朱のゆりかご

久画嵜ミロ

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第一章

19. 業火(1)

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「随分と声の大きい来客ですね」
 
 ハザルの叫びが観測室に響いた直後、男は椅子にゆったりと凭れたまま口を開いた。
 
「しかし、裏手から魔法を用いて出入りしていると、よくお分かになりましたね。正面はもう長らく封鎖されていたはずですが」
 
 穏やかな声音を保ったまま男は首を傾げる。そのとき、ハザルの腰に下げた革袋の口から、ひょこりとギニアンが顔を出した。丸い瞳が男をじっと見据え、警戒するように「くるる」と喉を鳴らす。

「こいつの鼻が良くてな」
 
 ハザルがちらと腰元へ顎をしゃくってみせると、男は「ああ」と両眉を上げた。
 
「マナの濃度を感知するくらいしか能のなかったねずみが、こんなところで役立つとは。誤算でした」
 
 可笑しそうに目許を緩め「彼と一緒に連れて来ればよかったですね」と口にしながら肩を竦める。その仕草からは、まるで危機感が感じ取れない。
 
「向こうで隠れてろ」
 
 ハザルはそう囁くと、ギニアンをそっと床に降ろした。ギニアンは素早く部屋の隅の陰へ駆け込み、その場で丸くなる。
 
「てめえ、フィノに何をした」
 
 押し殺したハザルの声に、男はきょとんとした表情を浮かべた。
 
「何を? 言うなれば、出荷前の〝検品〟でしょうか」
 
 男はさも当たり前のことでもあるかのように、変わらない調子で続けた。
 
「先ほど薬を投与しましてね。興奮作用のあるファロナという葉を煎じたものです」
 
 ファロナの葉。その名を聞いた瞬間、ハザルの脳裏にあの夜の光景が浮かび上がった。自分が煎じた薬の匂いを嗅いだ途端、フィノの顔色が見る間に悪くなった、あのときのことだ。
 男はちらりと背後の投影へ視線を送り、小さく溜め息を吐いた。
 
「ここにいた頃は、人は毎日歯を磨き、水浴びをする。そんな習慣と同じように、決まった時間にこの薬を投与し、体液の提出を義務づけていたのですがね」
 
 そのまま、まるで愚痴をこぼすかのように言葉を継ぐ。
 
「やはり一度人里に下りると厄介ですね。拒むようになる。恥じらいでも覚えたのでしょうか」
 
 男の言葉に、ハザルはこめかみをぴくりと震わせた。
 
(あのときフィノが倒れたのは体質なんかじゃねえ。ここで、何度も同じ匂いを嗅がされていたからだ)
 
「……正気じゃねえ」
 
 口から溢れた強い拒絶の言葉は、自分でも驚くほど低かった。
 
「そうでしょうか?」
 
 男はハザルの表情の変化を面白がるように、口許に弧を描く。
 
「特異な資質を持った彼の体液から、マナの新たな挙動が読み解ける。それを基にした数値や波形は、薬剤や魔導具、術式の改良に幾らでも応用が利きます。たった一人の負担で、多くを救う手段が得られるのです。狂っているどころか、極めて合理的なやり方だと、私は思いますが」
 
「人間を道具みたいに扱って、どこが合理的だ」
 
 吐き捨てた言葉には、抑えきれない怒りがはっきりと滲んでいた。しかし男は、ハザルからの刺すような視線など意にも介さず、乾いた笑い声をあげる。
 
「随分情緒的なことを仰る。あなたも金のためにここで働いていたのではないのですか。何が違うのですか」
 
 緩みきっていた男の目が、僅かに鋭さを帯びる。その視線に射抜かれ、ハザルはごくりと喉を鳴らした。
 
「覚えていますよ。ひとつ抜けて大きくて、よく目立っていましたから。門番とときどき、荷を運んでくれていたでしょう? 中身も知らずに」
 
 ハザルは奥歯をぎり、と強く噛み締め、拳を握りしめた。知らなかったとはいえ、自身の働きが彼らの助けとなっていたことは、紛れもない事実だ。
 
「差し詰め、都合の悪いことは『知らなかった』『仕事だった』と自分に言い聞かせているのでしょう。あなたも、傍から見れば充分こちら側の人間だというのに」

「……だからこそ、二度と見過ごす気はない」
 
 自身の爪が食い込むほど、指先に力がこもる。肩を震わせるハザルに、男は「ほう」と鼻で笑った。
 
「裁く側に回って、罪滅ぼしでもなさるおつもりですか」
 
「違う。……俺は」
 
 投げかけられた言葉を切り捨てる。そのまま、胸の奥からせり上がる感情に押し出されるように、ハザルは声を荒げた。
 
「俺は、フィノを道具みたいに扱ってるお前らが許せないだけだ!」
 
 叫びと同時に、ハザルは床を強く蹴って、男の方へと一気に駆け出した。
 男はハザルを待ち構えるように、ゆっくりと椅子から腰を上げた。にたり、と口の端を吊り上げる。そして――パチン。と、親指と人差し指を弾き鳴らす音が室内に弾けた。次の瞬間、男の周囲を囲うように冷気が浮かび上がる。それらが彼の目の前に凝縮され、大きな結晶を形作ったかと思えば途端に、パリィン――と甲高い音を立てて砕け散った。

「――っ!?」
 
 ハザルにそれを避ける暇はなかった。瞬く間に、鋭い氷の刃が身体のあちこちを突き刺す。肩、脇腹、腿—刃が容赦なく肉を穿ち、全身を激しい痛みが駆け巡った。
 
「っが、ぁ……!」
 
 喉の奥から鈍い悲鳴が漏れ、口いっぱいに鉄の味が広がる。部屋の隅に身を潜めていたギニアンが「ぴぃっ!」と悲鳴のような鳴き声をあげた。
 
(なん、だ……これは)
 
 詠唱をすることなく指を鳴らしただけで、強大な魔法が放たれた。じくじくと身体中を駆け巡る痛みに思考を奪われ、何が起きているのかハザルには理解が追いつかない。
 
「驚きましたか」
 
 男は床にぽたぽたと落ちる血を眺めながら、愉快そうに鼻を鳴らした。
 
「これも、研究の賜物ですよ」
 
 力が抜けるように、ハザルの片膝が床へ落ちる。氷の刃が刺さった箇所からじわじわと血が滲み出し、衣服を内側から赤黒く染めていった。それでも自分に言い聞かせるように、ハザルは震える脚へ力を込める。痛みを押し殺し、どうにか身体を起こそうとした、そのとき。パチン。と、再び乾いた音が室内に弾けた。次の瞬間冷気が走り、氷の刃が真横からハザルの脚を貫く。

「――っ、あ、が……っ!」
 
 焼けつくような激痛に、堪えきれず声が漏れる。呆気なく体勢を崩され、ハザルは両膝を床につき、項垂れるような格好となってしまった。
 
(もう少し……もう少しで、フィノを、助けられるのに)
 
 ぎり、と歯を食いしばり、ハザルはどうにか顔を上げた。壁面の投影に映るフィノは、表情こそはっきりとは見えない。だが、肩を震わせる様子とか細く啜り泣く声だけで、どれほど追い詰められているのかが伝わってきた。何かを口にしようとしているのか、魔導具越しに途切れ途切れの声が漏れ聞こえてくる。
 
『……は……っ……ん、っ』
 
 男は血に濡れたハザルを見下ろし、どこか感心したように目を細めた。
 
「今のを受けて倒れないとは、大したものだ。ですが、もう一発当てたら……どうでしょう?」
 
 男がゆっくりと片手を持ち上げ、指を重ねる。もう一撃が来る。その気配に全身の筋肉が強張った。脚から這い上がる痛みで、身体は思うように動かない。剣を握る手にも、力が入らない。
 
(もう、間に合わねえ――)
 
 諦めにも似た感情に意識が呑まれかけた、そのときだった。
 
『――ハザル、さん』
 
 ハザルははっと目を見開き、息を呑んだ。その声は驚くほど真っ直ぐにハザルの耳へ届き、胸の奥にまとわりついていた黒い靄を、あっという間に吹き消していく。
 
(……そうだ)
 
 ――必ず、フィノを連れ戻す。
 胸の底に、ぼうっと小さな火が灯ったような気がした。
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