この奇妙なる虜

種田遠雷

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11、人間たち

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 足枷から鎖が外された。
 与えられた衣服に袖を通して袖先と裾を捲り、鎖を片付けているアギレオの背を見る。エルフの中で背の高い方ではないが、森の外で明らかに自分よりも長身というのはやはり珍しい。変わった生き物だ、と、普段は向けられる側の目をその長身に向け。
 行くぞ、と声を掛けられ後について家を出る。
 先ず目についたのは川だった。浴びせられた水の清浄さを思い出し、洗濯のために余るほど汲まれる水量に納得する。水が多いと見回せば、川沿いから広がるように、小さいが数十の家が建ち、いくつか井戸も見える。その家々を覆い隠すようにぐるりと木立に囲まれ、集落の外縁には大きな建物がいくつか、中央辺りにも一つ。先を行くアギレオの向かう先が、中央の大きな建物だ。あれが食堂だ、と説明されてルーの言葉を思い出し、なるほどと頷く。
「おーっすうー」
 扉を開いて入る長身の向こうから、お頭、よう、などと気軽めいた声が返されているのが聞こえる。
 足を踏み入れれば目の前に大きな食卓がひとつ、それよりは少し小さなものが二つ。集まって食事をとっている男女は合わせて二十人足らずだろうか。男の方が多いのかと目で数えるのを、女達が時折動き回って数えにくい。
 大きな食卓の椅子の一つにアギレオが掛け、視線で隣を示すのに頷いて足を向ける。エルフだ、エルフだといくつか声を向けられ、座る前に彼らを見渡した。
「名はハルカレンディア。エルフだ」
 声を肯定したつもりだったのが、ドッと笑いが起きて瞬く。
「見れば分かる!」
 そうか、と笑いながら椅子に掛け、食卓の上に目をやる。意外にも、集落の規模にしては多く、種類の豊富な野菜や肉料理、卵やチーズまであり、大皿に盛られたものをめいめいで好きなように取り分けているらしい。
 豊かなようだ、と眺めるところで、隣の男から声を掛けられる。
「俺はマイアー。人間だ」
 気さく、というには含みのありそうな笑みに、ひとまず勘ぐってもしょうがない、よろしくと返しておく。
「お水でいい? それとも、エルフもエールを飲むかしら。私はダイナ、人間よ」
「それならエールをもらえるだろうか、ダイナ」
 カップを受け取る間にも、シュナイダーだベッカーだ、カルラだミーナだと食堂にいる者達が次々に名乗り、顔を名前と結びつけるよう一人一人の顔を見て頷く。
「全員人間なんだな」
「見ただけじゃ分かんねえだろう」
 隣のマイアーがすかさず言うのに、また場内がドッと沸いて、なるほどと表情を崩す。
「私と違って」
 頷くのに隣から勢いよく背を叩かれ、手にしたカップを慌てて支える。分かってんじゃねえか!と、愉快そうな声に、なんとなく、アギレオや今まで会った者達の雰囲気が腑に落ちるような気がして頬を緩める。
「正しく言えば、あなたとアギレオと私以外、ね。ここにいる人間は」
「ルー。お招きありがとう」
 正面に座るルーに、先会ったばかりなのに、知った顔を見たような気になって少し胸も緩む。
「どっかの学者サマによれば、俺ゃ人間だそうだぜ」
 へえ、と思わずアギレオの角と牙に目をやり。ないない!お頭のどこが!と、またあちこちで笑っているのに、少し眦を緩めながらカップに口をつける。
「食堂での食事は一日に3回よ。大体今くらいのお昼と、夜、明け方にも。自宅で食事する者もいるけど、集まれば楽でしょう」
 肉を皿に取りながら説明してくれるルーに目を向け、頷く。
「一日3回の、間が長いな」
 上げる目を向けられ、琥珀が微笑むのと目が合う。
「獣人達は、ええと…今は全員ね。夜に起きて陽のある間は寝てるの。リーも眠ってしまったわ」
「ああ…!」
 しきりに感心して重ねる頷きに、そういうこと、と笑みを返される。
「大体が、昼は人間達が砦の中のことをやって、夜に起きてくる獣人達が入れ替わりで狩りに行ったり、縄張りの見張りにうろついたりってとこだな」
「お互いにどちらもやるけど、大抵そうなるわね」
 隣で肉を頬張りながら説明してくれるアギレオと正面のルーに交互に目を配りながら、それで見た顔はないのかと納得する。
「何も食べないの? エールだけ?」
 ルーの隣に腰を下ろす、エールのカップをくれたダイナに声を掛けられて、カップを少し掲げてみせる。
「さっきルーにいただいたばかりだから、今はこれだけで」
「ハル、は、食べられないものはある?」
 名前の後にのみこまれたのは"ちゃん"なのだろうか…と、続いたルーの声に問うのはやめておいて首を捻る。
「食べられないわけではないんだが、肉や魚は摂らないな。少し…苦手だ」
「チーズや卵は?」
 食べる?と、ダイナに勧められて、いただく、とチーズだけを皿に受け取る。
「卵もあまり…」
「食えるのに食わねえなら好き嫌いだな」
「お頭は言えないだろ!」
 反論より早くダイナが声を上げ、思わず二人を交互に見る。
「俺は肉食なんだ。この牙見りゃ分かるだろ」
「子供みたいなウソつくんじゃないよ。そんな立派なうす歯があって野菜が食えない道理があるもんか」
「肉だって奥歯で噛まねえと味が出ねえだろうよ」
 ダイナが笑い、アギレオが澄ました顔をしていて、軽口なのだろうと遣り取りを耳に入れる。手を伸ばして褐色の顎から頬に触れ、これか、と噂のうす歯を確かめ。あるだろ、と厳しい目線を向けるダイナに、確かにと頷き、アギレオに牙を剥く真似をされて笑う。
「てことはやっぱ、レビと同じかね」
 魔術師の名を口にするダイナに、アギレオが顔を上げて食堂内を見回す。
「そういやレビがいねえな」
「忙しいから自分ちで食べるんだって」
「大丈夫かあいつ、すぐ飯抜きやがる」
 後でちゃんと食ったか見に行くよ、とダイナが請け負い、頼むとアギレオが頷く。
 細やかで繋がりが強い、と。二人の遣り取りから目を離して、食堂でめいめいに喋ったり食べたりしている面々を見渡す。それから、静かに食事しているルーに視線を戻して、食堂に連れてこいと言われた理由に得心がいく。確かにこれだけで、昼の面子はおよそ自分の顔を覚えたことだろう。
「ああそうだ。誰か、今日縫い物するやついるか」
 アギレオが声を掛けるのに、あたしやるよ、とミーナと名乗った女が答える。
「こいつに服の詰め方教えてくれ」
「いいけど。渡してくれたらついでにやっちまうよ?」
 こいつ、と顎で示され、また忙しなく今度はアギレオとミーナの顔を見ることになる。
「いや、お前ら忙しいんだ。自分でやらせる」
 なるほど、と、袖を捲った服に目を落とす。はーい、よろしくね。と、ミーナから向けられる声に、よろしく頼む、と浅く頭を下げた。

「いいね。さすがエルフだ、手つきが違うねえ」
 着ているものとは別にアギレオから預かった衣服を、片付けられた食卓に広げ、解き方と直し方を習う。一時の師にお褒めいただいて、ありがとうと返す頬が知らず綻ぶ。
 食堂を片付けていた幾人かも姿を消し、広い室内にミーナと二人で、互いに根を詰めるようにああでもないこうでもないと針と糸を使い、ようやく少し一区切りつける。
「基本的なことはそんなもんだ。お頭の家にも針と糸くらいあるだろうから、家でやってもいいし、分かんないことがあれば、ここに来るなり誰かに尋ねに行くなりすりゃなんとかなるだろ」
「分かった。何か礼ができればいいんだが」
 礼ー?と笑う顔に頷く。頷いたところで、何も持っていないのは変わらないが。
「そう言ったってねえ、…ああ、そうだ。それじゃあレビのところに薬を取りに行ってくれよ」
 肩と首を回しながら立ち上がるミーナを見て、広げたあれやこれを片付け、まとめて自分も立ち上がる。
「ああ、勿論。場所を教えてもらえるだろうか。レビのところからミーナの家に届ければいいか?」
 しきりに首を回すのが少し気になりながら、そうそうと食堂から出る彼女の後につく。あれがレビの家で、あっちがあたしの家、と示される建物の位置をよく把握しておく。遠いというほどではないが、確かに、少し行ったり来たりになりそうな位置だ。
「すまない、少し身体に触れる」
「えっ?」
 触れてみれば、日に焼けた首と肩周りで、霊力の流れが少し凝り固まっているのが分かる。このせいで痛むのかもしれない、と、癒やしの魔術を扱うほどは器用でない掌と指ながら、少しその流れを手伝ってやる。治るとはいかないまでも、マシになっただろう淀みから、手を離し。
「失礼した。では、また後で家を訪ねさせてもらうよ」
「ああ…そうだね…」
 少しぽかんと見上げられるのに笑みで応じ。おっ?などと声を上げて肩を回しながら踵を返す彼女に背を向け、川のやや上流に沿う魔術師の家を目指して歩き出した。
 歩きながら見回せば、家々の間や裏のあちこちに小さな畑や家畜を入れた囲いがあり、豊かな食卓の理由が垣間見える。この大きな建物は何だろうかと、煙突から煙を上げているのを見、覗いてもいいものか悪いものかと首を捻ったりする内に、目指す建物へと辿り着く。不思議な緑の香りに少し鼻を鳴らしながら、戸を叩き。
「レビ、いるだろうか。ミーナに言われて薬を取りに来たんだが」
 開いてるから入れと声を掛けられ、扉を開いて上がり込んだ。
 足を進めながら、ああ…と思わず感嘆の息を漏らしてしまう。あちこちに吊された草や葉、花、ところ狭しと並べられた魔術と製薬の器具、大きな窓から差し込む明るい室内に背を向けるよう隅に立つ本棚にまで、薬瓶が侵略し始めている。
「魔術師の部屋だ…」
 ん?と、振り返るレビが眉を上げるのに、足を止め。
「ミーナに言われて薬を取りに来た。…そうだ。先日は手紙を届けてくれてありがとう」
「まだ生きてたんだな、お前」
 フンと鼻で笑われ、苦笑いしてしまう。
「ルーから話は聞いてる。いつでも逃げ出していいぞ。こっちの準備はできてる」
「…焼き殺されないように気をつけるよ。ああ、失礼した。名はハルカレンディアだ」
 あっそ、と素っ気なく答えながら薬を作っては詰めしているらしい忙しない手元を眺め、吊された薬草を眺め、本棚に目をやる。
「ミーナの薬な、ちょっと待て。俺はケレブシアだ」
 話のついでに、思いがけず名乗って返してもらえたのに瞬き。
「ああ。なるほど、ケレブシアでレビか」
 エルフの名前だなと思い、自分の方がそう言われたのを思い出して、少し音もなく笑い。本棚に少し歩み寄って、並ぶ背表紙を眺める。
「エルフには馴染まないだろ、名前を縮めて呼ぶの」
 振り返り、浅い木箱に大小の瓶や壷、ふた付きの薬入れが並べられるのを見、並べるレビを見る。
「そうだな。最初は自分のことだと分からなかった」
 笑って頷くのに、白い頬が緩められるのを見れば、こちらの眦も緩み。そのまま、傾き始めの陽の光に透けそうな横顔に少し見惚れる。
「ハルカレンディアなら、…ハルかな。ルカ?」
「ハルの方が呼びやすいようだな。レビ、は、名を詰めて呼ばれるのに馴染めなかったのか?」
 うーん、と、間を取り瞬く睫毛まで銀色だ。エルフならば珍しいというほどではないのに、ひどく久し振りに見るもののような気がして、息が緩む。
「ほんとに最初の頃はな。なんでだ?ってのもあって…。けど段々、親しみを込めてるってやつかって気づいて、悪くないなって」
 ああ、と頷くのに、それと、と目を向けられ、続きに耳を傾ける。
「戦いになった時に呼びやすくするためだそうだ」
「ああ…!」
「感心するだろ。その発想はなかった」
「本当だな…。名は名としてひとつのものだという頭が…」
 アギレオなら、エルフだなと笑うことなのかもしれないと、ふと過ぎって、思わず唸る。
「よし、待たせたな」
「いや。面白い話をありがとう。レビがこんなに話してくれるとは思っていなかった」
「残念」
 切り返すように言われて、えっとその顔を見る。様々な薬入れが並んだ浅い木箱、盆の代わりらしきそれを押しつけられ、咄嗟に受け取る。
「時間稼ぎだ。ついでに砦中に薬を配って歩くがいい、囚われのエルフ」
 思わず言葉を失って、口が開いたままになってしまう。
「薬入れに向かって"誰のだっけ?"って言えば名前が浮かび上がるから、間違えないで届けてくれ。日が暮れるまでに配り終えたら、読みたい本を貸してもいい」
「えっ、そうか、えっ、そうか、それは借りたい」
 ほら行け、と急かされ、日暮れ前…と一度大きな窓を振り返り。木箱の中の薬入れと見比べ、少し足を早めた。
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