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エピローグ/後日談
39:つなぐ未来に⑬
しおりを挟む王都からニグラード邸へと戻ったエルナドは、門の前で綺麗な礼をするヴィッセルに出迎えられた。その表情はどこか明るい。
「坊ちゃん、お帰りなさいませ。奥様がお待ちかねですよ」
「そうか。具合はどうだ?」
「ご安心を。今日は朝からとてもお元気でしたよ」
頷き、馬車を降りて玄関へと急ぐ。その時、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてきて思わず頬がこわばった。あれほど「走るな」と言い聞かせているのに。
「エル……! お帰りなさい! あのね、今日は……っ」
走ってくるシアの姿に、思わずエルナドの目が見開かれた。
「シア、止まれ!」
「えっ?」
ぴた、と言われた通り、シアは玄関前でその足を止める。
速足で駆け寄ると、そのままエルナドはその身体を緩く抱き締めた。
「転んだらどうする! 頼むから走らないでくれ、心臓がつぶれる」
「もう、大袈裟ね、エル。そんなこと言っていたら何もできないじゃない」
「何もしなくていい。ずっと寝台で寝ていてくれていいくらいだ」
「いいわけないでしょう? ルーも、医術士さまも、ちゃんと運動したほうがいいと言っていたわ? もう、本当に過保護なんだから。わたしに任せられている仕事もあるのよ?」
腕の中から自分をにらむようにするその紫の眼差しは、それでもどこか穏やかだ。
頼むからもう少し穏やかに過ごしてくれ、と思いながらも、こんな小言を言い続けることが彼女のストレスになりやしないか、とも思い、結局エルナドはため息を一つ深く吐くにとどめた。シアに、穏やかに落ち着いて過ごせ、と頼む方が難しいことはもう充分わかっている。
エルナド自身、身体がいくつあっても足りないほどの生活を送っているが、魔道具の開発も当主としての仕事も全てほうり出し、彼女の傍についていたい気持ちが最近では抑えきれなくなっていた。
「シア様。御子がお生まれになる前に坊ちゃんが心労で倒れてしまうと、この間お話したでしょう?」
「ご、ごめんなさい、ヴィッセル。……そうね、気を付けるわ……」
ヴィッセルの言葉にしおしおとうなだれるシア。
祖父といえるほど年が離れているヴィッセルからの小言は、自分の言葉よりも堪えるらしい、とエルナドは察する。執事であるヴィッセルもエルナドと同程度には忙しいが、彼の仕事を軽くしてシアについていてもらうか、とエルナドの明晰な頭脳は今後の予定をはじき出し始めていた。
考え込む自分を察知したのか、腕の中にいるシアが頬を膨らませている。
「もう、エル! また何か考え込んで! 今日は大事なお話があるのよ」
「そうですな」
「……さっきから何なんだ」
そわそわとしているシアに、どこか嬉し気なヴィッセル。
ええと、と一度頬に手を当てて、呼吸を落ち着かせてから、シアが自分を見つめて小声で囁いた。
「その、ね。さっきの診察でこの子の性別がわかったの」
「!」
正直、性別などどちらでもいい、と本気でそう思っていた。
元気で生まれてくれるのなら本当にどちらでもいい。跡取りなどのことを考えれば、領民にも男が望まれているだろうが、そんなことは些末なことだ。何か文句を言ってくるような輩がいればその時は――までを考えて、思考を止める。
シアと一緒に居るうちに、自分も無茶な方向への思い切りがよくなってきているようだ。
「どっちなんだ」
「……男の子、ですって」
はにかみながらそう伝えるシアの表情に安堵の響きを感じて、エルナド自身もホッとした。
そうか、とかみしめるように伝えると、シアは照れながら笑い、エルナドの胸にそっと頬を寄せる。
「どちらでも元気ならいいわ、とずっと思っていたけれど……。男の子ってわかったときのみんなの喜びようをみていると、ああ、よかったって思ったの」
「……そうか。重圧をかけたな」
「ううん、わたしが勝手にそう思っていただけ。でも、嬉しいわ」
柔らかな笑顔。つわりがひどかった時期には真っ青でやつれてしまっていたその頬は上気していてあざやかなバラ色だ。体調も良さそうで、エルナドは心から安堵する。
自然と手が、彼女の膨らんだ腹を撫でた。薄く臓腑すら入っているのか疑問だったそこは、すっかりやわらかな丸みを帯び、ほんのりと温かな命の鼓動が伝わってくる。
荷をヴィッセルに任せて、そっとシアの腰を抱くとそのまま玄関に入った。パタパタと駆けつけてきたノルンから上着を受け取ってシアの肩にかける。
「よく頑張ってくれているな。きみも、そしてこの子も」
「ありがとう、エル。でもエルもそんなに心配しないで大丈夫よ?」
「心配してしまうんだ」
そう言って腰を抱く腕に力を籠めると、シアは微笑んだ。
「嬉しいわ。……ありがとう、エル。わたし、幸せよ」
「そうか」
自分をみつめるシアの瞳を見ていると、吸い込まれるような心地がする。
普段の穏やかで愛らしい宝石のような色の奥に、母となったシアの瞳は深い慈しみを宿していた。その表情を見ると胸にたまらない気持ちがこみ上げる。
これ以上に彼女を好きになるということがあるなんて思いもしなかったけれど、今この時、ただただ彼女が腹に抱いた子ごと愛おしい。彼女と子のためなら、言葉通り何でもできてしまうだろう。
「王様はなんておっしゃってたの?」
「相変わらずだ」
下世話な話をしてきたことは、絶対にいうまい。
「ふふ……どうせまた、からかわれたんでしょう?」
「そうだな。今度は三人で来いと言われた」
お茶にしましょうか、と晴れやかな声のノルンに声をかけられ、エルナドはシアを共に屋敷の奥へと歩き出す。
白と黒――かつて相容れぬものとして分かたれていたふたつの力は、いまこうしてひとつの命を育んでいる。どれほどの苦難が待ち受けていようとも、愛する妻と子とともに歩む未来を、エルナドは恐れていなかった。
心配しながらも寄り添って、支え合って、守ってゆく。その覚悟はとうにできている。
微笑みを交わしながら、屋敷の奥へと進んでいくふたりの姿は、いつかこの地に生まれる新しい時代の礎のようにも見えた。
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次話でエピローグ④完結です。
長くお付き合いくださってありがとうございます!
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