偽りのフーリア(契約者) ── 転生特典『愛され』少女は世界の中心で微笑む──

水野森 千

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プロローグ

とある少女の記憶

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 幸福な人生ではない。けれど、特別不幸というわけでもなかった。陳腐な言葉で表すなら、「愛を知らない子ども」だろうか。


 私の両親はまだ若い年で私を産んだ。
 結婚も出産も望んだことなのかどうか、私にはわからない。物心ついた頃にはもう両親は私に冷たくて、彼らの笑顔なんて一度も見たことがなかった。
 でも、虐待があるわけでもなかった。食事は簡素なものや既製品が多かったけれど1日3食あったし、暴言や暴行もなかった。ただ、私が覚えているのは誰もいない部屋と、両親の後ろ姿と、たまに私を見る冷たい目だった。

 家族とはそんな関係で、近所付き合いや親族付き合いもなかったものだから、私は他人との関わり方がわからなかった。
 幼い頃はきゃあきゃあと騒ぐ他の子どもたちは何が楽しいかわからなかったし、静かにしていなければいけないと思っていた。両親に話しかけようとすると少し嫌そうな表情をしていたから、それが強く記憶に残っていたのだと思う。
 小学生、中学生になっても人への話しかけ方はわからなかったし、どんなことを話せばいいのかもわからなかった。無表情であまり話さない私に、わざわざ話しかけようとする物好きもいない。何より、私自身、人と関わる必要性がわからなかった。

 ただ、1度だけ、こんな私に話しかけてくれた人がいた。
 高校2年生になってしばらくしてもひとりだった私を心配して、声をかけてくれた女の子。驚いて、ほんの少しだけ心臓が変になって、でもがらんどうな私は結局何を言えばいいのかわからなかった。
 何もできないでいる私にその子は何日も話しかけてくれていたけれど、見かねた友人がその子の腕を引いて行ってしまって。

 そうしてやっと私は、他者との関わりというものを少しだけ羨ましく感じたのだ。


 けれど友達や家族というものが少し気になったからといって、すぐに私の性格もコミュニケーション能力も変わるわけではない。がらんどうな私はがらんどうなまま。
 何もできず、家族との関係も改善せず、友人もできず、もちろん恋人だってできず。両親に言われるがまま、社会の波に流されるままいつのまにか大学生になった。

 そんな私とは対照的に、周りにいる人はみんなきらきらとしていた。楽しそうで、ちゃんと“今”を生きていて、いいなとほんの少しだけ羨ましく感じて。

 けれど、やっぱり私は変わらなかった。


 変われなかった。



◇◆◇



 朝起きて、1人で朝食を作って、1人で食べる。1人で講義を受けて、1人で昼食を食べて、1人で帰る。両親とは何も話さないまま夕食を食べて、1人自室で勉強をして、寝る。
 それが、私の普通だった。



 その日は、暖かい日差しが降り注ぐ、風の少ない穏やかな日だった。

 慣れない環境に忙しかった大学生活も、1年も経てば要領がわかってきた。ただ、2年生になると専門科目が増えて授業内容も難しくなる。両親に言われるがまま入った大学はレポートなどの課題の量が多く、毎日が大変だ。
 とは言っても、私は他にやりたいことはないから恐らく他の人よりも時間の余裕があるだろうけれど。

 増えた課題に嘆く声を聞きながら席を立つ。今日は4限目の講義が突然休講になったから、この2限の講義で終わりだ。いつも通り学内の食堂で昼食を食べて、普段帰る時間より人が少ない駅へと向かった。

 私の家は、都心部から離れた少し閑散とした住宅街にある。都心部に近い大学までは電車で40分ほど、2回の乗り換えが必要だ。さらに最寄駅から自宅まではバスで25分ほどかかる。
 長い通学時間は、その日の講義の復習だったり、帰宅後の予定だったりを考えながら電車に揺られる。

 今日は新しく出た課題もやりたいけれど、その前に昨日の課題を終わらせたい。あ、でも今日のご飯は私が作らないといけないんだっけ。冷蔵庫に食材あったかな。お父さんは帰りが遅いからいらなかったはず。

 つらつらと考えるけれど、今日は暖かいからか何だか眠くて、思考がぼんやりとしていた。

《次は、針戸~、針戸~》

 そうして少しうとうととしていたらいつの間にか2度目の乗り換えをする駅で、慌てて飛び降りる。この駅は長い長い階段があって、それを上らなきゃいけない。満員電車も窮屈だけど、通学で1番体が辛いのはこの階段だった。

 昼も過ぎた頃だからか人はほとんどいなくて、朝のように注意する必要がないのは楽だ。気が緩んで、さっき吹き飛んだ眠気がまた戻ってくる。
 今日はどうにも眠い。春の陽気に誘われて、最後の一段を上り切るのと同時にふわりとあくびを漏らす。

 その瞬間、つるりと足が前に滑った。

「あ」

 寝ぼけていた頭は瞬時に覚醒して、間抜けな声が漏れた。視界の端で、足を置いた辺りの床が濡れて光を反射しているのが見える。
 世界はやけにゆっくりで、ふわりと体が浮く感覚とともに視界が床から上へ向かっていく。そしていっぱいに広がった安っぽい白の光に、ちかちかと目の奥が痛んだ。
 何かに捕まろうと咄嗟に飛ばした手は、何にも届かず空を掴むだけで。

 あぁ、私は死ぬのか。

 なんて、打ち所が悪かったら、とかそんなことを考える間もなく、確信に似た予感がする。
 死ぬというのに頭は妙に冷静で、何の感情も浮かばないのが少しおかしかった。



 別に、不幸な人生ではなかった。幸福でもなかったけれど、悲しいだとか、辛いだとか思うこともなかった。

 ただ、ほんの少しだけ。
 本当に少しだけ、温かい家族や友人というものはどんなものなんだろうと考える。「愛」とはどんなものなんだろうと考える。
 1度も与えられなかったもの。
 人形のような、がらんどうな私にはわからなかったもの。

 もう今更考えても仕方のないことだけど。
 それでも、ほんの少しだけ、愛されてみたかったなぁと思った。



 それが、加瀬詩織という少女の最期の記憶だった。
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