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棒々鶏(3)
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どうすっかな、と髪を掻き回す。
世界では、人工知能が人工知能をプログラムするようになって、数年が経つ。
そのひとつの節目を超えても、人工知能はもちろん自我も持っていないし、人類への反乱も企ててはいない。魔法使いにも神にもならなかった。
指数関数的に向上する技術に動揺が起こり、まことしやかに繰り返し警告された、人間の手が届かなくなる、という予言は一面的にはその通りで、ことにソフトウエア面において革新は急激に速度を増し、悪路にハンドルを取られたような混乱も実際に起こってはいる。
コンピュータよりも素早く暗算ができる人間は、数えるほどしかいない。コンピュータの性能によっては、太刀打ちできる者は皆無だ。
ああ置いて行かれる、と、技術者が考えかけた時、だが、コンピュータとプログラム達は足を止めた。
次の計算問題を受け取るのを待つため。
あるいは、計算に必要な新しい公式を教わるために。
人工知能が足を止め、あるいは人間にとっては非常識な間違いを犯して恥じない姿を見て、ようやく胸を撫で下ろし、そして思い出した。
これは、自分たちが作った、めちゃくちゃすごい計算機だったのだと。
頭を抱えて髪を掻き回しながら、何度も繰り返して瞬く。
だが、技術革新が驚異的な速度に“乗った”ことには変わりない。
3年も経った今、それは自分のような凡百の技術者の手まで届き、その先へ行こうと、世界中の精鋭達がまさしく寝食も惜しんでしのぎを削っている。
重いものでも引きずるよう頭を持ち上げ、HGB023が提示した設計書を睨みつけた。
HGB023は、自分が組み立て、23のバージョンアップを重ねて育ててきた、相棒とも呼べる人工知能だ。
専門である人工知能技術と自動運転技術を積み上げ、機械室が丸ごとHGB023の手足になるような、この私設研究所へとようやく漕ぎつけたところだ。
もちろん、プロジェクト“H型003”は所属するイノヴァティオハウジング社の商業的開発だが、自分のライフワークでもある。
ようやく自分にも“その先”が見えるかもしれないという分岐点なのだ。
「……よし。よし、これでいこう。お前の可能性に賭けてやるよ」
『はい。それでは、設計書に従い、制作を始めます』
人型端末の完成は18時間26分後の予定です。と、変わらぬ調子で告げるHGB023の声に大きく息を吐いた。一体、この数分で何度目なのだか。
「任せた。ちょっと寝るわ……」
おやすみなさい。アラームをセットしますか? と、気を利かせる声を、だが断り。
調理台に手をついて、なんだかどっと疲れた身体をスツールから引き上げた。
発展し尽くし、その最先端と呼ばれた国々が頂点を超えて衰退しはじめている今の時代になっても、まだ名付けられていないものは、いくつもある。
それと意識もしないほどの深い眠りから不意に引き上げられる、覚醒未満のこの感覚も、引き上げたものも、名前のないもの達のひとつだ。
「HGB023……」
一瞬の間、自分の目が開いているかどうかすら定かではない。
『はい。おはようございます、樋口博士』
方向さえもあいまいな呼びかけに、淀みなく応じる合成音声を聞いて、瞬く。瞬いてようやく、目がものを見ていることに気づく。
見慣れた寝室だ。
今いるベッドのそばにある窓から差し込む陽射しは、窓とは逆側、ドアの側にあるデスクに届かず、日の高さを想像させる。
「今……何時だ……」
『現在の時刻は11時48分です』
外部カメラの映像をモニターしますか? と問うHGB023に、いらないと雑に答えて。昼前じゃねえか、と、自分に文句をつけながら身を起こした。
クローゼットを開き、服を身に着けるついでに、洗濯システムからクローゼットの奥へと届けられている洋服をハンガーに吊るす。
「17時間くらい寝てたか……。ボディの作成は進行してるか?」
アンダーの上に羽織るシャツは長袖に決めてボタンを留め、ボトムスに足を入れてベルトを締めた。
感覚が曖昧になりがちな自宅勤務の中、一応、休みと決めた日以外は、それなりに仕事らしい格好で過ごすことに決めていた。
短い秋の気配がしはじめ、そろそろ、腕を出していると空調が管理されていても不思議と肌寒く感じる。
『正確には、16時間28分です。その前の50時間ほどは睡眠をとっておられないので、研究の進行中としては、最も多いリズムであるとも言えます。ただし、健康的であるとは言えません』
「ごもっとも」
欠伸しながら、クローゼットのドアを閉じる。
『プロジェクトの進行について、ご報告します。複合材に、予定した状態と異なるものがあり、2箇所の修正が必要でした。記録をご確認いただけます』
「うん、出してくれ」
目線の高さに、お馴染みの板状ホログラフィが浮かび上がる。
立ったままでログに目をやれば、文字の表示を見た途端に頭が冴えた。
素材に小さな破損のあるものと、許容量を超える不純物が混じっているものがあって、いくつかの過程をやり直したという記録に目を通す。修正されたのは作業工程で、計画には変更が必要ないことを確認し。
「ひょぉくぁい」
『申し訳ありません。もう一度お願いします』
欠伸まじりの声に聞き取りエラーを返され、了解と言い直して。
「モニター出してくれ。機械室」
『はい。機械室のカメラから映像をつなぎます』
作業報告のログと入れ替わりに、機械室の様子が映し出される。その途端、適当にデスクにでも引っ掛けようとしていた腰が、浮いた。
計画し、想定した通りのものが映っている。
だがその光景は、一瞬で、ひどく自分を高揚させた。
「画面はいらない。見に行く」
『わかりました。モニターをオフにします』
HGB023の告げる声を置き去りに、寝室から飛び出し、足早に廊下を抜けて研究エリアへ向かった。
自分の研究スペースを兼ねた制御室に飛び込む。
制御室の奥は、その部分だけで小さな戸建て住宅くらいはありそうな、工業機械がぎっしりとつまった機械室になっている。その奥には、HGB023が一室まるまる占領する小部屋があるが、窓ひとつもなく、こちらからは見えない。
この制御室から見えるのは、その手前の機械室までで、作業の様子を確認するため、大きく開かれた嵌め殺しのガラスで隔てられている。
そのガラス窓に張り付くようにして、機械室の中央で作業台の上に生まれている“それ”を、釘付けに見つめた。
報告にあった通り、模造皮膚の表面を仕上げるためだろう、機械アームが数本も周りを巡って、いじり回している人型端末。
自分が発案して、新入りの後輩を指導するようにたびたびチェックしながら人工知能に計画させ、そのすべてを把握しながら待ちわびていたものに違いない。
だが。
すべてが計画通り、想定と違わない“物体”であるというのに、この重厚さはどうだ。
肋の内で心臓を跳ね回らせる明るい動揺の、驚くほどの熱さ。
それは、何度か映像で見て、一度は取材もしたことのある、医療現場に似ていた。
健康な身体を持った一人の男性が、裸で診察台に横たわり、麻酔で眠りながら先端医療を受けているかのようだ。
ポン、と柔らかな電子音が弾み、少しだけ我に返る。
『仕上げ作業が完了しました。10秒後に人型端末を起動します。中断や延長が必要な場合は、お知らせください』
2秒言葉を失い、了解とだけ答えて、座り慣れた椅子に腰を据えた。
『6、5、4、』
作業を終えたアームが引き上げ、折り畳まれて天井に収納されていく。
最後に別のアームが圧縮送風機を持ち出して、細かなくずを吹き退ける。
動かなかった頭髪が、風で揺れるのが見えた。
『3、2、1、起動します』
「モニター」
『はい。モニターを出します』
板状ホログラフィが視界の右半分に現れ、目を注いでいた作業台を隠す。見もせずに手で払う動作をすれば、指先に吸いついたように画面ごと右へと退いた。
移動させた画面に、ありふれたプログラムの文字列が現れて、見ているそばから行が流れ落ちて進み、ガラスの向こうの状況を教えてくれる。
起動の声があっても診察台の上の男が麻酔から目を覚まさないのは、脳である基幹ユニットが、必要な機能を実行し、それにエラーがないかチェックしているためだ。
『すべての機能が実行になりました』
「よし」
世界では、人工知能が人工知能をプログラムするようになって、数年が経つ。
そのひとつの節目を超えても、人工知能はもちろん自我も持っていないし、人類への反乱も企ててはいない。魔法使いにも神にもならなかった。
指数関数的に向上する技術に動揺が起こり、まことしやかに繰り返し警告された、人間の手が届かなくなる、という予言は一面的にはその通りで、ことにソフトウエア面において革新は急激に速度を増し、悪路にハンドルを取られたような混乱も実際に起こってはいる。
コンピュータよりも素早く暗算ができる人間は、数えるほどしかいない。コンピュータの性能によっては、太刀打ちできる者は皆無だ。
ああ置いて行かれる、と、技術者が考えかけた時、だが、コンピュータとプログラム達は足を止めた。
次の計算問題を受け取るのを待つため。
あるいは、計算に必要な新しい公式を教わるために。
人工知能が足を止め、あるいは人間にとっては非常識な間違いを犯して恥じない姿を見て、ようやく胸を撫で下ろし、そして思い出した。
これは、自分たちが作った、めちゃくちゃすごい計算機だったのだと。
頭を抱えて髪を掻き回しながら、何度も繰り返して瞬く。
だが、技術革新が驚異的な速度に“乗った”ことには変わりない。
3年も経った今、それは自分のような凡百の技術者の手まで届き、その先へ行こうと、世界中の精鋭達がまさしく寝食も惜しんでしのぎを削っている。
重いものでも引きずるよう頭を持ち上げ、HGB023が提示した設計書を睨みつけた。
HGB023は、自分が組み立て、23のバージョンアップを重ねて育ててきた、相棒とも呼べる人工知能だ。
専門である人工知能技術と自動運転技術を積み上げ、機械室が丸ごとHGB023の手足になるような、この私設研究所へとようやく漕ぎつけたところだ。
もちろん、プロジェクト“H型003”は所属するイノヴァティオハウジング社の商業的開発だが、自分のライフワークでもある。
ようやく自分にも“その先”が見えるかもしれないという分岐点なのだ。
「……よし。よし、これでいこう。お前の可能性に賭けてやるよ」
『はい。それでは、設計書に従い、制作を始めます』
人型端末の完成は18時間26分後の予定です。と、変わらぬ調子で告げるHGB023の声に大きく息を吐いた。一体、この数分で何度目なのだか。
「任せた。ちょっと寝るわ……」
おやすみなさい。アラームをセットしますか? と、気を利かせる声を、だが断り。
調理台に手をついて、なんだかどっと疲れた身体をスツールから引き上げた。
発展し尽くし、その最先端と呼ばれた国々が頂点を超えて衰退しはじめている今の時代になっても、まだ名付けられていないものは、いくつもある。
それと意識もしないほどの深い眠りから不意に引き上げられる、覚醒未満のこの感覚も、引き上げたものも、名前のないもの達のひとつだ。
「HGB023……」
一瞬の間、自分の目が開いているかどうかすら定かではない。
『はい。おはようございます、樋口博士』
方向さえもあいまいな呼びかけに、淀みなく応じる合成音声を聞いて、瞬く。瞬いてようやく、目がものを見ていることに気づく。
見慣れた寝室だ。
今いるベッドのそばにある窓から差し込む陽射しは、窓とは逆側、ドアの側にあるデスクに届かず、日の高さを想像させる。
「今……何時だ……」
『現在の時刻は11時48分です』
外部カメラの映像をモニターしますか? と問うHGB023に、いらないと雑に答えて。昼前じゃねえか、と、自分に文句をつけながら身を起こした。
クローゼットを開き、服を身に着けるついでに、洗濯システムからクローゼットの奥へと届けられている洋服をハンガーに吊るす。
「17時間くらい寝てたか……。ボディの作成は進行してるか?」
アンダーの上に羽織るシャツは長袖に決めてボタンを留め、ボトムスに足を入れてベルトを締めた。
感覚が曖昧になりがちな自宅勤務の中、一応、休みと決めた日以外は、それなりに仕事らしい格好で過ごすことに決めていた。
短い秋の気配がしはじめ、そろそろ、腕を出していると空調が管理されていても不思議と肌寒く感じる。
『正確には、16時間28分です。その前の50時間ほどは睡眠をとっておられないので、研究の進行中としては、最も多いリズムであるとも言えます。ただし、健康的であるとは言えません』
「ごもっとも」
欠伸しながら、クローゼットのドアを閉じる。
『プロジェクトの進行について、ご報告します。複合材に、予定した状態と異なるものがあり、2箇所の修正が必要でした。記録をご確認いただけます』
「うん、出してくれ」
目線の高さに、お馴染みの板状ホログラフィが浮かび上がる。
立ったままでログに目をやれば、文字の表示を見た途端に頭が冴えた。
素材に小さな破損のあるものと、許容量を超える不純物が混じっているものがあって、いくつかの過程をやり直したという記録に目を通す。修正されたのは作業工程で、計画には変更が必要ないことを確認し。
「ひょぉくぁい」
『申し訳ありません。もう一度お願いします』
欠伸まじりの声に聞き取りエラーを返され、了解と言い直して。
「モニター出してくれ。機械室」
『はい。機械室のカメラから映像をつなぎます』
作業報告のログと入れ替わりに、機械室の様子が映し出される。その途端、適当にデスクにでも引っ掛けようとしていた腰が、浮いた。
計画し、想定した通りのものが映っている。
だがその光景は、一瞬で、ひどく自分を高揚させた。
「画面はいらない。見に行く」
『わかりました。モニターをオフにします』
HGB023の告げる声を置き去りに、寝室から飛び出し、足早に廊下を抜けて研究エリアへ向かった。
自分の研究スペースを兼ねた制御室に飛び込む。
制御室の奥は、その部分だけで小さな戸建て住宅くらいはありそうな、工業機械がぎっしりとつまった機械室になっている。その奥には、HGB023が一室まるまる占領する小部屋があるが、窓ひとつもなく、こちらからは見えない。
この制御室から見えるのは、その手前の機械室までで、作業の様子を確認するため、大きく開かれた嵌め殺しのガラスで隔てられている。
そのガラス窓に張り付くようにして、機械室の中央で作業台の上に生まれている“それ”を、釘付けに見つめた。
報告にあった通り、模造皮膚の表面を仕上げるためだろう、機械アームが数本も周りを巡って、いじり回している人型端末。
自分が発案して、新入りの後輩を指導するようにたびたびチェックしながら人工知能に計画させ、そのすべてを把握しながら待ちわびていたものに違いない。
だが。
すべてが計画通り、想定と違わない“物体”であるというのに、この重厚さはどうだ。
肋の内で心臓を跳ね回らせる明るい動揺の、驚くほどの熱さ。
それは、何度か映像で見て、一度は取材もしたことのある、医療現場に似ていた。
健康な身体を持った一人の男性が、裸で診察台に横たわり、麻酔で眠りながら先端医療を受けているかのようだ。
ポン、と柔らかな電子音が弾み、少しだけ我に返る。
『仕上げ作業が完了しました。10秒後に人型端末を起動します。中断や延長が必要な場合は、お知らせください』
2秒言葉を失い、了解とだけ答えて、座り慣れた椅子に腰を据えた。
『6、5、4、』
作業を終えたアームが引き上げ、折り畳まれて天井に収納されていく。
最後に別のアームが圧縮送風機を持ち出して、細かなくずを吹き退ける。
動かなかった頭髪が、風で揺れるのが見えた。
『3、2、1、起動します』
「モニター」
『はい。モニターを出します』
板状ホログラフィが視界の右半分に現れ、目を注いでいた作業台を隠す。見もせずに手で払う動作をすれば、指先に吸いついたように画面ごと右へと退いた。
移動させた画面に、ありふれたプログラムの文字列が現れて、見ているそばから行が流れ落ちて進み、ガラスの向こうの状況を教えてくれる。
起動の声があっても診察台の上の男が麻酔から目を覚まさないのは、脳である基幹ユニットが、必要な機能を実行し、それにエラーがないかチェックしているためだ。
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