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エピローグ/後日談
18. 時を越えて(2)
しおりを挟む夕刻、シアはようやく自室の扉を開けた。
それでも表情は冴えず、いつもよりゆっくりと食堂へと向かう。
すれ違うテキパキとした早足の使用人たちの動きや、窓辺に差す陽の傾きにすら心がついていかなかった。
(わたし……エルのこと、わかったような気になっていただけなのかもしれないわ)
どんよりとした気持ちは、まだ晴れなかった。
彼の目を見れば、感情はわかった。
わかりにくいと言われるその瞳の奥は、それでもシアにとって雄弁だ。慈しみも、優しさも、呆れも、戸惑いも、困惑も。
それでも、かつてのことを思い出す。
自分に話してくれていなかった、彼の心の奥底の部分。
ニグラードの悲劇。エルナドの両親を”事故”として殺めた、その原因をつくったのは”白”だという悲劇的な出来事。
彼はそれ以来、ずっと白を恨みながら生きていたけれど、”白”であるシアに対し、そのことを隠し続けてくれていた。
今ならわかる。あれは、彼の優しさだった。
(エルは、大人だし隠すのが上手いもの。わたしが気づかないようにしながら、過去の女性に心があってもおかしくないわよね……)
そこまでを考え、妄想を振り切るように、ふるふると一度かぶりを振る。
それでも心のどこかに絡みつくようなそれは取れなかった。
恋愛に対しての知識や経験が自分に足りていないという事実も、この妄想に拍車をかけていた。
今、愛されているのは自分だと言う自負はある。
誇張ではなく世界で一番、彼はシアを愛してくれている、と全身で伝えてくれている。そう思うし、そう思わせてくれている夫の深い愛情を疑っているわけではないのだけれど。
夫であるエルナドが初恋であり、初めての相手でもあるシアにとって、そこに別の誰かが入り込む余地を想像するだけで心がざらつく。そして、そんな自分の心の狭さに嫌気がさしているのだった。
食欲など微塵もなかった。
それでも階下の食堂に足を運んだのは、「皆に心配をかけてはいけない」と理性で思ったから。
なんとか笑顔を作り、扉を開ける。しかし身体の芯はまだ冷たいままで、表情はどうしても沈んでしまっていた。
「お待たせしたわ」
いつもニコニコと「今日のお料理は何かしら!」と弾むような足取りで食堂に飛び込んでくるシアを見慣れているのだ。
老執事のヴィッセル、料理長のバルクホルン、何より夫であるエルナドは、どこか生気のないシアにそろって目を見開いた。
「……どうしました、シア様」
「ヴィッセル? どう、って……別に、何も」
「いやいやいや! まるで萎れたマルガレリアの花のようですよ? ああ、麗しのかんばせが……。坊ちゃんの愛を注いで差し上げないと」
「もう、よして、バルク」
「シア」
曖昧に微笑むシアに、正面から眼差しを向けたのはエルナドだった。その瞳は明確な不安と心配に揺れている。
思わず席から立ち上がりそうな彼を目線で制して、シアは柔らかく微笑むと向かいの席に座った。
「シア……大丈夫か? 体調でも悪いのか」
「何でもないわ、ごめんなさい」
こんなにも自分の表情がとりつくろえていないなんて思わなかった。結局みんなに心配をかけてしまったことを恥ずかしく思いながら、シアはブンブンと元気に首を振る。
これでも実家にいる時は、父や教師の意向に沿うような白の令嬢を演じられていたのに。わたし、どんどんダメになってしまっているんじゃないかしら……そんなことを思いながら、理由も理由で口にできず、シアはなんとか明るく振る舞い、料理を流し込むようにして食事を進めた。
その様子を、後ろから静かに見守っていたふたりの女――栗色の髪の穏やかな女性・侍女長のノルンと、青髪と一つの三つ編みで束ねた長身の美女・薬師のルー。
ふたりは、意味ありげに目線を交わしあっていた。
どちらも長くニグラードに仕えている、使用人の女性陣の主軸であり、シアのよき理解者である。
食事を終えたあと、ノルンはそっとシアの肩に手を沿えた。
「ノルン?」
ノルンはシアに微笑み、エルナドに向かって口を開く。
「坊っちゃん、奥様は本日、ご夫婦の寝室ではなく自室でお休みになられた方がよろしいでしょう。万が一、体調不良でしたら、坊ちゃんにうつってしまいますからね」
その声音に込められた「察し」の色に気づいた者は、ルー以外にいない。
「……そうだな」
「ええ、ルーに診てもらうわ」
ただ心配するエルナドに、シアは少しだけ申し訳なさそうに笑って見せた。
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