朱のゆりかご

久画嵜ミロ

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第一章

2.予感と邂逅(2)

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 気がつけば陽が西に傾き始めていた。森の出口へと続く細い道を二人は並んで歩いている。どうやら青年も向かう方角は同じらしく、それならばとハザルは道中の護衛を申し出た。
 横目に青年を見やると、彼は薬草を戻した籠を両手で大切そうに抱えていた。樹々の隙間から溢れる光が金糸のような髪に差し込み、風が吹くたびそれがきらきらと揺れる。しばらく沈黙が続いたのち、青年が躊躇いがちに口を開いた。

「……あの、僕はフィノと言います。お名前、聞いてもいいですか?」

「ああ。ハザルだ」

 端的に名乗ると、フィノの瞳がぱっと見開かれた。

「ハザルさん……! もしかして、護衛のお仕事を?」

「ああ。この先の――」

 ハザルは道の先を真っ直ぐ見据えながら続ける。

「ロウシェ村ってところから頼まれてる」

 フィノは「やっぱり!」と声を弾ませ、頬を緩ませた。

「村長から聞きました! 僕、そこに住んでるんです」

 ハザルは「そうか」と短く返す。明るい調子で話すフィノの表情には、もう先ほどまでの戸惑いの色はなかった。

「最近、近くの村でも物騒な話をよく聞くんです。商人の荷車が襲われたり、夜に家畜が消えたり……。村の人たちもずっと心配していて」

 フィノが眉を寄せ、籠をぎゅっと胸元で抱きしめ直す。

「俺がこの辺りを行き来してた頃は、そんな話は聞かなかったがな」

 何気なくこぼしたハザルの一言に、フィノがぱちりと瞬きをした。

「この辺り、ご存知なんですか?」

「ああ。昔……仕事で、この辺りから山手の方まで行き来していたことがある」

「そうなんだ……。この辺りを分かってる人なら尚更、村の人たちも安心します」

 そう言って、フィノがちらりとハザルを見上げる。素直な信頼が向けられた瞳と視線がぶつかった瞬間、ハザルは僅かに目を逸らした。



 やがて森の樹々がまばらになり、視界が開ける。遠くに家並みが見え始め、白い煙が空にたなびいていた。空気には微かに夕餉の香りが混じっている。

「見えてきました。あれがロウシェ村です」

 指を差すフィノにハザルは頷いた。二人はそのまま同じ歩幅で道を進んでいく。村を包む柔らかな西陽が、二人の影を長く地面に伸ばしていた。
 木の柵を越え、村の中へと足を踏み入れる。遠くで薪を割る音、子どもたちのはしゃぐ声、どこかの家から漂う煮炊きの匂い。静寂に包まれていた森とは違う、生の営みの空気に辺りが満ちていく。
 そこへ、前を歩くフィノのもとに、年老いた男女が駆け寄ってきた。

「フィノ!」

 白髪の老人が肩で息をしながら、皺だらけの手をフィノへと伸ばす。

「遅かったが、どうしたんだね」

「おじいさん、ごめんなさい。森で男の人に襲われて……でも、この方が助けてくださったんです」

 フィノがそう言ってこちらを振り返る。それを聞いた老女が「まぁ」と感嘆の声をあげた。

「ありがとうねぇ、うちのフィノを」

 〝うちの〟――? ハザルはぴくりと眉根を寄せる。子どもと呼ぶには年が離れすぎて見える。孫だろうか。しかし、フィノの話し方はどこか他人行儀で血の繋がりがあるようには思えない。遠縁か、あるいは預かり子か。いくつかの憶測が脳裏を掠めたが、ハザルは何も言わず小さく頭を振った。

「森の中でたまたま通りかかっただけだ」

「そうかいそうかい。あんたがいなけりゃフィノがどうなってたか。本当に助かったよ」

 老女は心底ほっとしたように、胸を撫で下ろした。

「村長がお願いしていた護衛は、この方なんです」

 フィノがそう言ってハザルを見やると、老夫婦は目を丸くして顔を見合わせた。

「おお、そうだったのかい! それなら村長のところへ案内せんとなぁ」

 老人は「こっちだよ」と言いながら先導を始めた。背を丸くさせながらも、足取りは嬉々として弾んでいるようだった。ハザルは彼の背を一瞥し、その後に続いた。


 
 老夫婦に案内され、ひときわ目立った民家の前に立つ。とはいえ、他と比べて僅かに大きいだけで、素朴な木造の外観は変わらない。

「村長さん、護衛の方をお連れしましたよ」

 老人が手の甲で戸をコン、コン、と叩く。中で物音がすると、ほどなくして扉が開いた。顔を出したのは、口許に整えた髭を蓄えた中年の男だった。

「おお、あんたがギルドから来た護衛さんか! わざわざこんな辺鄙なとこまですまんなぁ」

 大きな口で笑うその顔からは、人の良さが滲み出ていた。ハザルは「ああ」と短く返し、続ける。

「仕事内容を聞かせてもらえるか」

「もちろんだとも! さ、こっちへ」

 村長はいかにも上機嫌といった様子で、ハザルを家の中へと招き入れた。
 居間へ通され、部屋をぐるりと見回す。壁際の棚には書物が無造作に積まれ、隣には使い込まれた農具が立てかけられている。机の上には広げかけの地図と帳面、飲みかけのカップ。お世辞にも整理整頓されているとは言い難かった。村長はローテーブルの上に散らかった書物を手早く脇に寄せ、「どうぞ」とソファを指す。ハザルが無言で頷き腰を下ろすと、村長も正面のソファに身を沈めた。

「見てのとおり、小さな村でね。災害の復興作業で、若い連中の殆どが中央の街へ出稼ぎに行っている。戻ってくるのは畑の麦が頭を垂れる頃だ。残っている子たちだけじゃ、ちょっと心許ない。その間、周辺の警護を手伝ってほしいんだ」

 そう言って、村長は申し訳なさそうに頭を掻いた。

「本当は何人か雇いたいところなんだが……うちも余裕がなくてな」

「構わない。報酬分、しっかり働かせてもらう」

 間を置かずにそう返すと、村長は顔に安堵の色を滲ませ深く頭を下げた。



『今は誰も住んでいない空き家があるから、そこを寝床にしてくれ』

 そう村長に案内されたのは小さな一軒家だった。外観には年季が感じられたが、建具や窓には埃ひとつなく、寝室には使われた形跡のない寝具が敷かれている。ハザルのために手入れしてくれたのだろうか。かまどのある調理場には鍋と薪、井戸水を汲める桶まで揃っている。寝泊まりするには充分すぎる環境だ。ハザルは背負っていた荷を床に下ろし、大剣を壁際に立てかける。肩から力が抜けていくのを感じながら、大きく息を吐いた。
 ふた月ばかり、この村に腰を落ち着けることになる。単身でこれほどの長丁場の護衛を請けるのは初めてだ。だが報酬は悪くない。これだけあればあいつの――。
 ――コン、コン。
 その思考を、戸口を叩く音が遮った。ハザルは顔を上げ、扉へ視線を向ける。

(こんな時間に、誰だ?)

 立ち上がり、扉の取っ手に手をかける。身構えたままゆっくりと戸を押し開けると、見覚えのある顔が月明かりの中に浮かび上がった。

「こんばんは」

 夜気に溶けるような柔らかな声。――フィノ、だったか。青年は木の盆を両手で抱え、こちらを見上げていた。

「夕飯を作ったので、よかったら食べてください」

 ハザルは盆へ目線を落とす。大皿には、肉と野菜の煮込み。くったり煮えた野菜と照りのある肉がスープに沈み、湯気と共に甘い香りが立ちのぼっている。その脇には、ふっくら焼き上がったパンと、一口大に切られた白い果実が添えられていた。
 思いがけないもてなしに、ハザルは無意識に喉を鳴らす。

「いいのか、こんな」

「はい。助けていただいたお礼がしたくて。それに僕、隣の家に住んでるんですよ」

 ハザルが盆を受け取ると、フィノは顔を綻ばせながら隣家を指差してみせた。

「器は明日取りに来ますね。長旅だったと思うので、ゆっくり休んでください」

「ああ。ありがたくいただく」

 フィノが照れたように笑う。その頬が月明かりの下でほんのりと赤く染まって見えた。その表情は昼間よりもずっと柔らかく、ハザルはなぜか目が離せなかった。

「よかった……じゃあ、おやすみなさい。明日からよろしくお願いします」

 軽く会釈をすると、フィノは静かに踵を返す。その背が闇に溶けていくのを見届けてから、ハザルは部屋の中へと戻った。



 木の盆をテーブルの上にそっと置き、皿からの湯気の香りを深く吸い込む。
 ――明日から長い日々が始まる。とにかく今日は身体を休めよう。そう思いながら椅子を引き、腰を下ろす。添えられていた匙を手に取り、煮込みの皿へ手を伸ばした。スープを掬って口へ運ぶと、肉の脂と野菜の甘味がじんわりと舌に広がっていく。

(……美味いな)

 ふと、青年の笑顔が脳裏に浮かぶ。先ほどのやりとりを思い返しながら、ハザルは窓の外を仰いだ。
 雲の切れ間から月の光が差し込む。淡い月光に包まれながら、村の夜は緩やかに更けていった。
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