ。青森にも「キリストの墓」ってあるよね。」
「うん、徳島には「キリストの墓」って言われてる「栗枝渡くりしど神社」っていうのもあるんだって。」
「ふーん、石川県の羽咋には「モーゼの墓」もあるっていうし、日本は「八百万やおよろずの神」っていうくらいだから、世界を代表する神様が来ててもおかしくないのかな?」
「そうね、なっちゃんが死んだら私が「なっちゃんの墓」ってプロデュースしてあげるからね。私にとったら、なっちゃんは周りのみんなを助けて幸せにする「クリスト・キント(※ドイツ神話における「サンタクロース」的なもので、「幸せ」を配ってまわる神)」だからね。」
「じゃあ、まりあさんにはこれをあげる!長崎が生んだ奇跡のお菓子「尾曲猫のしあわせクルス」よ!」
 夏子はポーチから取り出した猫のパッケージのお菓子を手渡し一緒に食べた。
 
 翌日は熊本で馬刺しを食べ、一気に九州最南端の佐田岬を目指した。岬の先端でまりあは「そこそこのイケメンで、そこそこの収入があって、絶対に浮気しない男と結婚したーい!」と叫ぶと、夏子が横で笑い転げていた。
「ここって、そんなことをお願いする場所でした?恋愛成就なら、「来運神社」も「出雲大社」も行ってるから大丈夫でしょ?何なら、帰りに鈴鹿の「椿大神社」と女の人の願い事を一つだけ聞いてくれるっていう三重の「石神さん(※神明神社の別称)」でも行きますか?」
 冗談半分で尋ねると「行く行く!絶対行く!じゃあ、その前に指宿温泉の砂風呂でしっかり汗かいて「デトックス」だよね。」と笑いながら、岬から駐車場に戻るトンネルに戻った。
 
 指宿温泉の後、7月3日までかけてゆっくりと温泉巡りを続け、最後に大阪の通天閣のビリケンさんをお参りして、まりあとの楽しい旅は終わりを告げた。
「じゃあ、なっちゃん、住所が決まったらメール送ってね。」
「まりあさんも「いい人」見つかって結婚するときは呼んで下さいね!」
とハグで別れた。



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