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第一章
1.予感と邂逅(1)
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「楽な仕事だ」と言われて、本当にそうだったためしがない。
荷を運ぶ仕事でも、人を護る仕事でも。楽どころか結局いつも、誰かの血か、悲痛な叫びがついて回る――。
穏やかな空気が満ちる森の中、背の高い樹々が空を覆い、木漏れ日が揺れながら地面に斑模様を描く。どこからか鳥のさえずりが聞こえ、葉擦れの囁きが風に乗って耳に届いた。
雑木林を一人の男が歩を進める。踏み出すたびに背負った大剣がガシャリ、と揺れた。――ハザル・マレック。褐色の肌に鍛え抜かれた大きな体躯。煉瓦色の髪は無造作に編まれ、左肩には古びた刺青が覗く。肩当てには無数の小傷が刻まれ、腰には使い込まれた革袋が揺れていた。それらから、彼が長く旅を続けてきたことが知れる。
彼は各地を渡り歩く、流れの護衛屋。いわばそんな稼業だ。商人の隊列を護り、貴族の屋敷を見張り、ときには盗賊退治にも駆り出される。報酬は悪くないが、心安らぐ日は殆どない。かつて傭兵団に身を置いていた時期もあったが、馴れ合いを好まない彼にとっては、今の孤独な暮らしのほうがよほど性に合っていた。
――この地を人は、メテロニア大陸と呼ぶ。魔法の源〝マナ〟と共に発展してきた大陸だ。人々は万物に宿るマナを魔法として放ち、火を灯し、水を湧かせ、傷を癒やしてきた。それは暮らしの術であると同時に、人を傷つける術でもある。
そしてここは、メテロニア南東部に位置するイルマヤ共和国。いくつもの自治領から成るこの国には、豊かな自然に囲まれた観光都市もあれば、時の流れが止まったような山間の村もある。
数年前に大陸を襲った災厄は、この国にも深い爪痕を残した。復興が遅れた土地では賊や密売人が増え、辺境までは国の取り締まりもなかなか行き届かない。ハザルが向かっているのは、まさにそんな場所の一つだった。
今回の依頼は、ある集落の護衛。働き手の多くが中央都市へ一時的に出稼ぎに出ている間、村の安全を見守ってほしい、という内容だ。請け負ったギルドの担当者はこう言っていた。『この辺りでは、まだ大きな被害の報告はありません。楽な仕事になるかもしれませんよ』――本当にそうならありがたい話だ。だがハザルの経験上〝楽な仕事〟という言葉ほど当てにならないものはなかった。
ギルドでのやりとりを思い起こしていた、そのとき――。
「やめてください!」
若い男の叫び声が小道の奥から響いた。すぐさま耳障りな笑い声がそれを掻き消す。早速、厄介ごとが顔を出したらしい。ハザルは深く溜め息をこぼすと、声のする方へと駆け出した。
開けた場所に出ると三つの影が見えた。腰に短剣を下げ、腕には粗末な布を巻いた男が二人。どこにでもいる流れ者の賊だろう。一人が足元に転がった籠を蹴り飛ばし、地に散らばった薬草を踏みつける。そしてもう一人の男が、籠の持ち主であろう青年の腕を掴んでいた。
掴まれていた青年は、あまりにも華奢だった。年の頃は二十歳前後といったところか。麦藁色の髪は肩口にかけて淡く緑を帯び、陽光を受けた細い首筋に汗が光っている。身に纏ったローブの袖口から覗く腕は白く、抵抗の意志こそ見せていたが力強さには欠けていた。けれどその翡翠色の瞳は恐怖に揺れながらも、なお光を宿している。
「おい見ろよ。こいつ、上等な見た目してやがる」
片方の男が、青年の顎を掴んで無理やり顔を上げさせた。
「街に持ってけば高く売れるんじゃねぇか? 坊主のくせに女みてぇな顔してるしよ」
「そうだな。少し手ぇ加えりゃ上客がつくかもな」
「やめろ、放せっ!」
青年が身を捩る。もう一人が背後から肩を押さえ込み、口端をにたりと吊り上げた。
「嫌がる声も悪くねぇな、こりゃいい」
「金目のものは持ってねぇが、いいもん拾ったな」
下劣な会話が森に響く。苦悶の表情を浮かべた青年のもとへ、ハザルは一歩踏み出した。
「……何をしている」
ハザルの声にびくりと肩を揺らして、賊たちが振り返る。
「ちっ、見つかったか」
「おいあれ、只者じゃなさそうだぞ」
「二人がかりでやりゃあ、いけるだろ」
短いやりとりののち、男たちは視線を交わすと、ほぼ同時にハザルへ向かって飛びかかってきた。
「やめとけ。後悔するぞ」
そう静かに釘を刺す。しかし賊たちが止まる気配はなかった。迫る二人を前にハザルは僅かに目を細め、背へ回した手で大剣の柄を掴む。鞘から刃を一気に引き抜くと、ブォン――と低く重たい唸りが森の空気を震わせた。草が風圧に押し伏せられ、陽を受けた刃が白く閃く。
「……仕方ねえな」
そう吐き捨てると、ハザルは身じろぐことなく大剣を構えた。正面から飛び込んできた剣撃をまるごと剣身で受け止める。刹那、キィィン――とつんざくような金属音が鳴り響いた。腕に伝わる重みを押し返すように、大剣を大きく薙ぎ払う。
「ぐっ!? ……がはっ!」
押し負けた男たちの腕が弾かれ、一人がそのまま体勢を崩して背中から倒れ込んだ。湿った土が音を立てて跳ね、男の身体を汚す。
「この野郎っ!」
体勢を立て直したもう一人が怒声をあげて剣を振りかぶる。刃に淡い光が走り、雷光が迸った。簡易の魔法を剣に纏わせたのだ。薙ぎ返すには間に合わない。そう判断したハザルは剣を引かず、軸足を返して身体を捻る。
「ぐぁっ!」
鋭く放たれた蹴りが賊の腹を正確に捉える。鈍い音を立てて吹き飛ばされた男は、木の幹へと叩きつけられ、その場に崩れ落ちた。
ハザルは剣を構え直し、無言のまま刃を賊の方へ傾ける。刃先に反射した陽の光が、怯えきった男たちの顔を鋭く照らし出した。
「もう一度来てみろ。次は腕を落とす」
低く投げかけられたその声に、賊の顔色がみるみる青ざめていく。勝ち目はないと悟ったのだろう。一人が倒れていた仲間を乱暴に引きずり起こし、男たちは草を蹴り上げながら森の奥へと逃げていった。
足音が遠ざかるにつれ、張り詰めていた空気が少しずつ緩んでいく。ハザルは呼吸を整えながら静かに剣を下ろした。刃を鞘へ戻すと、数歩先へ視線を向ける。
その先には、地面に散った薬草の傍らで青年が立ち竦んでいた。まだ恐怖が抜けきらないのか、細い肩が小刻みに震えている。翡翠色の瞳が怯えと戸惑いを湛えたまま、こちらを見上げていた。
「大丈夫か」
声をかけると青年ははっと肩を揺らし、「あ、あ! ありがとうございます!」と、慌てて深々と頭を下げた。その拍子に肩口の髪がふわりと揺れる。ハザルは小さく頷き、剣の柄にかけていた手をそっと離した。
「礼はいい。怪我はないか」
「は、はい。大丈夫です」
青年の声には、恐怖の名残と安堵が入り混じっていた。
荷を運ぶ仕事でも、人を護る仕事でも。楽どころか結局いつも、誰かの血か、悲痛な叫びがついて回る――。
穏やかな空気が満ちる森の中、背の高い樹々が空を覆い、木漏れ日が揺れながら地面に斑模様を描く。どこからか鳥のさえずりが聞こえ、葉擦れの囁きが風に乗って耳に届いた。
雑木林を一人の男が歩を進める。踏み出すたびに背負った大剣がガシャリ、と揺れた。――ハザル・マレック。褐色の肌に鍛え抜かれた大きな体躯。煉瓦色の髪は無造作に編まれ、左肩には古びた刺青が覗く。肩当てには無数の小傷が刻まれ、腰には使い込まれた革袋が揺れていた。それらから、彼が長く旅を続けてきたことが知れる。
彼は各地を渡り歩く、流れの護衛屋。いわばそんな稼業だ。商人の隊列を護り、貴族の屋敷を見張り、ときには盗賊退治にも駆り出される。報酬は悪くないが、心安らぐ日は殆どない。かつて傭兵団に身を置いていた時期もあったが、馴れ合いを好まない彼にとっては、今の孤独な暮らしのほうがよほど性に合っていた。
――この地を人は、メテロニア大陸と呼ぶ。魔法の源〝マナ〟と共に発展してきた大陸だ。人々は万物に宿るマナを魔法として放ち、火を灯し、水を湧かせ、傷を癒やしてきた。それは暮らしの術であると同時に、人を傷つける術でもある。
そしてここは、メテロニア南東部に位置するイルマヤ共和国。いくつもの自治領から成るこの国には、豊かな自然に囲まれた観光都市もあれば、時の流れが止まったような山間の村もある。
数年前に大陸を襲った災厄は、この国にも深い爪痕を残した。復興が遅れた土地では賊や密売人が増え、辺境までは国の取り締まりもなかなか行き届かない。ハザルが向かっているのは、まさにそんな場所の一つだった。
今回の依頼は、ある集落の護衛。働き手の多くが中央都市へ一時的に出稼ぎに出ている間、村の安全を見守ってほしい、という内容だ。請け負ったギルドの担当者はこう言っていた。『この辺りでは、まだ大きな被害の報告はありません。楽な仕事になるかもしれませんよ』――本当にそうならありがたい話だ。だがハザルの経験上〝楽な仕事〟という言葉ほど当てにならないものはなかった。
ギルドでのやりとりを思い起こしていた、そのとき――。
「やめてください!」
若い男の叫び声が小道の奥から響いた。すぐさま耳障りな笑い声がそれを掻き消す。早速、厄介ごとが顔を出したらしい。ハザルは深く溜め息をこぼすと、声のする方へと駆け出した。
開けた場所に出ると三つの影が見えた。腰に短剣を下げ、腕には粗末な布を巻いた男が二人。どこにでもいる流れ者の賊だろう。一人が足元に転がった籠を蹴り飛ばし、地に散らばった薬草を踏みつける。そしてもう一人の男が、籠の持ち主であろう青年の腕を掴んでいた。
掴まれていた青年は、あまりにも華奢だった。年の頃は二十歳前後といったところか。麦藁色の髪は肩口にかけて淡く緑を帯び、陽光を受けた細い首筋に汗が光っている。身に纏ったローブの袖口から覗く腕は白く、抵抗の意志こそ見せていたが力強さには欠けていた。けれどその翡翠色の瞳は恐怖に揺れながらも、なお光を宿している。
「おい見ろよ。こいつ、上等な見た目してやがる」
片方の男が、青年の顎を掴んで無理やり顔を上げさせた。
「街に持ってけば高く売れるんじゃねぇか? 坊主のくせに女みてぇな顔してるしよ」
「そうだな。少し手ぇ加えりゃ上客がつくかもな」
「やめろ、放せっ!」
青年が身を捩る。もう一人が背後から肩を押さえ込み、口端をにたりと吊り上げた。
「嫌がる声も悪くねぇな、こりゃいい」
「金目のものは持ってねぇが、いいもん拾ったな」
下劣な会話が森に響く。苦悶の表情を浮かべた青年のもとへ、ハザルは一歩踏み出した。
「……何をしている」
ハザルの声にびくりと肩を揺らして、賊たちが振り返る。
「ちっ、見つかったか」
「おいあれ、只者じゃなさそうだぞ」
「二人がかりでやりゃあ、いけるだろ」
短いやりとりののち、男たちは視線を交わすと、ほぼ同時にハザルへ向かって飛びかかってきた。
「やめとけ。後悔するぞ」
そう静かに釘を刺す。しかし賊たちが止まる気配はなかった。迫る二人を前にハザルは僅かに目を細め、背へ回した手で大剣の柄を掴む。鞘から刃を一気に引き抜くと、ブォン――と低く重たい唸りが森の空気を震わせた。草が風圧に押し伏せられ、陽を受けた刃が白く閃く。
「……仕方ねえな」
そう吐き捨てると、ハザルは身じろぐことなく大剣を構えた。正面から飛び込んできた剣撃をまるごと剣身で受け止める。刹那、キィィン――とつんざくような金属音が鳴り響いた。腕に伝わる重みを押し返すように、大剣を大きく薙ぎ払う。
「ぐっ!? ……がはっ!」
押し負けた男たちの腕が弾かれ、一人がそのまま体勢を崩して背中から倒れ込んだ。湿った土が音を立てて跳ね、男の身体を汚す。
「この野郎っ!」
体勢を立て直したもう一人が怒声をあげて剣を振りかぶる。刃に淡い光が走り、雷光が迸った。簡易の魔法を剣に纏わせたのだ。薙ぎ返すには間に合わない。そう判断したハザルは剣を引かず、軸足を返して身体を捻る。
「ぐぁっ!」
鋭く放たれた蹴りが賊の腹を正確に捉える。鈍い音を立てて吹き飛ばされた男は、木の幹へと叩きつけられ、その場に崩れ落ちた。
ハザルは剣を構え直し、無言のまま刃を賊の方へ傾ける。刃先に反射した陽の光が、怯えきった男たちの顔を鋭く照らし出した。
「もう一度来てみろ。次は腕を落とす」
低く投げかけられたその声に、賊の顔色がみるみる青ざめていく。勝ち目はないと悟ったのだろう。一人が倒れていた仲間を乱暴に引きずり起こし、男たちは草を蹴り上げながら森の奥へと逃げていった。
足音が遠ざかるにつれ、張り詰めていた空気が少しずつ緩んでいく。ハザルは呼吸を整えながら静かに剣を下ろした。刃を鞘へ戻すと、数歩先へ視線を向ける。
その先には、地面に散った薬草の傍らで青年が立ち竦んでいた。まだ恐怖が抜けきらないのか、細い肩が小刻みに震えている。翡翠色の瞳が怯えと戸惑いを湛えたまま、こちらを見上げていた。
「大丈夫か」
声をかけると青年ははっと肩を揺らし、「あ、あ! ありがとうございます!」と、慌てて深々と頭を下げた。その拍子に肩口の髪がふわりと揺れる。ハザルは小さく頷き、剣の柄にかけていた手をそっと離した。
「礼はいい。怪我はないか」
「は、はい。大丈夫です」
青年の声には、恐怖の名残と安堵が入り混じっていた。
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