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Episode1/Raison detre
序章/星の巡り(.-6)
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(.-6)
雲一つない空には、美しい輝きを放つ月が姿を見せていた。
その降り注がれる光が届かないほどの明かりで埋め尽くされているとある繁華街は、真夏だということも相成り、今日も暑苦しい空気と雑音が漂っている。
その一角に建つとあるビルの内部四階には、任侠団体の名前“大海組”と書かれた暴力団の事務所が入っており、その室内には煙草の煙が充満していた。しかし今はちょうど二人しかいないため、先ほどまでは、ほかにもひとが居たのだろう。
その二人の内一人は、いかにも堅気ではないとわかる強面の男。そしてもう一人は、いかにもお嬢様然とした顔つきの制服姿の女子高生。
そんな二人は、ほかに誰もいない事務所で談笑をしていた。
「舞香まいかちゃん、売人してんのにやったことはないのかい?」
男は煙草を灰皿に擦り付けながら女子高生に問う。
「はい。だって、注射なんて怖いじゃないですか。いろいろなお客さんを見てきたからわかりますけど、頭のネジ何本も外れちゃってるひと沢山いるんですよ?」
女子高生ーー舞香は、癖のある長い栗色の髪を弄りながら返答した。
「注射はポン中になっちまった奴専用だ。こういうヤツで吸引しても、べつに構わねぇんだぜ」
デスクの引き出しからガラス製のパイプを取り出すと、白い粉の入っている透明の小さなビニル袋ーー通称パケと呼ばれている物と共に、男は舞香へと差し出した。
「大海さんもやっている?」
舞香は腕を組みながら少し唸ったあと、迷いながらもそれを受け取り、大海にそう聞いた。
「ああ、上手く付き合えりゃ案外平気なもんなんだよ」
大海は七部袖を捲り上げると、自分の肘の内側にある赤く発色している小さな点を舞香に見せつけた。
それはひとつではなく、いくつか点々と付いている。
「まあ、せっかく身近にあるんだし、ちょっとだけならやってみようかな」
「何事も経験ってわけさ」
「でも、さっきの理屈だと大海さんはポン中ってことになりますよね」
「痛いとこ突いてくるねぇ」大海はライターを舞香に渡す。「火一つ分はなして下から炙って溶かして吸うんだ」
大海は舞香の身なりを見て、説明しながら考える。
ーーこんな良いとこのお嬢ちゃんみたいなガキを、どうしてあいつら揃いも揃って怖がってやがんだ?
ーー兄貴すら『世の中には説明できない不思議な事もある』だなんて口から漏らしやがった。こんな子どもにびびってるなんざ、情けなくて反吐がでそうだ。
舞香は教えられたとおり、ガラスパイプの下にライターを構えて火を点し溶かしていく。
そのとき、事務所の扉が開くと、いきなりスキンヘッドの男が事務所内に入ってきた。
「おい兄弟、親父が呼んでる。お前も連れて二人で来いってさ」
「はっ、俺も、ですか? 用があんなら俺に直接電話くれりゃいいのに、どうしてオヤジ、兄貴にだけ連絡寄越したんですかね」
「俺が知るかってんだ。つーか舞香ちゃん、こんな時間にこんな場所でなにやって……おい、兄弟?」
男は急に声のトーンを落とすと、大海の襟首を掴み上げ顔を凄めた。
「てめぇ、舞香ちゃんになにやらせてやがんだ? なぁオイ?」
「い、いや、売人してんのにシャブやったことがないっつーんで……あっ、舞香ちゃん、もう吸っていい頃合いだ」
大海に言われたとおり、舞香は気化して白煙となったそれを吸い込んでまう。
「兄弟、俺が覚醒剤でどうなったか知ってるよな? 一番間近で見てきたよな、ああ!?」
襟首を掴む力を強めた男は、そのまま大海を突き飛ばして地面に叩きつけた。
「ふざけてんのかてめぇ。俺があれだけ狂ってたのをあんな近くで見ておきながら、仲間にやらせてどうするつもりだ!?」
「いや、あれは兄貴の使い方のせいであって普通はああはなりませーー 」
「んなこたぁ聞いてねぇんだよ! 俺のこと舐めてんのか、おい? 漬ける相手間違えてんじゃねぇぞクソ野郎ッ!」
男はそう言い終えると舞香に顔を向ける。
「舞香ちゃん、シャブだけはやめとけ」
「阿瀬さん、こんばんは。お久しぶりです。でも、案外拍子抜けでしたよ、これ。“ああ、この程度の物なのか”って感じですよ。たしかに目は冴えましたけど」
「最初は誰もがそう思うんだ。舞香ちゃんなら変な野郎に漬けられたりはしないだろうけどよ、もうそれはやめときな。ぜったい、後悔するから。やるならせいぜい葉っぱくらいにしとけ」
阿瀬が舞香に忠告するのを聞きながら、大海はゆっくりと立ち上がった。
「別に漬ける気なんてさらさら考えちゃいませんよ。だいたい、まえから気になってたんすけど、どうしてこんな子供がうちや兄貴んとこに出入りしているんですか? 兄貴が連れてきた日なんて俺、てっきり漬けて風呂屋にでも落とすのかなって思っちまいましたよ」
「相変わらずオツムが足りてねぇバカ野郎だなぁおまえ。もしそうするんだったら漬けてから連れてくるに決まってんだろ、成長しねぇクソ野郎だな本当によ」
「バカだのクソだの好き放題言ってくれますね? ……なら、俺だって言わせてもらいますよ? 兄貴も舎弟のヤツらも、どうしてこんな子供相手にイモ引いてんですか? ーー任侠の世界に、こんな女子ども連れてきたうえなにビビってやがんだって聞いてんだよっ」
流石に頭にきたらしく、大海は兄貴分であるにも関わらず喧嘩腰で阿瀬に追求する。
途端に部屋の空気が嫌な感じで満たされていく。
それが気に入らないと考えたのか、舞香は立ち上がった。
「まあまあお二人さん、少し落ち着きましょうよ」
舞香はピリピリしている極道の人間二人のあいだに割って入ったのだった。
すると、予想に反して阿瀬は一歩足を退いた。
「……舞香ちゃんに免じて今のは聞かなかった事にしてやる。舞香ちゃんに感謝しとけ」阿瀬は鞄を置き財布をポケットに仕舞う。「おら、さっさとオヤジんとこ行かねーと殴られちまうぞ兄弟っ」
舞香の言葉に従う阿瀬を見て、大海は驚きと失望を隠せない。
ーーなんだなんだ、いったい何なんだ?
ーーこのお嬢ちゃん、親父の知り合いか何かなのか?
ーーんな話、聞いたこたぁねぇぞ。
大海が渡したパケを、阿瀬は舞香の手から摘まみ上げた。
「売る覚醒剤はまだ自宅にあるよな?」
舞香がそれに対して頷うなずくのを確認すると、阿瀬はつづけた。
「なら、こいつはここに置いて帰りな。こんなビルから舞香ちゃんみたいな可愛らしいお嬢ちゃんが出てきたら、怪しく思われるに違いねぇ。万が一にでも職質かけられたら寒いだろ」
「まあ私の場合、なにかあっても逃げられる自信がありますけどね。99.9%くらいの確率で」
舞香は、まるで逃亡率100%だとでも言いたいような、自信満々といった表情を浮かべながら宣う。
「……それもそうだったな。悪い、要らねぇ心配か。とにかく、シャブは売りに専念して自分ではやらねぇようにしとけよ? 『お金稼ぎに覚醒剤(シャブ)を売っていた』はずが、いつの間にか『覚醒剤(シャブ)やるためのお金を稼ぐために覚醒剤を売っている』になっちまうから」
そのやり取りを無言で眺めていた大海は、ひとつ疑問を抱いた。
ーーなにがあっても逃げられるだと?
「兄貴、ちょいといいかい。俺らだって捕まるときは捕まるんだ。デコ助は舐めちゃいけねぇんじゃないか。そんな事、十割逃げ切れる策があるんだってんなら俺が知りてぇよ」
大海に疑問をぶつけられた阿瀬は、なにかを言いかけ、それをやめて舞香に視線を戻す。
「……舞香ちゃん、いいかい?」
阿瀬は舞香になにかを問う。
舞香が頷くのを確認すると、阿瀬は大海の方へ視線を移した。
「異能力者……って知ってるよな?」
「異能力者? ああ、あの都市伝説みたいな与太話ですか。知ってますぜ? なんと、スプーンを種なしで曲げたりできるとかいう超能力者がいるんだって」
噂だけなら、大海も耳にしたことがある。
異能力者というのは、文字どおり常人では普通不可能な一般市民とは異なる能力を扱える者のことだ。
スプーンを曲げるのはもちろん。火の玉を出したり、空を飛んだりーーようするに超能力染みたことができる人間、それが10年前辺りから姿を現したのだという噂が、どこからともなく流れてきていた。
「兄貴は俺がそんな与太話、信じるって思ってんですかい」
「まっ、そりゃそうなるよな。俺だってそんな話、最初は信じちゃいなかったさ。だけどな、いるんだ。たしかに異能力者はいるんだよ。物理法則も固定概念も何もかもを無視した『超能力』が与えられた人間、異能力者はたしかに存在するんだ。少なくとも、一人は確実にな?」
阿瀬は舞香を横目で見る。
「はい? ってことはアレですか? 『舞香ちゃんは異能力者だ!』とでも言いたいわけですか? そんでもって異能力者だからうちや兄貴んとこも出入りできるんだと。んな話されても信じられませんよ。だいたい、ならなんだってんですか? 舞香ちゃんはスプーン曲げみたいな特技を持っていて、宴会のときに大活躍ってわけでーー」
「はいはーい!」
瞳孔を大きく開いた舞香が、いきなり手を上げ大海の言葉を遮った。
「なんでしたらお見せしましょうか? 体力や精神力が結構持っていかれる能力なんで、普段はあんまり使いたくないんですけど……今日はなんだか気分がいいので、お披露目しちゃいましょうっ!」
「あ? あっ、ああ。やってくれるってんなら、たしかに話が早」
極僅か、須臾の間ーー。
大海が瞬きを終える以前、すでに舞香は姿を消していた。
「あっ、え?」
「こっちです」
大海は背後から舞香の声が聞こえ咄嗟に振り向く。
すると、そこには笑顔の舞香がいた。
「なっ? 世の中っつーのは不思議な事もあるもんなんだって俺は思い知らされたよ」
異能力者だと知っているはずの阿瀬も、なぜか驚き混じりの表情を浮かべながら大海に同意を求めた。
「と、都市伝説みたいな類いだと思っていましたが、マジでいるもんなんすね、超能力使うやつ。しかも瞬間移動とは恐れいったよ」
疑い半分だった大海も、直接見せられてしまえば納得する他ない。
「あっ、私の能力は瞬間移動とか場所の転移なんていう生易しい能力じゃないので、概念干渉の異能力者なので、そこは勘違いしないでくださいね?」
なぜか『自分は概念を操るんだぞ』とでも威張りたいのか、やや大きめの胸を張る。
「舞香ちゃんがどんな原理でそれを可能にしてるのかなんて教えちゃくれねぇけどよ。俺の舎弟どもが舞香ちゃん相手に絡んだのがすべての始まりなんだ。最初は二人でしつこくナンパしてたらしいんだが、まったく相手にされずに腹立てちまったらしくてな。女の、しかも子ども相手に腐っても任侠背負ってる野郎が手出しちまった。だがよ、そしたら舞香ちゃん、二人とも倒しちまったらしい」
「ほ、本当ですかっ?」
ーーこんなお嬢さん風の見た目からじゃそんな場面想像できねー……。
「それで、あいつらアホだから仕返しすると張り切っちまいやがったらしくてよ。どうなったかわかるか?」
「……そういうことですか。リベンジも、のしちまったと?」
阿瀬は頷いた。
「あいつら手下四人も連れて探しまわった挙げ句、ようやく見つけられたと勇んでリベンジしたんだと。なのにヤツら、誰の一人も舞香ちゃんに触れられなかったって話だ。ぼっこぼこにやられて三人ほど病院送りだよったく。んで、二度もやられてんのにな? 最初の二人ーーあいつら二人だきゃ根っ子っからのバカうんこ野郎だから、まったくってぐらい学習しねーんだ。ほかの四人はそうそうに諦めてんのにな? 二人ソロって俺にまで『力を貸してください』だなんて頼んできやがった」
チラッと舞香を見ながら阿瀬はつづけた。
「“女子高生にやられちまうバカ野郎”と“数人がかりで襲ってきた野郎共を全員無傷で倒し返り討ちにする女子高生”、どっちのほうが価値があんのかわからねーのかって怒鳴って追い出しちまったよ、ははっ。病院送りにならなかった手下四人のうちの一人が舞香ちゃんからの伝言を預かってるって言うもんから、『なんだ』と聞いたら『犯罪でも構わないから、楽にお金を稼げる商売を教えてくれ』っていうわけさ。そっからだな、舞香ちゃんとの関係ができたのは」
「だからうちらがネタ元になってるわけですか」
どうして、舞香は金を稼ごうと考えたのか。なぜ、罪人になるリスクまで背負って売人なんかをやりたいと考えたのか。
ーーまあ、今頃の若いヤツだから単純に金銭目当てだろうな。
大海は勝手にそう考えて納得した。
「なら、舞香ちゃんのほうから売人やりに来たってわけですかい」
「まあな。で、楽に稼げるっつったら、『ドラッグ』か『もしもし』か、そのどっちかだなって思ってな。とはいえ、うちは任侠謳ってるだろ? 被害者が出る『もしもし』系は表向き禁止してんだよ。まあ、最上にいる組がドラッグ売るなっつってんのと同じだけどな。ただ、振り込まれた金を引き落とす役も必要だったりと人数がいるだろ、振込詐欺(もしもし)は。だからドラッグの売人になったってわけだ」
「舞香ちゃん、そんな凄い子だったのか。そりゃあ肝っ玉が座ってやがるわけだ」
「あ、でも」と舞香が口を挟んだ。「最初に来た二人は、異能力なんて使わないで追い払えましたよ?」
「ん?」「ええ?」
舞香はその場で腰を捻ると、片足膝を曲げ回転しながら伸す。そして、阿瀬の頬に舞香の踵が、ちょん、っと触れた。
「私、こう見えてけっこう足癖悪いんです」
阿瀬は、冷や汗を掻くと途端に笑った。
「流石にこれは予想できなかったな。こんな子、世界に二人と居やしねーぞ。なぁ兄弟」
「あ、ああ……凄いな、舞香ちゃん」
それは、女子高生とは思えないほどの早さを誇る、見事な回転後ろ蹴りだった。
それを見ていた大海は、『兄貴、あれがまともに当たってたら壁にぶっ飛んでたな』としみじみ思うのだった。
雲一つない空には、美しい輝きを放つ月が姿を見せていた。
その降り注がれる光が届かないほどの明かりで埋め尽くされているとある繁華街は、真夏だということも相成り、今日も暑苦しい空気と雑音が漂っている。
その一角に建つとあるビルの内部四階には、任侠団体の名前“大海組”と書かれた暴力団の事務所が入っており、その室内には煙草の煙が充満していた。しかし今はちょうど二人しかいないため、先ほどまでは、ほかにもひとが居たのだろう。
その二人の内一人は、いかにも堅気ではないとわかる強面の男。そしてもう一人は、いかにもお嬢様然とした顔つきの制服姿の女子高生。
そんな二人は、ほかに誰もいない事務所で談笑をしていた。
「舞香まいかちゃん、売人してんのにやったことはないのかい?」
男は煙草を灰皿に擦り付けながら女子高生に問う。
「はい。だって、注射なんて怖いじゃないですか。いろいろなお客さんを見てきたからわかりますけど、頭のネジ何本も外れちゃってるひと沢山いるんですよ?」
女子高生ーー舞香は、癖のある長い栗色の髪を弄りながら返答した。
「注射はポン中になっちまった奴専用だ。こういうヤツで吸引しても、べつに構わねぇんだぜ」
デスクの引き出しからガラス製のパイプを取り出すと、白い粉の入っている透明の小さなビニル袋ーー通称パケと呼ばれている物と共に、男は舞香へと差し出した。
「大海さんもやっている?」
舞香は腕を組みながら少し唸ったあと、迷いながらもそれを受け取り、大海にそう聞いた。
「ああ、上手く付き合えりゃ案外平気なもんなんだよ」
大海は七部袖を捲り上げると、自分の肘の内側にある赤く発色している小さな点を舞香に見せつけた。
それはひとつではなく、いくつか点々と付いている。
「まあ、せっかく身近にあるんだし、ちょっとだけならやってみようかな」
「何事も経験ってわけさ」
「でも、さっきの理屈だと大海さんはポン中ってことになりますよね」
「痛いとこ突いてくるねぇ」大海はライターを舞香に渡す。「火一つ分はなして下から炙って溶かして吸うんだ」
大海は舞香の身なりを見て、説明しながら考える。
ーーこんな良いとこのお嬢ちゃんみたいなガキを、どうしてあいつら揃いも揃って怖がってやがんだ?
ーー兄貴すら『世の中には説明できない不思議な事もある』だなんて口から漏らしやがった。こんな子どもにびびってるなんざ、情けなくて反吐がでそうだ。
舞香は教えられたとおり、ガラスパイプの下にライターを構えて火を点し溶かしていく。
そのとき、事務所の扉が開くと、いきなりスキンヘッドの男が事務所内に入ってきた。
「おい兄弟、親父が呼んでる。お前も連れて二人で来いってさ」
「はっ、俺も、ですか? 用があんなら俺に直接電話くれりゃいいのに、どうしてオヤジ、兄貴にだけ連絡寄越したんですかね」
「俺が知るかってんだ。つーか舞香ちゃん、こんな時間にこんな場所でなにやって……おい、兄弟?」
男は急に声のトーンを落とすと、大海の襟首を掴み上げ顔を凄めた。
「てめぇ、舞香ちゃんになにやらせてやがんだ? なぁオイ?」
「い、いや、売人してんのにシャブやったことがないっつーんで……あっ、舞香ちゃん、もう吸っていい頃合いだ」
大海に言われたとおり、舞香は気化して白煙となったそれを吸い込んでまう。
「兄弟、俺が覚醒剤でどうなったか知ってるよな? 一番間近で見てきたよな、ああ!?」
襟首を掴む力を強めた男は、そのまま大海を突き飛ばして地面に叩きつけた。
「ふざけてんのかてめぇ。俺があれだけ狂ってたのをあんな近くで見ておきながら、仲間にやらせてどうするつもりだ!?」
「いや、あれは兄貴の使い方のせいであって普通はああはなりませーー 」
「んなこたぁ聞いてねぇんだよ! 俺のこと舐めてんのか、おい? 漬ける相手間違えてんじゃねぇぞクソ野郎ッ!」
男はそう言い終えると舞香に顔を向ける。
「舞香ちゃん、シャブだけはやめとけ」
「阿瀬さん、こんばんは。お久しぶりです。でも、案外拍子抜けでしたよ、これ。“ああ、この程度の物なのか”って感じですよ。たしかに目は冴えましたけど」
「最初は誰もがそう思うんだ。舞香ちゃんなら変な野郎に漬けられたりはしないだろうけどよ、もうそれはやめときな。ぜったい、後悔するから。やるならせいぜい葉っぱくらいにしとけ」
阿瀬が舞香に忠告するのを聞きながら、大海はゆっくりと立ち上がった。
「別に漬ける気なんてさらさら考えちゃいませんよ。だいたい、まえから気になってたんすけど、どうしてこんな子供がうちや兄貴んとこに出入りしているんですか? 兄貴が連れてきた日なんて俺、てっきり漬けて風呂屋にでも落とすのかなって思っちまいましたよ」
「相変わらずオツムが足りてねぇバカ野郎だなぁおまえ。もしそうするんだったら漬けてから連れてくるに決まってんだろ、成長しねぇクソ野郎だな本当によ」
「バカだのクソだの好き放題言ってくれますね? ……なら、俺だって言わせてもらいますよ? 兄貴も舎弟のヤツらも、どうしてこんな子供相手にイモ引いてんですか? ーー任侠の世界に、こんな女子ども連れてきたうえなにビビってやがんだって聞いてんだよっ」
流石に頭にきたらしく、大海は兄貴分であるにも関わらず喧嘩腰で阿瀬に追求する。
途端に部屋の空気が嫌な感じで満たされていく。
それが気に入らないと考えたのか、舞香は立ち上がった。
「まあまあお二人さん、少し落ち着きましょうよ」
舞香はピリピリしている極道の人間二人のあいだに割って入ったのだった。
すると、予想に反して阿瀬は一歩足を退いた。
「……舞香ちゃんに免じて今のは聞かなかった事にしてやる。舞香ちゃんに感謝しとけ」阿瀬は鞄を置き財布をポケットに仕舞う。「おら、さっさとオヤジんとこ行かねーと殴られちまうぞ兄弟っ」
舞香の言葉に従う阿瀬を見て、大海は驚きと失望を隠せない。
ーーなんだなんだ、いったい何なんだ?
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ーーんな話、聞いたこたぁねぇぞ。
大海が渡したパケを、阿瀬は舞香の手から摘まみ上げた。
「売る覚醒剤はまだ自宅にあるよな?」
舞香がそれに対して頷うなずくのを確認すると、阿瀬はつづけた。
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「まあ私の場合、なにかあっても逃げられる自信がありますけどね。99.9%くらいの確率で」
舞香は、まるで逃亡率100%だとでも言いたいような、自信満々といった表情を浮かべながら宣う。
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ーーなにがあっても逃げられるだと?
「兄貴、ちょいといいかい。俺らだって捕まるときは捕まるんだ。デコ助は舐めちゃいけねぇんじゃないか。そんな事、十割逃げ切れる策があるんだってんなら俺が知りてぇよ」
大海に疑問をぶつけられた阿瀬は、なにかを言いかけ、それをやめて舞香に視線を戻す。
「……舞香ちゃん、いいかい?」
阿瀬は舞香になにかを問う。
舞香が頷くのを確認すると、阿瀬は大海の方へ視線を移した。
「異能力者……って知ってるよな?」
「異能力者? ああ、あの都市伝説みたいな与太話ですか。知ってますぜ? なんと、スプーンを種なしで曲げたりできるとかいう超能力者がいるんだって」
噂だけなら、大海も耳にしたことがある。
異能力者というのは、文字どおり常人では普通不可能な一般市民とは異なる能力を扱える者のことだ。
スプーンを曲げるのはもちろん。火の玉を出したり、空を飛んだりーーようするに超能力染みたことができる人間、それが10年前辺りから姿を現したのだという噂が、どこからともなく流れてきていた。
「兄貴は俺がそんな与太話、信じるって思ってんですかい」
「まっ、そりゃそうなるよな。俺だってそんな話、最初は信じちゃいなかったさ。だけどな、いるんだ。たしかに異能力者はいるんだよ。物理法則も固定概念も何もかもを無視した『超能力』が与えられた人間、異能力者はたしかに存在するんだ。少なくとも、一人は確実にな?」
阿瀬は舞香を横目で見る。
「はい? ってことはアレですか? 『舞香ちゃんは異能力者だ!』とでも言いたいわけですか? そんでもって異能力者だからうちや兄貴んとこも出入りできるんだと。んな話されても信じられませんよ。だいたい、ならなんだってんですか? 舞香ちゃんはスプーン曲げみたいな特技を持っていて、宴会のときに大活躍ってわけでーー」
「はいはーい!」
瞳孔を大きく開いた舞香が、いきなり手を上げ大海の言葉を遮った。
「なんでしたらお見せしましょうか? 体力や精神力が結構持っていかれる能力なんで、普段はあんまり使いたくないんですけど……今日はなんだか気分がいいので、お披露目しちゃいましょうっ!」
「あ? あっ、ああ。やってくれるってんなら、たしかに話が早」
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「あっ、え?」
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「なっ? 世の中っつーのは不思議な事もあるもんなんだって俺は思い知らされたよ」
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疑い半分だった大海も、直接見せられてしまえば納得する他ない。
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「舞香ちゃんがどんな原理でそれを可能にしてるのかなんて教えちゃくれねぇけどよ。俺の舎弟どもが舞香ちゃん相手に絡んだのがすべての始まりなんだ。最初は二人でしつこくナンパしてたらしいんだが、まったく相手にされずに腹立てちまったらしくてな。女の、しかも子ども相手に腐っても任侠背負ってる野郎が手出しちまった。だがよ、そしたら舞香ちゃん、二人とも倒しちまったらしい」
「ほ、本当ですかっ?」
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「それで、あいつらアホだから仕返しすると張り切っちまいやがったらしくてよ。どうなったかわかるか?」
「……そういうことですか。リベンジも、のしちまったと?」
阿瀬は頷いた。
「あいつら手下四人も連れて探しまわった挙げ句、ようやく見つけられたと勇んでリベンジしたんだと。なのにヤツら、誰の一人も舞香ちゃんに触れられなかったって話だ。ぼっこぼこにやられて三人ほど病院送りだよったく。んで、二度もやられてんのにな? 最初の二人ーーあいつら二人だきゃ根っ子っからのバカうんこ野郎だから、まったくってぐらい学習しねーんだ。ほかの四人はそうそうに諦めてんのにな? 二人ソロって俺にまで『力を貸してください』だなんて頼んできやがった」
チラッと舞香を見ながら阿瀬はつづけた。
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「だからうちらがネタ元になってるわけですか」
どうして、舞香は金を稼ごうと考えたのか。なぜ、罪人になるリスクまで背負って売人なんかをやりたいと考えたのか。
ーーまあ、今頃の若いヤツだから単純に金銭目当てだろうな。
大海は勝手にそう考えて納得した。
「なら、舞香ちゃんのほうから売人やりに来たってわけですかい」
「まあな。で、楽に稼げるっつったら、『ドラッグ』か『もしもし』か、そのどっちかだなって思ってな。とはいえ、うちは任侠謳ってるだろ? 被害者が出る『もしもし』系は表向き禁止してんだよ。まあ、最上にいる組がドラッグ売るなっつってんのと同じだけどな。ただ、振り込まれた金を引き落とす役も必要だったりと人数がいるだろ、振込詐欺(もしもし)は。だからドラッグの売人になったってわけだ」
「舞香ちゃん、そんな凄い子だったのか。そりゃあ肝っ玉が座ってやがるわけだ」
「あ、でも」と舞香が口を挟んだ。「最初に来た二人は、異能力なんて使わないで追い払えましたよ?」
「ん?」「ええ?」
舞香はその場で腰を捻ると、片足膝を曲げ回転しながら伸す。そして、阿瀬の頬に舞香の踵が、ちょん、っと触れた。
「私、こう見えてけっこう足癖悪いんです」
阿瀬は、冷や汗を掻くと途端に笑った。
「流石にこれは予想できなかったな。こんな子、世界に二人と居やしねーぞ。なぁ兄弟」
「あ、ああ……凄いな、舞香ちゃん」
それは、女子高生とは思えないほどの早さを誇る、見事な回転後ろ蹴りだった。
それを見ていた大海は、『兄貴、あれがまともに当たってたら壁にぶっ飛んでたな』としみじみ思うのだった。
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国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
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これは、
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【完結】ドアマットに気付かない系夫の謝罪は死んだ妻には届かない
堀 和三盆
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