ジベレリン

N旅人

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第4話 「榎樺の罪」

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ジベレリン 
第4話 「榎樺の罪」
港町の外れ、安アパートの三階。寺上とレイリンは、薄汚れた廊下の前で立ち止まった。部屋番号は304。榎樺が住んでいるはずの部屋だ。ドアの前に立つだけで、寺上の頭に再び鋭い痛みが走った。──若い頃の自分。バーで女を口説く姿。──危険日を聞き出して、笑いながら中出しする賭け。──妊娠したと泣きついてきた女を、冷たく突き放す記憶。だが、それは寺上の記憶ではない。榎樺の記憶だ。なぜ自分が、榎樺の過去を知っている?寺上は額を押さえ、息を荒げた。レイリンが心配そうに肩に触れる。「寺上くん? また頭が……?」「……大丈夫だ。行こう」寺上は拳を握り、ドアを強く叩いた。「榎樺! いるんだろ! 開けろ!」中から、酒臭い声が返ってきた。「誰だよ、うるせえな……」鍵が外れる音。ドアが僅かに開き、五十代後半の男が顔を出した。瞬間、寺上の息が止まった。男の顔は──自分自身だった。少し年を取った、酒にやつれた自分。目元、鼻筋、口元。瓜二つ。鏡を見ているようだった。榎樺もまた、寺上を見て目を剥いた。「……お前、誰だ?」レイリンが一歩前に出た。声が震えている。「お父さん……?」榎樺の視線がレイリンに移る。しばらく茫然としていたが、ゆっくりと目を見開いた。「……鈴凛? お前、鈴凛か?」レイリンは頷いた。涙が溢れている。榎樺はドアを大きく開け、部屋の中に招き入れた。「入れよ……まあ、散らかってるけどな」部屋はゴミと空き瓶で埋まり、腐ったような匂いがした。榎樺は安酒の缶を開け、寺上に差し出した。「お前、誰だ? 鈴凛の男か? ……なんか、俺に似てるな」寺上は酒を受け取らず、榎樺を睨みつけた。部屋に重い沈黙が落ちる。最初に口を開いたのはレイリンだった。「どうして……あんなことしたの? お母さんを妊娠させて、結婚して、でも浮気して……私が生まれたせいで、みんな不幸になった」榎樺は缶を傾け、苦笑した。「デキ婚だったからな。遊びでヤっただけなのに、妊娠したって言われて、責任取れって親に言われてよ。仕方なく結婚したけど、足枷ができちまって……他の女と遊べねえのが我慢できなくて」レイリンの目が憎悪で歪む。「それで、私に暴力を? お母さんが私を殴るようになったのも、全部お父さんのせいよ!」榎樺は肩をすくめた。「悪かったよ。でもよ、俺だって被害者だぜ。あの女が避妊しなかったのが悪いんだろ」その言葉に、寺上の頭の中で何かが弾けた。記憶が、洪水のように流れ込んでくる。──榎樺の若い頃。無数の女を抱く日々。──危険日を狙った賭け。仲間と笑い合う夜。──妊娠を告げられた女たちを、次々と捨てる姿。すべてが、寺上のこれまでの人生と重なる。寺上は自分の手を見下ろした。「……俺は……お前なのか?」榎樺が怪訝な顔をする。「何言ってんだ?」レイリンが寺上の袖を掴んだ。「寺上くん?」寺上は震える声でレイリンを見た。「お前……俺を、どうやって作った?」レイリンは一瞬目を逸らし、それから静かに語り始めた。「デラウェア計画……あなたは、私の父のクローンをベースに作ったの。遺伝子を完全にコピーして、でも欠陥を修正して……浮気性や暴力性は抑えて、私の理想の男性像に調整した。でも、記憶は封印して……」寺上の膝が崩れた。「クローン……俺は、あのクズのクローンだったのか……」榎樺が呆れたように笑う。「クローン? 人造人間? 何だよそれ、SFかよ」だが、寺上は笑えなかった。自分のこれまでの罪──無数の女を妊娠の恐怖で弄び、危険日を狩りのように楽しんだ日々。それは、榎樺の記憶が無意識に影響していたからだった。自分は、榎樺そのものだった。ただ、レイリンによって「改良」された、偽りの善人として。寺上は立ち上がり、榎樺に詰め寄った。「お前……何人の女を泣かせた? 何人の人生を壊した?」榎樺は怯まず、にやりと笑った。「数えきれねえよ。危険日が一番興奮するんだよな。妊娠するかもってスリルが」その言葉が、寺上の最後の理性を砕いた。寺上は榎樺の胸倉を掴み、壁に叩きつけた。「てめえ……!」だが、殴る手が止まる。自分は、榎樺を責められる立場ではない。同じ罪を、自分も犯してきたのだから。寺上の目から涙が溢れた。「俺は……お前を責められない……俺も、同じことしてた……女を玩具みたいに扱って、妊娠の賭けで笑って……」レイリンが慌てて寺上の腕を掴む。「違う! 寺上くんは、私が調整したから……本当は優しいはずよ!」寺上は首を振った。「違う……俺は、お前が作った偽りの自分に騙されてただけだ。本性は、このクズと同じ……」榎樺が笑いながら言った。「似てるよな、お前と俺。顔だけじゃねえ、魂まで」寺上は床に崩れ落ち、頭を抱えた。自責の念が、黒い波となって押し寄せる。自分は、復讐する資格などない。ただの、罪人のコピー。寺上は立ち上がり、部屋の隅にあった包丁を手に取った。レイリンが悲鳴を上げる。「寺上くん! やめて!」寺上は包丁を自分の腹に突きつけた。「俺は……生きてる価値がねえ……このクズと同じ血が流れてる……いや、遺伝子そのものだ……」榎樺が慌てて叫ぶ。「おい、待てよ! 何すんだ!」寺上は静かに微笑んだ。「次に生まれるなら……普通の人間として、生まれたい……デキ婚なんかじゃなく、ちゃんと愛されて……」そして、包丁を深く突き立てた。血が噴き出す。レイリンが駆け寄り、寺上を抱きしめた。「いやあぁぁっ! 寺上くん!!」寺上はレイリンの腕の中で、ゆっくりと目を閉じた。「レイリン……お前を、愛してたよ……プログラム抜きで、本当に……」最後の言葉を残し、寺上の息は絶えた。榎樺は恐怖で青ざめ、部屋から逃げ出した。レイリンは寺上の亡骸を抱いたまま、泣き続けた。その瞬間──レイリンの下腹部に、温かいものが広がる感覚があった。生理予定日を過ぎていた。そして、微かな、だが確かな──新しい命の鼓動。寺上の願いが、皮肉にも叶った瞬間だった。人造人間の死と引き換えに、人間の命が宿った。レイリンは寺上の冷たくなった頰にキスをし、呟いた。「ありがとう……寺上くん。私の中に、あなたの願いが……」物語は、ここで終わる。いや、始まるのかもしれない。
(第4話 完)
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