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第8章 疼きと贄
⑤
しおりを挟む「行くわよ、ココちゃん。愛しのヒュール様がお待ちかねよ」
「……わたし、行きません」
「あらあら、どうしたの?」
「恥ずかしがらないで」
「行きません……! だって、ヒュールさんは来るなって言っていたもの!」
ヒュールさんは来るなと言っていた。その約束を破りたくなかった。
でも、わたしの声と態度に、ラビさんとシプさんの手に力が込められていく。
「っ!! 痛っ」
みしり、という音。獣人の力で強く握られ、両手が軋んだ音を立てる。
「……あら、そう」
「そういう態度をとるのね?」
わたしに、降り注いだふたりからの視線はまるで刺すように冷たかった。
「おかしいわね、あんなに従順だったココちゃんがわたしたちに口答え?」
「どうしちゃったの? 返事は"はい"でしょう?」
「ヒュール様の番でも、ニンゲンはニンゲンよ?」
「いまここで、立場を教えてあげようかしら」
「……っ!」
左右のふたりから暗い瞳でみつめられ、ひゅ、と喉が鳴った。
その言葉と共にパチン、と何かの音がして、冷水を浴びせられたように全身が寒くなる。ぎゅう、と首をしめられたような感覚に胸元を抑えた。
頭がくらりとする。この、力。たぶん、獣人の異能だ。
手足に力がはいらない。羊の獣人・シプさんの催眠、の異能。体が半分、寝てしまったように動かない。
嫌だ、と首を振ろうとしても、全く体は動いてくれなかった。
「ね? ココちゃんは従順ないい子だものね?」
「異能使うと疲れるのよねぇ。さっさと行くわよ」
そうだった。わたしは、ニンゲン。
最近ずっと、同等に扱ってくれる優しいヒュールさんといたせいで、感覚がおかしくなっていたんだ。
――獣人に逆らうなんて、できっこない。言われた通りにするしかないの。
指先に力がはいらない。ぐったりとしながら、されるがままに立ちあがるわたしを見て、ラビさんとシプさんは満足そうに笑っていた。
「分かればいいのよ。さ、行きましょうココちゃん、役目を果たさなきゃね?」
「ヒュール様も、本心ではお待ちかねよ」
役目?
本心?
絶対に、ちがう。ヒュールさんは来るなって言っていたもの。それなのに。
両手をしっかりと握られたわたしは、そのまま静かにうつむくことしかできなかった。
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