86 / 94
エピローグ/後日談
40:つなぐ未来に⑭(終)
しおりを挟む
夜が深まり、屋敷のすべてが静寂に包まれていた。
ふと、シアは目を覚ました。
夫婦の寝室のカーテン越しに差し込む月明かりは、まるで薄絹のように部屋を覆っている。そして隣で眠っていたはずの夫が、寝台で半身を起こし、自分をじっと見下ろしていた。
銀の光はエルナドの頬をやわらかく照らし、その漆黒の髪に淡く光を宿している。その姿はどこか現実離れして見えるほど美しい。自分を見つめるその視線の優しさにうっとりとしながら、シアは目を瞬いた。
「エル……? どう、したの?」
「起こしてしまったか」
「ううん、この子がお腹に来てくれてから、夜はたまに起きてしまうの……。エルこそどうしたの? 眠れない?」
シアの言葉に、エルナドは静かに首を横に振った。
「月を、見ていただけだ」
低くおだやかな声。けれど、そこにはどこか少しだけこわばった響きが混じっている。
わかっていた。月なんて見ていないこと。彼はずっと、自分と子を見てくれていた。優しさを湛えたその瞳の奥に、不安の火が揺らめいているのをシアは悟る。
きっと――出産について、この先について。きっとわたしには思いもよらないことを、彼は考えてくれているのだ。エルは出会った時からこうだもの、とシアは思って微笑む。言葉には滅多にしないけれど、心の奥からわたしを、そして今では”わたしたち”を慈しんでくれる、誰よりも優しい人。
「エル」
「どうした」
「……抱きしめてくれる?」
言葉にした気持ちは本当だ。けれど、それよりもシアは、こんな夜更けにひとりで考えて悩む優しい夫を抱き締めたかった。
エルナドはかすかに頷くと、シアの隣に横になり、やさしく強く、抱きしめてくれる。
彼のぬくもりに、自然と心がほどけていった。そしてその背に自分も腕を回してそっと抱きしめた――その瞬間。
シアの腹が、ぽこり、と小さく動いた。
「……蹴った、のか? 今」
戸惑う声。そして、その声ににじむ喜び。
「エルにもわかったのね」
「ああ、……こう、ぽこ、と」
「そう。この子も起きちゃったのかしら、ふふ、やんちゃね」
顔を見合わせて微笑む。エルナドの視線が静かにシアの腹に向けられ、わずかに目元が綻んだ。
膨らんだ腹の上からそっとシアが手を添えれば、すぐに夫の手も重ねられる。長くしなやかな指が、優しくシアの手と腹を撫でた。そこに宿る命を確かめるように。守ると誓うように。
優しいしぐさ、あたたかい体温が心地よくて、シアは瞳を閉じた。本当に、彼のしぐさと眼差しは雄弁だった。ただそのぬくもりを感じようと、その胸に寄り添う。
夜の闇に沈む寝室は、ただ優しく愛に満ちていた。
「シア、こわいか?」
「……どうして?」
「少しだけ、うなされていた」
彼の声はひたすらに優しかった。問いかけというより、自分の不安をそっとすくいあげるような声音だ。
シアは少しの間、何も言えずにいた。不安を口にすることで、夫に心配をかけたくない。けれど、迷いながらも小さくうなずいた。
「ええ、少しだけね。この子に会えるのはとても楽しみよ。でも、白と黒の狭間で生まれてくるわたし達の子のこと……。考え始めると、止まらなくなってしまうの」
自分の心の奥からすべり出た素直な言葉は、ほんの少しだけ震えていた。
笑っていた日々の影で、ずっと胸にためていたもの。エルナドには見せたくないと隠していた小さな弱音をわずかにこぼす。
「大丈夫だ。私とシアの子だろう?」
静かに、しかし確かにそう言った夫の声は、夜の沈黙に溶け込んで優しく響いた。
そして彼の手がシアの髪を優しく撫でる。
額に、唇が触れた。次に、眉間。頬。そして耳の横。そのひとつひとつが愛おしさに満ちていて、シアの胸はじんわりと満たされていく。首にそっと触れられて、欲ではないあたたかな感情が身体全体を包んでいく。
優しい触れ合いだった。腹に子を宿してからぴたりと営みは止まったけれど、その分こうしてただ触れあうことが増えた。胎内に宿る新しい命ごと慈しむようなその優しい触れあいは、シアの心と体の両方を包んで愛してくれる。
「エル……っ、ん」
「シア」
そっと彼の頬に唇を寄せる。自分も、愛したい。いつも皴をよせがちな眉間に、瞼に、通った鼻梁に。愛している。耳にそっと口づけながら唇で食むと、「こら」と少したしなめられてそれも嬉しい。お返しだと言わんばかりに頬を撫でていたその手がするりと耳を摘まみ、ひゃ、と軽く声がでてしまった。
顔を見合わせ、笑いあう。彼の笑顔も随分と見慣れた。目元がゆるくなり、口角がわずかに上がる。その顔をみるたびに、ああ愛しいと心から思う。
唇が、どちらからともなくそっと重なった。ひたすらにやさしい、静かな口づけ。深くも、激しくもなく、ただ互いの愛情を確認するための、穏やかな触れ合い。
何も言葉はいらなかった。彼の指が、彼の体温が、すべてを伝えてくれていた。
この人が、こうしてここにいる。それだけで、わたしは強くなれる。
そしてわたしがいることで、彼も強くなれたらいい。
一度離した唇と、再びそっと唇を重ねた。
さっきよりも、少しだけ深く。
愛していると、ありがとうと、生まれてくる命と、これまでのふたりのすべてに――祝福のような想いを込めて。
【完】
*************************
エピローグ④、完です。
お付き合いくださりありがとうございました。
エピローグ四つ目となった今回も、読んでいただけて本当に嬉しいです。
メインの時間軸としてはここから「魔力なしの~」の方につながっていく感じですが、小噺的なものをいくつかまだ書いている途中のものもあるので、またお付き合いいただけたら嬉しいです。
あらためてありがとうございました。
ふと、シアは目を覚ました。
夫婦の寝室のカーテン越しに差し込む月明かりは、まるで薄絹のように部屋を覆っている。そして隣で眠っていたはずの夫が、寝台で半身を起こし、自分をじっと見下ろしていた。
銀の光はエルナドの頬をやわらかく照らし、その漆黒の髪に淡く光を宿している。その姿はどこか現実離れして見えるほど美しい。自分を見つめるその視線の優しさにうっとりとしながら、シアは目を瞬いた。
「エル……? どう、したの?」
「起こしてしまったか」
「ううん、この子がお腹に来てくれてから、夜はたまに起きてしまうの……。エルこそどうしたの? 眠れない?」
シアの言葉に、エルナドは静かに首を横に振った。
「月を、見ていただけだ」
低くおだやかな声。けれど、そこにはどこか少しだけこわばった響きが混じっている。
わかっていた。月なんて見ていないこと。彼はずっと、自分と子を見てくれていた。優しさを湛えたその瞳の奥に、不安の火が揺らめいているのをシアは悟る。
きっと――出産について、この先について。きっとわたしには思いもよらないことを、彼は考えてくれているのだ。エルは出会った時からこうだもの、とシアは思って微笑む。言葉には滅多にしないけれど、心の奥からわたしを、そして今では”わたしたち”を慈しんでくれる、誰よりも優しい人。
「エル」
「どうした」
「……抱きしめてくれる?」
言葉にした気持ちは本当だ。けれど、それよりもシアは、こんな夜更けにひとりで考えて悩む優しい夫を抱き締めたかった。
エルナドはかすかに頷くと、シアの隣に横になり、やさしく強く、抱きしめてくれる。
彼のぬくもりに、自然と心がほどけていった。そしてその背に自分も腕を回してそっと抱きしめた――その瞬間。
シアの腹が、ぽこり、と小さく動いた。
「……蹴った、のか? 今」
戸惑う声。そして、その声ににじむ喜び。
「エルにもわかったのね」
「ああ、……こう、ぽこ、と」
「そう。この子も起きちゃったのかしら、ふふ、やんちゃね」
顔を見合わせて微笑む。エルナドの視線が静かにシアの腹に向けられ、わずかに目元が綻んだ。
膨らんだ腹の上からそっとシアが手を添えれば、すぐに夫の手も重ねられる。長くしなやかな指が、優しくシアの手と腹を撫でた。そこに宿る命を確かめるように。守ると誓うように。
優しいしぐさ、あたたかい体温が心地よくて、シアは瞳を閉じた。本当に、彼のしぐさと眼差しは雄弁だった。ただそのぬくもりを感じようと、その胸に寄り添う。
夜の闇に沈む寝室は、ただ優しく愛に満ちていた。
「シア、こわいか?」
「……どうして?」
「少しだけ、うなされていた」
彼の声はひたすらに優しかった。問いかけというより、自分の不安をそっとすくいあげるような声音だ。
シアは少しの間、何も言えずにいた。不安を口にすることで、夫に心配をかけたくない。けれど、迷いながらも小さくうなずいた。
「ええ、少しだけね。この子に会えるのはとても楽しみよ。でも、白と黒の狭間で生まれてくるわたし達の子のこと……。考え始めると、止まらなくなってしまうの」
自分の心の奥からすべり出た素直な言葉は、ほんの少しだけ震えていた。
笑っていた日々の影で、ずっと胸にためていたもの。エルナドには見せたくないと隠していた小さな弱音をわずかにこぼす。
「大丈夫だ。私とシアの子だろう?」
静かに、しかし確かにそう言った夫の声は、夜の沈黙に溶け込んで優しく響いた。
そして彼の手がシアの髪を優しく撫でる。
額に、唇が触れた。次に、眉間。頬。そして耳の横。そのひとつひとつが愛おしさに満ちていて、シアの胸はじんわりと満たされていく。首にそっと触れられて、欲ではないあたたかな感情が身体全体を包んでいく。
優しい触れ合いだった。腹に子を宿してからぴたりと営みは止まったけれど、その分こうしてただ触れあうことが増えた。胎内に宿る新しい命ごと慈しむようなその優しい触れあいは、シアの心と体の両方を包んで愛してくれる。
「エル……っ、ん」
「シア」
そっと彼の頬に唇を寄せる。自分も、愛したい。いつも皴をよせがちな眉間に、瞼に、通った鼻梁に。愛している。耳にそっと口づけながら唇で食むと、「こら」と少したしなめられてそれも嬉しい。お返しだと言わんばかりに頬を撫でていたその手がするりと耳を摘まみ、ひゃ、と軽く声がでてしまった。
顔を見合わせ、笑いあう。彼の笑顔も随分と見慣れた。目元がゆるくなり、口角がわずかに上がる。その顔をみるたびに、ああ愛しいと心から思う。
唇が、どちらからともなくそっと重なった。ひたすらにやさしい、静かな口づけ。深くも、激しくもなく、ただ互いの愛情を確認するための、穏やかな触れ合い。
何も言葉はいらなかった。彼の指が、彼の体温が、すべてを伝えてくれていた。
この人が、こうしてここにいる。それだけで、わたしは強くなれる。
そしてわたしがいることで、彼も強くなれたらいい。
一度離した唇と、再びそっと唇を重ねた。
さっきよりも、少しだけ深く。
愛していると、ありがとうと、生まれてくる命と、これまでのふたりのすべてに――祝福のような想いを込めて。
【完】
*************************
エピローグ④、完です。
お付き合いくださりありがとうございました。
エピローグ四つ目となった今回も、読んでいただけて本当に嬉しいです。
メインの時間軸としてはここから「魔力なしの~」の方につながっていく感じですが、小噺的なものをいくつかまだ書いている途中のものもあるので、またお付き合いいただけたら嬉しいです。
あらためてありがとうございました。
72
あなたにおすすめの小説
推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜
湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」
「はっ?」
突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。
しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。
モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!?
素性がバレる訳にはいかない。絶対に……
自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。
果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。
【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!
藤原ライラ
恋愛
ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。
ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。
解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。
「君は、おれに、一体何をくれる?」
呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?
強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。
※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【R18】熱い夜の相手は王太子!? ~婚約者だと告げられましたが、記憶がございません~
世界のボボブラ汁(エロル)
恋愛
激しい夜を過ごしたあと、私は気づいてしまった。
──え……この方、誰?
相手は王太子で、しかも私の婚約者だという。
けれど私は、自分の名前すら思い出せない。
訳も分からず散った純潔、家族や自分の姿への違和感──混乱する私に追い打ちをかけるように、親友(?)が告げた。
「あなた、わたくしのお兄様と恋人同士だったのよ」
……え、私、恋人がいたのに王太子とベッドを共に!?
しかも王太子も恋人も、社交界を騒がすモテ男子。
もしかして、そのせいで私は命を狙われている?
公爵令嬢ベアトリス(?)が記憶を取り戻した先に待つのは── 愛か、陰謀か、それとも破滅か。
全米がハラハラする宮廷恋愛ストーリー……になっていてほしいですね!
※本作品はR18表現があります、ご注意ください。
完結(R18 詰んだ。2番目の夫を迎えたら、資金0で放り出されました。
にじくす まさしよ
恋愛
R18。合わないと思われた方はバックお願いします
結婚して3年。「子供はまだいいよね」と、夫と仲睦まじく暮らしていた。
ふたり以上の夫を持つこの国で、「愛する夫だけがいい」と、ふたり目以降の夫を持たなかった主人公。そんなある日、夫から外聞が悪いから新たな夫を迎えるよう説得され、父たちの命もあり、渋々二度目の結婚をすることに。
その3ヶ月後、一番目の夫からいきなり離婚を突きつけられ、着の身着のまま家を出された。
これは、愛する夫から裏切られ、幾ばくかの慰謝料もなく持参金も返してもらえなかった無一文ポジティブ主人公の、自由で気ままな物語。
俯瞰視点あり。
仕返しあり。シリアスはありますがヒロインが切り替えが早く前向きなので、あまり落ち込まないかと。ハッピーエンド。
冷酷な王の過剰な純愛
魚谷
恋愛
ハイメイン王国の若き王、ジクムントを想いつつも、
離れた場所で生活をしている貴族の令嬢・マリア。
マリアはかつてジクムントの王子時代に仕えていたのだった。
そこへ王都から使者がやってくる。
使者はマリアに、再びジクムントの傍に仕えて欲しいと告げる。
王であるジクムントの心を癒やすことができるのはマリアしかいないのだと。
マリアは周囲からの薦めもあって、王都へ旅立つ。
・エブリスタでも掲載中です
・18禁シーンについては「※」をつけます
・作家になろう、エブリスタで連載しております
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる