63 / 94
エピローグ/後日談
17. 時を越えて(1)
しおりを挟む
======================
エルナドに過去の女!? みたいな話ですが
ドロドロな話ではないです
======================
ニグラード邸にある重厚な扉に守られた書庫には、今日も静かな灯りがともっていた。
背の高い本棚に囲まれたその一角。シアはいつものひじ掛け椅子に腰を下ろし、一冊の本を膝に乗せている。
任せられた仕事も終え、ひとり穏やかに過ごす時間は、この書庫に来るのがシアの日課だった。
結婚してすぐのころからの通いなれた場所。
最初はただ、制限されていない本が嬉しくて嬉しくて。
エルナドの著書である魔道具の本、それに黒の魔術についての本を良く手にしていた。
今となっては詩集や随筆、個人的に興味のある薬学の本。さらには王都の料理事情まで、意外と幅広いここの蔵書をシアは楽しむようになっている。
(ここにあるものは、全部エルの大事な本……なのよね)
以前ノルンに言われた「旦那様はこちらの書庫の本を総て目を通しておられますので」という一言が蘇る。幼い頃から読んでいたとはいえ、どれだけ優秀なのだろうを目が回る心地がした。
シアも読書家ではあるつもりだが、あの夫には追いつける気がしない。
「すごいわ……やっぱり」
ぽつりとつぶやいた声は、誰にも聞かれることなく書庫に沈む。ふだんならノルンが供にいてくれることも多いのだけれど、今日は侍女たちの用事があるらしく不在だった。
(あと一冊くらい、読めるかしら)
いつものように棚から気の向いた一冊を選ぶ。
薬草学の本だろうか、少し古びた装丁に時間の重みを感じながらページをめくろうとした、そのとき。
ひらり、と。ページの間から、乾いた紙が風もないのに落ちた。
床にひとつ、静かに降りたその紙。
何かのメモ書きだろうか、と何の気なしに拾ったシアは目を見開いた。
流麗でどこか艶めいた筆跡。
エルナドのものではない、そしてもちろん、シアでもない。
薬草の書きつけの書類でみているルーのものでも、用事の言づけて目にしたことのあるノルンのものでもなかった。
少しかすれたインク。古びた紙に書かれていた文字は。
『エル 愛しているわ。ずっと、ずっと』
(な、なに……これ……??? 恋文、かしら?? 恋文、よね??)
顔から、すっと血の気が引いた。思わず紙を持つ手が震える。
知らない筆跡が綴る、夫への愛。
あまりにも強い「愛」の表現は、冗談ではなさそうだった。
明確に、あなたを愛していると、それだけを語る言葉。
頭が真っ白になる。
シアは結婚してから今まで、エルナドから他の女性の話など聞いたことがなかった。
誠実な人だし、女の影など一切なかったから。
しかし出会う前、十近くも年上の当主様、と聞いて「きっと女性経験も豊富だろうから」なんて考えていた自分を思い出し、そうよね、と胸に手を当てる。
(そう……よね、いないわけ、ないわよね。だって男性の結婚適齢期をかんがえたって、何もなかったらおかしいわ。それに、エルだもの。あんなに格好いいんだもの。魔術師としても優秀で、若くして家を継いで、落ち着いていて、強くて……)
夫を思い出しシアは熱くなる頬に手を当てた。
惚れすぎている自覚はある。でも本当に、エルナドは格好いいのだ。
(それに、最初の夜――あんなに手慣れていたんだもの……)
わけもわからず服を脱いで抱き着いた自分に「まずは服を着なさい」と穏やかに言い放ち優しく諭してくれた彼の姿が思い出される。そしてその後の、蕩かされるようなめくるめく夜。
自分の前に女性関係があったことなんて、わかっていたはずだった。
むしろ、何もないほうがおかしいとも思う。
けれど、それでも、「実際に何かあった」という現実が、こうして紙一枚で突きつけられるとは思わなかった。
(――恋人の、ひとりや、ふたりや、さんにんや、よにん……ごにん、ろくにん、はさすがに多いかしら?)
混乱する脳裏をぐるぐると言葉が巡る。
手にした紙をそれでも放せない。ああ、どうしてこの本を選んでしまったのだろう。
今日書庫に来たのが、間違いだったんだわ、とシアの心は散り散りに乱れていた。
そっとその紙だけを手にして、本を閉じて元の位置に戻す。
気づけば足は、無意識に書庫を出ていた。
廊下の灯りが眩しくて、少しだけ顔を伏せる。
まだ誰にも見られていないはず――でも、それでも表情が戻らなかった。
『愛しているわ』
心の奥にぬるりとした何かが居座る。
かつての彼を想って書かれたであろう、その愛の言葉が、自分の中でどうしてこんなにも重く、痛く、苦しく響くのだろう。
自室に戻ると、手にした紙を迷って自室の本の合間に挟む。
そして行儀が悪いとはわかっていながら、服のまま、自室のベッドにもぐりこんだ。
普段は夫婦の寝室を使うせいか、柔らかで寝心地はいいけれど、どこか違う感触。
(何でもないこと、そう、なんでもない事よ。でも……なんだか、嫌)
大好きな人の過去に、傷ついてしまう。
愚かだと分かっていても、愛しているからこそ気になってしまう。
嫉妬というより、不安という名の毒が、胸の奥にぽたりと落ちた気がした。
(……だってこの人が、まだ――まだ、おひとりだったら? もしかして、エルはその人と添い遂げたくて、それでも王命でわたしと結婚するために別れた、なんてことだって……ないとは言い切れないじゃない!)
結局、脳内の妄想はどんどん膨れ上がっていく。
シアは毛布の中で小さく身体を丸め、気づけばそのまま、浅い眠りに落ちていた。
(続)
エルナドに過去の女!? みたいな話ですが
ドロドロな話ではないです
======================
ニグラード邸にある重厚な扉に守られた書庫には、今日も静かな灯りがともっていた。
背の高い本棚に囲まれたその一角。シアはいつものひじ掛け椅子に腰を下ろし、一冊の本を膝に乗せている。
任せられた仕事も終え、ひとり穏やかに過ごす時間は、この書庫に来るのがシアの日課だった。
結婚してすぐのころからの通いなれた場所。
最初はただ、制限されていない本が嬉しくて嬉しくて。
エルナドの著書である魔道具の本、それに黒の魔術についての本を良く手にしていた。
今となっては詩集や随筆、個人的に興味のある薬学の本。さらには王都の料理事情まで、意外と幅広いここの蔵書をシアは楽しむようになっている。
(ここにあるものは、全部エルの大事な本……なのよね)
以前ノルンに言われた「旦那様はこちらの書庫の本を総て目を通しておられますので」という一言が蘇る。幼い頃から読んでいたとはいえ、どれだけ優秀なのだろうを目が回る心地がした。
シアも読書家ではあるつもりだが、あの夫には追いつける気がしない。
「すごいわ……やっぱり」
ぽつりとつぶやいた声は、誰にも聞かれることなく書庫に沈む。ふだんならノルンが供にいてくれることも多いのだけれど、今日は侍女たちの用事があるらしく不在だった。
(あと一冊くらい、読めるかしら)
いつものように棚から気の向いた一冊を選ぶ。
薬草学の本だろうか、少し古びた装丁に時間の重みを感じながらページをめくろうとした、そのとき。
ひらり、と。ページの間から、乾いた紙が風もないのに落ちた。
床にひとつ、静かに降りたその紙。
何かのメモ書きだろうか、と何の気なしに拾ったシアは目を見開いた。
流麗でどこか艶めいた筆跡。
エルナドのものではない、そしてもちろん、シアでもない。
薬草の書きつけの書類でみているルーのものでも、用事の言づけて目にしたことのあるノルンのものでもなかった。
少しかすれたインク。古びた紙に書かれていた文字は。
『エル 愛しているわ。ずっと、ずっと』
(な、なに……これ……??? 恋文、かしら?? 恋文、よね??)
顔から、すっと血の気が引いた。思わず紙を持つ手が震える。
知らない筆跡が綴る、夫への愛。
あまりにも強い「愛」の表現は、冗談ではなさそうだった。
明確に、あなたを愛していると、それだけを語る言葉。
頭が真っ白になる。
シアは結婚してから今まで、エルナドから他の女性の話など聞いたことがなかった。
誠実な人だし、女の影など一切なかったから。
しかし出会う前、十近くも年上の当主様、と聞いて「きっと女性経験も豊富だろうから」なんて考えていた自分を思い出し、そうよね、と胸に手を当てる。
(そう……よね、いないわけ、ないわよね。だって男性の結婚適齢期をかんがえたって、何もなかったらおかしいわ。それに、エルだもの。あんなに格好いいんだもの。魔術師としても優秀で、若くして家を継いで、落ち着いていて、強くて……)
夫を思い出しシアは熱くなる頬に手を当てた。
惚れすぎている自覚はある。でも本当に、エルナドは格好いいのだ。
(それに、最初の夜――あんなに手慣れていたんだもの……)
わけもわからず服を脱いで抱き着いた自分に「まずは服を着なさい」と穏やかに言い放ち優しく諭してくれた彼の姿が思い出される。そしてその後の、蕩かされるようなめくるめく夜。
自分の前に女性関係があったことなんて、わかっていたはずだった。
むしろ、何もないほうがおかしいとも思う。
けれど、それでも、「実際に何かあった」という現実が、こうして紙一枚で突きつけられるとは思わなかった。
(――恋人の、ひとりや、ふたりや、さんにんや、よにん……ごにん、ろくにん、はさすがに多いかしら?)
混乱する脳裏をぐるぐると言葉が巡る。
手にした紙をそれでも放せない。ああ、どうしてこの本を選んでしまったのだろう。
今日書庫に来たのが、間違いだったんだわ、とシアの心は散り散りに乱れていた。
そっとその紙だけを手にして、本を閉じて元の位置に戻す。
気づけば足は、無意識に書庫を出ていた。
廊下の灯りが眩しくて、少しだけ顔を伏せる。
まだ誰にも見られていないはず――でも、それでも表情が戻らなかった。
『愛しているわ』
心の奥にぬるりとした何かが居座る。
かつての彼を想って書かれたであろう、その愛の言葉が、自分の中でどうしてこんなにも重く、痛く、苦しく響くのだろう。
自室に戻ると、手にした紙を迷って自室の本の合間に挟む。
そして行儀が悪いとはわかっていながら、服のまま、自室のベッドにもぐりこんだ。
普段は夫婦の寝室を使うせいか、柔らかで寝心地はいいけれど、どこか違う感触。
(何でもないこと、そう、なんでもない事よ。でも……なんだか、嫌)
大好きな人の過去に、傷ついてしまう。
愚かだと分かっていても、愛しているからこそ気になってしまう。
嫉妬というより、不安という名の毒が、胸の奥にぽたりと落ちた気がした。
(……だってこの人が、まだ――まだ、おひとりだったら? もしかして、エルはその人と添い遂げたくて、それでも王命でわたしと結婚するために別れた、なんてことだって……ないとは言い切れないじゃない!)
結局、脳内の妄想はどんどん膨れ上がっていく。
シアは毛布の中で小さく身体を丸め、気づけばそのまま、浅い眠りに落ちていた。
(続)
41
あなたにおすすめの小説
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
賭けで買われた花街の娘、契約結婚のはずが孤高の皇太子に溺愛されています
青嵐澄
恋愛
「そなたを愛することはない」
初夜の段階にすら至らぬうちに、皇太子からそう宣告された。
神の悪戯によって異世界へ転移し、花街へと売られ妓女となった橘小満(たちばな みつる)。
絶望的な状況の彼女を買い取った皇太子・言蹊(エンシ)との、一年限定の契約結婚生活が始まる。
しかし、「私の子を孕め。そうすれば、傍に繋ぎ止めておける」
名ばかりの結婚のはずが、一体どうしてこうなった!?
※他サイトにも掲載しています。
幼馴染の勇者に「魔王を倒して帰ってきたら何でもしてあげる」と言った結果
景華
恋愛
平和な村で毎日を過ごす村娘ステラ。
ある日ステラの長年の想い人である幼馴染であるリードが勇者として選ばれ、聖女、女剣士、女魔術師と共に魔王討伐に向かうことになる。
「俺……ステラと離れたくない」
そんなリードに、ステラは思わずこう告げる。
「そうだ‼ リードが帰ってきたら、私がリードのお願い、一つだけなんでも叶えてあげる‼」
そんなとっさにステラから飛び出た約束を胸に、リードは村を旅立つ。
それから半年、毎日リードの無事を祈り続けるステラのもとに、リードの史上最速での魔王城攻略の知らせが届く。
勇者一行はこれからたくさんの祝勝パーティに参加した後、故郷に凱旋するというが、それと同時に、パーティメンバーである聖女と女剣士、そして女魔術師の話も耳にすることになる。
戦いの昂りを鎮める役割も担うという三人は、戦いの後全員が重婚の認められた勇者の嫁になるということを知ったステラは思いを諦めようとするが、突然現れたリードは彼女に『ステラの身体《約束のお願い》』を迫って来て──?
誰がどう見ても両片思いな二人がお願いをきっかけに結ばれるまで──。
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
【短編】淫紋を付けられたただのモブです~なぜか魔王に溺愛されて~
双真満月
恋愛
不憫なメイドと、彼女を溺愛する魔王の話(短編)。
なんちゃってファンタジー、タイトルに反してシリアスです。
※小説家になろうでも掲載中。
※一万文字ちょっとの短編、メイド視点と魔王視点両方あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる