前代未聞の異能力者-自ら望んだ女体化だけど、もう無理!-

砂風

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最終章

Episode199╱汚霊

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(301.)
 本日もまた雪が降ってしまっている。これは雪さんのせいなのだろうか?
 というか、天候を操るなんて壮大な能力だと思ってしまうのだけど……。
 歯を磨くため廊下に出ると、瑠奈の部屋ーー月の間から、げへげへと下品な笑い声が響いてきていた。
 なんだろう?
 年のために月の間をノックした。
 しばらくすると瑠奈が半笑いの表情で出てきた。

「なんか用?」
「いや、なんか気味悪い笑い声が廊下まで漏れているんだけど……」
「ああ……ちょっとね」

 妙にハッキリしないなぁ。
 瑠奈の背後に目をやると、そこにはPCと二次元美少女が映ったモニターがあった。

「瑠奈……?」
「いや、まさかわたしが百合ゲーにハマるとは思わなかった。いいね、二次元美少女も。主人公も女の子だから感情移入できるし物語も素敵だし天国みたい」

 瑠奈が百合ゲーにハマるとは……てっきりリアルで女の子を侍らせているから、二次元なんて興味ないと言うかと思っていた。

「屋上から見上げる星空はーーってタイトル。やり終わったら貸してあげるよ」
「いや、いいよ……」

 私はどちらかというと男女のギャルゲーが好みなのだ。

「二次元とはいえ、この作品は女の子同士でやる参考になると思うよ?」
「な!? そ、それならあとで貸して……」
「いいよん」

 瑠奈はそれだけ言うと室内に戻っていった。
 畳に座りながらテーブルに顔を向け、煙草を咥え着火した。
 私は瑠奈の部屋をあとにし、歯磨きに洗面所に向かった。



 歯を磨いている最中、沙鳥から電話がかかってきた。
 スマホに耳を当てる。

『豊花さん、なんとも難しい依頼を受けてしまいました』
「難しい依頼?」

 はて、最強を自称する異能力者の抹殺依頼でも入ってきたのだろうか?
 それとも神殺しの剣バリアを備えた神造人型人外兵器でも現れたのだろうか?
 どちらにせよ受けたくない依頼だ……。

『はい。依頼内容は、ホテル月月という旅館の悪霊退治です』
「悪霊退治かぁ……悪霊退治? 悪霊退治!? いやいやいや、専門外過ぎるでしょ! 霊媒師や霊能力者に頼むことでしょ」
『そこです。豊花さんの知人に霊能力者はいるじゃないですか。田井中夕夜さん。悪霊を手玉にしているご学友が。彼に依頼してください。もう依頼を受けてしまいましたから。きちんと報酬は払いますので』

「はぁぁ!? いやいや、そんな仲良くないし、そもそも私要らなくない?」
『一応、愛のある我が家で依頼を受けましたから。幽霊を豊花さんも見られるよう鏡子さんをそちらに向かわせましたので、豊花さんはまえに教えてもらった空さんとやらに連絡して田井中さんに繋いでください。ホテル月月の場所は送ります。あちらの従業員には連絡済みですから安心してください』

 鏡子を寄越す意味がいまいちわからない。私が悪霊の姿を視認できたとして、対処するのは田井中先輩なのだから意味がないじゃないか。
 そう考えていると、ガラガラ音が鳴り玄関が開いた。

「……豊花さん……いますか……」
「鏡子、久しぶり。災難だったね」

 うがいをして玄関まで迎えに行く。

「……久しぶり……です……私は悲しいです……とても悲しいです……」

 なんだろう?
 悪霊退治に行くのがそんなに怖いのだろうか。
 でも悲しいって少し表現がおかしい気が……。

「……豊花さん……瑠璃ってひとと……お付き合いを……始めたと聞きました……うっ……うう……悲しいです……泣いてもいいですか……?」
「ちょっとちょっと、どうして私が瑠璃と付き合ったら鏡子が泣くのさ?」
「わからないんですか……酷いです……悲しいです……私は諦めません……瑠璃さんと別れたら……私と付き合ってください……おねがいします……」

 え……?
 いまなんと?
 まさか……鏡子は私のことが好きだったのだろうか?
 今の言動を踏まえるに、そうとしか思えない。

 でもーーもう、私は瑠璃の恋人なのだ。
 今さら言われても遅いし、仮に瑠璃と付き合うまえに告白されていたとしても、鏡子とは付き合えなかっただろう。瑠璃と出会ってから今まで、ずっと私は一筋なのだから……。

「ごめん。鏡子とは付き合えない。私は瑠璃のことが好きなんだ」
「酷いです……ううっ……」

 ついに鏡子は泣き出してしまった。
 泣いて地面に崩れてしまう。
 その肩をやさしく撫でる。

「でも鏡子は大切な友達だよ。そこに嘘はない」
「……うう……友達……今は……それで我慢します……」

 しばらく泣いたままでいる鏡子を宥めながら、私はスマホを取りだし空先輩に電話をかけた。

『杉井か。何の用だ?』
「すみません、斯く斯く然々で、田井中先輩にお願いがありまして……田井中先輩の電話番号を教えてくれませんか?」
『構わないが……』

 空先輩から田井中先輩の電話番号を聞き出し、お礼を述べて通話を切った。
 そのままつづけて田井中先輩に連絡した。

『もしもし、誰ですか?』

 ん?
 田井中先輩ってこんな安らかなしゃべり方したっけ?
 もっと毎回がむしゃらな口調だったような……常に世間を恐れているような。

「杉井です。お久しぶりです田井中先輩。少しお願いしたいことがありまして」
『杉井さんか。久しぶり。何の用かな?』
「実は悪霊退治の依頼がありまして……田井中先輩の力をお借りしたいんです。きちんと報酬は支払いますので」
『悪霊退治? ……ん? なるほど……』

 田井中先輩は誰かと会話をしているようだ。しかし、その誰かの声は聴こえない。

『わかった。俺には悪霊を退治する能力なんてないけど、幽がちからを貸してくれるみたいだ。お礼にお酒を買ってお供えしてくれだとさ』

 あの姿、どう考えても未成年にしか思えないんだけど……お神酒をご所望か。だいたいどこに供えるんだ。

「では、学校が終わったら川崎駅で待ち合わせしましょう。4時に改札前に来てください」
『わかった。それじゃ、またあとで』

 向こうが通話を切ったのを確認し耳からスマホを離した。
 なんだか、田井中先輩変わったな。声質は変わっていないが、爽やかな声色になっていた。悪霊から解放されたことで怯えなくて済むようになったのだろうか。
 まあ、なにはともあれ昔のままだったら会話もままならなかっただろうから助かる。
 ようやく泣き止んだ鏡子を立たせ、手を繋ぎ自室に誘導した。

「……ここが……豊花さんの部屋……ですか……」
「狭いけど我慢して。3時になったら家から出るから、それまでゆっくりしててよ」
「……はい……」

 鏡子はちんまり床に座り、顔をうつ伏せにした。
 うう、まだ暗い。
 男からの告白はバッサリ断れるけど、女の子からの告白は断った経験がない。いや、裕璃からの告白とも捉えられる言葉を断った経験もあるから、ないわけではないか……。
 でも、私が失恋させてしまったのだ。
 いつから好意を向けられていたかは定かではないが、鏡子は男姿の私を知らない。でも瑠璃はたとえ私が男の私でも付き合えると言ってくれたのだ。
 まだまだ眠かった私は、アラームを二時半に設定して仰向けに寝転びまぶたを閉じた。
 泣き声が小さく響く。
 鏡子……ごめん。

 ……いや、この泣き声は鏡子じゃなくない?
 …………瑠奈だ。この声は瑠奈だ。
 と、いきなり部屋の扉がガチャリと開いた。

「あああ感動したよぉおお最後星空が共鳴するシーンは泣けたぁああうわーん豊花ぁああはいこれ百合ゲー貸してあげるぅうう! 全ヒロイン徹夜でクリアしたかいがあったぁああ!」
「は、はあ」

 顔面を真っ赤に染めて鼻水や涙を垂れ流しながら、瑠奈からエロゲ特有の無駄に大きいパッケージを受け取った。
「だぶんそのノーパソでもでぎるどおもうがらぁああ! ホシちゃんとイチャイチャする夢を見るんだい! うわぁあああん!」

 バタンッ!
 と大きな音を立てながら扉を閉めていった。
 パッケージの表紙には屋上に佇んでいる女の子四人とバックに映った星空のイラストが描かれている。
 なんとなく裏面を見てみた。
 おおう……女の子同士が裸で股を合わせているイラストが……。

「……豊花さん……不潔です……」
「視界を盗撮しないでぇー!」

 これは学習用材なんだい!
 決して疚しい気持ちで借りたわけじゃない!

「鏡子は寝てて。私はちょっとこれ、やってみるから」
「……」

 鏡子は目が見えないはずなのにこれ以上ないくらいのジト目をして、そのまま畳にうつ伏せになった。
 私は地面に直は冷たいだろうと考え、布団を敷きそこに寝るように指示した。
 鏡子は素直に布団に入り込む。

「さ、さて、やるか」

 お、オープニングムービーだ。

『仰ぎ見上げた星空は、今日もきらきらと輝いている、望遠鏡から覗く世界は、昨日と明日の境界線、星と星を繋ぐ~指先でなぞる、さあ~飛び出そう、星空が広がるセカイへ~、行こう~果てしない、何マイルもあるセカイへ~、きっと私たちはそう。輝く星のひとつ。誰しも主役になれる。ああ、屋上から見上げる星空は~』

 やたら星空を主張してくる歌詞だこと。
 やたら幻想的なイラストなのに、星空星星星空輝く星星空と星のゲシュタルト崩壊の歌詞のせいで台無しだ。メロディも綺麗な旋律なのに……。

 ーーこのセカイは残酷だ。
 ーー私の恋人を理不尽に奪い去った。
 ーーあーあー、聞こえますか?
 ーー星空となったあのひとに、私の声は届いていますか?

 いきなりぶっ飛んだプロローグだった。
 星空になったあのひとって……いきなり開始からヒロイン? が死んじゃっているよ……。これを瑠奈は真面目にプレイしたのだろうか?
 しばらく文章を流し見ていく。

 ーー例えばそう、昨日までは、きょう生きているキラリと、亡くなる運命のキラリ両方が成り立っている。だけど、実際にはもう死んでしまった。醜い現実で肉片となった彼女は、星空となったのだ。
 ーー屋上に繋がる階段を登り、フェンスをよじ登り、屋上の端から星空を見上げる。
 ーーあーあー、聞こえますか? ここから飛び降りれば星になれますか?
 ーーでも……星になれても彼女と近い星になれる可能性はないに等しい。だから私は見上げたまま、星空に語りかけるんだ。

 おおう……いつまでこんな鬱々とした話がつづくんだ?
 もっとハッピーなストーリーがいいよぅ。
 私はいつの間にか物語に入り込みながら、ようやくパッケージに描かれているヒロイン三人と邂逅を果たした。一番大きなイラストのヒロインは、おそらく星空になった彼女だろう。
 傷心している主人公をヒロインのひとりーー偶然にもルリという名前のヒロインがいたため、その子の好感度を上げるような選択肢を選んでいった。
 物語が進むに連れ、いきなりルリが暴漢に襲われてしまった。ええ……。
 場面は星空が見える屋上。フェンスを挟んでルリと向き合っていた。

 ーー『このセカイは酷く汚い。こんな汚れた身体はもう要らない。ごめんね、私、行くね』
 ーー『待ってよルリ! ルリまで失ったら私は生きていけない!』
 ーー『私はいなくならないよ。ヨウコのこと、空から見守っててあげる』
 ーーそう言い残し、ルリは星空になるために宙に翔んでしまった。現実はただただ投身しただけ。地面まであと何マイル? ああ、弾けるような音が耳に届く。あまり血は広がっていない。でも、マリオネットみたいに手足があり得ない方向に曲がってしまっている。
 ーーああ、このセカイは残酷だ。もういい。ごめんね。私もお星さまになるよ。もういいんだ。そう思うと、フッと楽になった。キラリにも会えるんだ。ルリに浮気したことを知ったら、キラリは許してくれるかな? 怒るかな? 彼女が怒るなら謝ろう。もっと早くこうしておけばよかったんだ。そうだよね? 屋上の塀に立つ。
 ーーあー、あー、聞こえていますか? 私もお星さまになります。これはバッドエンドじゃない。ハッピーエンドだ。
 ーー私は足を前に踏み出した。

 ……。
 …………。
 ………………は?

 おい、おいおいおい。
 突っ込みたいところがいっぱいだぞ。
 まず暗いわ!
 あと参考にするはずのエロシーンは!?
 エロシーン、暴漢に襲われるルリのイラストしかなかったぞ!?

「瑠奈瑠奈瑠奈瑠奈ー!」

 ドンドンドンドンッ!
 私は月の間を激しくノックした。

「うるさい! せっかくホシちゃんの夢見てたのに!」
「ちょっと! これルリちゃんが凌辱されたエロシーンだったからまったく参考にならなかったうえ、暗いんですけどー!」
「ああルリちゃんルートをやっちゃったのか。あのルートには裏切られたね。でも避けては通れない道だよ。ホシちゃんルートをやるには、ルリちゃん、サチコちゃん、ムーナちゃんのルートをクリアする必要があるから。真エンドは必見だよ」
「……一番ダメなルートにいっちゃったのか」

 と、設定していたアラームが鳴った。マジか、いつの間にか数時間モクモクとプレイしていたらしい。
 うう……時間を無駄にした気しかしないよー。
 私はとりあえず鏡子を起こすことにした。






(302.)
 久しぶりに川崎駅までやってきた。
 べつにひとりで家に来れたのだから大丈夫なはずだが、鏡子は手を繋ぎ離してくれない。

「久しぶりだね、杉井さん。その子は?」

 田井中先輩が奥からこちらに歩いてきた。

「……はじめまして……美山鏡子です……豊花さんの友達です……」
「同行してもらいます。私には幽霊が見えないので、鏡子の力を借りて田井中先輩の視界を覗かせてもらい、幽霊を視認します」
「なるほど。わかった。さっそく案内してくれないか? 俺はどこに行けばいいのか知らされていないんだ」
「わかりました」

 ホテル月月は川崎駅近辺にある10階建ての旅館だ。
 スマホに送られてきた地図を見ながら歩を進める。

「幽ちゃんは元気ですか?」
「はは、元気だよ。鏡子さん? の力を借りて見てみるといい」
「鏡子、頼める?」
「はい」

 と、いきなり視界が田井中先輩の視点に変わる。
 いないと思ったら、田井中先輩の腕に腕を絡めて私の方を向き睨んでいた。

「お兄さんは渡さないの。お兄さんは私のものなの」
「あ、あはは……べつに奪わないよ。ずいぶん好かれてますね、田井中先輩」
「ははは。いや、なに、こうしているとかわいい女の子だ。どうして俺はこんなかわいい子を恐れていたんだろう?」

 本当だよ。
 たしかに片目が空洞で血が垂れているから怖いが、あんなに錯乱するほど怖がるような存在ではないだろうに。

「ありがとう鏡子、またあとで力を借りるよ」
「……はい……」

 しばらく無言の空気がつづき、ホテル月月の前にたどり着いた。
 田井中先輩と顔を向き合わせ頷くと、そのまま自動ドアをくぐった。
 正面カウンターには乗務員の男性が二人ほど並んでいる。

「すみません。悪霊を退場してほしいと頼まれて伺いました。愛のある我が家の杉井です」
「ああ、お待ちしておりました。いま社長をお呼びしますね」

 カウンターに備えられた電話を取り、乗務員はどこかに連絡を入れる。会話から社長を呼び出しているんだとわかる。
 ホテル内は広く、正面カウンターの前のフロントにはソファーが置かれている。右端には雑貨品が売られており、左にはエレベーターがある。
 そのエレベーターが降りてきて扉が開いた。
 中からは壮年の男性がひとり毅然とした態度で歩いてくる。
 その態度とは裏腹に表情は暗く、よく見るとげっそり痩せているのがわかる。

「あなたが愛のある我が家ですか。無理を言ってすみません。他の霊能力者に頼んでいたのですが、除霊をしている最中、急に体調を崩して倒れてしまい……どうすればいいか悩んでいたのです」
「そういうことですか……田井中先輩、除霊できますか?」
「それは幽霊と相対してみないとなんとも言えないよ。幽は強いけど、やっぱり限度はある。幽霊はどこの部屋に出ると云われているんでしょうか?」
「決まった部屋ではないのですよ……七階から十階のエリアは今つかっていないんです。決まって七階から上の階の至るところで目撃例が挙がるんです。もうどうしたらいいのやら……案内いたします」

 社長に乞われ、三人でエレベーターへと乗り込んだ。
 するといきなり、にゅっとからだからユタカの幽体が飛び出したかと思えば、肉体化した。

「な!?」「え?」

 社長と田井中先輩は驚いて声を上げた。

「ちょっ、ユタカ! いきなりどうしたの?」
「いや、なに。私も悪霊とやらを生身で実感してみたいんだ。いいであろう?」
「……わかったよ。どうなっても知らないよ」私は社長と田井中先輩を交互に見た。「すみません。異能力に依るものです。深くは気にしないでください」
「あ、ああ……」

 いろいろ訊きたい雰囲気を感じたが、いちいち説明するのも面倒くさい。私はその空気を無視して無言を以て返答とした。
 やがてエレベーターは七階に着く。
 扉が開いた瞬間、肌にヒンヤリとしながらジメッとしている、明言しがたい独特な空気を感じた。
 空気が重い。くらくらする。
 暖房はたしかにかかっている。なのに、からだが震えた。

「この感じ……間違いなくいますね」
「これが幽霊か……幽体の私とは明らかに異質な存在だ。気を付けろ、豊花、田井中夕夜。この感じ……私でもわかってしまう」
「そうです。あるときから一般のお客様でもなにかあったと察してしまう雰囲気に染まってしまい……ですが、過去に事故があったわけでもありません。原因がわからないんです」

 四人で歩を進めながら社長が言う。

「心理的瑕疵と幽霊は、実際にはそんなに関係ないんですよ社長さん。もし人が死ぬたびに幽霊になっていたら世界は幽霊にまみれてしまう。幽霊の数は非常に少なく、好きなところを移動するんです」

 田井中先輩は急に立ち止まると、手を横に伸ばして私たちを制した。

「ど、どうしました?」
「いま、正面に現れました」
「鏡子、おねがい。ユタカと社長にも」
「……はい……」

 鏡子が頷いた直後、視界の位相が少しズレた。
 寸刻ーー目の前には、なにもない天井からロープが垂れ下がり、そこで首を吊り穴という穴から汚液を垂れ流している男性と思わしき幽霊の姿が映った。

「ひいっ!」

 社長が息を飲む。
 グググッと首が動き、両目とも空洞となった闇より暗い黒色の眼孔がこちらを向いた。
 そのまま体勢は微動だにしないまま、スライドするかのように廊下の奥へと移動しはじめる。

「幽ーー」
「はいなの」

 幽は姿勢を低くしながら首吊り男性に向かって駆け出した。
 すぐに男性の前に辿り着くと、小さな口を大きく開きその腕に噛み付いた。

「ぐぉおっおっおっ……びゃべでぐべー!」

 肉を食いちぎると、ペッと肉片を廊下に吐き出し、思い切り蹴り上げた。
 しかし、悪霊も負けじと口から黄色の息を吐き出す。
 次の瞬間、あり得ない量の吐瀉物を滝のように口から放出した。
 びちゃびちゃと廊下に円のように広がる汚液。
 うっ……酸っぱい臭いが漂ってきた。気持ち悪い。
 幽はそれを寸でで避けると後退。
 相変わらず悪霊は吐くことをやめない。
 辺りに吐瀉物をひたすら撒き散らす。
 びちゃびちゃびちゃ……びちゃびちゃびちゃ……と嫌な音が響きつづける。嘔吐と嘔吐の境目の隙に、幽は飛び膝蹴りを悪霊に食らわせた。

「ばっちいの、やめるの。ここから出ていくなら許してあげるの」
「ううっああっ……おおっ……」

 悪霊は唸ったかと思えば、壁の中に吸い込まれるように消えていった。
 途端に空気が元に戻った。

「これで退治はできたと思いますよ。幽、よくやった」
「えへへ、撫でてほしいの」
「よしよし」

 田井中先輩はソッと幽の頭を撫でた。

「鏡子、もういいよ」
「……はい……」

 視点が元に戻ると、幽の姿が消えた。

「あ、ありがとうございます! これで七階以降もつかえます!」
「いえ、依頼ですから」
「ところで」社長は廊下を指差した。「アレは消えないのでしょうか?」

 床に目をやると、先ほどの悪霊が吐き出した10リットルはあるんじゃなかろうかと言いたくなるほどの吐瀉物は消える気配がない。
 考えてみれば酸っぱい臭いもそのままだ。

「力の強い幽霊は無から物質を生み出すこともできるのか……感心だな」
「いやいや感心してる場合? 片付けるひとが大変だよ。貰いゲロしそうだよ」
「……うう……無理……」

 と、鏡子は床に両手を着くなり嘔吐した。
 それを見ていた社長さんも耐えられなかったのか、壁に手を着くなり吐き出した。
 あ、無理……。
 ついでに私もゲロゲロしてしまった。

「あーあ、まあ従業員に掃除させるしかないでしょう」
「は、はい。とにかく、ありがとうございました」

 社長はこんなにも悲惨な廊下になってしまったというのに、律儀に頭を下げ礼を述べた。それだけ悪霊に悩まされていたのだろう。


 こうして、私の17年もの歴史の中で一番汚い話となった出来事は終わりを迎えた。


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