この奇妙なる虜

種田遠雷

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26、ハルカレンディアの策

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 ついてこいと案内され、誰もいない食堂のテーブルを挟んで向き合って、けれど腰は下ろさない。
 テーブルの上に持参の地図を広げ、己が使者として持ち込んだ話を説明しながら、ここからここへ、と地図には載らない砦から、境の森へと指で辿る。
「新たな砦はまた隠し、通る者の内、敵国のものだけを襲えばいい」
 地図の上に目を落としながら、腕組みしたままで顔も上げず、アギレオが肩を竦める。
「つまり、処を移して、境の森でお前らのために番犬をやれってか。馬鹿馬鹿しい」
「やることは今とそう変わらないだろう」
「交戦回数が増えれば損害はデカくなる」
「ああ。だが、たとえ今、国軍との衝突を避けたとしてもだ。このままではいずれ、近い集落なり、どこかが砦を訝しみ、討伐隊を組むこともありえるだろう。その時には味方はいないが、国端の防衛を担うのならば、少なくとも自国は味方だ」
 ヘッと、鼻で笑うアギレオの顔を見つめる。意のままにならぬのは散々承知の上だ。だが、こちらに偽りや誤魔化しのないことなら、筋の通る通らぬを解さぬ男ではない。
「耳触りのいいこと言ったって、要は手前エの軍から戦力を割かず、使い捨ての傭兵隊にしてえってことじゃねえか。高貴なる義務とやらはどうしたよ」
 思わぬ口から思いがけぬ言い回しを聞くのに、驚いて少し目を瞠り。
「詳しいじゃないか」
「お前ら特権階級のお決まりの免罪符だろうが。お高く止まる代わりに身を賭して民と国を守る、」
 ようやく腕組みを解いて、けれど放り出すように投げ遣りな仕草で手をかざすのに、頷いて後を引き取る。
「そうだ。森に棲まう者はその恩恵に奉謝し、森と森を支える者を守るため、我が身を顧みず」
「へいへい。俺たちゃその中には含まれねえってわけだ」
 わざとらしく肩を竦める仕草に、こちらでも大きく息をついてみせ。
「馬鹿を言うな。それなら使者などやらず、まさに討伐隊を出せば済むこと」
「へえ?」
 椅子に腰を下ろし、目線を合わせてその混色の瞳を正面から見据える。
「お前に自国の者を襲うことをやめさせれば、砦の者と、砦に殺される者の両方を死なせないことができる」
 開いたアギレオの口が一度空回り、逸れる視線がまた戻るのを受け。
「おいおい……、いや、だが、」
「お前の言う通りだ。我らには自らの血で国と民を守る義務がある。だから無論、国端で敵を食い止める任に就くなら、軍から報酬を支払う。侵攻を防いだ成果などではなく、そこで国を守るという任そのものにだ」
「は、あ…?」
「金もまた血だ。それはお前の方がよく知っているだろう」
 間を置いて、頭を振りながら音もなく笑うアギレオに、少し唇を引き結ぶ。
「……駄目か」
「さて、どうすっかね。体よく手前エの策に乗せられんのが面白くねえといや面白くねえな」
 再び腕組みし、背凭れに寄り掛かって首を回すアギレオに、そこまでは読めていなかったなと、口許を覆って思案する。
「なるほど…」
「そもそも、ベスシャッテテスタルとは敵対してるとはいえ、今は戦時とは言えねえだろう。国軍が、わざわざ報酬出してまで俺らを使いたい理由にも思い当たらねえしな。潰せばその方が早えはずだ」
 もっともな指摘に、少し顎を引く。言葉を選んで、視線をさまよわせ。
「それは…」
「なんだよ?」
「私が王に進言したからだ」
 あン?と、跳ね上がる声に、そちらを向けない。
「今は野盗の頭領の女で、砦に帰りたいのだと…」
「はあア!?」
「無論、国としては、騎士をみすみす野盗なんぞの許には帰せない。そもそも私自身が国へ探りを入れる間諜に堕ちた可能性もある。そうでなくとも、国に害なす輩に戦力たる騎士を与えるなど、」
「おいおいおいおい待て待て待て待て」
「国のためにお前たちを使いたいという名目でも立てないなら、私が処断されるか、この砦へ一軍を寄越すしかなくなる。…或いはその両方か…」
「ちょっと待てよ!? お前、国に帰ってバカ正直にそんな話したのか!? コチコチ頭のおキレイエルフ達の前で、野盗の女にされたって!?」
「お前…! お前な…!!」
 勢いよく立ち上がる後ろで椅子が倒れる音がしても、構う気にもならない。バンと叩きつけるようにテーブルに手を突く己を、呆気に取られたように見上げるアギレオに歯噛みする。
「だから帰るところなどないと言っただろう! 預かった小隊を全滅させて、生き残った自分だけ敵に囲われていた騎士が、ひと月以上もしておめおめと国に顔を出して、何が元に戻るものか!!」
「ッ! んなことまで俺が、」
「ならばお前は! 私にどこでどう生きろと言う気だ、今更…ッ、」
 駄目だ、これでは駄目だ。これではただの感情論だと、息を飲むように言葉を飲んで唇を結び、椅子を起こして腰を据え直す。
 冷静にならなくては、と、テーブルの上で両手の指を組み合わせて額を置き、目を閉じる。
「ハルカレンディア」
 その声に呼ばれた覚えのない己の名に、弾かれたように顔を上げて、淡とした表情のアギレオを目を瞠って見つめる。
「俺が悪かった」
「――ッ!」
 驚くというよりも、慄くに近く、身体のどこかが痺れるような衝撃が一瞬。
 顎を引いて奥歯を食い締める。
「…っ、当たり前だ、この馬鹿……」
 ああ、と。悪びれているとはいえなくも、丁寧に返された短い声に、両手で顔を覆う。身の内で何かが、音を立てて崩れていくように感じる。
「…私を殺さず砦から追ったのは、元は味方であったエルフを殺させないためなのか…」
 額を擦りながら顔を上げ、向き合う表情がけれど、どこか呆れたように双眸を眇めるのを見れば、眉が寄ってしまう。
「そうじゃねえよ。むしろそういうとこだ」
 その言わんとするところが理解できず、どういうことだとも言いそびれて、ただその顔をじっと見る。
「馬鹿がスルスルこんなとこに馴染みやがって。そんなで仲間のエルフか砦のやつらか選ばなきゃならねえなんざ、それ自体が酷だろうに。だが、そうしなけりゃと思えば、お前は選ぶんだろう。どっちを殺すか」
 突き刺さるように、その言葉は己の知る自身に現実味のある指摘で、言葉が出ない。
「かといって、いざって時に大人しくしてろっても、絶対ェ聞かねえのも目に見えてっからな」
 下がってしまった視界にも、アギレオが大きくため息などつくのが分かる。
「…そんでも、それなら俺は、頭としてお前を殺すべきだったっつうのは、その通りだ」
 実際、そうやって軍に戻っちまったしな、との声に、異論を唱えようとして顔を上げ、開き掛けた口を閉じる。
 テーブルに頬杖をついて苦いような片笑いで見つめられ、どんな顔をしていいか分からない。
「我ながらどうかしてんぜ。よりによって、お前みてえなオスのエルフに惚れちまうなんてな」
「……ッ!!」
 言葉は、出ない。
 言葉にすべき感情が一体何なのかも解らない。
 口を開いては閉じる己を捨て置くように、で。と、切り替える砦の頭領に、ようようの体で目だけは向ける。
「悪ィ話じゃねえのは俺でも分かるが、ことがデカ過ぎる。やるにしたって手間も暇も人手も掛かるしな…。まさか処移しの費用までは出やしねえんだろう」
 引かぬ動揺を無理に飲み込むように、息をついてから頷く。
「そこまでは甘やかせない。お前が軍を襲ったことも事実だ、頭領であるお前の首を括らない代わりだと思ってくれ」
 グッと音になるほど息を詰まらせるアギレオに瞬いて、頭を抱えるのを見れば、ようやく少し胸を緩める。
「クッソ…ッ! エルフが…ッ!」
「私達の装備で得た稼ぎくらいは吹き飛びそうだな?」
「ッアー……クソ、」
 忌々しげに牙を剥いて歯噛みする悪党の様子に、どこか溜飲の下がるような心地で小さく笑い。
 はー…、と、まだ嘆息なぞ零しているアギレオを見ながら、自分もようやく肩の力を抜いて身を緩める。
「ともかく、砦のやつらにも一通り話は通さねえと動かせねえ。日はあんのか」
 もっともだなと頷いて返し。
「今日を入れて3日ほどで結論を出せるだろうか。否応だけでも構わない」
「分かった。絶対ェお断りだから軍と戦争しようなんてやつもいねえだろう。お前も、他のやつに訊かれたら、分かりやすく説明してやってくれ」
 分かった、と、頷いて立ち上がる。なんとかなるだろうか、なんとかしなければと、もう一度腹に力を入れて、アギレオの後に食堂の扉をくぐった。

 全ての話を聞き終えて「そりゃその方がいいだろうな」とあっさり結論づけた男達と違い、女達の心配事は細かく、忙しない。
 口々にどうのと言うかと思えば、今度は女同士でどうだと話し合い、口を挟む暇も与えられない様で、少なからず面食らいながらも意を尽くして説明を繰り返す。
「境の森ってことはもっとあっちだろ? 買い出しがよけい遠くなるね」
「えー、違うって、違う違う。そしたら今度はさ、近くを避けたり毎回違うとこじゃなくてもいいから、逆に近くなんだよ」
「え、ああ、なるほど。そりゃいいね」
「付近の街を避けていたということか?」
 後をつけられては困るからかと、もう半ば彼女達に任せるような心地で、要らぬことに口を挟み。
「そうそ。顔を覚えられたら、次は、どこから来たんだってことになるだろ。だからいつも違う街に行ってたんだ」
「ああ…」
 なるほど徹底している、と感心していれば、ふいに水を向けられ、瞬く。
「それにしても、まさかハルが戻ってくるとはね」
「…ああ、」
「しかも、お頭といられるように軍まで動かしたって、あんたもう!」
 バチンと腕を叩かれ、目を剥く。
「っ、そ、そういう話ではないんだが、ッ」
「え、そういう話なの?」
「いや、そうではなくて、」
 ちょっとこの人真っ赤だよ!と笑われるに至っては、反論など彼女達の口の速さに追い着けるはずがなく、顔を覆う他ない。
 敗北感と、いわれない羞恥に苛まれている内に、ならば良しとつけられた結論に口を挟むことも許されず、よく礼だけを重ねて逃げるようにその場を去った。
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