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シアとエルナドが通されたのは王城の一室の客間だった。
客間といっても王族や高位貴族のために設えられた部屋は、随分と広い。
そんな中、エルナドとシアは壁際に置かれたソファに少し離れて座っていた。
互いに言葉はない。想いを湛えた沈黙が、濃く、息苦しいほどに降り積もっていく。うつむいているシアの顔は黒い紗のヴェールに隠れ、よく見えなかった。
王命による離縁。
彼女が、自分の妻ではなくなる。
突きつけられた現実に、エルナドの心に最初に押し寄せたのは、途方もない喪失感だった。
知らないうちに、エルナドの中でシアの存在は、大きく根を張っていたらしい。
夫婦ごっこだと思っていたそれが、自分の中で当たり前になり、これから先も続いていくと、そしてそれを楽しみにしている自分がいることに突き付けられて、ようやく自分の気持ちが形になっていく。
「……ごめんなさい、エルナド様」
静寂を破ったのは、シアの声だった。
いつもは鈴を転がすように愛らしいその声は、細く震えている。
少しだけ身体の角度を変えて向かい合うようにしてエルナドを見上げると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「エルナド様が”白”を憎んでいること、なんとなくわかっていました。でもあんなことがあったなんて……この婚姻は、ずっとあなたを苦しめていたんですね」
ごめんなさい。そう言ってシアは一度目を伏せる。
白を憎んでいるのも本当で、この婚姻に苦しんでいたのも本当だ。しかしシアのせいではないし、ずっと苦しんでいるわけではない。
何と言えばいいかわからずにいるエルナドをふたたび見つめ、シアは一度だけゆっくりと瞬きした。
そして、かすかに笑う。悲しい微笑みだった。
「でも、王命で嫁いできただけのわたしに、本当にエルナド様は優しくしてくれましたよね。冷たくしようと思えばいくらでもできたはずなのに……。子作りだってそう、今ならわかるの、エルナド様はわたしの身体を気遣って準備を重ねてくれていた。憎いのなら、好き勝手に痛めつけたっていい、もっとひどい事だって出来たはずなのに、あなたはずっと優しかった」
「…………」
何も言えない。
最初は、確かに自分のことだけを考えていた、とエルナドは思う。
”白”のどんな傲慢な女が来るだろうかと頭痛がしていたし、実際にさっさと抱けばいいんだろう、という自暴自棄な気持ちだった。そもそも、身体を気遣っていたのも本来は彼女のためではなかったのに。
ただ、あまりにも無知で、純粋で、一生懸命なシアにそこまで酷いことは言えないしできない――そんなことを思いながら、知らず知らずのうちに、絆され、その心に惹かれ、自分にとってなくてはならない存在になっていた。
「ニグラードの家のみんなのことも、あなたのことも、わたし、大好きです。こんなに楽しい日々を過ごしたのは、生まれて初めてだったの。わたしをわたしとして大切にしてくれて、一緒に笑って、話してくれて、優しくして、くれ、て……」
涙を懸命にこらえているのがわかる。それでもシアはなんとか笑おうとしていた。眉を寄せた、切ない笑顔で。
「エルナド様がわたしに触れてくれる手が優しかったから、かけてくれる言葉が暖かかったから、まなざしが柔らかかったから……わたし、それに勝手に縋ってたんです。白のことが嫌いでも、ちょっと嫌いなくらいだったらいいなって。大好きなエルナド様と、いつかでいい、夫婦として仲良くなれたらなんて……そんなこと、夢見て、しまって」
そこで言葉を切り、シアはエルナドを見つめた。
美しいと思った。涙のたまった紫の瞳が宝石のように光っている。
「勝手に愛して、ごめんなさい。違う方とどうか――どうか、おしあわせに……」
その瞳から、静かに涙がこぼれた。一度こぼれた涙はとめどなく、白い頬を伝っていく。
シアは両手で顔を覆うと、声を押し殺して泣き崩れた。くぐもった嗚咽が静かな部屋に切なく響く。
エルナドはその姿を黙って見つめていたが、意を決したように腕を伸ばし、シアを強く引き寄せて胸に抱いた。
「!」
強く、掻き抱く。その力強さにシアが一瞬息を止めたのがわかった。
「……シア」
低く、静かな声。
自分の胸に抱かれたシアの肩が、小さく震えている。
彼女の名を呼んだのは、初めてだった。
客間といっても王族や高位貴族のために設えられた部屋は、随分と広い。
そんな中、エルナドとシアは壁際に置かれたソファに少し離れて座っていた。
互いに言葉はない。想いを湛えた沈黙が、濃く、息苦しいほどに降り積もっていく。うつむいているシアの顔は黒い紗のヴェールに隠れ、よく見えなかった。
王命による離縁。
彼女が、自分の妻ではなくなる。
突きつけられた現実に、エルナドの心に最初に押し寄せたのは、途方もない喪失感だった。
知らないうちに、エルナドの中でシアの存在は、大きく根を張っていたらしい。
夫婦ごっこだと思っていたそれが、自分の中で当たり前になり、これから先も続いていくと、そしてそれを楽しみにしている自分がいることに突き付けられて、ようやく自分の気持ちが形になっていく。
「……ごめんなさい、エルナド様」
静寂を破ったのは、シアの声だった。
いつもは鈴を転がすように愛らしいその声は、細く震えている。
少しだけ身体の角度を変えて向かい合うようにしてエルナドを見上げると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「エルナド様が”白”を憎んでいること、なんとなくわかっていました。でもあんなことがあったなんて……この婚姻は、ずっとあなたを苦しめていたんですね」
ごめんなさい。そう言ってシアは一度目を伏せる。
白を憎んでいるのも本当で、この婚姻に苦しんでいたのも本当だ。しかしシアのせいではないし、ずっと苦しんでいるわけではない。
何と言えばいいかわからずにいるエルナドをふたたび見つめ、シアは一度だけゆっくりと瞬きした。
そして、かすかに笑う。悲しい微笑みだった。
「でも、王命で嫁いできただけのわたしに、本当にエルナド様は優しくしてくれましたよね。冷たくしようと思えばいくらでもできたはずなのに……。子作りだってそう、今ならわかるの、エルナド様はわたしの身体を気遣って準備を重ねてくれていた。憎いのなら、好き勝手に痛めつけたっていい、もっとひどい事だって出来たはずなのに、あなたはずっと優しかった」
「…………」
何も言えない。
最初は、確かに自分のことだけを考えていた、とエルナドは思う。
”白”のどんな傲慢な女が来るだろうかと頭痛がしていたし、実際にさっさと抱けばいいんだろう、という自暴自棄な気持ちだった。そもそも、身体を気遣っていたのも本来は彼女のためではなかったのに。
ただ、あまりにも無知で、純粋で、一生懸命なシアにそこまで酷いことは言えないしできない――そんなことを思いながら、知らず知らずのうちに、絆され、その心に惹かれ、自分にとってなくてはならない存在になっていた。
「ニグラードの家のみんなのことも、あなたのことも、わたし、大好きです。こんなに楽しい日々を過ごしたのは、生まれて初めてだったの。わたしをわたしとして大切にしてくれて、一緒に笑って、話してくれて、優しくして、くれ、て……」
涙を懸命にこらえているのがわかる。それでもシアはなんとか笑おうとしていた。眉を寄せた、切ない笑顔で。
「エルナド様がわたしに触れてくれる手が優しかったから、かけてくれる言葉が暖かかったから、まなざしが柔らかかったから……わたし、それに勝手に縋ってたんです。白のことが嫌いでも、ちょっと嫌いなくらいだったらいいなって。大好きなエルナド様と、いつかでいい、夫婦として仲良くなれたらなんて……そんなこと、夢見て、しまって」
そこで言葉を切り、シアはエルナドを見つめた。
美しいと思った。涙のたまった紫の瞳が宝石のように光っている。
「勝手に愛して、ごめんなさい。違う方とどうか――どうか、おしあわせに……」
その瞳から、静かに涙がこぼれた。一度こぼれた涙はとめどなく、白い頬を伝っていく。
シアは両手で顔を覆うと、声を押し殺して泣き崩れた。くぐもった嗚咽が静かな部屋に切なく響く。
エルナドはその姿を黙って見つめていたが、意を決したように腕を伸ばし、シアを強く引き寄せて胸に抱いた。
「!」
強く、掻き抱く。その力強さにシアが一瞬息を止めたのがわかった。
「……シア」
低く、静かな声。
自分の胸に抱かれたシアの肩が、小さく震えている。
彼女の名を呼んだのは、初めてだった。
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