271 / 295
第5章 契約と誓約の戦
第265話 消えた芋探し
しおりを挟む
朝日のやわらかな光が、薄いカーテンの隙間から静かに差し込んでいた。小鳥のさえずりも遠く、まだ街は眠っているようだ。
椿は、かすかにまぶたを震わせながら目を開けた。寝起きの身体が布団のぬくもりに沈む中、「うーん」と小さく唸って、隣に目を向ける。
そこには、百合がいた。柔らかそうな栗色の髪が枕に散り、胸元まで落ちた毛布の下には、丸みを帯びた豊かな胸。その胸のふくらみの中心に位置する、桃色がかった小さな丸い肌と白い滑らかな肌のコントラストが、朝の光を浴びていっそう神秘的に見えた。
その一瞬で、椿の目がぱっちりと開き、心臓がどくん、と音を立てた。喉がからからになり、思わずつばを飲み込む。
その気配に気づいたのか、百合がゆっくりと目を覚ます。そして、まだ寝ぼけた声で言った。
「椿のエッチ」
からかうように笑いながら、百合は椿を抱きしめた。その腕のぬくもりに、椿は苦笑しながら身を預けた。
昼過ぎになると、ようやく二人は宿を出た。
「初めて菜の花の国に来たけど、静かな国だね」
百合がぽつりと呟く。道沿いに並ぶのは、低い石造りの家々と、咲き残る黄色い花の群れ。だがその静けさは、心安らぐものではなかった。
「うん。でも、ほら、百合……あそこ見て」
椿が指差した先。舗装の割れた道の隅に、何人もの人々が横たわっていた。誰もが痩せ細り、目を閉じたまま動かない。
「ほ、本当だ……なんだか、胸が苦しくなるよ」
百合は涙を浮かべ、声を震わせながら言った。
二人は、近くの役所へと足を向ける。そこは赤茶けた煉瓦で組まれた、朽ちかけの小さな建物だった。豪奢な看板もなく、窓のガラスにはひびが入り、周囲の空気には沈黙と焦燥が漂っていた。
菜の花の国――ここは、戦乱の絶えない世界において、わずかに「国」という形式を保つ数少ない国民国家。内戦や周辺諸侯との戦争を回避してきたのは、契約と誓約の両方を巧みに組み合わせた統治があってこそだ。だがその一方で、数十年に一度訪れる猛烈な熱波やサイクロンにより、頻繁に飢饉に見舞われる、非常に貧しい国でもある。
この国と友好関係を持つ朝霧郷の軍師・玲子と連絡を取ることにした。
「久しぶり。玲子、涼子。元気にしてた?」
水晶通信の向こうで、玲子が微笑む。彼女は前年、第一子を出産し、その子に「涼子」と名付けていた。
「まあね。霧ノ都に占領されてた領土も取り返した。でも……夏希という奴、処刑されたって噂がある。あれ、本当?」
「夏希さんの行方は、まだ不明のまま。僕が都に囚われていた時に雷雨大名らしき人を見かけたけど、変わり身の可能性もある。少なくとも、最後に直接謁見してからは一度も会っていない」
「そっか……。でも、動きづらいな。朝霧としては今後一切手を出さないという契約と誓約を結んで、雫の国の復興に協力した夏希には本当は力を貸したいんだが……」
「うん。それに、最近機構の動きがどんどん過激になってきてる。嫌な方向に向かってる感じがするんだ」
「……そうか。なら、夏希の生存調査はこっちでやろうか?」
「お願い。僕はもう、あまり自由に動けない。都も機構も、いまや過激な契約派が主流になってきてる。このままだと、夏希にはますます協力できなくなる」
「わかった。任せて。……こっちに来る予定は?」
「しばらくは難しいと思う。でも、休暇が取れれば一度くらいは戻れるよ」
「そう。じゃあ、今の任務が終わるまでそっちにいるなら、また連絡するね」
「うん。またね」
水晶通信の光がすっと消えた。
「……あ、あの……執行官様。どうか少しだけでもいいので、水や飲み物を分けてはくださいませんかね?」
声をかけてきたのは、役所の役員と思しき初老の男だった。顔色は悪く、袖口はすり切れ、靴には泥がこびりついていた。
椿は静かにうなずくと、異空間から竹製の水筒と干した黄金トマトを取り出し、手渡した。
「……あ、ありがとうございます」
男は一礼すると、ふらつきながら去っていった。
「役員でも、苦しい生活なんだね……」
百合がつぶやいた。
「うん。菜の花の国は数十年おきに大飢饉を経験している貧しい国なんだ。国内には誓約の力で支持を集めて、国外には朝霧郷以外には契約と誓約の両方で対話してる。上手く立ち回ってはいるけど、自然災害にはさすがに敵わないよ」
「選挙もあるって聞いたことある!人々の意見に耳を傾けるなんて、素敵だよね。……機構は、どんどん独裁っぽくなってきたからなあ……」
「そうだね」
二人は、菜の花の国の市場に余計な打撃を与えぬよう、慎重に行動を始めた。ペッパー商人の芋がこの地に届くまでの間、椿の異空間魔法を使って、食料と飲み物を一時的に供給することになった。
行政と協力しながら、極めて慎重に。そして、支援のための資金のほとんどは――椿の懐から支払われた。
一週間後、椿と百合は再びペッパー商人の倉庫を訪れた。だが、倉庫の中は依然としてがらんどうだった。
そこに立っていたのは、ペッパー商人本人。
彼は身長こそ高くはないが、分厚い胴回りとがっしりした肩をしており、全体的に丸太のような印象を与える男だった。濃い茶色の革の上着は年季が入って皺だらけで、袖の継ぎ目には何度も修繕の跡がある。鼻の下には短く整えた髭。眼は小さく鋭く、まるで常に計算をしているかのように落ち着きなく動いていた。
突然、背後から風を裂く音。百合が瞬時に反応し、杖を構えて魔障壁を展開。飛んできた毒塗りの吹き矢は、ガラスのように砕け散った。
背後に立っていたのは、商人に雇われたらしき殺し屋だった。
「ど、どうしろってんだよ!俺だって困ってるんだ!下請けがトンズラしやがったからよ!芋が届けられないのは俺のせいじゃねえ!」
ペッパー商人は慌てた様子で両手を広げ、汗を拭う。
「でも、契約は契約だよ?」
百合が鋭く睨みつけながら言うと、商人は一歩引き、鼻を鳴らした。
「だ、だから!どうにもできねえって言ってるだろ!俺のせいじゃねえ!全部下請けが悪いんだ!……だがよ、どうせあれだろ!?機構って強大な力を盾にして、俺を契約違反として処罰するつもりなんだろ!?くそったれが!だから俺は機構ってやつが大っ嫌いなんだ!」
殺気立った空気の中、椿は一歩前へ出て、静かな声で言った。
「下請けを使ったのはペッパー商人の判断。それに裏切られたのは気の毒だけど、菜の花の国は大金をかけて依頼した。……もし、金を返せるなら、罰を受ける必要はないんじゃないかな?」
「金なんかあるかよ!他の事業に使っちまったよ!」
「じゃあ、やっぱり連行かな?」と百合が静かに杖を構える。
だが、椿は彼女の前に手を伸ばして制した。
「いや、下請けを探し出そう」
「……椿、それ、私たちの任務じゃないよ?」
「知ってる。下請けとの契約は個人間契約だ。機構の管理下にあるものでもない。でもやろう」
百合は一拍置いてから、肩をすくめた。
「うん、別にいいけど。……下請けにも何か事情があるのかもね。場所はわかるの?」
ペッパー商人は少し戸惑ったが、やがて懐から皺だらけの地図を取り出し、指で一か所をなぞった。
「この一週間、何もしてなかったわけじゃねえ。部下が見つけたらしいんだ。ここから西に百キロほど離れた“無法者の町”で、芋やら何やらが取引されてるって話だ」
「よし、そこに行こう」
百合は少し頬を染めて、椿に寄り添いながら微笑んだ。
「うーん……まあ、椿と一緒にいられるなら行くかなあ。命令違反でもないし」
ペッパー商人も小さく頷いた。そのとき、全身を黒い布で覆った小柄な人間が倉庫の隅から声を発した。
「行くのは勝手だが、俺への報酬はどうした?失敗しても金貨一枚は受け取る契約だったはずだ」
ペッパー商人は不満そうに舌打ちしつつも、懐から金貨を取り出し、暗殺者に投げた。暗殺者はそれを器用にキャッチすると、闇に溶けるように走り去っていった。
その後、ペッパー商人は倉庫の外に出て、上着の内ポケットから小指ほどの大きさの古びた笛を取り出すと、「ピィ」と鋭く吹いた。
やがて、地面が低く唸りを上げ、地中から巨大な魔獣が姿を現した。
全長二十メートルにも及ぶ土掘り大蜥蜴だ。その身体はぬるりとした粘膜に覆われ、軟体動物のように柔らかい。前肢には鋭い爪、目は小さく光を反射している。
「こいつが俺の相棒、名はピリピリだ。さあ、乗れ。無法者たちの町へ行こうぜ」
椿と百合はその背に飛び乗り、ぐらりと揺れながら体を支え合った。乗り心地は最悪だったが、椿は時折大きく揺れるたびに、百合の胸が自分の体に押し当てられるのを感じ、思わず鼻の下を伸ばした。
旅は二日間にわたった。途中でテントを張り、星空の下で焚き火を囲んでの野宿が続いた。砂混じりの風が吹き、乾いた地表には草もまばらにしか生えていない。静けさの中、火のはぜる音だけが響く。
ペッパー商人が木の枝を削りながらぼそりと呟いた。
「俺は、元雫の国の支配地域や周辺で商売してた。いつもならうまく儲けるんだが……ここ数ヶ月、やたら失敗が多くてな」
彼の表情には苦々しさがにじんでいた。
「この間なんてよ、売り物の奴隷に逃げられて、西の荒れ地へ行ったら奴隷が全然見つからなかったんだ」
「うげ……西の荒れ地かぁ、思い出したくないなあ」と百合が渋い顔をする。
椿が興味を持ったように問いかけた。
「西の荒れ地って……危なくないですか?」
「危ねえよ。命を落とすのが当たり前だ。脱走した奴隷どもが群れてる巣窟だからな。でも、ピリピリがいりゃあ大丈夫だ。地中移動ができて人に懐く魔獣はそうそういねえ。魔法で地中を移動する“潜伏”ってのも、上位魔法だし、奴隷が使えるようになるもんじゃねえ」
「一昨年になりますが、西の荒れ地に行ったことがあります。大変でした……」
「二年前か。…じゃあ、わからねえな」
「何がです?」
「先月、またあそこに行ったんだよ。でもな、変なんだ。奴隷たちの姿が一人もなかった。その理由を誰も知らなくてよ…」
椿と百合は顔を見合わせた。
「……消えた?」
「そうだ。突然、人が消えたようにいなくなった。あそこにいるのは、大抵が商品価値の高い奴隷たちだ。あの場所ごと消えちまったって話もあるが、確証はねえ」
「人を“商品”って……そういう言い方、やめてよ」
百合が低く怒りをにじませると、ペッパー商人は眉をひそめた。
「うるせえな、俺の商売だ」
火が小さくなり、風が冷えてきた。
椿は空を見上げ、星々の瞬きを見つめながら呟いた。
「……それにしても、本当に何があったんだろう」
「さあな……ま、無法者の町で手がかりが見つかればいいんだが」
そうして、夜が静かにふけていった。
椿は、かすかにまぶたを震わせながら目を開けた。寝起きの身体が布団のぬくもりに沈む中、「うーん」と小さく唸って、隣に目を向ける。
そこには、百合がいた。柔らかそうな栗色の髪が枕に散り、胸元まで落ちた毛布の下には、丸みを帯びた豊かな胸。その胸のふくらみの中心に位置する、桃色がかった小さな丸い肌と白い滑らかな肌のコントラストが、朝の光を浴びていっそう神秘的に見えた。
その一瞬で、椿の目がぱっちりと開き、心臓がどくん、と音を立てた。喉がからからになり、思わずつばを飲み込む。
その気配に気づいたのか、百合がゆっくりと目を覚ます。そして、まだ寝ぼけた声で言った。
「椿のエッチ」
からかうように笑いながら、百合は椿を抱きしめた。その腕のぬくもりに、椿は苦笑しながら身を預けた。
昼過ぎになると、ようやく二人は宿を出た。
「初めて菜の花の国に来たけど、静かな国だね」
百合がぽつりと呟く。道沿いに並ぶのは、低い石造りの家々と、咲き残る黄色い花の群れ。だがその静けさは、心安らぐものではなかった。
「うん。でも、ほら、百合……あそこ見て」
椿が指差した先。舗装の割れた道の隅に、何人もの人々が横たわっていた。誰もが痩せ細り、目を閉じたまま動かない。
「ほ、本当だ……なんだか、胸が苦しくなるよ」
百合は涙を浮かべ、声を震わせながら言った。
二人は、近くの役所へと足を向ける。そこは赤茶けた煉瓦で組まれた、朽ちかけの小さな建物だった。豪奢な看板もなく、窓のガラスにはひびが入り、周囲の空気には沈黙と焦燥が漂っていた。
菜の花の国――ここは、戦乱の絶えない世界において、わずかに「国」という形式を保つ数少ない国民国家。内戦や周辺諸侯との戦争を回避してきたのは、契約と誓約の両方を巧みに組み合わせた統治があってこそだ。だがその一方で、数十年に一度訪れる猛烈な熱波やサイクロンにより、頻繁に飢饉に見舞われる、非常に貧しい国でもある。
この国と友好関係を持つ朝霧郷の軍師・玲子と連絡を取ることにした。
「久しぶり。玲子、涼子。元気にしてた?」
水晶通信の向こうで、玲子が微笑む。彼女は前年、第一子を出産し、その子に「涼子」と名付けていた。
「まあね。霧ノ都に占領されてた領土も取り返した。でも……夏希という奴、処刑されたって噂がある。あれ、本当?」
「夏希さんの行方は、まだ不明のまま。僕が都に囚われていた時に雷雨大名らしき人を見かけたけど、変わり身の可能性もある。少なくとも、最後に直接謁見してからは一度も会っていない」
「そっか……。でも、動きづらいな。朝霧としては今後一切手を出さないという契約と誓約を結んで、雫の国の復興に協力した夏希には本当は力を貸したいんだが……」
「うん。それに、最近機構の動きがどんどん過激になってきてる。嫌な方向に向かってる感じがするんだ」
「……そうか。なら、夏希の生存調査はこっちでやろうか?」
「お願い。僕はもう、あまり自由に動けない。都も機構も、いまや過激な契約派が主流になってきてる。このままだと、夏希にはますます協力できなくなる」
「わかった。任せて。……こっちに来る予定は?」
「しばらくは難しいと思う。でも、休暇が取れれば一度くらいは戻れるよ」
「そう。じゃあ、今の任務が終わるまでそっちにいるなら、また連絡するね」
「うん。またね」
水晶通信の光がすっと消えた。
「……あ、あの……執行官様。どうか少しだけでもいいので、水や飲み物を分けてはくださいませんかね?」
声をかけてきたのは、役所の役員と思しき初老の男だった。顔色は悪く、袖口はすり切れ、靴には泥がこびりついていた。
椿は静かにうなずくと、異空間から竹製の水筒と干した黄金トマトを取り出し、手渡した。
「……あ、ありがとうございます」
男は一礼すると、ふらつきながら去っていった。
「役員でも、苦しい生活なんだね……」
百合がつぶやいた。
「うん。菜の花の国は数十年おきに大飢饉を経験している貧しい国なんだ。国内には誓約の力で支持を集めて、国外には朝霧郷以外には契約と誓約の両方で対話してる。上手く立ち回ってはいるけど、自然災害にはさすがに敵わないよ」
「選挙もあるって聞いたことある!人々の意見に耳を傾けるなんて、素敵だよね。……機構は、どんどん独裁っぽくなってきたからなあ……」
「そうだね」
二人は、菜の花の国の市場に余計な打撃を与えぬよう、慎重に行動を始めた。ペッパー商人の芋がこの地に届くまでの間、椿の異空間魔法を使って、食料と飲み物を一時的に供給することになった。
行政と協力しながら、極めて慎重に。そして、支援のための資金のほとんどは――椿の懐から支払われた。
一週間後、椿と百合は再びペッパー商人の倉庫を訪れた。だが、倉庫の中は依然としてがらんどうだった。
そこに立っていたのは、ペッパー商人本人。
彼は身長こそ高くはないが、分厚い胴回りとがっしりした肩をしており、全体的に丸太のような印象を与える男だった。濃い茶色の革の上着は年季が入って皺だらけで、袖の継ぎ目には何度も修繕の跡がある。鼻の下には短く整えた髭。眼は小さく鋭く、まるで常に計算をしているかのように落ち着きなく動いていた。
突然、背後から風を裂く音。百合が瞬時に反応し、杖を構えて魔障壁を展開。飛んできた毒塗りの吹き矢は、ガラスのように砕け散った。
背後に立っていたのは、商人に雇われたらしき殺し屋だった。
「ど、どうしろってんだよ!俺だって困ってるんだ!下請けがトンズラしやがったからよ!芋が届けられないのは俺のせいじゃねえ!」
ペッパー商人は慌てた様子で両手を広げ、汗を拭う。
「でも、契約は契約だよ?」
百合が鋭く睨みつけながら言うと、商人は一歩引き、鼻を鳴らした。
「だ、だから!どうにもできねえって言ってるだろ!俺のせいじゃねえ!全部下請けが悪いんだ!……だがよ、どうせあれだろ!?機構って強大な力を盾にして、俺を契約違反として処罰するつもりなんだろ!?くそったれが!だから俺は機構ってやつが大っ嫌いなんだ!」
殺気立った空気の中、椿は一歩前へ出て、静かな声で言った。
「下請けを使ったのはペッパー商人の判断。それに裏切られたのは気の毒だけど、菜の花の国は大金をかけて依頼した。……もし、金を返せるなら、罰を受ける必要はないんじゃないかな?」
「金なんかあるかよ!他の事業に使っちまったよ!」
「じゃあ、やっぱり連行かな?」と百合が静かに杖を構える。
だが、椿は彼女の前に手を伸ばして制した。
「いや、下請けを探し出そう」
「……椿、それ、私たちの任務じゃないよ?」
「知ってる。下請けとの契約は個人間契約だ。機構の管理下にあるものでもない。でもやろう」
百合は一拍置いてから、肩をすくめた。
「うん、別にいいけど。……下請けにも何か事情があるのかもね。場所はわかるの?」
ペッパー商人は少し戸惑ったが、やがて懐から皺だらけの地図を取り出し、指で一か所をなぞった。
「この一週間、何もしてなかったわけじゃねえ。部下が見つけたらしいんだ。ここから西に百キロほど離れた“無法者の町”で、芋やら何やらが取引されてるって話だ」
「よし、そこに行こう」
百合は少し頬を染めて、椿に寄り添いながら微笑んだ。
「うーん……まあ、椿と一緒にいられるなら行くかなあ。命令違反でもないし」
ペッパー商人も小さく頷いた。そのとき、全身を黒い布で覆った小柄な人間が倉庫の隅から声を発した。
「行くのは勝手だが、俺への報酬はどうした?失敗しても金貨一枚は受け取る契約だったはずだ」
ペッパー商人は不満そうに舌打ちしつつも、懐から金貨を取り出し、暗殺者に投げた。暗殺者はそれを器用にキャッチすると、闇に溶けるように走り去っていった。
その後、ペッパー商人は倉庫の外に出て、上着の内ポケットから小指ほどの大きさの古びた笛を取り出すと、「ピィ」と鋭く吹いた。
やがて、地面が低く唸りを上げ、地中から巨大な魔獣が姿を現した。
全長二十メートルにも及ぶ土掘り大蜥蜴だ。その身体はぬるりとした粘膜に覆われ、軟体動物のように柔らかい。前肢には鋭い爪、目は小さく光を反射している。
「こいつが俺の相棒、名はピリピリだ。さあ、乗れ。無法者たちの町へ行こうぜ」
椿と百合はその背に飛び乗り、ぐらりと揺れながら体を支え合った。乗り心地は最悪だったが、椿は時折大きく揺れるたびに、百合の胸が自分の体に押し当てられるのを感じ、思わず鼻の下を伸ばした。
旅は二日間にわたった。途中でテントを張り、星空の下で焚き火を囲んでの野宿が続いた。砂混じりの風が吹き、乾いた地表には草もまばらにしか生えていない。静けさの中、火のはぜる音だけが響く。
ペッパー商人が木の枝を削りながらぼそりと呟いた。
「俺は、元雫の国の支配地域や周辺で商売してた。いつもならうまく儲けるんだが……ここ数ヶ月、やたら失敗が多くてな」
彼の表情には苦々しさがにじんでいた。
「この間なんてよ、売り物の奴隷に逃げられて、西の荒れ地へ行ったら奴隷が全然見つからなかったんだ」
「うげ……西の荒れ地かぁ、思い出したくないなあ」と百合が渋い顔をする。
椿が興味を持ったように問いかけた。
「西の荒れ地って……危なくないですか?」
「危ねえよ。命を落とすのが当たり前だ。脱走した奴隷どもが群れてる巣窟だからな。でも、ピリピリがいりゃあ大丈夫だ。地中移動ができて人に懐く魔獣はそうそういねえ。魔法で地中を移動する“潜伏”ってのも、上位魔法だし、奴隷が使えるようになるもんじゃねえ」
「一昨年になりますが、西の荒れ地に行ったことがあります。大変でした……」
「二年前か。…じゃあ、わからねえな」
「何がです?」
「先月、またあそこに行ったんだよ。でもな、変なんだ。奴隷たちの姿が一人もなかった。その理由を誰も知らなくてよ…」
椿と百合は顔を見合わせた。
「……消えた?」
「そうだ。突然、人が消えたようにいなくなった。あそこにいるのは、大抵が商品価値の高い奴隷たちだ。あの場所ごと消えちまったって話もあるが、確証はねえ」
「人を“商品”って……そういう言い方、やめてよ」
百合が低く怒りをにじませると、ペッパー商人は眉をひそめた。
「うるせえな、俺の商売だ」
火が小さくなり、風が冷えてきた。
椿は空を見上げ、星々の瞬きを見つめながら呟いた。
「……それにしても、本当に何があったんだろう」
「さあな……ま、無法者の町で手がかりが見つかればいいんだが」
そうして、夜が静かにふけていった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる