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第二章
34.踏み出す朝(2)
用件を済ませてギルドを出ると、二人は次の目的地である書店へと向かった。
「いい人が見つかるといいなあ」
「そうだな」
ハザルが返すと、フィノは無意識に手を握りしめた。
「早く、きっかけを作らないと」
ロウシェ村を発つとき、老夫婦はフィノに幾ばくかの滞在資金を持たせてくれた。ただ、それに頼りきるわけにはいかない。資金が尽きる前に、せめて魔法を教えてくれる魔術師のもとまで辿り着きたい。もし足りなくなれば、自分にもできる仕事を探す必要がある。
――そう考え込んでいると、不意に頭上から声が降ってきた。
「フィノ」
見上げて「はい?」と返すと、ハザルはフィノの気負いを察したのか、いつもより穏やかな声音で告げた。
「今回の報酬なんだが……正直、思っていた倍以上もらっちまったんだ」
「ええ! すごいですね」
「だから、もし資金が足りなくなるようなら、使ってくれて構わない」
「そんな! だって、そのお金は――」
ハザルには、故郷に脚の不自由な妹がいる。彼女の生活費のために、身を危険に晒してまでこの稼業を選んでいるのだ。そんな金を自分のために使ってもらうなど、あまりにも申し訳ない。フィノが首をぶんぶんと横に振ると、ハザルはそれを宥めるように続けた。
「お前がこれからどうするか決めるまで、俺もここにいる。その間、軽い仕事くらいなら受けられる。気にしなくていい」
「……でも」
なおも言い募ろうとするフィノを、ハザルが「それに」と遮る。
「言ったろ。頼りたいって思ってくれて、嬉しかったって」
その言葉に、彼が想いを伝え、口づけてくれた夜のことが脳裏を掠めた。けれど、あれは気持ちの話であって、金銭の話ではない。そこまで甘えるわけにはいかない——。よほど不満げな顔をしていたのだろう。ハザルはフィノを見て、苦笑を浮かべた。
「そうムキになんな。素直に受け取っとけ」
「……う」
フィノが小さく唸った、そのとき。背中のフードがもぞもぞと動き、中からギニアンが顔を出す。
「ぷぃ」
絶妙な間合いの登場に、ハザルは肩を竦めた。
「ギニアンもそう言ってるんじゃねえか?」
「……うう」
フィノはますます困って眉を寄せる。迷った末に、漸く「ありがとうございます」と、深く頭を下げた。
ハザルに案内され、二人は街の書店へ足を運んだ。店内に入ると、紙と仄かな革の匂いがフィノの鼻先を掠める。背の高い棚が幾つも並び、その一段一段を埋め尽くすように、さまざまな書物が収められていた。
「すごい量……。ハザルさんは、本屋さんによく来たりするんですか?」
「いや、滅多に。読書は好きじゃねえからな」
恥ずかしげにハザルが漏らす。ときどき大雑把なところがあるとは思っていたが、そう言われると妙に納得できてしまう。
「魔法の教本を探しているんだが」
ハザルは帳場に座っていた店主らしき老人へ声をかけた。彼は顔を上げると、「こっちじゃよ」と立ち上がり、店の奥へ歩き出す。二人がその後に続くと、店主は歩きながら問いかけてきた。
「術式の本かね?」
「いや、初歩的なものが学べるやつがいい」
店主は「ふむ」と呟きながら、棚を見回す。
「初めて魔法に触れる子向けかね? 読み聞かせるものがいいか、それとも、自分で字を読める子向けのものがいいか……」
その言葉に、フィノは思わず俯いた。
(そっか、それが、当たり前なんだ)
魔法は、幼い頃から触れるものなのだろう。フィノは物心ついたときにはもう研究施設にいて、その機会を与えられることのないまま、気づけば二十一になっていた。そんな自分を晒すことに、躊躇いを覚える。――それでも。
(伝えなくちゃ、始まらない)
「……それは」
「僕です」
答えあぐねるハザルに代わり、フィノは顔を上げ、自ら口を開いた。店主が目を見開く。
「君が?」
「はい。僕自身が読みます。読み書きはできますが、魔法を使ったことがなくて。なので、なるべく簡単なものをお願いします」
はっきりと告げると、隣でハザルが目を丸くした。それも一瞬のことで、すぐにフィノの言葉を引き取るように続ける。
「それと、この辺りで実際に魔法を教えているやつはいないか。こいつを会わせたいんだ」
二人の言葉がよほど意外だったのか、店主は「ほう」と声を漏らした。思案げに蓄えた髭を撫でていたが、やがて「それなら」と呟いて棚から一冊の本を抜き取る。
「この教本を書いた魔術師が、街の外れにおる。場所を教えるから、彼を訪ねてみるといい」
渡された本を、フィノは両手で受け取った。表紙には大きく、〝魔法入門〟の文字が記されている。その題字をじっと見つめてから、店主へ向き直って礼を述べた。
会計を済ませると、店主は魔術師の居所を紙に書き留め、フィノへと差し出した。
「事情は分からんが、頑張っての」
その声には、揶揄いも哀れみもなかった。フィノは一度瞬きをしてから、紙を受け取る。それを本に重ね、胸元へぎゅっと抱き寄せた。
「……はい!」
嬉しさのままにハザルを見上げる。視線が重なると、彼は何も言わず、ただ一度頷いた。
「いい人が見つかるといいなあ」
「そうだな」
ハザルが返すと、フィノは無意識に手を握りしめた。
「早く、きっかけを作らないと」
ロウシェ村を発つとき、老夫婦はフィノに幾ばくかの滞在資金を持たせてくれた。ただ、それに頼りきるわけにはいかない。資金が尽きる前に、せめて魔法を教えてくれる魔術師のもとまで辿り着きたい。もし足りなくなれば、自分にもできる仕事を探す必要がある。
――そう考え込んでいると、不意に頭上から声が降ってきた。
「フィノ」
見上げて「はい?」と返すと、ハザルはフィノの気負いを察したのか、いつもより穏やかな声音で告げた。
「今回の報酬なんだが……正直、思っていた倍以上もらっちまったんだ」
「ええ! すごいですね」
「だから、もし資金が足りなくなるようなら、使ってくれて構わない」
「そんな! だって、そのお金は――」
ハザルには、故郷に脚の不自由な妹がいる。彼女の生活費のために、身を危険に晒してまでこの稼業を選んでいるのだ。そんな金を自分のために使ってもらうなど、あまりにも申し訳ない。フィノが首をぶんぶんと横に振ると、ハザルはそれを宥めるように続けた。
「お前がこれからどうするか決めるまで、俺もここにいる。その間、軽い仕事くらいなら受けられる。気にしなくていい」
「……でも」
なおも言い募ろうとするフィノを、ハザルが「それに」と遮る。
「言ったろ。頼りたいって思ってくれて、嬉しかったって」
その言葉に、彼が想いを伝え、口づけてくれた夜のことが脳裏を掠めた。けれど、あれは気持ちの話であって、金銭の話ではない。そこまで甘えるわけにはいかない——。よほど不満げな顔をしていたのだろう。ハザルはフィノを見て、苦笑を浮かべた。
「そうムキになんな。素直に受け取っとけ」
「……う」
フィノが小さく唸った、そのとき。背中のフードがもぞもぞと動き、中からギニアンが顔を出す。
「ぷぃ」
絶妙な間合いの登場に、ハザルは肩を竦めた。
「ギニアンもそう言ってるんじゃねえか?」
「……うう」
フィノはますます困って眉を寄せる。迷った末に、漸く「ありがとうございます」と、深く頭を下げた。
ハザルに案内され、二人は街の書店へ足を運んだ。店内に入ると、紙と仄かな革の匂いがフィノの鼻先を掠める。背の高い棚が幾つも並び、その一段一段を埋め尽くすように、さまざまな書物が収められていた。
「すごい量……。ハザルさんは、本屋さんによく来たりするんですか?」
「いや、滅多に。読書は好きじゃねえからな」
恥ずかしげにハザルが漏らす。ときどき大雑把なところがあるとは思っていたが、そう言われると妙に納得できてしまう。
「魔法の教本を探しているんだが」
ハザルは帳場に座っていた店主らしき老人へ声をかけた。彼は顔を上げると、「こっちじゃよ」と立ち上がり、店の奥へ歩き出す。二人がその後に続くと、店主は歩きながら問いかけてきた。
「術式の本かね?」
「いや、初歩的なものが学べるやつがいい」
店主は「ふむ」と呟きながら、棚を見回す。
「初めて魔法に触れる子向けかね? 読み聞かせるものがいいか、それとも、自分で字を読める子向けのものがいいか……」
その言葉に、フィノは思わず俯いた。
(そっか、それが、当たり前なんだ)
魔法は、幼い頃から触れるものなのだろう。フィノは物心ついたときにはもう研究施設にいて、その機会を与えられることのないまま、気づけば二十一になっていた。そんな自分を晒すことに、躊躇いを覚える。――それでも。
(伝えなくちゃ、始まらない)
「……それは」
「僕です」
答えあぐねるハザルに代わり、フィノは顔を上げ、自ら口を開いた。店主が目を見開く。
「君が?」
「はい。僕自身が読みます。読み書きはできますが、魔法を使ったことがなくて。なので、なるべく簡単なものをお願いします」
はっきりと告げると、隣でハザルが目を丸くした。それも一瞬のことで、すぐにフィノの言葉を引き取るように続ける。
「それと、この辺りで実際に魔法を教えているやつはいないか。こいつを会わせたいんだ」
二人の言葉がよほど意外だったのか、店主は「ほう」と声を漏らした。思案げに蓄えた髭を撫でていたが、やがて「それなら」と呟いて棚から一冊の本を抜き取る。
「この教本を書いた魔術師が、街の外れにおる。場所を教えるから、彼を訪ねてみるといい」
渡された本を、フィノは両手で受け取った。表紙には大きく、〝魔法入門〟の文字が記されている。その題字をじっと見つめてから、店主へ向き直って礼を述べた。
会計を済ませると、店主は魔術師の居所を紙に書き留め、フィノへと差し出した。
「事情は分からんが、頑張っての」
その声には、揶揄いも哀れみもなかった。フィノは一度瞬きをしてから、紙を受け取る。それを本に重ね、胸元へぎゅっと抱き寄せた。
「……はい!」
嬉しさのままにハザルを見上げる。視線が重なると、彼は何も言わず、ただ一度頷いた。
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