アモル・エクス・マキナ

種田遠雷

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棒々鶏(4)

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『物理機能の実行に移ります』
「OK」
 プログラムの全てがエラーなく実行されているログが表示され、三行空けて、物理機能のチェックが同じように表示される。
 それとは別に、新たな画面がもうひとつ、浮き上がるように現れた。
 新しい画面には、プログラムではなく、数メートル先にごちゃごちゃと機械が詰まった映像が映し出されている。
 一瞬何かと思ったが、ログに目をやれば、すぐにそれが機械室の天井だと分かった。
 再びガラスの向こうに目を向け、思わず、大きく息をこぼしてしまう。
 診察台の男は目を開いて、無表情に天井を見つめているのだ。
 二つ目の画面に映っているのは、その視界だと判る。
 男が両手を持ち上げ、なめらかな動きで五本の指を伸ばし、握り、バラバラにまた開いては握って。
 足を引き寄せ、頭を持ち上げ、起き上がろうとして止まり、手をつき支えにして挑戦し直す。
 大人の身体で生まれてきてしまった赤ん坊のようだ、と思いかけ、“のよう”ではなくその通りなのだと、思わず唇をゆるめた。
 素っ裸の男が、ガラスの向こうの診察台、もとい作業台の上で身を起こす。
 どこがと具体的に指摘できないのが歯痒いが、何かが不自然だ。
 見慣れたものが見慣れぬ動きをする不気味さが、脳のどこかを神経質にさせ、鳥肌の立ちそうな腕を少しこすった。
 この人型ヒューマノイド端末は“人間のように見える”ことを目指しているが、それは人間に近付くためではない。
 重要なのは、人工知能、あるいはアシスタント機械マシンならではの機能であり、ユーザーにとって人間のように感じられることは、その手段のひとつに過ぎないのだ。
 顔の前でこすり合わせる指先に唇を押し当て、表現しようのない、深い、暗い、けれど燃え上がるような興奮に歪む口許をこらえ。
 作業台の上の男が首だけを巡らせてこちらを向く。
 まったく同時に、彼の視界を映していた画面に自分の姿が現れ、いよいよ大きく鳥肌が立った。
『物理機能、すべて異常ありません』
 ゾクッと震えが起きたのは、作業台の男が言ったのかと思ったのに、それが、いつも通りにスピーカーから聞こえる合成音声だったせいだ。
 目が合って、見つめ合っている。
 演算プログラムの結果を報告し、自分の指示を待っているのだ。
 それは、想定できる限りの物理的衝撃からの保護と、常時冷却とを独占する小部屋に隠れたままの、本体にあたるHGB023であり、同時に、作業台の上で身を起こしたままの端末の、あの男でもある。
 端末には独立した頭脳が備えられているが、今はまだ、HGB023がひとつの頭脳で二つの身体を動かしているともいえる。
 二つどころではない、家中にある端末をHGB023一台で操っており、またそうなるよう整えたのは自分であるというのに、この新鮮さはどうだ。
 大きく息を吸って、吐いて。
 何度か瞬いて、胸の高鳴りを仕舞おうと試みた。
「よし。歩いて扉を開いて、ここまで来い」
 こちらで顔を向けると同時に、彼が、同じように機械室と制御室を隔てる扉を見るのが分かる。
『わかりました。歩いて移動し、扉を開いて博士の前へ到着します』
 ゆっくりと足を下ろして床を確かめ、台から離れて彼が立ち上がる。
 こうしてみると、人間の二足歩行というのは、ひどくバランスが悪いものだと改めて思う。
 重そうな頭が乗る身体は縦長で、脚にいたっては更に細くなっている。物理だけで考えれば愚かなほどだ。
 その二本の脚が、初めて自重を支える様子を見守る。
 イメージだけで言えば、生物があれと同じ動作をやる時は、支える力加減を探して震えるのではないだろうか。
 だが彼の場合は、重心を決めかねて、修正し直して、震えるのではなく何度か揺れる。
 二足歩行ロボットとして、かなり見慣れた動き方だ。
 バランスを制御できたようで、やっと踏み出す足の最初の二歩は重く、三歩目、四歩目と次第にスムーズになっていく。
 当たり前だが、生物の幼体では及ばない学習能力に見え、確信として、ロボットとしても自分の知る限りかなり有能だ。
 目を移せば、彼の視界の画面はとっくに床など見ていない。その先の、次に突破すべき出入り口の扉を映していた。
 空間を把握し、距離を測り、扉の形状を分析しているのだ。
 スマートホームのモデリングの最終段階として、自分で、正確には自分の開発した人工知能で建てた自宅の中の、研究エリア。
 自分が今いる制御室と、人型端末が製造された機械室の間を隔てる大きなガラス窓があり、その横、部屋の隅に彼が向かう扉がある。
 スマートホームには多くの機能があるが、一台のコンピュータが家中のほとんどを制御しており、そのひとつとして、扉や窓、カーテンに至るまで、開閉は基本的に自動だ。
 その中で、今、歩き始めた彼が目指している扉だけは、手動になっている。
 ホコリなどが混入しないよう、基本的に閉じたままで開くことはない。開ける必要があるとすれば、その時にはHGB023の手が届かなくなっている可能性が高いため、手動での開閉がもっとも都合がいいからだ。
 レバーハンドルに伸ばす手が画面に映り、棒状のハンドルを掴んで止まって、手を緩めたり握り直したりして、力加減を模索する。
 ひどく慎重に、ゆっくりとハンドルを動かし、また少し止まって、今度は扉を開けようと向こうへ、つまりこちら側へ押していく。
 顔を上げて、画面ではなく実際に、扉が開いていくのに目を留め。
 少しずつ開いていく扉から光が差すかのように、胸の内が明るくなっていく。
 広がっていく扉の隙間から手が見え、腕が現れ、ほとんど伸びきったところで止まって、足の先が出る。
 なるほど、扉の向こうに立ったままでは扉を開ききれないのだと、こちらで気づくより少し早く、人工知能の方が理解したらしい。
 扉を開いて、間口をくぐる。
 人間であれば無意識にやっている動作を理解し、実行するのに数秒を要して、その身体がようやく制御室へと全て現れた。
 裸の男が辺りを見回し、扉を観察して、自分の身体を巻き込まないように慎重に閉じるのを、脇腹でデスクにもたれかかって見る。
 ぎこちなく扉を始末して、足の向きを変えて身をこちらに向け、ようやく目が合うのに、頬が緩むのを感じた。
 ロボットが歩く時にチンコが揺れる想像をした研究者はいるだろうか。
 意外といるかもしれないと考え直して、自分の凡庸ぼんようさに呆れながら、目は、彼が新しい身体を操る様子を観察する。
 少なくとも、肉眼では人間のように見えることが目標だ。
 関節等の動作を考えれば、機械には機械の合理性があり、本来は人間に近づけることは効率的とはいえない。
 だが、チラと横目で確認するログをザッと確認しても、かなりバランス良くその両方を捉えている。
 目を戻す先に見る、足の運びも予想よりはるかにスムーズだ。
 人型ヒューマノイド端末が、座っている自分の1メートル先で足を止める。
 行儀良く両足を揃えて立った彼を見上げ、奇妙な違和感を覚えながら立ち上がり、思いがけず彼が微笑を浮かべたのに驚いて、違和感を見失った。
『行動目標を達成しました。評価をお願いします』
「……OK。目標達成を承認。細かい指摘は後でやろう」
『わかりました』
「こっちは喋らないのか?」
 見つめる先で、ヒューマノイドの灰色の瞳の真ん中、瞳孔が淡く水色に光り、二度点滅した。
「HGB023本体と同じように音声会話をご利用いただけます」
 点滅の後に、今度は唇が動き。
 初めて聞く声に、おお……と思わず息を漏らしてしまった。
 穏やかで低く耳触りのいい声で、リップシンクの精度も高い。
「“HGB023本体”か。上手い表現だ。……お前に名前をつけるべきだな」
「識別番号はH型003で登録されています。別の名前を登録しますか?」
 うーんと腕組みしながらH型003の顔を観察する。
「商品化を考えれば、ユーザーが名前をつけることは視野に入ってくる。ゼロゼロサンでもダブルオースリーでも俺はいいけど……」
「はい。では、識別番号とは別に、ユーザーが呼びかける名前を新規に登録し、音声を識別するプログラムを発行、登録します」
「そうだな。それまでに名前を考えとこう」
「はい。よろしくお願いします」
 この顔、見覚えがある。いや、正確にはこの顔じゃない。
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