【完結】『社畜の鑑』

M‐赤井翼

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「本田璃子」

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「本田璃子」

 巧妙な祥のトークに璃子は乗り、璃子の知る晶の身の上や過去が次々と分かった。8年前、晶は28歳で3歳年下の前の夫と結婚したものの、5年前に前夫は病死したことと、夫が就業不能になった事で生活を支えるために5年半前にRikkaを出店した事が語られた。Rikkaという店の名前は、結婚後の姓が「立花」であることから音読みにしたものが店名になったと聞いていると璃子から教えられた。
 料理上手な晶の腕を活かして昼はビストロ、夜はライトミールバーとして営業しており、璃子は1年生の入学時から賄い付きの条件で、東大阪産業大学の学費の為に夜の部と授業の無い土曜日のランチにアルバイトとして入っている。平日の昼は調理担当の晶と配膳、バックヤード業務は地元の主婦のパートで店は運営されているとの事だった。そのうちの水曜日担当のパートは開店時から晶を支えてきたという事も教えてくれた。

 「夜はね、店長もカウンターに立つんで結構店長目当ての男性客も来るんですよ。ここの商店街のお土地柄、おじさんやおじいちゃんが多い中、たまに若い男の人も来るんで私が「店長も美人でちやほやされてる間に再婚相手見つけないとダメですよ!今もつけ続けてる「結婚指輪」を外したら今の十倍店長目当てのスケベ客が来ると思うんですけどねー。」ってアドバイスするんですけどダメなんですよねー。私が何度言ってもかたくなに外さないんですよ。もう5年もたったら喪中も済んでるってなもんですよねぇ…。」
と晶について語る璃子の口から靖に対する追い風の言葉が出た。晶とは3年の付き合いの女の勘という前提を付けたうえで晶は靖に対してなにかしらの特別な感情を持ってると感じていた。バックヤードで最初に靖の話を聞いた時はまるで白馬の王子様に出会ったかのように目を輝かせて嬉しそうにふたりの悪漢から晶が襲われそうになったところ靖が颯爽と現れた時の様子を何度も話していたという。
 実際にはふたりの男にいい様に殴られ蹴りまわされただけなのだが、あたかも晶を守る事が目的の主であり「非暴力の正義」を貫いたと言わんばかりの晶の意識内エフェクトは日に日に強くなり、閉店時の看板の取り込みの時間が来るとそわそわし出し、よくグラスや皿を割っているらしい。実際に翌週は三度最終電車で帰宅した靖と顔を合わせることになったのだが、会えなかった翌日は「もしかしてケガが悪化したんじゃないかしら。」、「もしかして、小原さんが帰ってくるのを待ち構えてる女ストーカーって思われて避けられてるんじゃないかしら。」、「今日は、あまりしつこくならないように軽い挨拶だけの方がいいのかしら。」と翌日の開店前は準備に忙しい璃子に何度も話しかけ続けたそうだ。
 その晶の様子は璃子の主観では21歳の璃子の女友達と何ら変わらぬ「恋する乙女」そのものだったと祥に語った・

 「私が言う事じゃないですけど、店長はもう36(歳)なんで、靖君さえ良かったらガンガン声かけてあげちゃってくださいね。このままだとあれだけのいい女がしなびていくだけなんでね。お願いしますよ。」
と璃子が小声で靖と祥に告げ口していると「璃子ちゃん、ランチ二人前上がったわよ。配膳お願いね。」と厨房の奥から弾んだ晶の声が響いた。
 厨房に戻った璃子と一緒に晶がメインディッシュの料理皿とサラダボウルとフォッカチオの乗ったお盆を持って出てきた。あえて晶はお盆を祥のテーブルに置くと「小原さんのご同僚なんですね。これからも御贔屓に。」と軽く会釈をした。祥は生の晶の姿を見て(なるほど、「美魔女」って靖ちゃんが言うのも分かるなぁ。ここは援護射撃やな!)と思い
「はい、靖ちゃんの同僚の出口祥と言います。店長さん、初めまして。靖ちゃんから夏目漱石の「草枕」に出てくるような絶世の美女が居るって聞いてたのでお会いできて光栄です。まさに「草枕」の「那美」、いやそれ以上の美人で驚いてます。これからも靖ちゃんの事をよろしくお願いします。」
と計算つくされたトークに晶は照れまくった。(えっ、「草枕」の「那美」って、靖君、それは誉めすぎだわ…。)と思うと自らの顔が人に見せられないほど紅潮していることを自覚して、わざとらしく時計に目をやった晶は璃子に「ちょっと早いけど「本日品切れ、CLOSED」の看板出してきて。鶏は一枚下ごしらえして残してるから、璃子ちゃんは自分で焼いて食べてね。」と指示した。
 大きく深呼吸して気を取り直すと、靖と祥に「この後のご予定は?最高のお褒めの言葉をいただいたのでお礼におビールでもいかがかしら?」と問いかけた。
 表の看板を片付け、ドア前の札を「OPEN」から「本日品切れ、CLOSED」に掛けなおした璃子は気を利かせ「私は洗い物に入りまーす。賄いはセルフで焼いて、奥でいただきますので店長はごゆっくりしてくださいねー。」とバックヤードに消えていった。

 璃子と入れ替わりで、カウンターに晶が入るとビアジョッキにビールを2杯注ぎ、自らはグラスにビールを入れると「靖君とお友達の祥君のご来店に乾杯!」とグラスとジョッキを合わせた。
 祥は靖が気にしていた晶の指輪についてわざと知らないふりをして尋ねた。
「店長さん、左手を見る分にご結婚されてるんですね。こんなに美味しいご飯を食べさせてもらえるご主人は幸せですよね。僕の勘ですけど、ご主人は絶対に太ってるでしょ?」
と質問をすると夫は5年前に他界しており、この指輪は「魔除け」のようなものだと答えた。更に祥が「今でも、ご主人の事を愛してられるんですね。亡くなったご主人はこんな美人を未亡人にして5年間も操をたてさせるってなかなか罪な男ですね。」と突っ込んだ質問をすると、もちろん前夫に対する愛は残っていると晶は話した。その話の流れで3歳年下の前夫「拓也」の思い出話が晶の口から語られ始めた。

 「前のご主人とはどんな出会いだったんですか?」とスムーズな流れで祥が晶に問いかけた。晶の口から26歳の時に女友達と難波で別の友人を待っていた時にやたらと肩や腰に勝手に手を回してくる2人組のしつこいナンパに困っていたところ、拓也が助けに入った事がきっかけだったという。(おっ、拓也さんは計算上23歳。今の靖ちゃんと晶さんは前夫のイメージを重ねたって事か。これはいける条件や…。)と考え、次の言葉を待った。
「ナンパに絡まれて、助けに入ってくれた拓也さんがそのふたりを咎めたんだけど、逆切れしたふたりが拓也さんにつかみかかったのよ。その瞬間、拓也さんの柔道技が決まってふたりとも道路に仰向けに投げられちゃって、周りの通行人から大笑いされて逃げて行ったの。それでいて何も偉そうに言わず「気を付けてね。」とだけ言って去ろうとするんですよ。
 恥ずかしい話ですけど、私が必死に引き留めて無理を言って女3人の女子会に連れて行ったのがきっかけ…。って何私、10年も前の恥ずかしい話しちゃってるんだろ。」
と真っ赤になった。靖は一方的にやられた自分は前夫の拓也には勝てないと思い、うつむくしかなかった。

 10年前のエピソードを「いい意味」で捉えた祥は靖と違いダイレクトに晶に前向きな質問を投げかけた。
「もしかして、10年前のご主人とこの間の靖ちゃんの姿が重なったりしました?」
 晶は素直に頷いた。晶が言うには出会った頃の拓也に靖の雰囲気が似ていることと、拓也も口数が多い方でなく女性慣れしておらず重なる部分がある事を認めた。その上で「拓也は柔道の有段者でしたから負けない前提でナンパを止めに入ってくれたんですけど、靖君はそうでないにも関わらず大きな体の酔っ払いふたりを相手に私を庇ってくれたところが凄いと思ってる…。」と恥ずかしそうに靖の方をちらっと見た様子を見て祥がクロージングに入った。
「話は飛びますけど、晶さんは明石公会堂行かれたことがあるんですよね。靖ちゃんは行ったことないんで案内してやってくださいよ。近くの「魚の棚商店街」の美味しい明石焼きの店は俺が責任もって紹介しますんで、「漱石ファン」と言いながら明石公会堂に行ってないって靖ちゃんだめでしょ。お願いしますね。」
祥は靖を肘で突つくとあらかじめ準備していたシナリオ通りに靖は晶を誘った。あっさりと2週後の日曜日に明石デートが決定した。
 その後「漱石トーク」で盛り上がる三人に片づけを済ませ、昼食の賄を食べ終えた璃子が加わり、暫し楽しい時を過ごすことができた。靖と祥が帰り、楽しそうに鼻歌交じりで後片付けをする晶に璃子がいたずらっぽく笑った。
「店長、恋する乙女の顔してますよ。クスクス。」




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